文庫新刊『発達障害者が旅をすると世界はどう見えるのか』が話題の文学研究者・横道誠さんと、ご夫婦の共作『僕の妻は発達障害』で知られる漫画家・ナナトエリさんの初対談が実現。発達障害の当事者二人が語りあった、“世の中の見え方”。
【写真】この記事の写真を見る(8枚)
◆◆◆◆
横道誠さん(左)とナナトエリさん(右) 撮影・石川啓次(文藝春秋)
横道 本日は初めての対談、よろしくお願いします。
ナナト お声がけ頂いてとても嬉しいです。
横道 最初に私たちの接点をお伝えすると、ナナト先生の『僕の妻は発達障害』が『僕の大好きな妻!』というタイトルでドラマ化されて、主演がももいろクローバーZの百田夏菜子さんという話題性もあり、発達界隈で大変評判になっていたんですね。
それがナナト先生のお仕事を知ったきっかけですが、その後、村中直人先生が主宰する「自閉文化を語る会」でナナト先生と直接知り合い、交流が生まれました。私は子どもの頃から、「おとなになったら学者さんになりたいです!」という『ドラゴンボール』の孫悟飯みたいな子どもだったんですけど、学者以外に憧れたいちばんの職業は漫画家なので、漫画家の知り合いが増えることにゾクゾクするような感動があります(笑)。
そんなナナト先生が今回の文庫のもとになった単行本を読んで、すごく面白いとおっしゃってくれて。ナナト先生はそのとき「5回読んだ!」と言っていたんですが、私の中で勝手に話が盛られてしまって、「30回読んでくれた」とXで投稿してしまいました。
ナナト さすがに30回は違うと訂正しましたが、何度も読み返していて、いま24回です。
横道 本当にありがたいことです。
ナナト もうこの本が好きすぎて、横道先生のことはどこへ行っても「推し様」と呼ばせて頂いてるんですが、世界各地の街角から風が吹いてくるような臨場感がとにかく心地よく、奇妙なほど私のなかの感覚とシンクロするんですね。それは、自閉症スペクトラムの感覚世界に深く共感できるだけでなく、私が「これは一体何なんだろう」と長年もやもやと感じてきたことがクリアに言語化されているからだと思います。
発達障害って、大人になってから診断されて自覚する人も多いですが、わかった瞬間に生まれ変わる感覚がありますよね。この本の読書体験も、自分の人生がすっと「腑に落ちた」感覚がありました。
横道 当事者は、発達障害と診断されたことで、それまでの人生の「伏線回収」が起こった、っていう表現をよく使いますよね。自分の人生で起こってきた無数の謎がさっと解けていく。そこから人生に対する新しい展望が開ける。自助グループ活動なんかは仲間同士で語りあうことで、ますます謎が解けて、人生の物語が書き変わる。いわゆるナラティブセラピー(物語療法)の効果です。そういう医学的診断や自助グループ活動のもたらす効果が私の本を読むことで起これば良いなといつも思っています。

私は40歳になってから診断されて、自助グループを多数主宰するようになるなかで、海外旅行に行きまくっていた青年時代の謎も解けそうな気がしたんです。その謎解きを今回の本でやったということになります。
モスクワの空港で読書に熱中しすぎて飛行機に乗り遅れたとか、カイロで一人街なかを歩き回り危ない目にあいかけたとか、ASDの極度のこだわりとかADHDの不注意や衝動性から来ていたんですね。スイスでは『アルプスの少女ハイジ』の聖地巡礼をやりましたが、山登りがきついのに、いつも通りに、ずっとくるぶしをコキコキ回しながら歩いていた。自閉スペクトラム症のこだわり行動です。
ナナト エジプトで胡散臭い案内人と不思議な会話をするシーンとか、奇妙なマリアージュで大好きですね。あと、さんざんゲテモノを食べてきて平気だったのに、サバサンドでは1週間寝込んだのには笑ってしまって。

横道 子どもの頃は、寿司といえばバッテラしか食べないくらいサバ好きでしたが、サバがパンに挟まると、私には「ゲロまず」に感じられて(笑)。まあそれはともかく、過去の自分を現在の視点からスキャニングしてみたら、旅のなかで起きる脳内多動――マインドワンダリングもなかなか興味深いなと思って書き始めたんです。
海外の街角でも想像力があちこちに飛んで様々な文学作品と紐づいたりするから、雪の舞うベルリンでハン・ガンの『すべての、白いものたちの』が出てきたり、カサブランカでムーミン谷の吹雪の世界が重なったりする。なぜ繋がっているのか、私なりに根拠はあるんですが、あえて明示しない箇所も多いので、不思議な読み味を生んでいると思います。
ナナト それ、編集者さん的にはOKだったんですか?
横道 最初は突っ込まれたんですが、しばらくしたら諦めてくれて(笑)。結果、発達障害×旅という本書は、かなり特異な本に仕上がりました。私は昔からニッチ産業という考え方が好きで、大儲けはできないけれどコアな需要がある領域で勝負していこうと思ってきたんです。で、お聞きしたいのですが、ナナト先生は旅はお好きでしょうか?
ナナト 滅多に旅はしないですね。発達障害の特性のひとつ「同一性保持」で、同じ場所にいたいという気持ちがとても強い人間なので。基本、家の半径数メートルからは外に出ないんですよ。その昔、家族に連れられてアメリカに住んでいた時期があるのですが、私にとっては大変でしたね。
場所を移動するってけっこうストレスで、とくに体調が悪いと感覚過敏がひどくなるんです。高い音が過敏に聞こえてくるようになると、ああ今ストレスを感じているな、と。
横道 私もこの本で、ニューヨークではモダンジャズのような音の洪水に襲われる感覚があったことを書きました。発達障害者にはしばしば聴覚情報処理障害が付随するので、定型発達者に比べると、音に対して過敏だったり、逆に鈍感だったりという印象があります。
私は五感が全体に鋭いんですけど、ナナト先生もそんな感じですか?

ナナト 視覚は大丈夫なんですけど、嗅覚がかなり過敏で……。もともと北海道の田舎に住んでいたので、東京に出てきたときあまりの電車の臭さにビックリしました。都会の電車ってこんなにも臭いんだ!と。
横道 アハハハ……、私は蓄膿気味なので、本来は過敏であろう嗅覚が逆に鈍感になってしまってます。視覚はだいぶ過敏で、子どものころ集合写真をとると、いつも自分だけ目をつぶってるんですよ。みんながこのくらいならOKと判断して撮影するわけですが、私には明るすぎてまぶしく感じられていたという。
触覚の過敏もよく話題になりますね。自閉スペクトラム症の子がハグを嫌がったりして。
ナナト ハグは嫌です。結婚していてなんですけど。
横道 発達障害と言えば、パートナーシップの問題も大きなトピックですね。定型発達者のパートナーは、発達障害者のどういうところを理解できると、お互いに楽なのか。『僕の妻は発達障害』のメインテーマかもしれませんけど。
ナナト 私の場合、人がたくさんいるのが苦手なので、実は自助グループにうまく参加できなかったんです。結果、夫とずっと自助会をやってきたようなものですね。小さな夫婦という間柄の中で、互いの何が違うのかをずっと話し合ってきました。
我が家の場合は、大げんかになったり、収拾がつかなくなったら、紙を出してきて、ふたりで状況を絵にするんですよ。これは何を言っているのか?って漫画で描いているうちに笑えてくるので、クールダウンできます。私としてはストレートなことしか言ってないのに、「裏の意味があるんでしょ?」って勘違いされることがよくあったんですね。
横道 わかります。我々の場合、裏はなくても、ズバズバと歯に衣着せない語り口を選ぶし、願望・欲望をストレートに行動に反映させやすいから、悪意を持ってワザと言ってる、やってると誤解されることが多々ありますね。

ナナト そうなんです。それが夫婦間や、編集さんとのやり取りでも発生して大変でした。私としては他意はなく、直球で言ってはいけないことを言ってしまったりして……。
だから、同じ人間の姿はしているけど、まったく違う感覚を持っている人がいることを知ってほしいというのが、切なる願いなんですよね。こちらがどんな癖を持っているのかまでは、知らなくていいんです。内面を見せ合うなんて、人間できなくて当たり前だから。でも、まったく違うタイプの人もいるんだという可能性に気付いてほしいなと。
横道 発達障害の問題って、従来はもちろん障害ないし精神疾患の枠組みで語られてきたんですけど、最近はニューロダイバーシティ(脳の多様性)論の枠組みで、非障害的な観点から語られることも増えました。つまり発達障害者は脳のあり方が少数派、定型発達者は脳のあり方が多数派と考えるわけです。
障害の問題として捉えると、目の見えない人に「ちゃんと見て歩け」とか、耳が聞こえない人に「人の話はちゃんと聞け」とは絶対言わないじゃないですか。身体障害者に対しても、「自分の足で歩くのが当然です」なんて求めない。ところが、発達障害や精神疾患に関しては、「本人の甘え」「努力不足」と批判されがちです。見えづらい障害だから、「がんばれば、なんとかなるだろうに」と勝手に決めつけられてしまう。
非障害的な問題として扱うなら、発達障害は「特性」と見るべきなわけですね。シンプルに、多数派とは異なる特性を持っている少数派とみなす。例えば、草を食べて生きている草食動物に、美味しいからって肉をあげても、食べないのは当たり前ですよね。それなのに、「食べない方が悪い」「失礼だ」みたいな話にされてしまうのが、私たちの現状なわけです。「もっと普通になってください」なんて言われてしまう理不尽。
これは人種問題に置き換えたら、ものすごくグロテスクな物言いであることがはっきりするんです。例えばアメリカで、少数派にあたるアフリカ系の子どもとして生まれたことに悩み、「白人の皆さんに申し訳ないから、もっと白人みたいになれるよう頑張ります」と言わせるとしたら、それってグロさの極みですよね。
ナナト ホントそうですね。
横道 それなのに発達障害者に対しては「もっと普通になれ。無理なら障害者らしく謙虚にして、申し訳なさそうに生きろ」と要求してくる人がいくらでもいる。はっきり口に出さなくても、そんな思いでいる人も珍しくない。「なぜ同じような失敗ばかりして反省しないんですか」って。社会の制度設計こそ、そもそもの問題なんだと、なかなかわかってくれません。
ナナト すごく難しい問題ですよね。失敗して迷惑をかけてしまったときの申し訳なさは、もちろんこちらも表明するんですけど、普通に生きていることを申し訳ないとは思いたくない。集団のなかで、私たちの存在は扱いが難しいんだろうなとは感じます。

横道 はい。『僕の妻は発達障害』のなかで、私にひときわ響いたメッセージは、昔の同級生と会うシーンでした。主人公の知花は言います。「自然じゃダメなんです。私は衝動にまかせて自然にしていたら嫌われてしまいます。なので自然にしないようにすると、今度は不自然になります。嫌われない自然ってどういうことでしょうか?」この場合、「衝動」というのは、ありのままの自然さということだと思いますが、その自然さが否定されてしまう。
発達障害者として生きていると、周りに責められないよう「擬態」して振る舞うので、自分たちの持って生まれた本来の特性を自然と豊かに成長させていく機会が損なわれてもいるんですね。定型発達者の表層的なモノマネになることが多い。本当は、発達障害者は発達障害にふさわしい成熟を求めていくべきだと思うのですが、ロールモデルがないんです。当事者は全人口の1割以下だし、その多くが擬態して自分の自然なありようを否定しているからです。成熟に向けて学ぶ環境が奪われている、という事実はもっと注目されて良いと思います。
ナナト そうですね。そこで思うのは、学校に行ったり会社勤めとかすると、自分が他の人と違うなということを痛感し、生きづらさを感じます。でも、本当に私たちって「どこで生きるか」によって、人生がとても楽になったり、逆に大変になったりする障害です。
私の父は学者で、ちょっと変わってて明らかに自閉スペクトラム症だったんですけど、学問の世界ならうまくやっていけていました。それをはたから見ていたので、私たちにも生きやすい世界はあるんだなって。
だから、いま辛い気持ちで生きている人たちがいたら、その狭い世界しかないと思わないで、自分の生きやすい所を探してどんどん違う世界へ出て行ってほしいと思うんです。転職なんて恐れずに、どこか生きやすいところを見つけてほしい。究極的には、多数派か少数派かなんて気にしなくてもいいような人生を送ってほしいと願っています。
横道 素晴らしい考え方だと思います。私自身、文学研究者として、あるいは著作家として働けることで、人生が救われてきたと思っています。普通の勤め人は絶対にできない。ほかの仕事をしていたら、「あの人ほんと無能だね」って言われ続けていたと思います。
ナナト 本書との出会いで、私は自分の許せなかった過去を「あ、こんな理由だったのか」と捉え直す機会をもらいました。自分への理解の解像度も上がって、より漫画も描けるようになった気がするんですよ。
横道 筆者冥利に尽きる言葉です。今日は貴重なお話をありがとうございました。
ナナト こちらこそ、本当にありがとうございました。

(横道 誠,ナナトエリ/ライフスタイル出版)