「日枝天皇」はいまだにフジグループ内に居座っていた 昇進する元「女性アナ」たちの行方

フジテレビと親会社のフジ・メディア・ホールディングス(FMH)の取締役相談役を退いた日枝久氏(87)が、いまだフジサンケイグループ(FCG)内の組織でトップを務めている。フジは一連の人権侵害問題を受け、組織と社風の一新を目指しているのではなかったのか。旧体制をつくった主役でありながら、沈黙したままの日枝氏をグループ内に残したままで大丈夫なのだろうか。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
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【写真】フジテレビ巨額赤字の発端「中居正広氏」高級車でお出かけの変装姿をカメラが捉えた!(3月28日撮影)
日枝氏がいまだにトップを務めているのは「彫刻の森美術館」(神奈川県)と「美ヶ原高原美術館」(長野県)を運営する「公益財団法人 彫刻の森芸術文化財団」。日枝氏は代表理事で、両美術館の館長も兼ねている。
FCGは、テレビ・新聞・ラジオから都市開発・観光までを束ねる78社・4法人・3美術館の企業連合。その中核を担うのがFMHで、メディア・コンテンツ事業や都市開発などを手がける子会社・関連会社139社を統括している。
FCGの職員は約1万3000人。代表はグループの総帥を意味する。2003年から今年3月まで代表は日枝氏が務めていた。現在は空位になっている。
美術館運営は大きな利益が期待できないため、フジは重く見ていないと思われるかも知れないが、それは違う。彫刻の森美術館はフジの中興の祖である故・鹿内信隆氏が戦略的につくった。初代館長にも就いた。1969年のことである。
彫刻の森美術館はフジのシンボル的存在になった。信隆氏はフジのステイタスを上げるためにこの美術館をつくったという。
「信隆氏本人の格を上げることも狙いでした。マスコミ経営者もテレビも地位がそう高くありませんから。テレビは『俗悪』と蔑まれがちです。そこで信隆氏はヨーロッパではマスコミ経営者より美術館オーナーのほうが尊敬されることに目を付けた。また、テレビ局より美術館のほうが、評価が高いのです」(フジ関係者)
信隆氏は1981年には姉妹館の美ヶ原高原美術館もつくった。思惑どおり、信隆氏とフジのステイタスは上がった。「信隆氏とフジは芸術に強い」と印象付けられた。信隆氏は芸術家や文化人らの人脈を広げていった。
初代トップが信隆氏だったこともあり、両美術館を運営する彫刻の森芸術文化財団はFCG内での格式が高い。また、FCGは1972年に「上野の森美術館」(東京)を開館する。フジと芸術界の関係は強固なものになってゆく。
それにより、信隆氏は飛びきりのステイタスを得る。1988年から、やはりFCGに属する公益財団法人日本美術協会が、「高松宮殿下記念世界文化賞」を主催することになったのだ。
日枝氏は2023年に彫刻の森芸術文化財団の代表理事になった。日本美術協会の会長にも2008年に就任した。フジ関係者によると、美術協会会長も続投するという。
ここで危惧や疑問が生じる。彫刻の森美術館とフジは浅からぬ関係にあり、だから同局ではCMも頻繁に流れる。イベント等のため、フジ社員が訪れる機会も多い。
そこに人権侵害問題について一切沈黙する日枝氏が残ったままでいいのだろか。旧組織と社風を一新するという目標と矛盾するのでないか。また、日枝氏との接点を持ち続けたままで、現執行部は改革がやりにくくないのだろうか。
日枝氏はフジの取締役の退任を同局やFMHの執行部から迫られた際、「俺には関係ない」と拒んだという。フジの信用が失墜する発端となった中居正広氏(52)による元女性アナウンサーへの性加害問題が、自分とは関係ないと主張したのである。
遠因は自らがつくったフジの旧組織と社風にあるという意識がないらしい。中居氏の問題で重大ミスを犯した港浩一前社長(73)、大多亮元専務(66)を起用したのもほかならぬ日枝氏なのだが、その任命責任も感じていないようだ。ほかの取締役や局長、子会社社長も日枝氏が決めていた。
日枝氏は自分には責任がないと思っていることもあって、彫刻の森芸術文化財団から離れようとしないのだろう。フジ側の幹部も日枝氏には頭が上がらなかった人ばかりなので、退任を迫りにくいようだ。
一方、「高松宮殿下記念世界文化賞」には皇族が関係する。昨年11月の授賞式典では常陸宮殿下のお言葉を常陸宮妃華子殿下がご代読された。式典では日枝氏も日本美術協会会長として挨拶を行った。
自分がつくった組織で人権侵害事案が起きていながら、説明責任を果たしていない日枝氏が、皇室との行事を主催する立場のままでいいのだろうか。昨年の受賞者は天皇、皇后両陛下とも皇居で懇談している。
日枝氏は2月に腰椎を骨折した。側近だった金光修FMH社長がごく簡単に骨折の事実を説明したが、それだけ。容体も様子も全く分かっていない。6日にフジが放送した人権侵害問題の検証番組「検証 フジテレビ問題 ~反省と再生・改革~」の取材依頼も3度断ったという。
この番組内では日枝氏がカメラに向かって話す映像が流れた。
「テレビは一方的に視聴者に語るだけでなく、視聴者とテレビ局がお互いに語り合いながら、番組づくりを進めることが、良い番組をつくり、放送文化に役立つものであろうと私は考えております」(日枝氏)
なぜか番組名がクレジットされなかったものの、この映像は「週刊フジテレビ批評」の第1回(1992年4月17日)である。日枝氏の肝煎りでつくられ、日枝イズムが凝縮された番組だ。
自己検証番組でありながら、身びいきに見えるところも日枝氏らしさか。ただし「視聴者とテレビ局がお互いに語り合い」という自らの言葉は忘れるべきではない。
「検証 フジテレビ問題」についてフジの現役、OBに意見を聞いたところ、「あんなもんでしょ」といった冷めた意見ばかりだった。最初から検証には限界があると考えていた。一方で2007年から13年まで社長だった豊田皓氏(79)を讃える声は複数あった。豊田氏が書面で敢然と日枝氏批判を行ったからである。
「役員も役員報酬も日枝氏が決めていた」(豊田氏)「1人が権力を長く握り続けると、権力におもねる取り巻きや茶坊主が増殖する」(同)
豊田氏は母校の成城大時代にはラガーマン。入社後は希望の報道に配属されるが、組合に入ったため、左遷される。会社側から組合脱退を勧められたものの、「組合を辞めるくらいなら会社を辞める」と拒んだ。骨太の人である。
また、複数の有為な人材をパワハラで潰してしまった疑惑のある元報道系上席取締役の件が扱われなかったことに強く憤る声もあった。取締役は日枝氏に目を掛けられていた1人である。やはり日枝氏がFCGに残ることへの疑問は消えない。
再生を目指すフジは10日付で大規模な組織改革と人事異動を行う。新たに誕生する部署は、社内のあらゆるジャンルのリスクを掌握する社長室リスク管理部、法律相談や訴訟対応を行う法務統括局企業法務部、コンプライアンス意識の向上を推進するコンプライアンス推進局コンプライアンス推進部などである。
「室」から「局」へ格上げされるアナウンス局にはマネージメント・プロデュース部が出来る。特定の女性アナに番組からの出演依頼が相次ぐことがよくあるが、その調整などを行う。
女性アナは目立つ存在であるものの、テレビ局もサラリーマン組織なので、ほかにも重要な仕事がある。自ら進路変更を希望する女性アナも少なくない。
「とくダネ!」(2021年終了)のサブキャスターなどとして活躍した森本さやか氏(47)は人事局人事部長に昇進する。ライン部長だ。会社の中枢である。
バラエティ「となりのココロ」(2000年終了)のMCなどを担当し、人気のあった春日由実氏(50)は広報局企業広報部担当部長を続投する。番組をPRするのではなく、企業としてのフジへの取材依頼などに対応する。
元アナではないが、社内外で話題なのが石田弘氏(81)。80歳を過ぎたものの、スタジオ戦略本部第2スタジオ制作センターのエグゼクティブプロデューサーを続ける。
世間の雇用延長は大半が65歳まで。だが、フジは70歳過ぎても雇用が続くことがある。それでも80歳を超える人の雇用は異例だ。石田氏は現在、「ミュージックフェア」を担当する。音楽界の重鎮だ。
かつては港氏の上司かつ盟友だった。数々のバラエティで仕事を共にした。「夕焼けニャンニャン」(1985年)と「とんねるずのみなさんのおかげです。」(1988年)は港氏がディレクターで石田氏がプロデューサーだった。
ここにきて2人は明暗が分かれた。石田氏は日枝氏に買われていたものの、寵愛を受けたのは港氏である。
高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。
デイリー新潮編集部