富山市荒川で60年前に開店した人気和菓子店「大野菓子舗」を切り盛りしてきた夫婦が、同じ日に別々の病気で亡くなった。
2時間弱の差で亡くなるとは家族も想定外で、運命めいたものを感じている。(小林佑基)
この夫婦は大野栄一さん(82)とタカ子さん(79)。10月26日に亡くなった。
夫婦で経営していた大野菓子舗は、まんじゅうやカステラのほか、和風スイートポテトをもなかにのせた「おいもなか」などが人気の店だ。長男で現在の店主・等さん(53)によると、店は栄一さんが1962年に開いた。せんべい店に育った栄一さんは、東京の専門学校で昼夜のコースに同時に通って和洋の菓子作りを学び、県内で修業の末に開業したという。
開店3年後の65年、栄一さんはタカ子さんと見合い結婚をした。タカ子さんは菓子作りは未経験だったが、やがて製造もこなすようになり、手がけた草餅がヒットするなど、店にとって欠かせない存在になった。栄一さんも客の求めに応じて様々な和洋菓子を作り、定評のあるどら焼きなどで顧客を増やした。等さんも県内外で修業を重ね、23歳から店で働いた。
順風満帆だった店だが、15年ほど前から栄一さんにアルツハイマー病の症状が出始めた。できないことが一つずつ増えて怒りっぽくなり、時に周囲への気遣いもできなくなってきた。それでも店には毎日通い、菓子を作ろうとした。
等さんは「ここ数年は手先も狂ってきたから、父に『手を出さないでくれ』と怒って、言い合いにもなった」と振り返る。
そんな中でもタカ子さんは栄一さんをなだめ、献身的に介護を続けた。「父への怒りも聞き流し、不満も口に出さないしっかり者だった。伝票処理を1人でこなし、最後まで働いていたのもよかったのかもしれない」と等さんは言う。自らが年中無休の店の留守を守ることで、等さんは両親を韓国や台湾など国内外への旅行に行かせた。
栄一さんは今年2月、交通事故に遭って約2か月間入院。その間に、食事や排せつが自力でできなくなった。7月にはものが食べられなくなり、10月16日には入院先の富山市内の病院から、危急を告げる連絡が入った。タカ子さんや等さんら、家族が見舞った。
その直後、タカ子さんは急激に体調が悪化。同月18日に別の病院に入院すると肝臓や腎臓のがんなど、多くの病気が見つかった。春先から体調不良が続き投薬などでしのいでいた末の出来事だった。
栄一さんの闘病は続いたが、10月26日午後8時33分、肺炎で亡くなった。そして、同10時25分、タカ子さんも腎盂(じんう)がんで79年の生涯を閉じた。
等さんは「父の死は覚悟していたが、母が急に亡くなるとは家族も本人も思っていなかった」と語る。葬祭会社の担当者からも、夫婦が病気で同じ日に亡くなるのは経験がないと言われたという。
「母は父が亡くなって肩の荷が下りたのかもしれないし、さみしかったのかもしれない」。旅先で柔和な表情を浮かべる両親の写真を前に、等さんはそうつぶやいた。