警察や軍関係、暴力団組織などの内部事情に詳しい人物、通称・ブラックテリア氏が、関係者の証言から得た驚くべき真実を明かすシリーズ。今回は、池袋の乱闘騒ぎによって久しぶりにニュースで話題となった準暴力団「チャイニーズドラゴン」について。
【写真】1980年代後半に結成されたとされる場所 * * * 池袋の高層ビル「サンシャイン60」のフランス料理店で、10月16日に乱闘騒ぎを起こしたとして、準暴力団の「チャイニーズドラゴン」のメンバー5人が、12月7日に逮捕された。店ではある幹部の出所祝いが100人規模で行われていたというが、これに呼ばれなかったグループが乱入したのがきっかけだったと報じられている。

「ドラゴンによる事件のニュースを久方ぶりに聞いた」という元刑事は、現役時代、ドラゴンが拠点としていた街をよく見回りしていたという。「当時のドラゴンは乱闘事件や暴力沙汰を起こしては、その勢力をどんどん拡大していた。彼らが台頭していた街では、ドラゴンのメンバーが絡んだ小競り合いや喧嘩が起きると、派出所の若い警察官が通報を受けて駆けつけて行ったものだが、やつらは新米の警察官には見向きもしなかった。暴力団よりたちが悪かった」と語る。 チャイニーズドラゴンは警察による呼称で、怒羅権(ドラゴン)という表記による名称のほうが以前は知られていた。2013年には警察により準暴力団に認定されているが、暴力団ではないので暴力団対策法や暴排条例で取り締まることができない。そのため暴力団組織のように構成員などの把握ができず、実態をつかむことが難しいが、最大で30近くあったとされる支部も現在はかなり縮小。都内で上野、赤羽、葛西、王子、府中の5つのグループがあるという。今回逮捕されたのは、そのうち1つ上野のグループのメンバーだった。 もう10年以上前になるが、錦糸町で上野の怒羅権のリーダー格の関係者がやっている中華料理店に入ったことがある。店構えはいたって普通の中華料理店だった。店にはサラリーマンたちが料理を囲んで飲んでいたが、活気があるという印象はなく、店員も不愛想だった。その店を教えてくれた暴力団幹部は「地元の者は立ち寄らないし、近づかない」と話していた。頻繁に怒羅権のメンバーたちが出入りしていたからだ。「やつらはすぐに刃物を取り出し向けてくるから、危ないんでね」 当時、暴力団幹部はこんな話もしてくれた。「怒羅権は、もともと葛西にいた中国残留孤児が作ったんだ。葛西がメインだが、いくつかグループ分かれている。葛西だけでもメンバーが100人はいるな。彼ら中国人でも日本で育っている子たち、つまり、ほとんどのメンバーは日本国籍ということだ。中国語が流暢に話せる者もそう多くはないはずだ」。怒羅権のネットワークでは、すぐにメンバーが集まる 半グレという言葉が世間に認知され始めた頃、怒羅権には日本人メンバーも増えていた。「日本人は使われたり利用されたりだ。中国出身じゃないと幹部にはなれないようだ。イタリアマフィアみたいなもんだね。中国の現地の人間とのネットワークも必要だし、そいつらを使うにも言葉の壁があるからさ」と幹部は語った。 中国とのネットワークとはどういうことかと尋ねると、「事件を起こした日本人が中国に逃げ込むとかさ。金があればいくらでもできるからな。だが、本当に悪いことをする場合は、中国から密入国をしてきた人間を使うんだ。金を払って殺しとかやらせた後、すぐに中国に帰国させる。それがやつらのやり方だよ」。10年ほど前、そんな話が語られていたのだ。 当時から怒羅権には派閥があり、相互に仲がよいわけではなかった。幹部は「派閥の中では葛西、上野、八王子、府中のグループが大きく、六本木や渋谷にもいる」と話した。「それぞれがお互いに仲がいいかというと、それは違う。やっていることが違うんだ。上野だと振り込め詐欺とか、錦糸町では偽造とか、犯罪の種類が違うというか専門が違う。そうした意味では、それぞれが勝手なことをやっていて、管理はできていない。ただやつらのネットワークはすごくて情報が早く、すぐにメンバーが集まってくる」。 ある時、新宿で、幹部のいる組の若い組員が、怒羅権のある派閥のメンバーと殴り合いになったことがあった。若い組員が負傷したので、幹部が「そいつをやってしまえ」と命じた。すると、怒羅権の他の派閥のメンバーたちがバタバタと集まって幹部のところにやってきたという。「誰かがやられたとなるとあっという間に集まってくる。険悪な雰囲気に、その場でまた喧嘩が起こるかと思ったが怒羅権のほうから『俺たちはそちらに手を出さないように伝令しました。本人が謝りたいと言っているから、話し合いのテーブルについてもらえませんか』と詫びを入れてきた。相手が悪いと思ったのだろう」(幹部)。 最初はそれを突っぱね「知らんぷりしてやってしまえ」と組員らに言っていたという幹部も、「やられた本人が『怒羅権が頭を下げるならそれでいい』と言うし、何度も向こうが連絡してくるので和解することにした」と話していた。 この事件を耳にして、あの時「彼らもヤクザと同じ。一人では何もできない弱い者の集団さ」と笑っていた幹部の顔を思い出した。
* * * 池袋の高層ビル「サンシャイン60」のフランス料理店で、10月16日に乱闘騒ぎを起こしたとして、準暴力団の「チャイニーズドラゴン」のメンバー5人が、12月7日に逮捕された。店ではある幹部の出所祝いが100人規模で行われていたというが、これに呼ばれなかったグループが乱入したのがきっかけだったと報じられている。
「ドラゴンによる事件のニュースを久方ぶりに聞いた」という元刑事は、現役時代、ドラゴンが拠点としていた街をよく見回りしていたという。「当時のドラゴンは乱闘事件や暴力沙汰を起こしては、その勢力をどんどん拡大していた。彼らが台頭していた街では、ドラゴンのメンバーが絡んだ小競り合いや喧嘩が起きると、派出所の若い警察官が通報を受けて駆けつけて行ったものだが、やつらは新米の警察官には見向きもしなかった。暴力団よりたちが悪かった」と語る。
チャイニーズドラゴンは警察による呼称で、怒羅権(ドラゴン)という表記による名称のほうが以前は知られていた。2013年には警察により準暴力団に認定されているが、暴力団ではないので暴力団対策法や暴排条例で取り締まることができない。そのため暴力団組織のように構成員などの把握ができず、実態をつかむことが難しいが、最大で30近くあったとされる支部も現在はかなり縮小。都内で上野、赤羽、葛西、王子、府中の5つのグループがあるという。今回逮捕されたのは、そのうち1つ上野のグループのメンバーだった。
もう10年以上前になるが、錦糸町で上野の怒羅権のリーダー格の関係者がやっている中華料理店に入ったことがある。店構えはいたって普通の中華料理店だった。店にはサラリーマンたちが料理を囲んで飲んでいたが、活気があるという印象はなく、店員も不愛想だった。その店を教えてくれた暴力団幹部は「地元の者は立ち寄らないし、近づかない」と話していた。頻繁に怒羅権のメンバーたちが出入りしていたからだ。
「やつらはすぐに刃物を取り出し向けてくるから、危ないんでね」
当時、暴力団幹部はこんな話もしてくれた。「怒羅権は、もともと葛西にいた中国残留孤児が作ったんだ。葛西がメインだが、いくつかグループ分かれている。葛西だけでもメンバーが100人はいるな。彼ら中国人でも日本で育っている子たち、つまり、ほとんどのメンバーは日本国籍ということだ。中国語が流暢に話せる者もそう多くはないはずだ」。
半グレという言葉が世間に認知され始めた頃、怒羅権には日本人メンバーも増えていた。「日本人は使われたり利用されたりだ。中国出身じゃないと幹部にはなれないようだ。イタリアマフィアみたいなもんだね。中国の現地の人間とのネットワークも必要だし、そいつらを使うにも言葉の壁があるからさ」と幹部は語った。
中国とのネットワークとはどういうことかと尋ねると、「事件を起こした日本人が中国に逃げ込むとかさ。金があればいくらでもできるからな。だが、本当に悪いことをする場合は、中国から密入国をしてきた人間を使うんだ。金を払って殺しとかやらせた後、すぐに中国に帰国させる。それがやつらのやり方だよ」。10年ほど前、そんな話が語られていたのだ。
当時から怒羅権には派閥があり、相互に仲がよいわけではなかった。幹部は「派閥の中では葛西、上野、八王子、府中のグループが大きく、六本木や渋谷にもいる」と話した。「それぞれがお互いに仲がいいかというと、それは違う。やっていることが違うんだ。上野だと振り込め詐欺とか、錦糸町では偽造とか、犯罪の種類が違うというか専門が違う。そうした意味では、それぞれが勝手なことをやっていて、管理はできていない。ただやつらのネットワークはすごくて情報が早く、すぐにメンバーが集まってくる」。
ある時、新宿で、幹部のいる組の若い組員が、怒羅権のある派閥のメンバーと殴り合いになったことがあった。若い組員が負傷したので、幹部が「そいつをやってしまえ」と命じた。すると、怒羅権の他の派閥のメンバーたちがバタバタと集まって幹部のところにやってきたという。「誰かがやられたとなるとあっという間に集まってくる。険悪な雰囲気に、その場でまた喧嘩が起こるかと思ったが怒羅権のほうから『俺たちはそちらに手を出さないように伝令しました。本人が謝りたいと言っているから、話し合いのテーブルについてもらえませんか』と詫びを入れてきた。相手が悪いと思ったのだろう」(幹部)。
最初はそれを突っぱね「知らんぷりしてやってしまえ」と組員らに言っていたという幹部も、「やられた本人が『怒羅権が頭を下げるならそれでいい』と言うし、何度も向こうが連絡してくるので和解することにした」と話していた。
この事件を耳にして、あの時「彼らもヤクザと同じ。一人では何もできない弱い者の集団さ」と笑っていた幹部の顔を思い出した。