【リンちゃん殺害事件から7年】父・ハオさんは“借金7000万円”で「もう疲れました」 それでも「犯人の財産差し押さえたい」と語る執念

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

千葉県松戸市に住むレェ・ティ・ニャット・リンちゃん(当時9歳)が遺体となって発見されたのは、2017年3月26日だった。あれから丸7年が経つ。事件直後からリンちゃんの父・ハオさん(41)に取材してきたノンフィクションライター・水谷竹秀氏が近況を尋ねると、ハオさんと一家は昨年6月に福島県に移住し、温泉旅館の経営に乗り出そうとしていた。しかも、経営の資金として7000万円の借金があるという。なぜそのような事態になってしまったのか。水谷氏がレポートする。
【写真】ハオさんとその妻・グエンさん。ハオさんが再開の準備を進めている二本松市岳温泉に建つ旅館ほか
* * * 旅館内の古びた事務所の奥に、小さな写真が飾られていた。
写っている少女は紺色の帽子をかぶり、上目遣いに微笑んでいる。香炉に線香を立てたベトナム人男性のレエ・アイン・ハオさんは、目の前の長女、リンちゃんの遺影に思いを馳せ、そっと手を合わせた。
小学3年生だったリンちゃんが殺害され、千葉県我孫子市の水路脇で発見された日から3月26日でちょうど7年──。父のハオさんと妻のグエンさん(37)、3人の子どもたちの一家は、事件当時に居を構えていた千葉県松戸市の自宅を離れ、福島県二本松市岳温泉にある温泉旅館の経営に乗り出していた。リンちゃんの命日を前にした3月上旬に訪ねると、広々とした立派な旅館で、ハオさんが迎えてくれた。
「今日は消防用の設備の点検があります。それが終わったら保健所から部屋の冷暖房など設備の点検もしてもらわないといけない。そうじゃないと旅館の営業ができない」
この旅館は東日本大震災で閉館していたが、ハオさんが経営を受け継いだ。移住直後の昨年6月、温泉の再開に先駆けて旅館内にベトナム料理店をオープンさせた。屋号は夫婦の名前からとった「ハオグエン」。その店を営業しつつ、温泉旅館としての再開を目指しているのだ。
だが、被害者遺族であるハオさんがなぜ、温泉旅館のビジネスに乗り出したのか。そのきっかけは、犯人である澁谷恭正(52)=無期懲役確定で服役中=が松戸市に所有する4階建てマンションの差し押さえ問題に始まる。
ハオさんは事件発生から約3年後の2020年1月、澁谷を相手取って約7000万円の損賠賠償支払いを求める民事裁判を起こした。先に行われた刑事裁判で、ハオさんは澁谷の極刑を求めたが、無期懲役が確定。この判決に納得できず、民事裁判に訴えることにした。
民事では請求通りの判決を勝ち取ったが、澁谷から賠償額が一向に支払われないため、ハオさんは澁谷のマンションを競売にかけ、売金を差し押さえる方法に着手した。しかし千葉地裁松戸支部からは、マンションの評価額が低いため、競売にかけるには保証金4000万円を支払う必要があると言い渡された。
ハオさんに大金の用意が必要となったのはこの時からだ。何としてでも澁谷のマンションを差し押さえたいハオさんは、借金に手を出してしまう。
「ベトナムにある自分と親族の家5軒を担保にベトナムの銀行から3000万円を借りました。でも保証金には足りない。それで温泉のビジネスを始めることを思いつきました」
ハオさんは2007年に来日してから、IT関係の仕事に従事してきたため、起業経験は乏しい。温泉ビジネスへの投資はかなり突拍子もないアイデアに思われるが、そこにはこんな思いもあった。
「東日本大震災の記事を見て、今も福島に帰れない人がいると知りました。観光地の旅館やお店を閉店する人もいて、とても不公平に感じた。自分のことに似ていると。私も別に悪いことしていないのに、家族が残忍な目に遭った。福島の人と同じ気持ちになり、何かしたいと思いました」
ベトナムの旅行会社の多くは、福島県北塩原村にある観光地、五色沼を日本の観光ツアーに組み込んでいた。その付近に位置する二本松、会津若松両市に、震災の影響で閉館した温泉旅館をそれぞれ見つけ、保証金のために借りたお金を注ぎ込んでオーナーになった。
「ベトナムには雪や温泉がありません。だから日本を旅行するベトナム人に温泉の素晴らしさを紹介したかった。物件を購入し、少し修理すれば再開できると思ったんです」
そんなハオさんの青写真は、想定通りにはいかなかった。予想外の改修費や営業許可証の取得に必要な諸経費が発生し、それを捻出するための資金繰りが難航した。ベトナムの家を担保にした借金3000万円は雪だるま式に7000万円まで膨れ上がり、自転車操業に陥った。
「日本の銀行に借金を申し込みましたが通らなかった。家を担保にしたベトナムの銀行への返済があるので、親族たち10人以上からお金を借りました。信用も失った。旅館再開にはまだお金が必要で、これ以上借りられる人はいないけど探さないといけない。本当はそんなことしたくないけど、やるしかない」
そう語るハオさんの顔は曇り、途方に暮れていた。保証金4000万円のために3000万円を借り入れ、本来であれば残り1000万円が用意できれば差し押さえは実現できたはずだ。しかし、温泉旅館の経営という未知の分野に足を踏み入れてしまい、借金だけが膨れ上がるという本末転倒の事態に陥ってしまった。「見通しがあまい」と言ってしまえばそれまでだが、そう単純に解釈できないほど遺族感情は複雑なのだ。
私はハオさんと知り合ってから間もなく6年になるが、ここ最近は特にその「破滅ぶり」が露呈していた。やり場のない怒りを抱え、複雑な司法制度と言葉の壁に阻まれ、周囲になかなか理解されず、異国の地で孤独に闘い続ける日々。そこには愛娘を失った悲しみだけでは語れない、むき出しになった遺族の素顔が垣間見えた。
「このまま旅館がオープンできないんだったら、倒産しかないかな……。もう疲れました。事件がなければこうはなっていなかった」
事件が起きなければ、賠償金が適正に支払われていれば。ハオさんの口からはつい「たられば」の言葉が漏れる。
実はハオさんが置かれた状況は、日本で事件の被害に遭った遺族に共通している。
事件の被害者遺族の中には、ハオさんのように刑事裁判と並行し、犯人に損害賠償を請求する民事裁判を起こす人が少なくない。彼らが求めているのはお金ではなく、犯人からの誠意や謝罪、あるいは償いだ。しかし賠償判決を勝ち取っても、犯人から「支払い能力がない」と言われてしまえば、裁判所は支払いに応じるような働きかけはしない。その規定がないためだ。原告は判決の強制執行を申し立てることも可能だが、結局は被告に財産がなければ回収できない。
日本弁護士連合会が2018年に実施した調査によると、被害者に支払われた金額は、裁判などで認められた賠償額のうち、殺人事件で平均13.3%だった。
ハオさんのように全く支払われないケースも多い。これでは遺族にとって、判決文はただの「紙切れ」同然で不公平だと感じるだろう。そこで犯人側に不動産などの財産があれば、ハオさんのように差し押さえでもしなければ、気持ちの収まりがつかないはずだ。そこには執念すら感じられる。
「すべての財産がなくなっても澁谷のマンション差し押さえはやらないといけない。犯人に対して納得できないから。犯行も認めないし、謝罪もしない。それを許すことはできない。澁谷が所有するマンションの部屋は賃貸に出されているから、刑務所にいてもお金が入って、楽な生活ができる。それはおかしい」
二本松の旅館は営業許可の取得に向けた準備が進み、再開まであと一歩のところまできた。
そして桜が咲き始める今年もまた、ハオさんは福島から我孫子の現場へ足を運び、リンちゃんへの祈りを捧げる──。
◆取材・文 水谷竹秀(みずたに・たけひで)/ノンフィクションライター。1975年、三重県生まれ。上智大学外国語学部卒。新聞記者、カメラマンを経てフリーに。2004~2017年にフィリピンを中心にアジアで活動し、現在は日本を拠点にしている。11年に『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で開高健ノンフィクション賞を受賞。近著に『ルポ 国際ロマンス詐欺』(小学館新書)。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。