サイゼリヤ会長が「どうしてうちの料理はこんなに高くてまずいのか」と真剣に悩んでいる理由

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「サイゼリヤの料理は、まずくて高い」
私がそう言うと、皆さんとても驚きます。最初は冗談と受け取る方もいるようですが、そんなことはありません。私は大真面目に、本気で「サイゼリヤの料理は、まずくて高い」「あんなまずいものを出してしまって、お客様に申し訳ない」と言っています。
その気持ちに嘘も偽りもありません。
安くておいしい料理を提供することで、日本中、世界中のすべての人に、豊かな食を届けたい。みんなに幸せになってほしい。そう願いながら、私は60年間走り続けてきました。
おかげさまで「安くておいしい」と評価していただけるようにもなりました。2024年2月現在、ミラノ風ドリアは300円、グラスワインは100円です。
でも私に言わせれば、まだまだです。
価格でいうと、理想はタダにすること。
寄付とボランティアに頼った無料食堂を運営することも、実は可能です。興味のある方は、『聖者たちの食卓』(2012年)というインドの寺院が舞台の映画を観てみてください。
しかし無料では会社を成長発展させられず、世界中の人に料理を届けられません。そのためサイゼリヤは、あくまでビジネスとして、お客様に納得してもらえるお金をいただいて料理を提供しています。
私が言いたいのは、お金をいただくにしても、まだまだ安くできるはずだということ。味についても、もっとおいしくできるはずです。
「サイゼリヤの料理は最高だ! 安くておいしくて申し分がない」
もし私がそう言い出したらどうなると思いますか? サイゼリヤの従業員は「もう努力しなくていいんだ」と、気を抜いてしまうでしょう。本来なら、価格も味も日進月歩で進化していくべきですが、現状維持すらできなくなってしまうかもしれません。
人とは本当に不思議なもので、どんなに能力が高くて優秀な人でも、努力をやめた途端に劣化・衰退してしまう性質があります。私自身が、そしてサイゼリヤの従業員みんなが、今のメニューについて「まずくて高い」と捉えているからこそ、より「安くておいしい」方向へ、「人のために」「お客様のために」なる方向へと、少しずつでも向かっていけるのです。
ここで少し物理学の話をさせてください。
学生時代の私はアルバイトをしたりして、あまり勉強はしませんでした。でも専攻していた物理学がとても好きで、その考え方には大きな影響を受けています。物理の法則を経営や人間の生き方に当てはめると、腑に落ちることばかりです。
この「努力をやめた途端に駄目になる」という現象は、エントロピー増大の法則で説明がつきます。
エントロピー増大の法則とは、大まかに言うと「物事は放置すると、すぐに乱雑で無秩序で複雑な方向に向かい、自発的には元に戻らない」という原理のことです。
たとえば、いったん部屋が散らかり始めると、どんどん汚れ、物が増え、収拾がつかなくなることがありますね。それはエントロピーが増大した状態です。それを片づける、つまりエントロピーを下げるには、努力が必要になります。
このエントロピー増大の法則と同じで、「これでいい」と現状に満足したところから、人は乱雑で無秩序で複雑な方向に向かい、進歩できなくなってしまうのです。
「サイゼリヤの料理は、高くてまずい」そう言い続けていると、自然と欠点が見えてきます。問題や課題と言い換えてもいいでしょう。
現状に満足してしまったら、欠点を見つけることもできません。
どこに改善、改革の余地があるのかを把握せずして、進化していくことは不可能なのです。私が「サイゼリヤの料理は、安くておいしい」と満足した瞬間から衰退が始まるのも、同じ理屈です。
ですから、その時点でベストの料理を提供することが大前提ではありますが、より高みを目指し試行錯誤を重ねなければなりません。
「私の手掛けた商品は、品質が悪くて高い」「僕の携わったサービスは、使いづらくて高い」
あなたもぜひ、自分の携わった商品やサービスの欠点を見て、厳しく評価するようにしてください。
欠点から目をそらさず、自戒し続けていれば、有頂天になることはありません。反省を繰り返し、「人のため」と努力を積み重ね続けたとき、真の意味でこの世界とつながり合うことができます。
その「つながり」によって、エネルギーが周りに伝播して人が引き寄せられ、そのビジネスがなくてはならないものになっていくわけです。
とはいえ、私も「おいしい」と言ってしまうこともあります。体調を崩して、10日間の入院をしたことがありました。
ストレスがたまり気持ちが滅入っていたのでしょう、健啖家であるはずの私の食欲が、まったくなくなってしまったのです。
驚いた主治医が、病院の特別メニューを発注してくれましたが、それにも食指が動かない。贅沢な話ですが、ほんの少ししか箸をつけられなかったのです。
「正垣さん、どうにかして食事からも栄養を摂ってもらわないと困ります」
そう主治医に促された妻は、苦肉の策として、サイゼリヤの店舗を訪れました(もちろん、立場は一切明かさず)。
テイクアウトをやっていなかったので、妻は注文した料理数品をこっそりと容器に詰めて、私の病室に届けてくれたのでした。
私はそれが何かを知らないまま、容器の料理に手をつけました。すると、2~3人分はあろうかという料理を「おいしい、おいしい」と言いながら、あっという間に平らげてしまったのです。
妻によると、青ざめていた私の顔は一気に血色が良くなり、「この料理は本物だ!」と賛辞を惜しまなかったとか。
食後に「黙っていたけど、これはサイゼリヤの料理ですよ。最後の晩餐だと思って……」と妻から告げられたとき、私は驚くと同時に、とてもうれしく思いました。
というのも、もしサイゼリヤの料理だと知っていたら、私はきっと「まずい」と言っていたからです。
驕ってはいけない、日々反省しなければならない。気を抜いてはいけない。だから、サイゼリヤの料理を「おいしい」と言ってはいけない。
私は日々そう自戒していたのです。でもあのときは、サイゼリヤの料理だと知らなかった。
60年以上サイゼリヤをやってきて、初めてまっさらな心で味わうことができ、本当においしいと思いました。「おいしい」「本物の味だ」と、口に出して言うことができました。
「こんなにおいしいなら、もっと安く、おいしくしたい!」
そんな思いがあふれ出し、私はそれまで以上に元気になったのでした。
サイゼリヤの料理であることを黙ってくれていた妻には、感謝しています。
———-正垣 泰彦(しょうがき・やすひこ)サイゼリヤ会長サイゼリヤ創業者。1946年兵庫県生まれ。67年東京理科大学在学中にレストラン「サイゼリヤ」開業。68年の大学卒業後、イタリア料理店として再オープン。その後、低価格メニュー提供で飛躍的に店舗数を拡大。2000年東証一部上場。2009年4月、社長を退任して代表取締役会長就任。———-
(サイゼリヤ会長 正垣 泰彦)

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