「自分の夢より皇室全体のことを考え」愛子さま、天皇家出身で“史上初”の就職決断のワケ

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「とても驚きました。大学院進学か、留学されると思っていましたから。就職という選択肢は予想していませんでした。
【写真】高身長のイケメンと、アトラクションを笑顔で楽しまれた愛子さま
20代という大切な時間をご自身の学業ではなく、人々や社会のために尽くしたいというお考えなのでしょう。ご両親をお支えすることにもなりますし、皇室や国民にとっても大変喜ばしいことだと思います」
そう語るのは元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さん。
天皇家の長女、愛子さまが、学習院大学を卒業後の4月から『日本赤十字社(以下、日赤)』に嘱託職員として勤務することが内定した。天皇家出身で会社に“就職”されるのは史上初のこと。
秋篠宮家の長女、小室眞子さんは国際基督教大学(ICU)を卒業後、イギリスのレスター大学大学院に留学し、帰国後に東京大学総合研究博物館と日本郵便がコラボした『インターメディアテク』に就職。
次女、佳子さまも同じく、ICUを卒業してから約2年後に『全日本ろうあ連盟』の非常勤嘱託職員として就職されたことから、今回、愛子さまが大学院や海外留学を経ずに“ストレート”で就職されたことに驚きの声が上がっているのだ。
日赤といえば、全国で赤十字病院などの医療機関の運営や、被災地への救援活動も行っている。昭和22年に香淳皇后が就任して以来、美智子さま、そして雅子さまへと名誉総裁が引き継がれており、皇室とも深いゆかりがある。
「天皇と皇后は、オリンピックなどの期間限定で行われる行事などの名誉総裁に就くことはありますが、常設団体の名誉総裁などには就かないのが基本です。
その点でも、日赤は皇室にとって“別格”の存在といえます。日赤の活動の中には、愛子内親王殿下が関心を持っておられるボランティア活動の支援もありますので、働きがいのある職場だと思います。
ただ、公務との両立を考えると、日赤へのご出勤は週に2~3回が限度でしょう」(山下さん)
愛子さまの具体的な仕事内容や労働形態について、日赤の広報室に問い合わせると、
「(仕事内容は)今後決めてまいります。(労働形態については)ご公務等の状況を見ながら対応していくことになろうかと思います」
とのこと。毎年、皇后さまや各宮家の女性皇族方が参加される『全国赤十字大会』に、愛子さまが携わるかどうかについては「現時点では未定です」との返答があった。
ただ、宮内庁OBによると、
「愛子さまが赤十字大会に何らかの形で関わる可能性は高いと思います。というのも、三笠宮家の次女、瑤子さまは’06年から6年間、日赤に常勤嘱託として勤務されていたのですが、その間、同大会では登壇者の案内係を担当するなど“裏方”のお仕事もこなされていたからです」
前出の山下さんが話すように、愛子さまは’22年の成年会見で、
「私の親しい友人にも、東日本大震災で被災した福島県の復興支援にボランティアとして携わっている友人がおりまして、私自身、災害ボランティアにも関心を持っております」
と、福祉活動に高い関心を示されていた。
もちろん、福祉に関する団体は他にもあるが、美智子さまや雅子さまが名誉総裁を務められ、そのお姿を見てきたことが、日赤就職の決め手となったのかもしれない。
’09年の全国赤十字大会に出席し、美智子さまと交流した『高山赤十字病院』の医師・ 白子順子さんに話を聞いた。
「アフリカ南部にあるジンバブエという国で国際救援したときの話を医師代表として講演させていただきました。その後、懇談の時間があったのですが、美智子さまはジンバブエでの活動にご関心が高く、単に“お疲れさま”ではなくて“どんな患者さんがいましたか”“具体的にどちらで活動されていたのですか”など、具体的な質問を受けました。長らく赤十字の活動に寄り添われた美智子さまだからこそ、“支援したい”という思いがひしひしと伝わってきたことを今でも覚えています」
昭和34年から副総裁、平成に入ってからも約30年間にわたって名誉総裁を務められた美智子さまが雅子さまに“バトンタッチ”をされた場面は、今も語り草となっている。
「’18年5月に開かれた赤十字大会は、美智子さまが名誉総裁として出席される最後の大会でした。その際、式典のフィナーレで美智子さまが雅子さまをおそばに呼び、“来年から、この方が名誉総裁ですよ”というように、会場で“お披露目”をされたんです。すると、会場からは万雷の拍手が湧き起こり、驚いた雅子さまもすぐに笑顔に。この出来事に雅子さまはいたく感動されたそうで、現在も療養中ではあるものの、令和でのご活動に励まれる“原動力”になっているんだとか」(侍従職関係者)
この翌年、雅子さまが日赤の名誉総裁として初めて出席された赤十字大会、そして昨年に開かれた『フローレンス・ナイチンゲール紀章』の授与式にも出席した、訪問看護師で東京女子医科大学の非常勤講師・秋山正子さんは「雅子さまから穏やかな空気を感じた」と明かす。
「’19年の大会では直接、雅子さまが胸に紀章をつけてくださり、お優しい表情を拝見して感激しました。その後の懇談会でも、出席者たちのお話に頷かれながら耳を傾けているご様子が印象的でしたね。ナイチンゲール紀章の授与式では、以前よりも柔らかい雰囲気を感じました。
おそらく、’19年は上皇后さまから引き継がれたことで、少し張りつめておられたのかもしれません。
私は福祉を含んだ分野で仕事をしてきましたので、愛子さまが日赤に就職され、福祉を担われることは、とても心強いです。先日も、赤十字社の本社にご両親と訪問されたニュースを拝見しました。感慨深い思いでいっぱいです」
昨年10月、関東大震災100年の節目にあたり、天皇ご一家は日赤本社をご訪問。これまでの救護活動で命を落とした医師や看護師などの慰霊碑に花束を手向け、震災の救護にあたった同社の活動を振り返る企画展を鑑賞された。
『皇室の窓』(テレビ東京系)で放送作家を務める、つげのり子さんは、雅子さまから感じた被災地への並々ならぬ思いについて語る。
「’18年9月、両陛下は九州北部豪雨の被災地をお見舞いされました。その際、車椅子に乗った高齢女性に雅子さまがすぐに気づいて駆け寄り、屈んで手を握って語りかける場面も。雅子さまは心から、被災地に心を寄せ、少しでも役に立ちたいという思いが強いのです。天皇ご一家は会話が多い家族ですから、災害ボランティアについてのお話も愛子さまと日頃からなさっているのではないでしょうか」
愛子さまの日赤就職は、雅子さまをお支えすることにつながると、つげさんが続ける。
「昨年、雅子さまのお誕生日に際して公表された医師団の見解でも“体調に波がおあり”とのこと。大学院に進学したり、海外に留学すると雅子さまをお支えするタイミングが遅れてしまいます。現状を鑑みて、一刻も早く皇室をサポートされたかったのだと思います。雅子さまが『適応障害』になられたのは愛子さまが2歳のころでした。いちばん近くで見てきたからこそ、雅子さまを“支えたい、助けたい”との思いがお強いのでしょう。雅子さまが名誉総裁を務める日赤であれば、それが叶うとお考えになったのだと拝察します」
名古屋大学大学院の河西秀哉准教授も、愛子さまの就職は雅子さまの存在が影響していると分析する。
「雅子さまのご体調はまだ回復の途上であり、現在は愛子さまに頼られている部分が少なからずあるのだと思います。もし海外留学すれば、お母さまの近くにいられなくなるので、日本に残ることを優先されたのではないでしょうか。日赤は皇室と関係の深い団体で、雅子さまが名誉総裁を務めていますし、日赤に関係する公務で愛子さまがサポートを行えるという点も、就職先として選ばれた理由なのかもしれません」
天皇家のひとり娘というご自覚があるからこそ、雅子さまのおそばで支えることを最優先されたのだろう。
しかし、4月から日赤でのお仕事と、公務の両立を決断された愛子さまについて、気がかりな点もあるという。
「愛子さまが本当に就職したかったのかどうか……。手放しで喜んでいいのか、本当は勉強したかったのではないか、とも考えてしまいます。皇族の人数が減少していく中で、天皇家の娘であることに対する世間からのプレッシャーを感じてしまわれた可能性も否定できません。もし、佳子さまがまだ当分の間、皇室に残られるスタンスでしたら、愛子さまの進路も変わっていたとも考えられます」(河西准教授)
佳子さまは、今年30歳。昨年は海外公式訪問や地方訪問も数多くこなされて、皇室の中でも存在感を示された。
「昨年の“公務ラッシュ”は結婚の伏線だったと考える人が多いんです。眞子さんの結婚が延期された当時、秋篠宮さまが課した条件は“多くの国民から祝福されること”。結果的にそれは叶わなかったわけですが、佳子さまは騒動をいちばん近くで見ていますし、皇族が結婚することの難しさを改めて感じられたと思います。つまり、皇室にいる間は宮中祭祀や公務にはしっかりと取り組み、ご縁談が公になった際、国民からの祝福を受けるための布石を打っているように思えるのです」(皇室ジャーナリスト、以下同)
愛子さまとしても、慕っている従姉の佳子さまの近況を知ったことで、勉学ではなく、公務も両立できる就職を選ばれた可能性は大いにある。
「佳子さまは愛子さまにとって“姉”のような存在。中学時代の愛子さまは編み込みヘアがお気に入りでしたが、これも佳子さまをまねされたといわれていますし、メイクやファッションも佳子さまを意識されているようにお見受けします。そんな“憧れの人”が結婚し、皇室を離脱された際、内親王は愛子さまのみとなる。まだ悠仁さまは高校生ですし、数少ない成年皇族として、苦悶しながらも自分の夢より皇室全体のことを考え、就職の道を選ばれたのでしょう」
佳子さまの“悲願”が叶う日を愛子さまも心待ちにされていることだろう。

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