【平野 国美】70代嫁は、寝たきりの98歳義母の首を絞めていた…看取り医が目の当たりにした「老々介護」の辛すぎる現実

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茨城県つくば市で訪問診察を続ける『ホームオン・クリニック』院長・平野国美氏は、この地で20年間、「人生の最期は自宅で迎えたい」という様々な末期患者の終末医療を行ってきた。患者の願いに寄り添ったその姿は、大竹しのぶ主演でドラマ化もされている。
6000人以上の患者とその家族に出会い、2700人以上の最期に立ち会った“看取りの医者”が、人生の最期を迎える人たちを取り巻く、令和のリアルをリポートする――。
寝たきりの身内を介護し続けるというのは、心身ともにしんどいものだ。少しでも長く生きて欲しいという気持ちと、この介護がいつまで続くのかという気持ちがせめぎ合う。それでも愛情のある相手であれば、その日々に救いはあるのかも知れないが、その逆はどうか――。
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98歳になるタミさんの住む家に通い始めて3か月ほど経った頃の話である。タミさんは長男夫婦と同居しており、介護者は嫁の洋子さん。70代ではあるが体力もあり気丈で、私を含めて、訪問介護のスタッフもケアマネも「問題のない家」だと認識していたと思う。
その日は、お盆も近いというのに猛暑日で、温度計は35度を超えていた。午後2時、玄関のチャイムを鳴らしてみたものの、いつも出迎えてくれる嫁の洋子さんが現れなかった。玄関の鍵は開いていたので、「すいません。こんにちはーっ、入りますね」と声を掛けながら家に入る。
勝手に上がり込むのは、田舎特有の風習かも知れないが、その行動には患者さんの安否確認の意味も含まれている。実際、部屋に入ってみると、独りで亡くなっていたというケースも過去にある。
奧で物音がした――。
タミさんと洋子さんかな?と思いながら襖を開けたところで、我が目を疑った。洋子さんが寝たきりのタミさんに馬乗りになって、姑のタミさんの首を押さえつけていたのである。洋子さんの背中からは殺意を感じる。
「やめろ!」
私は洋子さんを手で突き放し、すぐにタミさんの状態を確認した。呼吸はしていた。酸素濃度を測っていると、呼吸自体も整ってきた。洋子さんは壁に背中をあずけて泣いている。
洋子さんはこれまで問題なく介護をしていたはずだった。
タミさんは認知症が進んでいるため、今起きている事態はわからない。
どう声を掛けるべきかわからず「どうしちゃったの?」と聞いた。これが私が言葉にできた精一杯の一言だった。
「何だか情けなくなっちゃった」
洋子さんはぼろぼろと涙をこぼしていた。その姿、表情をみつめながら、私はここまでの経緯を思い出していた。
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この地区は昔ながらの農村地帯で、近所に同じ姓の一族…、本家やら分家やらが暮らしている。それゆえタミさんの診察の際には、近所の主婦や親戚筋がお茶飲みがてらに集まっている事も多かった。
洋子さんも、彼女達と話しながら楽しそうにしていたと思う。訪問診療が始まった頃には、当時は喋ることができていたタミさんと、ベッド上でお茶を飲みながら話す日もあった。私はそれをどこか、のどかで平和な風景だと見ていた。
ところが家族一同が新型コロナに感染してしまった。タミさんを含め、みな軽い症状に終わったかと思ったが、タミさんの老衰と廃用症候群が、その時期に被さるように進んでいったと思う。急激な老衰も年齢から考えればコロナのせいばかりとも思えない。感染前から夏の暑さが、食欲を奪っていたからだ。こうなっても仕方がない部分はあったと思う。
私は「今後の方針について話し合いたい。旦那さんも交えて」と洋子さんに話した。
夫の両親と同居している嫁は、多くの場合、介護を行う事が期待されてしまう。その是非は義理の両親と嫁の関係性、夫婦の関係性などで変わってくると思うが、いずれにしても、嫁が介護をするのであれば、私は嫁の心理的なものを含む体調をしっかり考えて方針を立てたいという気持ちがある。少なくとも旦那には母親のオムツの取り換えまでは期待しないまでも、ある程度の覚悟はして頂かなくてはならない。そもそも親の介護の全責任を嫁に押し付けるのは酷なのだ。
ところがその会議に、旦那は「忙しい」という理由で参加しなかった。代わりに集まったのは、呼んでもいないご近所様や、親戚一同だった。私は全員に説明する羽目になった。
「タミさんの状態ですが、今回のコロナ感染が全ての原因ではありません。その前から食事や飲む水の量も徐々に減っていましたから、コロナの後遺症というよりも年齢のために自然に弱ってきたと思うのです。
彼女の認知症は進みました。今は目の前にいる相手が誰かもわからないと思います。しかし、このタイミングで老衰も進んでいます。言い方を変えれば上手に年を取ってきたとも言えます。大往生も近いです。タミさんのための“今後の方針”を考えなくてはならない時期になりました」
みんなじっと黙って聞いてくれるが、納得していない顔をしている。私は話を進めた。
「98歳まで元気でいられたのも、間違いなく一手に介護を引き受けていた洋子さんのおかげです。お嫁さんも決して若くはないけれど、ここまでずっと頑張ってくれました。しかし命には限界があります。ここからは自然の成り行きに任せて看取ってあげてはどうでしょう」
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何度でも言うが、介護の中心にいるのは往々にして嫁である。ところが旧来の農村社会では、嫁が実際の介護を担っていても、大切な一族の介護の方針まで決める事をなかなか許さない。そこで医師である私が間に入り、嫁の心身の状況にあわせた提案と誘導をする必要が出てくる。
この話し合いでも、事態は紛糾し、外野の親類たちが勝手な提案をはじめた。「もう入院しかない」「胃ろうはどうだろう」「母を見捨てるなんてありえない!」
お見舞いと称して遊びにはきても、介護には協力しない人たちが騒ぎ始めた。だからこそ旦那を引っ張り出したかったのだが、「多忙」で不在である。洋子さんは困っていた。
世間一般では、「死ぬときはぽっくり逝きたい」と言う人がほとんどだ。しかし自分の親がいざその時期に入ると、本人の意思とは無関係に、「見捨てたくないから」「大切だから」と延命を考え実行しようとする。これが現実である。
そんな経緯で、ここまでタミさんの介護療養は続き、洋子さんは義母の首に手をかけてしまったのである。
「私は警察に行くしかないですね」洋子さんは泣きながら立ち上がろうとした。110番通報で自首するつもりのようだ。待ったなしの状況になった。追い込まれた私はこういった。
「私は何も見ていない。いつもの診察に来ただけ、タミさんの身体には傷も何もない」
<98歳祖母が、大便を壁や襖に塗りたくり…70代嫁が選んだ「苦渋の選択肢」とその結末>では、なぜ洋子さんが義母・タミさんの首に手をかけ、命を奪おうと決したか、そのいきさつを振り返る。また、看取り医である筆者は罪の意識にかられる彼女にどういう言葉をかけたのかについても詳説する。

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