夏休みの宿題「読書感想文」今もなくならない真因

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夏休みの宿題として、多くの子どもたちを悩ませる読書感想文。「なぜ読書感想文が、日本の国語教育の中で受け継がれてきたのか」を考えてみます(写真:Graphs/PIXTA)
夏休みに宿題として出され、多くの子どもたちを悩ませる読書感想文。「子どもたちに、本を読む楽しさを知ってほしい」と思う反面、「自分も書くのが苦手だったな……」と思う方も少なくないのでは?
そこで東洋経済オンラインでは、プロの書評家・三宅香帆さんが小中高校生の読書感想文の課題図書を読み直し、本気で読書感想文にする企画を実施。「読書感想文のコツ」を届けつつ、「想いを文字にする楽しさ」「本を読む楽しさ」を子どもたちに知ってもらうことを目指します。
約8週間にわたってお届けする短期集中連載の第3回は「そもそもなぜ読書感想文が、日本の国語教育の中で受け継がれてきたのか」を考えてみます。
この短期連載の第1回と第2回では、私は「先生に褒められそうな読書感想文の書き方」について書いてきました。
第1回:「夜のピクニック」読書感想文をプロが書いた結果
第2回:辻村深月「凍りのくじら」感想文をプロが書くと…
先生に褒められること……それはつまり、現在の日本の国語教育の求める方針に沿った読書感想文の書き方です。
今回は、ここで少し「読書感想文の書き方」から離れ、「そもそもなぜ読書感想文なんてものが、日本の国語教育で脈々と引き継がれているのだろう?」という疑問について考えてみましょう。
たとえば読書感想文の最も大きなコンクールである「青少年読書感想文全国コンクール」の「本コンクール開催概要」を見てみます。
◇子どもや若者が本に親しむ機会をつくり、読書の楽しさ、すばらしさを体験させ、読書の習慣化を図る。
◇より深く読書し、読書の感動を文章に表現することをとおして、豊かな人間性や考える力を育む。更に、自分の考えを正しい日本語で表現する力を養う。
(第69回青少年読書感想文全国コンクールWEBサイト「応募要項」ページより引用)
つまり)椶鯑匹犁_颪髻塀病蠅婆詰やりにでも)つくること、読書と作文によって「豊かな人間性」と「考える力」そして「正しい日本語表現」を学ぶこと。この2つが読書感想文の目的である、と述べているのです。
目的の,呂錣ります。読書離れが叫ばれて久しい現在、読書感想文の宿題でもないと夏休み1冊も本を読まなかった、という学生さんも多いことでしょう。
しかし問題は△任后F表颪蛤酳犬「豊かな人間性」を育むためにある。この思想はいったいどこから来たのでしょうか。私の知る限り、読書が「豊かな人間性」を育むのだとすれば、読書好きは全員「豊かな人間性」をもれなく携えていることになりますが、現実は……。書評家である自分の首も絞めそうなので、このあたりにしておきましょう。
(出所:第69回青少年読書感想文全国コンクールWEBサイト「応募要項」ページ)
そう、読書とは本来、本というメディアを通して、そこにつづられている知識や物語といった情報を得る行為。しかし読書感想文コンクールは頑なに「読書に伴う感動は(単に情報を得るだけでなく)豊かな人間性を育むためにある」という思想を抱き続けています。
実は、この「読書は豊かな人間性を育むためのもの」という思想は、文部科学省の読書教育方針にも合致しているところです。
(出所:文部科学省WEBサイト「第2 国語力を身に付けるための読書活動の在り方」ページ)
たとえば文部科学省のWEBサイトを見てみましょう。ここで掲載された「国語力を身に付けるための読書活動の在り方」もまた、この「読書=豊かな人間性を育むためのもの」という思想をあらわにしているのです。
国語力との関係でも、既に述べたように、読書は、国語力を構成している「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」「国語の知識等」のいずれにもかかわり、これらの力を育てる上で中核となるものである。特に、すべての活動の基盤ともなる「教養・価値観・感性等」を生涯を通じて身に付けていくために極めて重要なものである。
(文部科学省WEBサイト「第2 国語力を身に付けるための読書活動の在り方」ページより引用)
そう、読書は「教養、価値観、感性」を身につけるためのもの。教養=知識と感性=感受性はともかくとして、問題は「価値観」です。
読書は価値観を身につけるためのもの──それはつまり、読書を通して、自分はどんな価値観の人間であるのか、どういう価値観をもった人間になりたいのか、を考えられるということです。
もちろん、私は読書にそのような側面があることを否定しません。たしかに私も読書を通して、自分の好きな作家の価値観が、そのまま自分の価値観になっている、というような経験をしてきました。とくに10代のうちの読書は、そのまま自分の価値観に影響を与えやすい。好きな作家の言っていることを、そのまままねして語りたくなる、というような側面もあるでしょう。
しかし一方で、ここで示されている「価値観」は明らかに「善き価値観」のことであるのも、たしかでしょう。善き価値観とは、社会的倫理規範をちゃんと理解していて、他人を思いやれる道徳的な人間になるということ。つまり読書によって、道徳的な、この社会で善とされる価値観を学んでほしい。そして道徳的な価値観をもった人間になってほしい。──そんな思想が透けて見えることも確かなのです。
このような文部科学省や読書感想文コンクールの「読書」思想を見る限り、やはり読書感想文という文化は、「子どもたちに、読書を通して『(道徳的な)価値観』を身につけ、そして『豊かな人間性』を育んでいることを表現してもらう」ための国語教育文化にほかならない。そんな印象を受けます。
だからこそ、本連載が語ってきた「先生に褒められそうな読書感想文」を書くためには、つねに「自分の話」を入れよ、と述べてきたのです。本の話に終始するのではなく、本を読んだ自分の変化を書くこと。それはつまり、「豊かな人間性」を育んでいる証しだからです。国語教育について詳しい石原千秋さんは、現在の国語の教科書が「道徳を内面化させるための教材」になっていることを批判しました(石原千秋『国語教科書の思想』筑摩書房、2005)。「現在の日本の国語教育はあまりにも『教訓』を読み取る方向に傾きすぎている」、それはなぜかといえば、国語が「道徳」を教える科目になっているからだ、と石原さんは述べます。詳しい議論は石原さんの著作に譲りますが、このような思想を、読書感想文という教材もまた反映しているのでしょう。私たちは、読書を通して、道徳的な人間になることができる──そのような無邪気な姿勢こそが「読書感想文」で求められている正解なのです。しかし、「先生に褒められる読書感想文」だけ書いていても、面白くありませんね。次回は、「先生に褒められないけれど、書いていて楽しい読書感想文」の書き方についてお伝えしましょう。学校に求められている姿勢を理解したうえで、しかしそこに抗ってゆくこともまた、子どものうちにやっておくべき「豊かな人間性を育む」ための行為なのかもしれない、ので。(三宅 香帆 : 文筆家)
だからこそ、本連載が語ってきた「先生に褒められそうな読書感想文」を書くためには、つねに「自分の話」を入れよ、と述べてきたのです。本の話に終始するのではなく、本を読んだ自分の変化を書くこと。それはつまり、「豊かな人間性」を育んでいる証しだからです。
国語教育について詳しい石原千秋さんは、現在の国語の教科書が「道徳を内面化させるための教材」になっていることを批判しました(石原千秋『国語教科書の思想』筑摩書房、2005)。
「現在の日本の国語教育はあまりにも『教訓』を読み取る方向に傾きすぎている」、それはなぜかといえば、国語が「道徳」を教える科目になっているからだ、と石原さんは述べます。
詳しい議論は石原さんの著作に譲りますが、このような思想を、読書感想文という教材もまた反映しているのでしょう。私たちは、読書を通して、道徳的な人間になることができる──そのような無邪気な姿勢こそが「読書感想文」で求められている正解なのです。
しかし、「先生に褒められる読書感想文」だけ書いていても、面白くありませんね。
次回は、「先生に褒められないけれど、書いていて楽しい読書感想文」の書き方についてお伝えしましょう。
学校に求められている姿勢を理解したうえで、しかしそこに抗ってゆくこともまた、子どものうちにやっておくべき「豊かな人間性を育む」ための行為なのかもしれない、ので。
(三宅 香帆 : 文筆家)

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