「家康を美少女化したコンテンツ、どう思う?」「なぜそんなことを…」徳川家19代目当主に“答えにくい質問”を聞いてみた

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《意外な事実》家に食べ物がなく着物を売ってしのいだ時期も…徳川家19代目当主が明かした「明治維新後の困窮事情」 から続く
2023年1月、父親の後を継ぎ、徳川宗家19代当主となった徳川家広氏(58)。もともとは政治経済評論家かつ翻訳家で、大の漫画好きでもある。戦国武将を題材とした作品にどんな本音を抱いているのか……? 後編では徳川の子孫である彼に、素朴な疑問をいろいろぶつけた。(全2回の2回目/前編を読む)
《写真多数》美少女&美少年になってしまった「徳川家康」
「家康を美少女化したコンテンツ、どう思う?」「好きな戦国武将は?」など、徳川宗家19代当主を継いだ徳川家広氏に「答えにくい質問」をしてみた 文藝春秋
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――戦国武将はさまざまな作品で題材にされており、なかには徳川家康と恋愛したり、家康が美少女になっているようなコンテンツなどもありますが、徳川の子孫としての本音はいかがでしょう?
徳川家広(以下、家広) 子孫としては「なぜそんなことを……」と思いますが(笑)、意表を突くからこそおもしろいというのは理解できます。私自身に何かを期待しないのであれば、どんどん自由にやってください。その影響で、東照宮への参拝者などが少しでも増えればうれしいです。
――さすが上様、器が大きい! 好きな戦国武将はいますか?
家広 特にいませんね。「もしも自分が同じ状況だったら」と想像してみたときに共感できる、できないというのはありますが。それで言うと、織田信長や豊臣秀吉は自分と全然違うなぁとは感じます。それまでの社会秩序をどんどん壊していくようなところが人気にも繋がっているのでしょうけどね。
――家広さんは徳川記念財団の公式YouTubeチャンネルでもゾンビ映画や漫画の話をされており、いわゆる「サブカルチャー」がお好きですよね。徳川家康を描いた作品でお好きなものはありますか?
家広 個人的な印象として、戦国モノは歴史的事実をなぞるだけでもある程度ワクワクする仕上がりになるぶん、作者の力量が見えづらいイメージがあるので、あまり好んで見ません。みなもと太郎の『風雲児たち』を読んだくらいですね。徳川はちょろっと出る程度ですが、『レイリ』(原作・岩明均、作画・室井大資)はとてもおもしろかったです。
あとは子どもの頃、NHKで『真田十勇士』の人形劇を放送していましたが、家康が悪役なんですよね。「ご先祖さまは悪い人だったのかな」と子ども心に感じたものです。
――たしかに家康は陰険な人物として描かれる場合もありますよね。家広 敗戦後、「そもそも鎖国が悪かった」という考え方が広がりました。「ずっと鎖国していたのに欧米列強に無理に追いつこうとした結果がこのたびの戦争だったのだ」と人々が考える中で、徳川家=悪者というイメージが広がっていったんじゃないでしょうか。 私の父親は日本郵船という国際的な会社で働いていましたが、就職したときに「ご先祖様がしたことの罪滅ぼしのためですか?」と言ってきた人がいたそうです。時間をさかのぼって首を絞めてやりたいところですが(笑)、「徳川家が悪い」という風潮が強い時代があったのは事実です。ほかの戦国大名の子孫とよく会う――家広さんご自身は、徳川の子孫であるゆえにイヤな思いをしたことはありますか?家広 特にないと思います。というより、この人生しか経験していないので、なんとも言えないんですよね。強いて挙げるならば、「埋蔵金があるんでしょ?」と疑われることくらいでしょうか(笑)。徳川幕府は財政が崩れたからこそ明治維新に至ったのだろうし、私自身は埋蔵金は実在しないんじゃないかと考えています。そんな大金が本当にあるなら、取り分は1割でいいので代わりに掘り出してほしいですよ(笑)。――学校の歴史の授業でからかわれたりしませんでしたか?家広 もしかすると先生は気を使ったかもしれませんが、クラスメイトは「知ってるよ」くらいの反応でした。私が高校まで通っていた学習院というのはいろいろなご子息がいる環境で、1学年下には秋篠宮様もいらっしゃいましたから、生徒側もわざわざ騒ぐようなことはなく慣れたものでした。――ほかの戦国大名の子孫とお会いする機会はあるんでしょうか?家広 年がら年中ありますよ。たとえば今日この後も、文京区にゆかりのある殿様の子孫の集まりに出席することになっています。――すごい! 何の話をするんですか?家広 各家と文京区との繋がりのお話だと聞いております。――ちょっとのぞいてみたいような……。家広 文京区のイベントですから、客席に入れるかもしれませんね。――もしも家広さんが京都の二条城(徳川家康が京の宿館として建てた城)に行ったら、一般の見学者だと入れない場所に特別に入れてもらえたりするものなんでしょうか?家広 それは試したことがないからわかりませんね。でも京都の人は秀吉びいきなので、私は意地悪されちゃうかも(笑)。――そのぶん浜松に行ったときは大人気なのでは?家広 いえいえ、そうでもありませんよ。でも私の顔がだんだん知られてきたので、むやみに訪ねるのは控えたほうがいいのかもしれない……というのは冗談です(笑)。徳川の子孫に生まれ、人と違う視点が持てた――徳川家康の子孫に生まれて良かったことはありますか?家広 何かあるとしたら、ほかの人と違う視点が持てたことかもしれません。私が子どもの頃はまだ「徳川家康は悪人」のような風潮が強くありましたが、「自分のご先祖だからこそ擁護したいけれど、むやみにかばったところで説得力がない」という思いで勉強するうちに、ひとつの出来事を多様な角度から考えられるようになったように感じます。――小説やドラマの中で悪役として描かれることが多かった徳川家康ですが、NHK大河ドラマ『どうする家康』が放送され、現在は家康ブームと言われています。人々のイメージもどんどん変わっていきそうですね。家広 日本橋には、国内の全ての道路の起点となる「日本国道路元標」が置かれており、日本の中心と言える場所です。これは実は家康が日本橋を「五街道の起点」と定めたところにルーツがあり、彼の構想が現代に至るまで続いているんです。あくまでこれは一例で、徳川家康はほかにも語るべきことのたくさんある人物だと思います。――家広さんはもともと政治経済評論家ですが、歴史についてもお詳しいですね。家広 徳川の子孫ということで執筆依頼が来るようになって、慌てて調べて覚えただけです(笑)。徳川記念財団には資料がたくさんありますからね。父が財団を作り、私が理事長を継いだからには、徳川宗家としての発信も頑張っていかなければと思います。――本日はありがとうございました。お話を伺って、「徳川宗家の現当主」という世界にたったひとりの立場でありながら、すごく謙虚というか、「自分は自分」というフラットな姿勢を貫いているのが印象的でした。家広 世界にたったひとりの存在というのは皆さんも同じですよ。……本音を言えば、私は目立つことがあまり好きじゃないので、早く家康ブームが落ち着いて、文筆業に戻れればいいなと思います(笑)。令和川チャンネル(川記念財団公式)(原田イチボ@HEW)
――たしかに家康は陰険な人物として描かれる場合もありますよね。
家広 敗戦後、「そもそも鎖国が悪かった」という考え方が広がりました。「ずっと鎖国していたのに欧米列強に無理に追いつこうとした結果がこのたびの戦争だったのだ」と人々が考える中で、徳川家=悪者というイメージが広がっていったんじゃないでしょうか。
私の父親は日本郵船という国際的な会社で働いていましたが、就職したときに「ご先祖様がしたことの罪滅ぼしのためですか?」と言ってきた人がいたそうです。時間をさかのぼって首を絞めてやりたいところですが(笑)、「徳川家が悪い」という風潮が強い時代があったのは事実です。
――家広さんご自身は、徳川の子孫であるゆえにイヤな思いをしたことはありますか?
家広 特にないと思います。というより、この人生しか経験していないので、なんとも言えないんですよね。強いて挙げるならば、「埋蔵金があるんでしょ?」と疑われることくらいでしょうか(笑)。徳川幕府は財政が崩れたからこそ明治維新に至ったのだろうし、私自身は埋蔵金は実在しないんじゃないかと考えています。そんな大金が本当にあるなら、取り分は1割でいいので代わりに掘り出してほしいですよ(笑)。
――学校の歴史の授業でからかわれたりしませんでしたか?
家広 もしかすると先生は気を使ったかもしれませんが、クラスメイトは「知ってるよ」くらいの反応でした。私が高校まで通っていた学習院というのはいろいろなご子息がいる環境で、1学年下には秋篠宮様もいらっしゃいましたから、生徒側もわざわざ騒ぐようなことはなく慣れたものでした。
――ほかの戦国大名の子孫とお会いする機会はあるんでしょうか?
家広 年がら年中ありますよ。たとえば今日この後も、文京区にゆかりのある殿様の子孫の集まりに出席することになっています。
――すごい! 何の話をするんですか?
家広 各家と文京区との繋がりのお話だと聞いております。
――ちょっとのぞいてみたいような……。
家広 文京区のイベントですから、客席に入れるかもしれませんね。――もしも家広さんが京都の二条城(徳川家康が京の宿館として建てた城)に行ったら、一般の見学者だと入れない場所に特別に入れてもらえたりするものなんでしょうか?家広 それは試したことがないからわかりませんね。でも京都の人は秀吉びいきなので、私は意地悪されちゃうかも(笑)。――そのぶん浜松に行ったときは大人気なのでは?家広 いえいえ、そうでもありませんよ。でも私の顔がだんだん知られてきたので、むやみに訪ねるのは控えたほうがいいのかもしれない……というのは冗談です(笑)。徳川の子孫に生まれ、人と違う視点が持てた――徳川家康の子孫に生まれて良かったことはありますか?家広 何かあるとしたら、ほかの人と違う視点が持てたことかもしれません。私が子どもの頃はまだ「徳川家康は悪人」のような風潮が強くありましたが、「自分のご先祖だからこそ擁護したいけれど、むやみにかばったところで説得力がない」という思いで勉強するうちに、ひとつの出来事を多様な角度から考えられるようになったように感じます。――小説やドラマの中で悪役として描かれることが多かった徳川家康ですが、NHK大河ドラマ『どうする家康』が放送され、現在は家康ブームと言われています。人々のイメージもどんどん変わっていきそうですね。家広 日本橋には、国内の全ての道路の起点となる「日本国道路元標」が置かれており、日本の中心と言える場所です。これは実は家康が日本橋を「五街道の起点」と定めたところにルーツがあり、彼の構想が現代に至るまで続いているんです。あくまでこれは一例で、徳川家康はほかにも語るべきことのたくさんある人物だと思います。――家広さんはもともと政治経済評論家ですが、歴史についてもお詳しいですね。家広 徳川の子孫ということで執筆依頼が来るようになって、慌てて調べて覚えただけです(笑)。徳川記念財団には資料がたくさんありますからね。父が財団を作り、私が理事長を継いだからには、徳川宗家としての発信も頑張っていかなければと思います。――本日はありがとうございました。お話を伺って、「徳川宗家の現当主」という世界にたったひとりの立場でありながら、すごく謙虚というか、「自分は自分」というフラットな姿勢を貫いているのが印象的でした。家広 世界にたったひとりの存在というのは皆さんも同じですよ。……本音を言えば、私は目立つことがあまり好きじゃないので、早く家康ブームが落ち着いて、文筆業に戻れればいいなと思います(笑)。令和川チャンネル(川記念財団公式)(原田イチボ@HEW)
家広 文京区のイベントですから、客席に入れるかもしれませんね。
――もしも家広さんが京都の二条城(徳川家康が京の宿館として建てた城)に行ったら、一般の見学者だと入れない場所に特別に入れてもらえたりするものなんでしょうか?
家広 それは試したことがないからわかりませんね。でも京都の人は秀吉びいきなので、私は意地悪されちゃうかも(笑)。
――そのぶん浜松に行ったときは大人気なのでは?
家広 いえいえ、そうでもありませんよ。でも私の顔がだんだん知られてきたので、むやみに訪ねるのは控えたほうがいいのかもしれない……というのは冗談です(笑)。
――徳川家康の子孫に生まれて良かったことはありますか?
家広 何かあるとしたら、ほかの人と違う視点が持てたことかもしれません。私が子どもの頃はまだ「徳川家康は悪人」のような風潮が強くありましたが、「自分のご先祖だからこそ擁護したいけれど、むやみにかばったところで説得力がない」という思いで勉強するうちに、ひとつの出来事を多様な角度から考えられるようになったように感じます。
――小説やドラマの中で悪役として描かれることが多かった徳川家康ですが、NHK大河ドラマ『どうする家康』が放送され、現在は家康ブームと言われています。人々のイメージもどんどん変わっていきそうですね。
家広 日本橋には、国内の全ての道路の起点となる「日本国道路元標」が置かれており、日本の中心と言える場所です。これは実は家康が日本橋を「五街道の起点」と定めたところにルーツがあり、彼の構想が現代に至るまで続いているんです。あくまでこれは一例で、徳川家康はほかにも語るべきことのたくさんある人物だと思います。――家広さんはもともと政治経済評論家ですが、歴史についてもお詳しいですね。家広 徳川の子孫ということで執筆依頼が来るようになって、慌てて調べて覚えただけです(笑)。徳川記念財団には資料がたくさんありますからね。父が財団を作り、私が理事長を継いだからには、徳川宗家としての発信も頑張っていかなければと思います。――本日はありがとうございました。お話を伺って、「徳川宗家の現当主」という世界にたったひとりの立場でありながら、すごく謙虚というか、「自分は自分」というフラットな姿勢を貫いているのが印象的でした。家広 世界にたったひとりの存在というのは皆さんも同じですよ。……本音を言えば、私は目立つことがあまり好きじゃないので、早く家康ブームが落ち着いて、文筆業に戻れればいいなと思います(笑)。令和川チャンネル(川記念財団公式)(原田イチボ@HEW)

家広 日本橋には、国内の全ての道路の起点となる「日本国道路元標」が置かれており、日本の中心と言える場所です。これは実は家康が日本橋を「五街道の起点」と定めたところにルーツがあり、彼の構想が現代に至るまで続いているんです。あくまでこれは一例で、徳川家康はほかにも語るべきことのたくさんある人物だと思います。
――家広さんはもともと政治経済評論家ですが、歴史についてもお詳しいですね。
家広 徳川の子孫ということで執筆依頼が来るようになって、慌てて調べて覚えただけです(笑)。徳川記念財団には資料がたくさんありますからね。父が財団を作り、私が理事長を継いだからには、徳川宗家としての発信も頑張っていかなければと思います。
――本日はありがとうございました。お話を伺って、「徳川宗家の現当主」という世界にたったひとりの立場でありながら、すごく謙虚というか、「自分は自分」というフラットな姿勢を貫いているのが印象的でした。
家広 世界にたったひとりの存在というのは皆さんも同じですよ。……本音を言えば、私は目立つことがあまり好きじゃないので、早く家康ブームが落ち着いて、文筆業に戻れればいいなと思います(笑)。令和川チャンネル(川記念財団公式)(原田イチボ@HEW)
家広 世界にたったひとりの存在というのは皆さんも同じですよ。……本音を言えば、私は目立つことがあまり好きじゃないので、早く家康ブームが落ち着いて、文筆業に戻れればいいなと思います(笑)。
令和川チャンネル(川記念財団公式)
(原田イチボ@HEW)

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