今年に入って40回以上、佳子さまが“一心不乱”に公務に邁進している理由

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10月にテニス・楽天ジャパンオープンの男子シングルス決勝を観戦された佳子さま(写真:REX/アフロ)(つげ のり子:放送作家)[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]皇族の「就職先」は公のために尽くす在り方と合致 人生には、ここ一番の頑張り時があるものだ。大学受験に資格試験、スポーツ選手なら上位大会への進出をかけた、乾坤一擲の試合もそうだ。また男性ならば、お付き合いする女性へのプロポーズは、人生でもっとも頑張る瞬間だと言えるのではないだろうか。もちろんその逆も然りだ。 ことほどさように、頑張り時は人それぞれではあるが、そのことを尋ねられれば、誰しもひとつやふたつ心当たりがあるはずだ。

実は、私たちがよく知る皇室の一員の中にも、今現在、おそらく人生でもっとも頑張っている方がいらっしゃる。あの麗しきプリンセス、秋篠宮家の次女・佳子さまである。 では何を頑張っていらっしゃるのかというと、皇族方の半ば義務のようになっている公のお仕事、いわゆるご公務である。 皇族方は、一般庶民のように民間企業に正社員として就職し、フルタイムで働かれることはない。ただし高円宮家の長女・承子さまは「日本ユニセフ協会」に常勤で勤められているが、嘱託という立場である。 大学を卒業されると、なんらかのお仕事に就きはするが、当然ながら、営業のノルマを課せられたり、経理ソフトを相手にパソコンに数字を打ち込んだりすることはない。 例えば、上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんは学習院大学を卒業された後、「山階鳥類研究所」の非常勤研究助手として勤務し、嫁がれた小室眞子さんも独身の間は「東大総合研究博物館」の特任研究員であった。「山科鳥類研究所」も「東大総合研究博物館」も、アカデミックな研究機関であり、民間企業のように利潤を追求する分野ではないところが、公のために尽くすという皇室の在り方と合致するのだろう。怒濤の勢いで公務に励まれる佳子さまの「心境の変化」 佳子さまの場合は、2019年にICU(国際基督教大学)を卒業されてから、しばらくどの公益団体や組織にも勤めずにいたため、口さがないネット民から“高等遊民”と揶揄されたこともあった。 しかし、昨年5月、「全日本ろうあ連盟」の非常勤嘱託職員となられ、さらに姉の小室眞子さんが務めていた「日本テニス協会」の名誉総裁、そして今年6月にも、やはり眞子さんに代わって「日本工芸会」の総裁も引き継がれている。 まさに、以前と打って変わって・・・と言っては不敬かもしれないが、ご公務に関しては怒涛のごとき勢いで活動されているのだ。2019年、欧州公式訪問でオーストリアを訪問された佳子さま(左、写真:ロイター/アフロ) 今年に入ってからも、10月末までに携わられたご公務は、オンラインも含め40回以上にのぼり、その中には「令和4年全国都市緑化祭」や「第9回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」など、宿泊を伴う地方公務もあり、その移動時間を考慮すれば、かなり多忙であったと見ていい。これに毎月のように行われる宮中祭祀も加わるのだから、スケジュールは確かに過密だ。まさに、佳子さまはご公務において、この一年弱というもの、必死に頑張ってこられたのである。 それまでは、「佳子さまは公務にあまりご熱心ではないようだ」と、メディア関係者の間で囁かれていたのだが、それががらりと変貌した理由とはいかなるものなのだろうか? その大きな転換点となったのは、やはり姉の眞子さんの結婚であろう。2020年、眞子さま(左・当時)とともに皇居の新年一般参賀に出席された佳子さま(写真:Natsuki Sakai/アフロ) 恋をして愛する人と結ばれたいという、女性としての純粋な思いを欲しただけなのに、根拠のない誹謗中傷を受け、心を引き裂かれてきた経緯を佳子さまは目の当たりにしてきた。 なぜ、皇族が激しいバッシングの嵐に苛まれなければならないのかと考えた時、佳子さまは、女性皇族に対して抱く国民の期待というものに気づかれたのではないだろうか。国民の期待とは、つまりご公務を通して国民の前に現れ、日本人の拠り所となる象徴として、常に寄り添って欲しいという願望なのだ。 佳子さまはそのことを認識し、自ら嫁がれる日までは、その期待と理想に沿うよう、頑張ろうと思ったのであろう。フィギュアスケート、ストリートダンスに打ち込まれた学生時代 実は佳子さまは、一旦ひとつの目標を立てると一心不乱に努力され、その結果、夢の実現を成し遂げてきたことが度々あった。その一つがフィギュアスケートだ。 2007年3月に行われた、「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」の「ノービスB女子小学6年以上の部」に出場された佳子さまは、小学生ながら躍動感あふれる演技を披露し、2位の選手に僅差だったが優勝しているのである。 皇族だから練習も好きなだけ出来たのではないかと、穿った見方をする方もいると思うが、実際はその逆の状況であった。なぜなら、やんごとなきお立場の佳子さまがアイスリンクで練習をしたいと言えば、その日は全面貸し切りとなり、他の選手に迷惑をかけてしまう。それは佳子さまも、また秋篠宮家としても本意ではなく、気を遣わざるを得ない。 現実として練習の機会は少なく、とても貴重であったことから、その時だけは機会を逃さないよう集中されていただろうから、熱心に事を成すことに関しては、当時から非凡なものがあったように思う。 大学進学においても学習院大学への内部進学を一旦留保され、今までと違う環境に身を置きたいという動機から他の大学を受験したが、不合格という挫折を味わっている。 しかし、それでへこたれる佳子さまではなかった。捲土重来を期して、2年後には学習院大学を自主退学され、見事、ICUへの入学を果たされたのである。ICUに入学された当時の佳子さま(2015年、写真:代表撮影/ロイター/アフロ) 入学されたICUでチャレンジしたのはダンス。学内でも超体育会系として知られ、部員200名を数えるという、「ストリートダンスサークル」に入り活動された。 練習はとてもハードで、木曜日を除く月火水金土の週日5日が練習日。授業が終わると、夜7時からスタートし、2時間たっぷり汗を流して、その後も残って遅い時間まで自主練習を行うのがルーティンであった。当時のご様子を知るサークル仲間によれば、佳子さまはすでにダンスが抜きん出て上手く、メンバーたちも見惚れるほどだったという。 佳子さまの目標に向かって邁進される姿は、一生懸命という言葉だけでは足りないほど、努力と研鑽の日々にあふれているのだ。先述したように、佳子さまがここへ来て熱心にご公務に励まれるのは、持ち前の頑張り屋として、とことんまで国民の期待に応えようと心に期しているように感じる。「結婚」のタイミングは悠仁さまが成年を迎える2年後か? そして、頑張っているご公務の向こうに、どんな目的があるのかと言えば、それはズバリ、誰からも後ろ指を指されずに、祝福されつつ迎える結婚の日ではないだろうか。 その時期がいつかと言えば、これは筆者のあくまで推測でしかないが、悠仁さまが成年を迎える2年後。2024年ではないかと睨んでいる。 眞子さんの結婚によって、秋篠宮家や皇室そのものに対してのバッシングもあったが、その悪い流れを悠仁さまの成年の時まで続かせるわけにはいかない。幼い頃から可愛がってきた悠仁さまが傷つくことのないよう、佳子さまは今、懸命にご公務を通して国民に理解を促しているのである。 世論の大勢が皇室に対して肯定的なものとなれば、佳子さまも安心して嫁ぐ準備に入られるのではないだろうか。そう考えれば、すべてが腑に落ちる。 11月5日には、天皇陛下の長女・愛子さまとともに、宮内庁楽部の雅楽の定期演奏会を鑑賞された。緊張気味の愛子さまの隣でリラックスさせようとしたのか、和やかに会話をされた佳子さまのお姿は、まさに女性皇族としての役割を愛子さまに伝えているようにも見えた。 つまり、次世代の女性皇族へ伝えるべきは伝え、ご公務を全うすることで皇室への敬意と信頼を取り戻そうと考えていらっしゃるように思えるのだ。その上で、未来の天皇となる悠仁さまの将来を、より盤石なものとなるよう佳子さまは奮闘されているのだろう。 そんな“頑張り屋”の佳子さまに、いつの日か頑張らなくても良い、人生で最も幸せな日が訪れて欲しいと願わずにはいられない。2019年に欧州を公式訪問された佳子さま(写真:AP/アフロ)筆者:つげ のり子
(つげ のり子:放送作家)[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]皇族の「就職先」は公のために尽くす在り方と合致 人生には、ここ一番の頑張り時があるものだ。大学受験に資格試験、スポーツ選手なら上位大会への進出をかけた、乾坤一擲の試合もそうだ。また男性ならば、お付き合いする女性へのプロポーズは、人生でもっとも頑張る瞬間だと言えるのではないだろうか。もちろんその逆も然りだ。 ことほどさように、頑張り時は人それぞれではあるが、そのことを尋ねられれば、誰しもひとつやふたつ心当たりがあるはずだ。

実は、私たちがよく知る皇室の一員の中にも、今現在、おそらく人生でもっとも頑張っている方がいらっしゃる。あの麗しきプリンセス、秋篠宮家の次女・佳子さまである。 では何を頑張っていらっしゃるのかというと、皇族方の半ば義務のようになっている公のお仕事、いわゆるご公務である。 皇族方は、一般庶民のように民間企業に正社員として就職し、フルタイムで働かれることはない。ただし高円宮家の長女・承子さまは「日本ユニセフ協会」に常勤で勤められているが、嘱託という立場である。 大学を卒業されると、なんらかのお仕事に就きはするが、当然ながら、営業のノルマを課せられたり、経理ソフトを相手にパソコンに数字を打ち込んだりすることはない。 例えば、上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんは学習院大学を卒業された後、「山階鳥類研究所」の非常勤研究助手として勤務し、嫁がれた小室眞子さんも独身の間は「東大総合研究博物館」の特任研究員であった。「山科鳥類研究所」も「東大総合研究博物館」も、アカデミックな研究機関であり、民間企業のように利潤を追求する分野ではないところが、公のために尽くすという皇室の在り方と合致するのだろう。怒濤の勢いで公務に励まれる佳子さまの「心境の変化」 佳子さまの場合は、2019年にICU(国際基督教大学)を卒業されてから、しばらくどの公益団体や組織にも勤めずにいたため、口さがないネット民から“高等遊民”と揶揄されたこともあった。 しかし、昨年5月、「全日本ろうあ連盟」の非常勤嘱託職員となられ、さらに姉の小室眞子さんが務めていた「日本テニス協会」の名誉総裁、そして今年6月にも、やはり眞子さんに代わって「日本工芸会」の総裁も引き継がれている。 まさに、以前と打って変わって・・・と言っては不敬かもしれないが、ご公務に関しては怒涛のごとき勢いで活動されているのだ。2019年、欧州公式訪問でオーストリアを訪問された佳子さま(左、写真:ロイター/アフロ) 今年に入ってからも、10月末までに携わられたご公務は、オンラインも含め40回以上にのぼり、その中には「令和4年全国都市緑化祭」や「第9回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」など、宿泊を伴う地方公務もあり、その移動時間を考慮すれば、かなり多忙であったと見ていい。これに毎月のように行われる宮中祭祀も加わるのだから、スケジュールは確かに過密だ。まさに、佳子さまはご公務において、この一年弱というもの、必死に頑張ってこられたのである。 それまでは、「佳子さまは公務にあまりご熱心ではないようだ」と、メディア関係者の間で囁かれていたのだが、それががらりと変貌した理由とはいかなるものなのだろうか? その大きな転換点となったのは、やはり姉の眞子さんの結婚であろう。2020年、眞子さま(左・当時)とともに皇居の新年一般参賀に出席された佳子さま(写真:Natsuki Sakai/アフロ) 恋をして愛する人と結ばれたいという、女性としての純粋な思いを欲しただけなのに、根拠のない誹謗中傷を受け、心を引き裂かれてきた経緯を佳子さまは目の当たりにしてきた。 なぜ、皇族が激しいバッシングの嵐に苛まれなければならないのかと考えた時、佳子さまは、女性皇族に対して抱く国民の期待というものに気づかれたのではないだろうか。国民の期待とは、つまりご公務を通して国民の前に現れ、日本人の拠り所となる象徴として、常に寄り添って欲しいという願望なのだ。 佳子さまはそのことを認識し、自ら嫁がれる日までは、その期待と理想に沿うよう、頑張ろうと思ったのであろう。フィギュアスケート、ストリートダンスに打ち込まれた学生時代 実は佳子さまは、一旦ひとつの目標を立てると一心不乱に努力され、その結果、夢の実現を成し遂げてきたことが度々あった。その一つがフィギュアスケートだ。 2007年3月に行われた、「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」の「ノービスB女子小学6年以上の部」に出場された佳子さまは、小学生ながら躍動感あふれる演技を披露し、2位の選手に僅差だったが優勝しているのである。 皇族だから練習も好きなだけ出来たのではないかと、穿った見方をする方もいると思うが、実際はその逆の状況であった。なぜなら、やんごとなきお立場の佳子さまがアイスリンクで練習をしたいと言えば、その日は全面貸し切りとなり、他の選手に迷惑をかけてしまう。それは佳子さまも、また秋篠宮家としても本意ではなく、気を遣わざるを得ない。 現実として練習の機会は少なく、とても貴重であったことから、その時だけは機会を逃さないよう集中されていただろうから、熱心に事を成すことに関しては、当時から非凡なものがあったように思う。 大学進学においても学習院大学への内部進学を一旦留保され、今までと違う環境に身を置きたいという動機から他の大学を受験したが、不合格という挫折を味わっている。 しかし、それでへこたれる佳子さまではなかった。捲土重来を期して、2年後には学習院大学を自主退学され、見事、ICUへの入学を果たされたのである。ICUに入学された当時の佳子さま(2015年、写真:代表撮影/ロイター/アフロ) 入学されたICUでチャレンジしたのはダンス。学内でも超体育会系として知られ、部員200名を数えるという、「ストリートダンスサークル」に入り活動された。 練習はとてもハードで、木曜日を除く月火水金土の週日5日が練習日。授業が終わると、夜7時からスタートし、2時間たっぷり汗を流して、その後も残って遅い時間まで自主練習を行うのがルーティンであった。当時のご様子を知るサークル仲間によれば、佳子さまはすでにダンスが抜きん出て上手く、メンバーたちも見惚れるほどだったという。 佳子さまの目標に向かって邁進される姿は、一生懸命という言葉だけでは足りないほど、努力と研鑽の日々にあふれているのだ。先述したように、佳子さまがここへ来て熱心にご公務に励まれるのは、持ち前の頑張り屋として、とことんまで国民の期待に応えようと心に期しているように感じる。「結婚」のタイミングは悠仁さまが成年を迎える2年後か? そして、頑張っているご公務の向こうに、どんな目的があるのかと言えば、それはズバリ、誰からも後ろ指を指されずに、祝福されつつ迎える結婚の日ではないだろうか。 その時期がいつかと言えば、これは筆者のあくまで推測でしかないが、悠仁さまが成年を迎える2年後。2024年ではないかと睨んでいる。 眞子さんの結婚によって、秋篠宮家や皇室そのものに対してのバッシングもあったが、その悪い流れを悠仁さまの成年の時まで続かせるわけにはいかない。幼い頃から可愛がってきた悠仁さまが傷つくことのないよう、佳子さまは今、懸命にご公務を通して国民に理解を促しているのである。 世論の大勢が皇室に対して肯定的なものとなれば、佳子さまも安心して嫁ぐ準備に入られるのではないだろうか。そう考えれば、すべてが腑に落ちる。 11月5日には、天皇陛下の長女・愛子さまとともに、宮内庁楽部の雅楽の定期演奏会を鑑賞された。緊張気味の愛子さまの隣でリラックスさせようとしたのか、和やかに会話をされた佳子さまのお姿は、まさに女性皇族としての役割を愛子さまに伝えているようにも見えた。 つまり、次世代の女性皇族へ伝えるべきは伝え、ご公務を全うすることで皇室への敬意と信頼を取り戻そうと考えていらっしゃるように思えるのだ。その上で、未来の天皇となる悠仁さまの将来を、より盤石なものとなるよう佳子さまは奮闘されているのだろう。 そんな“頑張り屋”の佳子さまに、いつの日か頑張らなくても良い、人生で最も幸せな日が訪れて欲しいと願わずにはいられない。2019年に欧州を公式訪問された佳子さま(写真:AP/アフロ)筆者:つげ のり子
[JBpressの今日の記事(トップページ)へ]皇族の「就職先」は公のために尽くす在り方と合致 人生には、ここ一番の頑張り時があるものだ。大学受験に資格試験、スポーツ選手なら上位大会への進出をかけた、乾坤一擲の試合もそうだ。また男性ならば、お付き合いする女性へのプロポーズは、人生でもっとも頑張る瞬間だと言えるのではないだろうか。もちろんその逆も然りだ。 ことほどさように、頑張り時は人それぞれではあるが、そのことを尋ねられれば、誰しもひとつやふたつ心当たりがあるはずだ。

実は、私たちがよく知る皇室の一員の中にも、今現在、おそらく人生でもっとも頑張っている方がいらっしゃる。あの麗しきプリンセス、秋篠宮家の次女・佳子さまである。 では何を頑張っていらっしゃるのかというと、皇族方の半ば義務のようになっている公のお仕事、いわゆるご公務である。 皇族方は、一般庶民のように民間企業に正社員として就職し、フルタイムで働かれることはない。ただし高円宮家の長女・承子さまは「日本ユニセフ協会」に常勤で勤められているが、嘱託という立場である。 大学を卒業されると、なんらかのお仕事に就きはするが、当然ながら、営業のノルマを課せられたり、経理ソフトを相手にパソコンに数字を打ち込んだりすることはない。 例えば、上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんは学習院大学を卒業された後、「山階鳥類研究所」の非常勤研究助手として勤務し、嫁がれた小室眞子さんも独身の間は「東大総合研究博物館」の特任研究員であった。「山科鳥類研究所」も「東大総合研究博物館」も、アカデミックな研究機関であり、民間企業のように利潤を追求する分野ではないところが、公のために尽くすという皇室の在り方と合致するのだろう。怒濤の勢いで公務に励まれる佳子さまの「心境の変化」 佳子さまの場合は、2019年にICU(国際基督教大学)を卒業されてから、しばらくどの公益団体や組織にも勤めずにいたため、口さがないネット民から“高等遊民”と揶揄されたこともあった。 しかし、昨年5月、「全日本ろうあ連盟」の非常勤嘱託職員となられ、さらに姉の小室眞子さんが務めていた「日本テニス協会」の名誉総裁、そして今年6月にも、やはり眞子さんに代わって「日本工芸会」の総裁も引き継がれている。 まさに、以前と打って変わって・・・と言っては不敬かもしれないが、ご公務に関しては怒涛のごとき勢いで活動されているのだ。2019年、欧州公式訪問でオーストリアを訪問された佳子さま(左、写真:ロイター/アフロ) 今年に入ってからも、10月末までに携わられたご公務は、オンラインも含め40回以上にのぼり、その中には「令和4年全国都市緑化祭」や「第9回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」など、宿泊を伴う地方公務もあり、その移動時間を考慮すれば、かなり多忙であったと見ていい。これに毎月のように行われる宮中祭祀も加わるのだから、スケジュールは確かに過密だ。まさに、佳子さまはご公務において、この一年弱というもの、必死に頑張ってこられたのである。 それまでは、「佳子さまは公務にあまりご熱心ではないようだ」と、メディア関係者の間で囁かれていたのだが、それががらりと変貌した理由とはいかなるものなのだろうか? その大きな転換点となったのは、やはり姉の眞子さんの結婚であろう。2020年、眞子さま(左・当時)とともに皇居の新年一般参賀に出席された佳子さま(写真:Natsuki Sakai/アフロ) 恋をして愛する人と結ばれたいという、女性としての純粋な思いを欲しただけなのに、根拠のない誹謗中傷を受け、心を引き裂かれてきた経緯を佳子さまは目の当たりにしてきた。 なぜ、皇族が激しいバッシングの嵐に苛まれなければならないのかと考えた時、佳子さまは、女性皇族に対して抱く国民の期待というものに気づかれたのではないだろうか。国民の期待とは、つまりご公務を通して国民の前に現れ、日本人の拠り所となる象徴として、常に寄り添って欲しいという願望なのだ。 佳子さまはそのことを認識し、自ら嫁がれる日までは、その期待と理想に沿うよう、頑張ろうと思ったのであろう。フィギュアスケート、ストリートダンスに打ち込まれた学生時代 実は佳子さまは、一旦ひとつの目標を立てると一心不乱に努力され、その結果、夢の実現を成し遂げてきたことが度々あった。その一つがフィギュアスケートだ。 2007年3月に行われた、「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」の「ノービスB女子小学6年以上の部」に出場された佳子さまは、小学生ながら躍動感あふれる演技を披露し、2位の選手に僅差だったが優勝しているのである。 皇族だから練習も好きなだけ出来たのではないかと、穿った見方をする方もいると思うが、実際はその逆の状況であった。なぜなら、やんごとなきお立場の佳子さまがアイスリンクで練習をしたいと言えば、その日は全面貸し切りとなり、他の選手に迷惑をかけてしまう。それは佳子さまも、また秋篠宮家としても本意ではなく、気を遣わざるを得ない。 現実として練習の機会は少なく、とても貴重であったことから、その時だけは機会を逃さないよう集中されていただろうから、熱心に事を成すことに関しては、当時から非凡なものがあったように思う。 大学進学においても学習院大学への内部進学を一旦留保され、今までと違う環境に身を置きたいという動機から他の大学を受験したが、不合格という挫折を味わっている。 しかし、それでへこたれる佳子さまではなかった。捲土重来を期して、2年後には学習院大学を自主退学され、見事、ICUへの入学を果たされたのである。ICUに入学された当時の佳子さま(2015年、写真:代表撮影/ロイター/アフロ) 入学されたICUでチャレンジしたのはダンス。学内でも超体育会系として知られ、部員200名を数えるという、「ストリートダンスサークル」に入り活動された。 練習はとてもハードで、木曜日を除く月火水金土の週日5日が練習日。授業が終わると、夜7時からスタートし、2時間たっぷり汗を流して、その後も残って遅い時間まで自主練習を行うのがルーティンであった。当時のご様子を知るサークル仲間によれば、佳子さまはすでにダンスが抜きん出て上手く、メンバーたちも見惚れるほどだったという。 佳子さまの目標に向かって邁進される姿は、一生懸命という言葉だけでは足りないほど、努力と研鑽の日々にあふれているのだ。先述したように、佳子さまがここへ来て熱心にご公務に励まれるのは、持ち前の頑張り屋として、とことんまで国民の期待に応えようと心に期しているように感じる。「結婚」のタイミングは悠仁さまが成年を迎える2年後か? そして、頑張っているご公務の向こうに、どんな目的があるのかと言えば、それはズバリ、誰からも後ろ指を指されずに、祝福されつつ迎える結婚の日ではないだろうか。 その時期がいつかと言えば、これは筆者のあくまで推測でしかないが、悠仁さまが成年を迎える2年後。2024年ではないかと睨んでいる。 眞子さんの結婚によって、秋篠宮家や皇室そのものに対してのバッシングもあったが、その悪い流れを悠仁さまの成年の時まで続かせるわけにはいかない。幼い頃から可愛がってきた悠仁さまが傷つくことのないよう、佳子さまは今、懸命にご公務を通して国民に理解を促しているのである。 世論の大勢が皇室に対して肯定的なものとなれば、佳子さまも安心して嫁ぐ準備に入られるのではないだろうか。そう考えれば、すべてが腑に落ちる。 11月5日には、天皇陛下の長女・愛子さまとともに、宮内庁楽部の雅楽の定期演奏会を鑑賞された。緊張気味の愛子さまの隣でリラックスさせようとしたのか、和やかに会話をされた佳子さまのお姿は、まさに女性皇族としての役割を愛子さまに伝えているようにも見えた。 つまり、次世代の女性皇族へ伝えるべきは伝え、ご公務を全うすることで皇室への敬意と信頼を取り戻そうと考えていらっしゃるように思えるのだ。その上で、未来の天皇となる悠仁さまの将来を、より盤石なものとなるよう佳子さまは奮闘されているのだろう。 そんな“頑張り屋”の佳子さまに、いつの日か頑張らなくても良い、人生で最も幸せな日が訪れて欲しいと願わずにはいられない。2019年に欧州を公式訪問された佳子さま(写真:AP/アフロ)筆者:つげ のり子
人生には、ここ一番の頑張り時があるものだ。大学受験に資格試験、スポーツ選手なら上位大会への進出をかけた、乾坤一擲の試合もそうだ。また男性ならば、お付き合いする女性へのプロポーズは、人生でもっとも頑張る瞬間だと言えるのではないだろうか。もちろんその逆も然りだ。
ことほどさように、頑張り時は人それぞれではあるが、そのことを尋ねられれば、誰しもひとつやふたつ心当たりがあるはずだ。
実は、私たちがよく知る皇室の一員の中にも、今現在、おそらく人生でもっとも頑張っている方がいらっしゃる。あの麗しきプリンセス、秋篠宮家の次女・佳子さまである。
では何を頑張っていらっしゃるのかというと、皇族方の半ば義務のようになっている公のお仕事、いわゆるご公務である。
皇族方は、一般庶民のように民間企業に正社員として就職し、フルタイムで働かれることはない。ただし高円宮家の長女・承子さまは「日本ユニセフ協会」に常勤で勤められているが、嘱託という立場である。
大学を卒業されると、なんらかのお仕事に就きはするが、当然ながら、営業のノルマを課せられたり、経理ソフトを相手にパソコンに数字を打ち込んだりすることはない。
例えば、上皇ご夫妻の長女・黒田清子さんは学習院大学を卒業された後、「山階鳥類研究所」の非常勤研究助手として勤務し、嫁がれた小室眞子さんも独身の間は「東大総合研究博物館」の特任研究員であった。
「山科鳥類研究所」も「東大総合研究博物館」も、アカデミックな研究機関であり、民間企業のように利潤を追求する分野ではないところが、公のために尽くすという皇室の在り方と合致するのだろう。
佳子さまの場合は、2019年にICU(国際基督教大学)を卒業されてから、しばらくどの公益団体や組織にも勤めずにいたため、口さがないネット民から“高等遊民”と揶揄されたこともあった。
しかし、昨年5月、「全日本ろうあ連盟」の非常勤嘱託職員となられ、さらに姉の小室眞子さんが務めていた「日本テニス協会」の名誉総裁、そして今年6月にも、やはり眞子さんに代わって「日本工芸会」の総裁も引き継がれている。
まさに、以前と打って変わって・・・と言っては不敬かもしれないが、ご公務に関しては怒涛のごとき勢いで活動されているのだ。
2019年、欧州公式訪問でオーストリアを訪問された佳子さま(左、写真:ロイター/アフロ) 今年に入ってからも、10月末までに携わられたご公務は、オンラインも含め40回以上にのぼり、その中には「令和4年全国都市緑化祭」や「第9回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」など、宿泊を伴う地方公務もあり、その移動時間を考慮すれば、かなり多忙であったと見ていい。これに毎月のように行われる宮中祭祀も加わるのだから、スケジュールは確かに過密だ。まさに、佳子さまはご公務において、この一年弱というもの、必死に頑張ってこられたのである。 それまでは、「佳子さまは公務にあまりご熱心ではないようだ」と、メディア関係者の間で囁かれていたのだが、それががらりと変貌した理由とはいかなるものなのだろうか? その大きな転換点となったのは、やはり姉の眞子さんの結婚であろう。2020年、眞子さま(左・当時)とともに皇居の新年一般参賀に出席された佳子さま(写真:Natsuki Sakai/アフロ) 恋をして愛する人と結ばれたいという、女性としての純粋な思いを欲しただけなのに、根拠のない誹謗中傷を受け、心を引き裂かれてきた経緯を佳子さまは目の当たりにしてきた。 なぜ、皇族が激しいバッシングの嵐に苛まれなければならないのかと考えた時、佳子さまは、女性皇族に対して抱く国民の期待というものに気づかれたのではないだろうか。国民の期待とは、つまりご公務を通して国民の前に現れ、日本人の拠り所となる象徴として、常に寄り添って欲しいという願望なのだ。 佳子さまはそのことを認識し、自ら嫁がれる日までは、その期待と理想に沿うよう、頑張ろうと思ったのであろう。フィギュアスケート、ストリートダンスに打ち込まれた学生時代 実は佳子さまは、一旦ひとつの目標を立てると一心不乱に努力され、その結果、夢の実現を成し遂げてきたことが度々あった。その一つがフィギュアスケートだ。 2007年3月に行われた、「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」の「ノービスB女子小学6年以上の部」に出場された佳子さまは、小学生ながら躍動感あふれる演技を披露し、2位の選手に僅差だったが優勝しているのである。 皇族だから練習も好きなだけ出来たのではないかと、穿った見方をする方もいると思うが、実際はその逆の状況であった。なぜなら、やんごとなきお立場の佳子さまがアイスリンクで練習をしたいと言えば、その日は全面貸し切りとなり、他の選手に迷惑をかけてしまう。それは佳子さまも、また秋篠宮家としても本意ではなく、気を遣わざるを得ない。 現実として練習の機会は少なく、とても貴重であったことから、その時だけは機会を逃さないよう集中されていただろうから、熱心に事を成すことに関しては、当時から非凡なものがあったように思う。 大学進学においても学習院大学への内部進学を一旦留保され、今までと違う環境に身を置きたいという動機から他の大学を受験したが、不合格という挫折を味わっている。 しかし、それでへこたれる佳子さまではなかった。捲土重来を期して、2年後には学習院大学を自主退学され、見事、ICUへの入学を果たされたのである。ICUに入学された当時の佳子さま(2015年、写真:代表撮影/ロイター/アフロ) 入学されたICUでチャレンジしたのはダンス。学内でも超体育会系として知られ、部員200名を数えるという、「ストリートダンスサークル」に入り活動された。 練習はとてもハードで、木曜日を除く月火水金土の週日5日が練習日。授業が終わると、夜7時からスタートし、2時間たっぷり汗を流して、その後も残って遅い時間まで自主練習を行うのがルーティンであった。当時のご様子を知るサークル仲間によれば、佳子さまはすでにダンスが抜きん出て上手く、メンバーたちも見惚れるほどだったという。 佳子さまの目標に向かって邁進される姿は、一生懸命という言葉だけでは足りないほど、努力と研鑽の日々にあふれているのだ。先述したように、佳子さまがここへ来て熱心にご公務に励まれるのは、持ち前の頑張り屋として、とことんまで国民の期待に応えようと心に期しているように感じる。「結婚」のタイミングは悠仁さまが成年を迎える2年後か? そして、頑張っているご公務の向こうに、どんな目的があるのかと言えば、それはズバリ、誰からも後ろ指を指されずに、祝福されつつ迎える結婚の日ではないだろうか。 その時期がいつかと言えば、これは筆者のあくまで推測でしかないが、悠仁さまが成年を迎える2年後。2024年ではないかと睨んでいる。 眞子さんの結婚によって、秋篠宮家や皇室そのものに対してのバッシングもあったが、その悪い流れを悠仁さまの成年の時まで続かせるわけにはいかない。幼い頃から可愛がってきた悠仁さまが傷つくことのないよう、佳子さまは今、懸命にご公務を通して国民に理解を促しているのである。 世論の大勢が皇室に対して肯定的なものとなれば、佳子さまも安心して嫁ぐ準備に入られるのではないだろうか。そう考えれば、すべてが腑に落ちる。 11月5日には、天皇陛下の長女・愛子さまとともに、宮内庁楽部の雅楽の定期演奏会を鑑賞された。緊張気味の愛子さまの隣でリラックスさせようとしたのか、和やかに会話をされた佳子さまのお姿は、まさに女性皇族としての役割を愛子さまに伝えているようにも見えた。 つまり、次世代の女性皇族へ伝えるべきは伝え、ご公務を全うすることで皇室への敬意と信頼を取り戻そうと考えていらっしゃるように思えるのだ。その上で、未来の天皇となる悠仁さまの将来を、より盤石なものとなるよう佳子さまは奮闘されているのだろう。 そんな“頑張り屋”の佳子さまに、いつの日か頑張らなくても良い、人生で最も幸せな日が訪れて欲しいと願わずにはいられない。2019年に欧州を公式訪問された佳子さま(写真:AP/アフロ)筆者:つげ のり子
今年に入ってからも、10月末までに携わられたご公務は、オンラインも含め40回以上にのぼり、その中には「令和4年全国都市緑化祭」や「第9回全国高校生手話パフォーマンス甲子園」など、宿泊を伴う地方公務もあり、その移動時間を考慮すれば、かなり多忙であったと見ていい。これに毎月のように行われる宮中祭祀も加わるのだから、スケジュールは確かに過密だ。まさに、佳子さまはご公務において、この一年弱というもの、必死に頑張ってこられたのである。
それまでは、「佳子さまは公務にあまりご熱心ではないようだ」と、メディア関係者の間で囁かれていたのだが、それががらりと変貌した理由とはいかなるものなのだろうか? その大きな転換点となったのは、やはり姉の眞子さんの結婚であろう。
2020年、眞子さま(左・当時)とともに皇居の新年一般参賀に出席された佳子さま(写真:Natsuki Sakai/アフロ) 恋をして愛する人と結ばれたいという、女性としての純粋な思いを欲しただけなのに、根拠のない誹謗中傷を受け、心を引き裂かれてきた経緯を佳子さまは目の当たりにしてきた。 なぜ、皇族が激しいバッシングの嵐に苛まれなければならないのかと考えた時、佳子さまは、女性皇族に対して抱く国民の期待というものに気づかれたのではないだろうか。国民の期待とは、つまりご公務を通して国民の前に現れ、日本人の拠り所となる象徴として、常に寄り添って欲しいという願望なのだ。 佳子さまはそのことを認識し、自ら嫁がれる日までは、その期待と理想に沿うよう、頑張ろうと思ったのであろう。フィギュアスケート、ストリートダンスに打ち込まれた学生時代 実は佳子さまは、一旦ひとつの目標を立てると一心不乱に努力され、その結果、夢の実現を成し遂げてきたことが度々あった。その一つがフィギュアスケートだ。 2007年3月に行われた、「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」の「ノービスB女子小学6年以上の部」に出場された佳子さまは、小学生ながら躍動感あふれる演技を披露し、2位の選手に僅差だったが優勝しているのである。 皇族だから練習も好きなだけ出来たのではないかと、穿った見方をする方もいると思うが、実際はその逆の状況であった。なぜなら、やんごとなきお立場の佳子さまがアイスリンクで練習をしたいと言えば、その日は全面貸し切りとなり、他の選手に迷惑をかけてしまう。それは佳子さまも、また秋篠宮家としても本意ではなく、気を遣わざるを得ない。 現実として練習の機会は少なく、とても貴重であったことから、その時だけは機会を逃さないよう集中されていただろうから、熱心に事を成すことに関しては、当時から非凡なものがあったように思う。 大学進学においても学習院大学への内部進学を一旦留保され、今までと違う環境に身を置きたいという動機から他の大学を受験したが、不合格という挫折を味わっている。 しかし、それでへこたれる佳子さまではなかった。捲土重来を期して、2年後には学習院大学を自主退学され、見事、ICUへの入学を果たされたのである。ICUに入学された当時の佳子さま(2015年、写真:代表撮影/ロイター/アフロ) 入学されたICUでチャレンジしたのはダンス。学内でも超体育会系として知られ、部員200名を数えるという、「ストリートダンスサークル」に入り活動された。 練習はとてもハードで、木曜日を除く月火水金土の週日5日が練習日。授業が終わると、夜7時からスタートし、2時間たっぷり汗を流して、その後も残って遅い時間まで自主練習を行うのがルーティンであった。当時のご様子を知るサークル仲間によれば、佳子さまはすでにダンスが抜きん出て上手く、メンバーたちも見惚れるほどだったという。 佳子さまの目標に向かって邁進される姿は、一生懸命という言葉だけでは足りないほど、努力と研鑽の日々にあふれているのだ。先述したように、佳子さまがここへ来て熱心にご公務に励まれるのは、持ち前の頑張り屋として、とことんまで国民の期待に応えようと心に期しているように感じる。「結婚」のタイミングは悠仁さまが成年を迎える2年後か? そして、頑張っているご公務の向こうに、どんな目的があるのかと言えば、それはズバリ、誰からも後ろ指を指されずに、祝福されつつ迎える結婚の日ではないだろうか。 その時期がいつかと言えば、これは筆者のあくまで推測でしかないが、悠仁さまが成年を迎える2年後。2024年ではないかと睨んでいる。 眞子さんの結婚によって、秋篠宮家や皇室そのものに対してのバッシングもあったが、その悪い流れを悠仁さまの成年の時まで続かせるわけにはいかない。幼い頃から可愛がってきた悠仁さまが傷つくことのないよう、佳子さまは今、懸命にご公務を通して国民に理解を促しているのである。 世論の大勢が皇室に対して肯定的なものとなれば、佳子さまも安心して嫁ぐ準備に入られるのではないだろうか。そう考えれば、すべてが腑に落ちる。 11月5日には、天皇陛下の長女・愛子さまとともに、宮内庁楽部の雅楽の定期演奏会を鑑賞された。緊張気味の愛子さまの隣でリラックスさせようとしたのか、和やかに会話をされた佳子さまのお姿は、まさに女性皇族としての役割を愛子さまに伝えているようにも見えた。 つまり、次世代の女性皇族へ伝えるべきは伝え、ご公務を全うすることで皇室への敬意と信頼を取り戻そうと考えていらっしゃるように思えるのだ。その上で、未来の天皇となる悠仁さまの将来を、より盤石なものとなるよう佳子さまは奮闘されているのだろう。 そんな“頑張り屋”の佳子さまに、いつの日か頑張らなくても良い、人生で最も幸せな日が訪れて欲しいと願わずにはいられない。2019年に欧州を公式訪問された佳子さま(写真:AP/アフロ)筆者:つげ のり子
恋をして愛する人と結ばれたいという、女性としての純粋な思いを欲しただけなのに、根拠のない誹謗中傷を受け、心を引き裂かれてきた経緯を佳子さまは目の当たりにしてきた。
なぜ、皇族が激しいバッシングの嵐に苛まれなければならないのかと考えた時、佳子さまは、女性皇族に対して抱く国民の期待というものに気づかれたのではないだろうか。国民の期待とは、つまりご公務を通して国民の前に現れ、日本人の拠り所となる象徴として、常に寄り添って欲しいという願望なのだ。
佳子さまはそのことを認識し、自ら嫁がれる日までは、その期待と理想に沿うよう、頑張ろうと思ったのであろう。
実は佳子さまは、一旦ひとつの目標を立てると一心不乱に努力され、その結果、夢の実現を成し遂げてきたことが度々あった。その一つがフィギュアスケートだ。
2007年3月に行われた、「スプリングトロフィー・フィギュアスケート競技大会」の「ノービスB女子小学6年以上の部」に出場された佳子さまは、小学生ながら躍動感あふれる演技を披露し、2位の選手に僅差だったが優勝しているのである。
皇族だから練習も好きなだけ出来たのではないかと、穿った見方をする方もいると思うが、実際はその逆の状況であった。なぜなら、やんごとなきお立場の佳子さまがアイスリンクで練習をしたいと言えば、その日は全面貸し切りとなり、他の選手に迷惑をかけてしまう。それは佳子さまも、また秋篠宮家としても本意ではなく、気を遣わざるを得ない。
現実として練習の機会は少なく、とても貴重であったことから、その時だけは機会を逃さないよう集中されていただろうから、熱心に事を成すことに関しては、当時から非凡なものがあったように思う。
大学進学においても学習院大学への内部進学を一旦留保され、今までと違う環境に身を置きたいという動機から他の大学を受験したが、不合格という挫折を味わっている。
しかし、それでへこたれる佳子さまではなかった。捲土重来を期して、2年後には学習院大学を自主退学され、見事、ICUへの入学を果たされたのである。
ICUに入学された当時の佳子さま(2015年、写真:代表撮影/ロイター/アフロ) 入学されたICUでチャレンジしたのはダンス。学内でも超体育会系として知られ、部員200名を数えるという、「ストリートダンスサークル」に入り活動された。 練習はとてもハードで、木曜日を除く月火水金土の週日5日が練習日。授業が終わると、夜7時からスタートし、2時間たっぷり汗を流して、その後も残って遅い時間まで自主練習を行うのがルーティンであった。当時のご様子を知るサークル仲間によれば、佳子さまはすでにダンスが抜きん出て上手く、メンバーたちも見惚れるほどだったという。 佳子さまの目標に向かって邁進される姿は、一生懸命という言葉だけでは足りないほど、努力と研鑽の日々にあふれているのだ。先述したように、佳子さまがここへ来て熱心にご公務に励まれるのは、持ち前の頑張り屋として、とことんまで国民の期待に応えようと心に期しているように感じる。「結婚」のタイミングは悠仁さまが成年を迎える2年後か? そして、頑張っているご公務の向こうに、どんな目的があるのかと言えば、それはズバリ、誰からも後ろ指を指されずに、祝福されつつ迎える結婚の日ではないだろうか。 その時期がいつかと言えば、これは筆者のあくまで推測でしかないが、悠仁さまが成年を迎える2年後。2024年ではないかと睨んでいる。 眞子さんの結婚によって、秋篠宮家や皇室そのものに対してのバッシングもあったが、その悪い流れを悠仁さまの成年の時まで続かせるわけにはいかない。幼い頃から可愛がってきた悠仁さまが傷つくことのないよう、佳子さまは今、懸命にご公務を通して国民に理解を促しているのである。 世論の大勢が皇室に対して肯定的なものとなれば、佳子さまも安心して嫁ぐ準備に入られるのではないだろうか。そう考えれば、すべてが腑に落ちる。 11月5日には、天皇陛下の長女・愛子さまとともに、宮内庁楽部の雅楽の定期演奏会を鑑賞された。緊張気味の愛子さまの隣でリラックスさせようとしたのか、和やかに会話をされた佳子さまのお姿は、まさに女性皇族としての役割を愛子さまに伝えているようにも見えた。 つまり、次世代の女性皇族へ伝えるべきは伝え、ご公務を全うすることで皇室への敬意と信頼を取り戻そうと考えていらっしゃるように思えるのだ。その上で、未来の天皇となる悠仁さまの将来を、より盤石なものとなるよう佳子さまは奮闘されているのだろう。 そんな“頑張り屋”の佳子さまに、いつの日か頑張らなくても良い、人生で最も幸せな日が訪れて欲しいと願わずにはいられない。2019年に欧州を公式訪問された佳子さま(写真:AP/アフロ)筆者:つげ のり子
入学されたICUでチャレンジしたのはダンス。学内でも超体育会系として知られ、部員200名を数えるという、「ストリートダンスサークル」に入り活動された。
練習はとてもハードで、木曜日を除く月火水金土の週日5日が練習日。授業が終わると、夜7時からスタートし、2時間たっぷり汗を流して、その後も残って遅い時間まで自主練習を行うのがルーティンであった。当時のご様子を知るサークル仲間によれば、佳子さまはすでにダンスが抜きん出て上手く、メンバーたちも見惚れるほどだったという。
佳子さまの目標に向かって邁進される姿は、一生懸命という言葉だけでは足りないほど、努力と研鑽の日々にあふれているのだ。先述したように、佳子さまがここへ来て熱心にご公務に励まれるのは、持ち前の頑張り屋として、とことんまで国民の期待に応えようと心に期しているように感じる。
そして、頑張っているご公務の向こうに、どんな目的があるのかと言えば、それはズバリ、誰からも後ろ指を指されずに、祝福されつつ迎える結婚の日ではないだろうか。
その時期がいつかと言えば、これは筆者のあくまで推測でしかないが、悠仁さまが成年を迎える2年後。2024年ではないかと睨んでいる。
眞子さんの結婚によって、秋篠宮家や皇室そのものに対してのバッシングもあったが、その悪い流れを悠仁さまの成年の時まで続かせるわけにはいかない。幼い頃から可愛がってきた悠仁さまが傷つくことのないよう、佳子さまは今、懸命にご公務を通して国民に理解を促しているのである。
世論の大勢が皇室に対して肯定的なものとなれば、佳子さまも安心して嫁ぐ準備に入られるのではないだろうか。そう考えれば、すべてが腑に落ちる。
11月5日には、天皇陛下の長女・愛子さまとともに、宮内庁楽部の雅楽の定期演奏会を鑑賞された。緊張気味の愛子さまの隣でリラックスさせようとしたのか、和やかに会話をされた佳子さまのお姿は、まさに女性皇族としての役割を愛子さまに伝えているようにも見えた。
つまり、次世代の女性皇族へ伝えるべきは伝え、ご公務を全うすることで皇室への敬意と信頼を取り戻そうと考えていらっしゃるように思えるのだ。その上で、未来の天皇となる悠仁さまの将来を、より盤石なものとなるよう佳子さまは奮闘されているのだろう。
そんな“頑張り屋”の佳子さまに、いつの日か頑張らなくても良い、人生で最も幸せな日が訪れて欲しいと願わずにはいられない。
2019年に欧州を公式訪問された佳子さま(写真:AP/アフロ)筆者:つげ のり子
筆者:つげ のり子

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