実の父親による、娘への性的虐待事件が後を絶たない。最近では裁判を起こしたり、顔出しで過去の被害を告発する女性も増えており、実父のやったことがいかに卑劣で、自分がどれだけ苦しんできたかなどを訴えている。
だが、これは氷山の一角に過ぎない。
家庭内における性的虐待は(継父以上に)「実の父親から娘に対して行われる」ケースがもっとも多いというデータがあるからだ。実際、筆者がこれまで取材した被害女性たちの多くもまた「被害当時の自分が幼すぎて明確な証言ができない」「セカンドレイプや家族への二次被害を避けたい」などの理由で口を閉ざしている。
また、泣き寝入りを選んだ女性の中には「母親から口止めをされた」という人も、少なからず存在する。
娘が実の父親から性被害を受けているにもかかわらず、それを隠蔽したり見て見ぬフリをする母親の姿が、被害女性の絶望をさらに深くしていることは想像に難くないが、その理由が保身であるとしたら身勝手極まりない。
そんな「エゴイズムの境地」に陥った母親のために、実の父に身体を許し、妊娠・出産したまで女性がいる。
現在、関東地方の某所でひっそりとひとり暮らしをしている麻耶さん(仮名・23歳)だ。
「私は高校3年生の夏、17歳の時に実の父親の子どもを出産しました。もうすぐ6歳になる男の子です。戸籍上、孫にあたるその子を両親は養子縁組をして育てています」
その子は、戸籍上の姉にあたる麻耶さんが生みの母だとは知らされていない。彼女は訴える――。
「両親は、私が彼を産んだという事実だけではなく、私の存在自体ごと隠蔽しようとしました。それを私自身も『タブーを犯したのだから仕方ない』と納得したつもりでした。だからひとりでずっと苦しんでいました。
でも、実の父親からの性的虐待を訴える女性の姿をニュースで見て、これまで『共犯者』だと考えていた自分が、実は『被害者』であることに気づかされたんです。だったら私が苦しんでいることを誰かに伝えたい。それが私の救いになるんです」
麻耶さんは出産後に家を出て以来、両親とはほぼ没交渉だという。彼女が数奇な運命をたどることになった経緯は、彼女の出自にあった。
「私は西日本にある、いわゆる旧家(きゅうか)と呼ばれる家に生まれました。『家は男子が継ぐもの』という古い考えが当たり前の家でしたので、母は妊娠中に(私が)女児だということがわかっても、言い出せずに黙っていたそうです」
そして麻耶さんが生まれた時、麻耶さんの母親は病院に駆け付けた夫や義両親に対し、出産後間もない身体で『女の子でした。申し訳ありません』と土下座して詫びたという。
「そんな母に、祖父母は『次は男にしてちょうだいね』と言っただけで、母の身体を労わるような言葉はなかったそうです。そういう家なんですよ」
第二子=男児出産というプレッシャーがかかる中、麻耶さんの母親は「二人目不妊」に苦しみ、念願の第二子かつ待望の男児が誕生したのは、麻耶さんが13歳の時だったという。
「それまで『女ひとりしか産めない役立たず』呼ばわりされ、何かとつらく当たられていた母がやっと嫁として認められた瞬間でした。ゲンキンなもので、祖父母は手のひらを返したように『これで我が家は安泰だ!』などと喜び、家の中に急に光が差し込んだようになったのを覚えています」
だが、そんな幸福な日々は長く続かなかった。
「弟が2歳の時に病気で亡くなってしまったんです。半狂乱になった祖父母から『アンタのせいだ!』と理不尽に責められた母は、謝罪の言葉とともに『また産みますから』と繰り返していました」
そうして麻耶さんの母親は、息子の死を悼む間もなく妊活に励んだものの、妊娠できず、それどころか子宮ガンになって子宮を摘出することになってしまったという。
「祖父母に母を心配する素振りはなく『子どもが産めなくなった嫁に用はない』と暗に母に離婚をせまっていました。父もまた実の息子が亡くなったというのに喪に服することもせず、窮地に追い込まれた母を顧みることもなく浮気を繰り返していました。そういう人たちなんです」
針のむしろのような生活の中で麻耶さんの母親は徐々に精神が蝕まれ、自室に引きこもるようになったそうだが、麻耶さんが高校1年の終わりごろ、突然麻耶さんの部屋にやって来ると麻耶さんに向かって信じられない言葉を言い放った。
「あなた、パパの子どもを産んでくれない?」
つづく後編記事「「早く終わってほしい」17歳の時、暗闇のなかで「実の父親」から受けた“おぞましい行為”と、すべてを知る母親から届いた「許しがたいLINE」」では、男系男子に執着した祖父母や両親の異常ともいえる行動と、被害の詳細をリポートする。
「早く終わってほしい」17歳の時、暗闇のなかで「実の父親」から受けた“おぞましい行為”と、すべてを知る母親から届いた「許しがたいLINE」