1998年7月、地域の夏祭りで提供されたカレーを食べた住民67人がヒ素中毒を発症し、このうち4人が亡くなる事件が和歌山市で起きた。
犯人と目された林眞須美に対するメディアの取材は加熱し、報道陣にホースで水をまいた彼女の写真や映像は四半世紀を経た今も、当時を知る人の脳裏に残っている。
林眞須美は一貫して容疑を否認し、無実を訴えてきたが、2009年5月に死刑判決が確定した。それから15年、当時の最高裁判決に異を唱えるのが、二村真弘監督のドキュメンタリー映画『マミー』だ。
死刑囚の長男、夫、地域住民……事件の当事者をはじめ、判決文や訴訟記録をもとに捜査関係者への取材を続ける中、二村監督は彼女を犯人とする直接証拠はなく、死刑判決が状況証拠の積み重ねによって確定したことを知ったという。
冤罪の可能性や、その筋書きはどのようにつくられていくのか。取材と調査を続ける中で聞き知った捜査や裁判、報道のあり方を問う作品について、二村監督に聞いた。(取材・文/塚田恭子)
――取材のきっかけは、林眞須美さんの長男・浩次さん(仮名)のトークライブを聞いたことだったそうですね。
2019年9月にロフトプラスワン(東京・新宿)で開かれたトークライブに、野次馬的な興味から足を運びました。話の大半は死刑囚の息子としての壮絶な人生についてでしたが、トーク後半で浩次さんがこの事件の冤罪の可能性について触れたんです。
家族が口にしていることなので鵜呑みにはできないものの、彼の話は理にかなっていると感じました。
1998年当時、日本映画学校(現・日本映画大学)の学生だった私は、この事件に関心を持ちましたが、思い返すと決定的だったのは、<彼女が夫にもヒ素を盛っていた>という報道です。当時は私自身、そこまでやる人なら(彼女は犯人に)違いないと思ったことを覚えています。
――冤罪かどうかわからないけれど、浩次さんの話を聞いて、事件への興味が再燃したのでしょうか。
トークライブにはテレビ局のドキュメンタリー番組の取材も入っていたので、冤罪の可能性にどう触れるか、放映を待っていましたが、しばらくして番組の放送がなくなったことを知りました。なぜかと思い、浩次さんにコンタクトして尋ねたら「『死刑が確定した事件で冤罪を訴える番組をつくるのは局の方針として難しい』と、上からストップがかかった」とのことでした。
この事件が冤罪かどうか。ネット上では、当時からいろいろな意見や見方がありました。ただ、いずれも事件の関係者に直接取材しているわけではなく、ネット上にある情報を考察して見解を示しているものがほとんどだと思ったので、そうであれば自分なりに取材してみよう、と。もう一つ言えば、制作中だったテレビ番組がコロナ感染症の影響で飛んでしまい、時間ができたことで、取材に集中できたのも大きかったと思います。
――冤罪かわからない中で取材を続けるモチベーションは何だったのでしょうか。
映画化の前にYouTubeで配信したのですが、このとき事件の関係者に話を聞いて、わかったことから順に動画として提示していく方針を決めていました。
私が普段制作しているテレビ番組は結論ありきというか、ひとつの番組内で方向性を示して完結させることが求められます。でも、人に話を聞くと新たにわかることがあるし、その都度、疑問も生じるので、次の取材につながります。
冤罪かどうかわからない中で、ひとつずつ自分が納得できる形で取材できたことが、興味が持続するモチベーションにつながったと感じています。
――当事者の話を直に聞いて知ったこと、その驚きが取材を継続させた、と。
そうですね。最初にインタビューしたのは浩次さんでした。ただ取材当初の浩次さんの、私に対する印象は決して良くなかったと思います。彼が死刑囚の息子として受けてきた取材の話はいろいろ耳に入ってくるけれど、そこはあえて聞かない、感情に流されないようにしようと決めていたので。私にとって浩次さんは、事件当日にガレージにいた林眞須美さんを見た目撃者の一人であり、そこを突き詰められればと考えていました。
――事件の目撃者の一人ですか?
はい。もちろん、(死刑囚の息子という)彼の人生は大変だったとは思いますが、この事件が冤罪かどうかと、そのことは別の要素なので、自分の中ではそこに引っ張られないようにしようという線引きがあって。
一緒にご飯を食べに行ったりもするけれど、どこか無愛想で気を許そうとしない私のことを、彼は「この人は何を考えているかわからない」と感じていたと思います。林健治さんや林眞須美さんの弁護団を取材するときも、そのスタンスは一緒でした。
――監督から見て、浩次さんはどんな人でしたか。
最近になってようやく私が心を開くようになったのですが、普通に冗談も言うし、面白く、とても気の良い青年だと感じています。ただ自分がどう見られているか、すごく気を遣っているのは感じました。
彼自身は事件に関係ないものの、死刑囚の息子として世間から非難されることが多く、そういう世の中の見方があることをよくわかっているから、必要以上に自分を出さないようブレーキをかけているし、自省している……大変だし、息苦しいだろうと思います。
――林眞須美さんの故郷を海から空撮する冒頭シーンやイメージ映像など、映像的な工夫も感じられる作品でした。
最初はテレビでやりたかったのですが、企画が通らなかったので、映画にする前に海外のメディアで発信するのはどうかと考えました。
当時、性被害を受けたと訴えていたジャーナリストの伊藤詩織さんが発表した著書『Black Box』は、BBCがドキュメンタリー番組として報じたことで、逆輸入的に日本でも話題になり、その後の動きにもつながりました。
和歌山毒物カレー事件も、林眞須美さんに対する世間の強烈なイメージがあることで、たとえ取材した事実を並べて冤罪の可能性があると訴えたとしても、誰も取り合ってくれないことは容易に想像できたので、海外からアプローチできないかと。
そうなると、日本のいわゆるテレビ番組的なドキュメンタリーのつくりではなかなか見てもらえないと、リサーチする中でわかってきたので、いろいろな方にアドバイスをもらいつつ、映像的にも海外で受け入れられるものを目指しました。
――取材はどのように進めたのでしょうか。
1000ページに及ぶ一審や、二審、最高裁の判決文、供述調書、林眞須美さんが提起した複数の民事訴訟の資料を読んで、それらに登場する人物にあたっていきました。作品では直接触れていませんが、その過程でおかしいと思ったのが、彼女がヒ素を入れた動機についてです。
検察は初公判の冒頭陳述で、林眞須美さんが事件当日、ガレージで調理していた主婦たちに激高して、カレーにヒ素を混入した「無差別殺人」だと主張しました。けれど、私が直接、話を聞いたその場にいた主婦は、そんな様子はまったくなかったと言います。
たしかに林眞須美さんがガレージに来る前、噂話はしていたけれど、聴こえるような声ではなかったし、彼女の様子はいたって普通で、激高などしていなかった。取り調べでも、そんな話をしていないのに、なかったことが事件の動機にされて、ショックだったと言いました。
――話が捏造されているという。
殺人事件において大切な「動機」を、根拠なく主張していた検察に対して不信感を抱きましたし、初公判翌日の新聞の一面には「激高してヒ素混入」と出ました。最終的に、裁判では事実と認定されませんでしたが、新聞の読者は「彼女が激高してヒ素を入れた」と思ったままです。最高裁を経ても動機は「未解明」という事実は、一般的にほとんど知られていないと思います。
また、映画に登場する目撃者以外にも別の目撃者による証言があって、検察は供述調書も作成していたのですが、(検察側にとって)他の証言と矛盾する点があり、都合が悪いと考えたのか、裁判では証拠として提出されていません。
取材をしていると、いったいどういう捜査をしているのかと思うことが随所に見えたし、検討されるべきことが検討されていない。検察への不信感が膨らんでいきました。
――夫の健治さんは検察官から、「眞須美にヒ素を飲まされ、殺されかかった、早く死刑にしてくれと裁判所で証言してほしい」と頼まれた話をある集会でしています。
健治さんの言葉も、できる限り検証しようといろいろ聞きました。彼の話も鵜呑みにしていませんけど、調べていくとその話が正しいことがわかってきました。
――資料を読み、人に話を聞き、いろいろな角度から検証する中で、冤罪の可能性が高いという思いに至ったのでしょうか。
そうですね。カレー鍋に混入されていた毒物がヒ素とわかったあと、1998年8月25日の朝日新聞の「事件前にもヒ素中毒」という記事で、一気に林夫婦に疑惑が寄せられ、10月4日の逮捕へと至ります。
その時点での容疑は保険金詐欺および保険金詐欺を目的とした殺人未遂で、家宅捜索はおこなわれていません。カレー事件との関係を示す証拠は何も出ていないにも関わらず、報道によって「これも彼女がやったんだろう」という流れがつくられていきます。
当時の取材者は、最前線の現場で警察からの情報や、取材で判明したことを次々“処理”していると思うので、すべてを精査するのは難しかったことはわかりますが、やはりターニングポイントはあそこです。あの新聞報道から始まるマスメディアによる一連の報道によって、世間は彼女が犯人だと一気に傾いていったと思います。
――その保険金詐欺について、健治さんは話しています。このシーンによって、世間が保険金詐欺とカレー事件を結びつけることは懸念されませんでしたか。
保険金詐欺をしてさんざん好き勝手してきたんだから、たとえカレー事件が冤罪だとしても自業自得、犯人とされてもやむを得ないという意見を持つ人は今もいるでしょう。実際、そういう感想を述べる方もいました。でも、当たり前の話ですが、そこは分けて考えるべきことです。
――林眞須美さんからの手紙も随所で引用していますね。
基本的に残っている手紙はご家族から借りてすべて読みました。浩次さんがX(Twitter)で「和歌山カレー事件 林 長男」と名乗って以降、眞須美さんは手紙の宛名を本名から「長男君へ」と変えています。浩次さんが取材を受けたり、Xにポストすることを見越してと思われ、そうすれば加工せずに出せると考えたのでしょう。
浩次さんがこの映画のことを伝えて以降、文末に「マミーより」と書き添えるようになり、手紙が人に見られることを前提に書かれていますよね。
私は林眞須美さんに会ったことはありませんが、こうしたエピソードからも大変ユーモアがあり、浩次さんが語っていた姿とも一致するように思いました。
――事件当日のシーンなど、イメージ映像はどんな意図で入れたのでしょうか。
イメージ映像については見やすくするため、ということに尽きます。この事件をあまり知らない、あるいはドキュメンタリーに関心がない、見慣れない人にとっては消化しづらい複雑な内容でもあるので、できるだけ見やすくしたいと思いました。浩次さんの子ども時代の様子は証言をもとにした再現ですが、その辺りも含めてうまく伝わればいいと思います。
――映画を見ると、監督が相当な人数にあたったことがわかりますが、どのくらい捜査関係者や地元住民へ取材を依頼したのでしょうか。
(事件があった)園部の住民へはほぼ全軒、手紙を出させてもらいました。捜査関係者については、事件の捜査概要を記した警察内部の資料が残っていて、そこに捜査の担当者名がリスト化されているので、やはりまずは手紙を出しました。
――事件取材は初めてとは思えない調査報道をされていますね。
勝手がわからないので、とにかくあたれる人にはあたろう、と。『正義の行方』(*)のように、事件当時捜査員だった方が、時期的に退官・退職されていることも想像できたので、そろそろ話してもいいという人がいればいいと思っていました。
長年、事件取材に関わってきた記者の中には、私の行動が理解できないと感じた人もいたようです。たとえば被害者の会の方で毎年、事件があった日に献花をされる人がいるのですが、私が初めて取材に訪れたとき、こんなことがありました。
献花を終えて囲みのインタビューが始まって、記者の人たちが「どんなお気持ちで献花をされていますか」「(被害に遭った)娘さんの様子は?」「今後も献花を続けられますか」と聞く中で、私は「林眞須美死刑囚は今も再審開始を訴えていますが、被害者の会としてはどのように考えていますか?」と質問しました。
その方はご自分の考えをしっかり語ってくれたのですが、後からその場にいた記者が「あの場で冤罪について聞くなんてもってのほか。あんな失礼な奴はいない」と話していたと聞きました。
――空気を読め、ということでしょうか。
私は被害者の会の方の行為を尊重したうえで、自分がやるべきことをやっているし、その方も自分の意見を話してくれています。そのどこが失礼なのか。戸惑うと同時に、この事件に対するメディアのスタンスを知る良い経験になりました。
――動機が未解明のまま状況証拠の積み重ねだけで死刑判決が出ている。二村さんが作品を通して問いたいのはその点でしょうか。
そうですね。再審請求の過程や、林眞須美さんや弁護団による民事訴訟でわかってきたことによれば、当時の科学鑑定の裁判での認定などに問題があったことは間違いありません。私自身、科学鑑定に関して専門的な知識がないので、検証できることに限りがあります。願わくば、他の科学者の意見を聞いてみたいですね。
報道機関も同じです。私が現場で知り合った若い記者の中には「カレー事件の冤罪の可能性について、またこれまでの裁判について問題提起する記事を書いても、上司が認めてくれない」と嘆いている人もいます。林眞須美さんを死刑台に送り込もうとしていた上司らがそうした記事を認めることは、自分たちを否定することになってしまうからだと想像します。でも、報道機関には過去の映像や当時、取材した証言などもあるわけですから、ぜひ各メディアが再検証してほしいと思います。
(*)『正義の行方』……1992年福岡県飯塚市で女児2名が殺害された「飯塚事件」。死刑執行後も冤罪を訴え、再審請求が提起された事件について、警察・弁護団・報道と立場の異なる3者の視点から多面的に描いたドキュメンタリー。
【プロフィール】にむら・まさひろ/1978年愛知県生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業後、2001年にドキュメンタリージャパンに参加。現在はフリーランスでTV番組の制作を手掛ける。近作にセルフドキュメンタリー『不登校がやってきた』など。YouTubeに立ち上げたdigTVで、マスメディアが取り上げないテーマを取材・発信している。