埼玉県川口市内の救急指定病院――川口市立医療センター前で、約100人のクルド人による乱闘騒ぎが起きたのは、7月4日夜のことだった。病院の機能は5時間半にわたり停止し、県警の機動隊が出動するほどの騒ぎとなった。
「騒動のきっかけは、クルド人同士の男女関係のもつれだとされています。2名のクルド人が重傷を負い、救急搬送。暴行、公務執行妨害、殺人未遂容疑などで7名の逮捕者も出ています。
川口市周辺では、クルド人による騒音問題、公共の場での迷惑行為などがかねて問題となっていて、地域住民の不満が募っていました。今回の騒動で、彼らに対する世間の目は厳しくなり、排斥を訴える声まで出始めています」(全国紙社会部記者)
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クルド人は「国を持たない世界最大の民族」と呼ばれ、多くはトルコ、イラン、シリアなどにまたがる中東の山岳地帯に暮らしている。全世界に約3000万人いると推定され、そのほとんどがイスラム教徒だ。
各国に散らばるクルド人の多くが差別の対象となっており、独立国家「クルディスタン」樹立を目指した民族運動が現在も盛んに行われている。アジア経済研究所中東研究グループ主席研究員の間寧氏が解説する。
「クルドの国を作るという考え方が出てきたのは、西洋のナショナリズムの波及もあり、19世紀末のことでした。当時、クルド人が住んでいた各地域は、諸部族を束ねる地方領主が割拠していて、オスマン帝国やイラン系王朝の支配に服していました。ナショナリズムの波及もあって、民族運動こそありましたが、統一に至るような運動にはなりませんでした。
そして第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北し、勝利国のイギリス、フランス、ロシアが国土を分割しようとした。直接支配ではなく、各国が息のかかった国を作ろうとしたというわけです。
その結果、クルド人たちが元々住んでいた領域は3つに分割され、その一部である中央あたりの地域、クルドのための独立国を作っていいですよとなった。
ところがその後、トルコ革命でオスマン帝国をトルコ共和国が倒すと、1923年に新たな講和条約としてローザンヌ条約が締結され、トルコの国土が回復し、同時にクルディスタンの独立の約束自体が白紙になってしまい、今にまで続く問題となってしまったのです」
日本には少なくとも2000人以上のクルド人がいるとされている。ただ、観光ビザで入国した不法滞在者もいるため正確な数は行政も把握できてない。また、2月に起きたトルコ地震で被災し、住居を失ったクルド人が日本へ渡ってきているので、今後も人口は増え続けると見られている。
そんな在日クルド人のほとんどが暮らしているのが、川口市とそれに隣接する蕨市だ。
’90年代から急激に人口が増え、川口、蕨市内にクルド人コミュニティが生まれた。一帯はペルシャ語で「~人の国」を意味する言葉「スタン」と掛け合わせ、「ワラビスタン」と呼ばれる。
なぜ彼らは、遠く離れた東洋の島国へとやってきたのか。そして、なぜ川口市や蕨市だったのか。その答えを探るべく取材を続けていると、クルド人コミュニティに繋がりを持つ市役所職員から驚きの情報が入った。
蕨に国内のクルド人をまとめる「ビッグボス」がいる――。
その正体とは、身一つで日本にやってきた人物で、ワラビスタン周辺に多くの会社を興し、一代で財を成したという。
そして、様々な事情を抱えて日本へやってきたクルド人を雇用し、生活を支えている。曰く、「日本で暮らすほとんどのクルド人が彼の世話になった」と――。
「ビッグボス」と呼ばれるその男は、いまクルド人に向けられる冷ややかな視線に何を思うのか。
8月中旬、本誌記者はわずかな情報を頼りに、JR京浜東北線の蕨駅に降り立った。
午後6時過ぎのJR蕨駅東口。うだるような暑さの中、駅前広場では日本人女性による街頭ライブが開かれていた。
小柄な女性はギターを弾きながらセンチメンタルな歌詞を掠れ気味の声で歌っている。熱心なファンなのか、わずかな距離からは汗みどろの男性たちが熱心に視線を送っている。
女性は身体を折り曲げるような体勢で切ない恋の歌を懸命に歌いながら、時に中空に手を差し伸べている。その先に立つのは、国際色豊かな男性たち。リズムに合わせて身体を揺すっている日本人以外にも、アジア系、そして中東系の風貌を持った男性たちが無表情のまま、彼女を食い入るように見つめていた。
前編記事ではクルド人を率いるビッグボスの存在について解説した。つづく後編記事『都心では見たことない「意外な光景」が…埼玉県川口市や蕨市に移り住んできた「ワラビスタン」たちの「リアル」』では、クルド人を取り巻く環境について紹介する。