9月20日から裁判員裁判が始まった、岡山県で起きた母親による知的障害のある息子の殺害事件。裁判が進んでいくと、そこには誰にも頼れず、夫のDVから逃げられず絶望の末、息子とともに命を絶とうとした母親の姿が浮き彫りになった――。
「唯一無二の存在。何にも代えがたい宝です」
息子の存在について、母親はそう答えた。だが、母親はその手で愛する息子を殺害した――。
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事件が起きたのは2022年6月7日のこと。
岡山県和気町に住む藤井典子被告(36歳)は、重度の知的障害があった長男の蒼天(そうた)くん(当時8歳)の首をタオルで絞めて殺害した殺人の罪などに問われていた。裁判員裁判は2023年9月20日から始まり、25日に結審。
検察側は、典子被告が息子に対して何度も「ごめんね」などと謝罪の言葉を語っていたことを指摘。「違法性を認識していて、責任能力があった。殺害がやむを得なかった事情はない」とし、懲役8年を求刑した。
一方の弁護側は、被告が夫から受けた極度のストレスなどが原因で心身耗弱状態だった点を強調。突発的な犯行で、違法性を認識していたかは極めて疑わしいとして、執行猶予付きの判決が妥当だと主張した。
裁判が進むにつれ明らかになったのは、事件に背後には蒼天くんの父親、つまり典子被告の夫によるDVがあったことだ。被告は夫から追い詰められ、深い絶望の淵にいた状況が見えてきたのだ。
「息子には重度の障害があり、夫はそれを受け入れられず、典子被告が主に育児を担っていたそうです。夫は典子被告に離婚を迫り、家を追い出されたことで自殺を決意。息子を一人残せないと心中を図ったとされています」(全国紙司法担当記者)
21日に行われた被告人質問では、生活ぶりの一端が明るみとなった。
「夫は育児に協力的ではなく、2歳以降、子育ての協力はなかった」
典子被告は涙ながらにこう話していた。
「心から相談できる人はいなかったとも述べており、周囲から孤立していたとみられます。また、公判中、典子被告の言葉の端々からは、夫からなんらかのDVを受けていたこともうかがえました」(前出の全国紙司法担当記者)
弁護側の被告人質問で「自殺を決意した理由」を問われると、典子被告は次のように述べていた。
「息子を施設に入れるとしても月20、30万円稼がないといけないと父に言われた。もうどうしていいのかわからなかった」(典子被告)
典子被告はパート勤務。蒼天くんを施設に預けるにしても費用がかかる。いくらボランティアや行政の支援や家族の協力があったとしても、仕事をしながらシングルマザーとして、ワンオペで育児をするのは厳しいものがある。
そして典子被告の口から語られたのは、夫から執拗な「性的DV」があったことだった。
「ボロボロになりながらも不妊治療を続け、5人の子どもを失った(1人目から5人目までは流産、または死産)。そのたびに悲しんで弔う時間もなく、夫に『早く子どもをつくれ』『妊娠しろ』と言われた。死んで楽になりたい。失った(5人の)子どものところに行きたい、(亡くなった)大好きなおじいちゃんに会いたいと思った」(典子被告)
子どもを授かることのできない典子被告に対して、夫は理不尽な暴言や暴力を浴びせるようになった。
「公判の中で、典子被告は夫から『周りの友人はみんな子どもがいるのに、俺はいつになったら自分の子どもを抱けるんだ』『お前と結婚した俺は不幸だ』『障害者なんか産んだら許さんけえよ』などと、心ない言葉を日常的にかけられたと証言しています」(前出の全国紙司法担当記者)
そんな夫と典子被告の馴れ初めは、2人の幼稚園時代にまでさかのぼる。家も近く、幼なじみの二人の交際は高校時代から始まり、21歳で結婚したという。蒼天くんは不妊治療を続けた末に授かった、6番目の子どもだったのだ。
流産と死産を繰り返し、夫からの暴言と暴力は止まらない――誰にも“相談しなかった”ではなく、“相談できなかった”のではないだろうか。
「推測ですが、家のことを外で話せば夫が怒るなど、ひどい目に遭うことから、典子被告は誰にも何も言えなかったのかもしれません。DVを行う夫の特徴として、妻を周囲から孤立させるケースは少なくありません。
夫は子育てだけではなく、家事にも協力的ではなかったと思います。精神的、身体的、性的……もしかしたら経済的なDVもあったかもしれない。典子被告は夫に支配されて苦しめられていた可能性は非常に高い」(DV問題に詳しい週刊誌記者)
家事と仕事、そして息子の育児でヘトヘトになっているところに、不妊治療。夜になれば夫からも性行為を迫られていたことだろう。
だが、それを拒否することはできないほどに、典子被告は夫に“支配”されてしまっていたのではないか。そんな彼女が夫から家を追い出されたのは、事件直前の2022年5月20日のことだった。
「深夜に典子被告が自宅でスマホゲームに熱中していたことから夫と口論になり、離婚を切り出されたと言います。その2日後に自宅から追い出され、息子を連れて実家に帰った」(前出の全国紙司法担当記者)
だが、典子被告は夫と別れたかったわけではない。
「『ごめんなさい。別れたくないです。家に帰っちゃダメですか』などといったメッセージや電話を何度もするも、夫はすべて無視。事件前日、被告が息子とともに自宅に戻ろうとしたところ、夫から『明日の朝、荷物を玄関先に出しておきます。処分してください』などというメッセージが届いたそうです。
それを読んで典子被告は『二度と帰ってくるな』と言われたように感じ、深い絶望に襲われたと言います」(前同)
「荷物」は、家族が幸せだったころの数々の思い出の品だった。2人の結婚式の写真だったり、長男の工作だったり……。
夫の意志は“家族との訣別”だった。
その時、追い出されてもなお抱いていた典子被告の夫への愛情は、怒りへと変わり、「夫に責任を感じさせたい」と息子とともに命を絶つまでに至った――。
だが結果、最愛の息子は命を落とした一方で、典子被告は生き残り、殺人の罪に問われた。
この悲劇の原因となったのは、夫の言動だ。だが、直接犯罪行為に加担しているわけではないため、なんの罪に問われることはない。典子被告が望んだ「責任」すら感じていないかもしれない。
後編記事『流産・死産5回の果てに…「非情な夫」に捨てられた、障害のある息子と妻の「悲劇」』では、事件の背景についてさらに深掘りしていく。