大型の消しゴムに埋め込まれたアップルウォッチのディスプレイに表示されているのは、マークシートに記入する数字――「答え」である。ボタンをひと押しすると、画面は消しゴムのデザインと同化する画像へと早変わりし、ディスプレイはほとんど目立たなくなった。
これは、中国のとある業者から送られてきた「カンニングサポート動画」だ。
中国のチャットアプリ「WeChat」に存在する日本在住者のコミュニティ内では、今年5月ごろから、「保満分(バオマンフェン)(満点保証の意味)」と書かれた投稿が散見されるようになった。決まって添えられているのが「JLPT」の文字。これは、直近では7月2日に実施された「日本語能力試験」の略称だ。投稿のひとつに、受験者に扮した筆者がメッセージを送ったところ、以下のような返信があった。
〈試験当日、試験中にSMSで全問の正答を送信する。料金は30万円。15万円を試験日3日前まで、残りは試験後3日以内に支払ってもらう〉
解答の受信方法として示されたのが、冒頭の動画だ。「新手の詐欺ではないのか」。この時、筆者はそう思っていた。
ところが試験当日、日本語能力試験の最上級レベル「N1」の読解問題の試験時間中に、その全問の正答とされる番号がWeChatコミュニティ内で複数共有された。そのなかには、筆者がやり取りした業者が投稿したものが確かにあった――。業者が顧客獲得のため、自らの実力をアピールしているのだろうか。
これは「いち民間試験での瑣末(さまつ)な話」ではない。日本語能力試験におけるカンニング問題は、我々日本人にとって他人事と言えない。N1の合格は、「高度人材ポイント制」の加点対象であるというのがその理由だ。
同制度は、学歴や職歴など申請者のバックグラウンドを加点対象とする。70点を超えた外国人には、高度人材として5年間の在留資格が与えられるほか、配偶者の就労が可能になり、3年後に永住許可の申請ができるなど数々の優遇措置が得られるのだ。
高度人材ポイント制ではN1の合格者に15点が加点される。
たとえば、母国で大学卒業(10点)してから自営業者として10年間働いた(25点)後、日本に資本金500万円以上の会社を設立して代表取締役に就任(10点)した34歳(10点)の外国人がいたとする。ポイント制によれば得点は55点となり、高度人材とはみなされない。ところが、N1の合格者となればここに15点が加算され、高度人材として前述の諸々の優遇措置を受けられるのだ。この15点の価格が30万円だとしたら、人によっては安い買い物だろう。
試験当日の不正対策も、お粗末なものだった。東大駒場キャンパスでN1の試験を受けた中国人女性が明かす。
「試験が終わるまで、持ち物検査などは一切なかった。スマートフォンやスマートウォッチは電源を切ってカバンにしまうよう言われたが、実際にそうするかは本人に任されていました。私が試験を受けた教室には50人ほどの受験者がいたが試験官は3人。中国の高考(カオカオ)(大学入学統一試験)の半分以下でした」
中国のSNSには、問題用紙を配布しようとする試験官をスマホ等で捉えた写真が、複数の投稿者によりアップされていた。消しゴムに忍ばせたアップルウォッチの持ち込みなど朝飯前だろう。
試験の運営側はこの実態を把握しているのか。日本語能力試験を国内で実施している公益財団法人日本国際教育支援協会に質(ただ)したが、「その件については一切回答できない」(協会広報担当者)との返答だった。
不正への罰則も十分でないと語るのは加藤博太郎弁護士だ。
「カンニングが在留資格の不正取得を目的としたものと判断されれば、受験者と業者は入管法の『在留資格等不正取得罪』と『営利目的在留資格等不正取得助長罪』に問われる可能性があります。しかし実際には、『3年以下の懲役又は50万円以下の罰金』の偽計業務妨害罪が適用され、判例からして略式起訴や執行猶予となることも多いのです」(加藤氏)
現在、日本の高度外国人材は1万5735人おり、うち65%が中国人だ。日本が受け入れる高度人材はホンモノなのか。正しい審査が望まれる。
『FRIDAY』2023年8月4日号より
取材・文:奥窪優木(ジャーナリスト)