こんにちは。伝説のレディース暴走族雑誌『ティーンズロード』3代目編集長をやっていた倉科典仁と申します。ティーンズロードは1989年に創刊され、90年代には社会現象に。現在は休刊となっておりますが、そんな本誌に10年以上携わっていました。◆暴走族の取材は「命がけ」
30年以上前、月刊誌として発刊されていた頃、編集部の主な仕事は全国各地の暴走族を取材・撮影することでした。多い時には、月2~3回は飛行機に乗っていましたね。本物の「暴走族」の取材に行くわけですから、現場でのハプニングは日常茶飯事……というか、何度も怖い目にあっています。
いま振り返ってみれば、笑える部分もありますが、ある意味「命がけの取材」と言っても過言ではなかったと思います。今回は、当時の撮影現場で起きた「ゾッとする」ようなエピソードをお話しましょう。
◆撮影中に「モンスター先輩」乱入!
その日は、都内近郊の有名暴走族チームの撮影でした。チームの人数は40~50名ほどで単車も20~30台は集まっているということだったので、当時の編集長と私、カメラマンの3人で納車したばかりの私の車に乗って現場へ向かいました。
撮影現場は都営住宅が密集する団地に隣接した木々が生い茂る公園の駐車場。我々が到着すると、すでにほとんどのメンバーが集まっていました。
私はすぐさま頭(総長)の子と話をして、単車をきれいに並べてもらい、1台1台写真を撮り始めました。しばらくすると、遠くの方からやたらに大きい爆音を立てて1台の車が暴走してくるのです(確か車種はクラウンだったと記憶しています)。
その車が見えてきた瞬間、暴走族のメンバーがこう叫びます。
「やべぇ! モンスター先輩だ!」
すると、それまでのインタビューでは「喧嘩上等いつでもこいや~!」と言っていたはずの屈強な漢たちが、蜘蛛の子を散らすように猛ダッシュで逃げていったのです。
取材班は当然、意味も分からずに棒立ち状態でした。
◆「編集部の方々はいったん避難してください」
ただ、彼らがそこまでコワがる人物がこちらに向かってきているということは、相当まずい状態であることは間違いありません。チームの総長と何人かの幹部が「俺たちはツラが割れているんで逃げると殺されかねないのでここに残りますが、編集部の方々はいったん避難してください!」と言います。
私たちにも命の危険が迫っているということなので、素直に「はい!わかりました!」と一心不乱に逃げたのです。建物の影から先程の撮影現場を覗いてみると、なんとおぞましい光景が……。
◆おぞましい光景にゾッ…
「テメ~ら、なにオレに黙って撮影やってんだコラぁ~~!」
先ほどの「モンスター先輩」が鉄パイプを両手に持ち、その場に残ったチームの幹部メンバーたちを殴ったり蹴ったりしはじめたのです。「ボコッ!ボコッ!」という鈍い音があまりにもリアルで、今でも記憶に残っています。
余談ですが、彼らの暴行現場には納車したばかりの私の車があり、「もしも壊されたらどうしよう」というのが、いちばんコワかったかもしれません(苦笑)。
モンスター先輩が「オメ~ら、わかったかコラ!」と叫びます。
総長以下の数人の幹部たちが「押忍!すいませんでした!」と返事をした後、モンスター先輩は爆音とともに去っていきました。
◆自分を犠牲にして仲間たちと編集部を守った総長
我々が戻ると、総長たちが「迷惑かけてすいませんでした」と言って苦笑いします。
私は“この人の根性半端ないな~”と感心しながらも、改めて“暴走族の総長の責任”の重さを目の当たりにしました。
それから撮影を再開したわけですが、もしもあのときに総長が「編集部の方々はいったん避難してください」と言ってくれなかったら……モンスター先輩に取材班が捕まっていたら……思い出すだけで震えてきます。
読者の皆さん、雑誌の編集者って大変でしょ?(こんなに危険な思いをする雑誌はなかなかありませんけどね……)
ということで、暴走族は、決して肯定できる集団ではありませんが、自分を犠牲にしてもチームのメンバーや編集部のスタッフを守ってくれた総長には今でも感謝しておりますね。 <文/倉科典仁(大洋図書)>
―[ヤンキーの流儀 ~知られざる「女性暴走族」の世界~]―