かつては人気職種としてもてはやされていた学校教員。小中高の公立学校の採用倍率はピーク時の2000年度には13.3倍だったが、2022年度は3.7倍に急落している。 過去最低だった1991年度と同じ倍率だが、当時はバブル期で学生の多くが民間企業に流れていた時代。一方、現在は当時と違って教員の高齢化や少子化による出願者の減少もあり、状況は当時よりも厳しい。今後のさらなる倍率の低下は避けられない見通しだ。
◆膨大な仕事をこなすため、朝7時には出勤
「私は公立ではなく私立ですけど、それでも雇用や収入の安定性は魅力的に感じました。それで教師になったのですが、選択を誤ったと今では後悔しています(苦笑)」
そう話すのは、28歳のときに機械メーカーの営業マンから転職した畑田隆司さん(仮名・37歳)。大学時代、採用試験に落ちて一度は夢破れたが諦めきれずに27歳のときに再び採用試験に挑戦。公立は不採用ながら現在の私立高校に採用となり、今年で10年目を迎える。ただし、仕事は思っていたよりも遥かに大変だったという。
「まず勤務時間はサラリーマン時代よりもずっと多いです。一応、8時までに出勤することになっていますが、溜まった報告書の作成など事務仕事をするため、いつも大体7時過ぎには学校に来ています。おかげで平日は妻や子供と一緒に朝食を取ることもできません」
◆まとまった休みも取ることができない
放課後は大学受験対策の課外授業を行い、その後は事務作業の続きや職員会議、部活の顧問などの仕事に追われ、帰宅は夜8~9時。しかも、自宅でも授業に使うプリントや小テストの作成をしなければならず、1時間半程度はパソコンと向かい合っているとか。
「就寝は深夜1時過ぎで平均4時間睡眠です。おまけに土曜日も午前中は授業で原則週休1日。夏休みと冬休みも課外授業がありますし、部活にも顔を出さなきゃいけない。そこまでまとまった休みも取ることができないんです」
◆甲子園の応援にも駆り出される始末
ちなみに勤務先の高校は進学にも力を入れているが、地元ではスポーツ強豪校として有名。野球部は甲子園に出場したこともある。
「その場合は生徒も教師も現地で応援です。選手たちには頑張ってほしいという気持ちはありましたが、一方で県大会で負けてほしいと思っていたことは否定しません。
夏の甲子園に出場した時は、貴重な夏休みがほとんど潰れてしまったからです。生徒の中には『予定があったのに……』と文句を言ってる連中もいましたが、こっちこそグチりたい気分でしたよ(苦笑)」
◆運動部の顧問が次々と離婚
それでも畑田さんは文化部の顧問。日曜は部活は休みで練習試合もないため、「運動部の顧問の先生方に比べればまだマシ」と話す。
「実際、運動部の顧問やコーチを務めていた先生方で離婚したのは知っているだけで3人。家や子供のことも全部奥さん任せになってしまい、愛想を尽かされたようです。正直、他人事には全然思えませんし、明日は我が身ですよ」
それでもクラス担任を務めている間は、担任を外れている間よりも仕事量はまだ少ないそうだ。
「私のところは基本的に担任を3年間務めた後、2年間外れるローテーションになっています。でも、その間にPTAやOB会の顧問、修学旅行の旅行会社との事前交渉、生徒指導部などを分担して担当するのですが、なかでも特に大変なのが入学案内の担当です」
学校説明会や各地で開催される私学フェアは土日に行われることが多く、当然ながら休日返上。とはいえ、平日は授業を抱えているので代休を取ることも難しい。

◆赴任1年目で辞める教師も…
「コロナの影響で20~22年度は中止していましたが、今年度から再開。なにせ公立は授業料無償ですし、少子化の影響で生徒を確保するのは年々難しくなってる。前の会社では営業マンだったんですけど、今のほうがよっぽどキツいですよ。来年度から担任を外れるため、入学案内の担当だけはならないように祈ってます」
そんな職場環境ゆえに赴任1年目で辞めてしまう者も。数年前には同じ教科の新人教師が適応障害で休業。畑田さんらほか教師たちで分担して授業を引き継いたが当時は入学案内の担当も務めており、「円形脱毛症ができるし、過労で体重が半年で7キロも減った」と当時を振り返る。
「私立だからもう少しラクだと思っていましたが、ここまでハードモードとは完全に想定外。教師の仕事にやりがいは感じますが、犠牲にするものがあまりに多いので……」
やりがいや憧れだけではどうにもならない厳しい現実があるのだ。
<TEXT/トシタカマサ>