「死んだ父がいる」
【写真】この記事の写真を見る(2枚) ライターの伊藤聡さんは、コロナ禍によるテレワークが続く中、久しぶりに乗った電車の窓に生前の父の姿を発見した。しかしそれは心霊現象などではなく、加齢と不摂生により変わってしまった自らの姿だったという。 ここでは、その出来事をきっかけにアラフィフの伊藤さんが「美容沼」にハマった体験を綴る『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』(平凡社)より一部を抜粋。果たして、初めて訪れたスキンケア製品売り場で、お目当ての商品は買えるのか–。(全2回の1回目/2回目を読む)

◆◆◆肌について話し合ったことがない 容姿を変える方法として、これまでに多少なりとも経験があり、最初に思いついたのはスキンケアだった。サプリメントも考えられるが、時間がかかりそうな気がした。ドラッグストアなら、スキンケア製品がたくさんあるだろう。これから肌の手入れをがんばり、そこに定期的なジム通いをつけくわえれば……。きっといける。半年後の新しい私が見えた気がした。 私が普段おこなっている肌のケアは、非常に簡素なものだった。私は一日に一度、ひげ剃り後に無印良品で買った化粧水をつけていたが、それはスキンケアというよりは、カミソリ負けした肌のひりつきを抑えるための処置だった。 女性にはなかなか伝わりにくいが、毎日ひげを剃るというのは肌にとってかなりの負担なのだ。ひげを剃った後の肌は、赤らんでひりひりと痛い。いわば毎日、顔にかんなをかけ続けているようなものだ。他の男性は、あの痛みをどうしているのだろうか。平気だという人もいるが、私には苦痛でしかたなかった。AFLO これまで私は、男性同士でお互いの肌の状態について話し合ったことがなかった。これも考えてみれば奇妙な話だ。ひげ剃りはこれほど日常的な行為なのに、肌のメンテナンスについて男性同士で語り合うのはどこか不適切で、話題としてふさわしくないように思えてくるのだ。そのため「吉野家と松屋のどちらが好きか」については熱く語れても、肌をすこやかに保つ方法について語った経験はまったくなかった。 ひげ剃り後に使用する、男性用アフターシェーブローションと呼ばれる製品もあり、使っていた時期もあったが、つけるとスースーするものが多く、肌を落ち着かせるという目的からすればいまひとつだった。むしろ肌を刺激してしまうような感覚がある。しかし実際には、洗顔料、シャンプー、ボディソープなど、男性が使う製品の多くにはスースー成分が含まれている。目的はわからない。男性はことあるごとにスースーさせられているのだが、何か理由があるのだろうか。 アフターシェーブローションと比較しても、スースーがないぶん、化粧水の方がひりつきを緩和できる感覚があった。しばらくして、乳液の方がより痛みを抑えてくれると気づいてからは、乳液だけをつけたりもしていた。私にとって、化粧水や乳液はどちらかといえば痛み止めに近いものだった。女性が持っているポーチに憧れる スキンケアをしてみようか。そう考えると少し照れくさかったが、楽しみな気持ちも同じくらいあった。私は以前から、女性用の化粧品や身の回り品に対して、淡い憧れのようなものを抱いていたと思う。デパートの一階にあるきらびやかな化粧品売り場はステキだなと思っていたし、女性がかばんのなかに入れて持ち歩く小さなポーチが好きだった。 ポーチのなかに入っている色とりどりのメイク道具を見せてもらったとき、自分からは遠い世界のように思えてまぶしかった。あんなポーチがいつも手元にある人生は、どんな感じなんだろうか。ハンドクリームをこまめに取り出してさっと手に塗る習慣もいいし、雨の日に履くかわいいデザインの長靴も真似したいと思っていた。 映画を見ていて目を惹かれるのも、女性の衣装が多かった。『007』や『ミッション・インポッシブル』の主人公が着るスーツや革靴は渋くて好きだったが、スクリーンに映えるのは、断然きらびやかな女性の衣装だ。どうしてこんな色を着れるのだろうか、と不思議になるようなカラフルな服装を、ごく自然に着こなしているのも目に楽しい。 私はそのような美しさと無縁の人生をすごしていた。 ポーチの代わりに私のかばんに入っているのは、いま読んでいる本と、読み終わったとき用の次の本、急に気が変わって違うジャンルが読みたくなったときの予備本の3冊だった。なんで3冊も持ち歩いてるんだと思われるだろうが、手元に本が3冊ないと外へ出たくないという種類の病気なのだ。私はコスメポーチの代わりに大量の本を運搬している人間であった。かばんが重い。小ぶりなポーチやカラフルな服は自分とはあまりにも縁のない世界に思えて、買うという選択肢が思いつかなかった。ドラッグストアでスキンケア用品を探すが… さて、容姿に変化をもたらすにはどうすればいいものか。ひげ剃り後の化粧水、という現在のケアをより発展させる必要があるはずだ。ドラッグストアへ行けばきっと何かが見つかる。普段、ドラッグストアで買っているものは多い。目薬、頭痛薬、歯磨き粉や歯ブラシ、ゴミ袋、洗剤、消臭剤、トイレットペーパーやティッシュペーパー。生活必需品を調達するため、週に一度くらいは寄っている気がする。しかし、コスメ・スキンケア用品が並ぶエリアにだけは足を踏み入れたことがなかった。これまでの自分には無関係な場所だった。 店によっては2階で販売されている、肌のお手入れに関する製品をじっくり眺める機会などもちろんない。頻繁に訪れている店でも、見たことのない棚、何が置いてあるのか知らないコーナーがあるものだとあらためて思う。身近だと思っていた場所にも、実はよく知らない領域、注意を向けていない部分がある。店に入り、きっとあのあたりだと移動してみると、コスメ・スキンケア用品の売り場が見えてきた。棚を眺めている女性が複数いる。他の商品が置いてある場所より、ぐっと明るく華やいで感じられる。 恥ずかしい。 ほとんど反射的に足が止まる。あのエリアに行っていいものか、という逡巡が生じた。この恥ずかしさは何なのか。誰かに笑われたり、注意されたりしたときに感じる種類の恥ずかしさが一気にこみ上げてくる。商品を探す勇気が出ず、店内を意味もなくウロウロしてしまう。これでは不審者だ。なぜ恥ずかしく感じるのか、自分でもよくわからない。 いま使っている化粧水や乳液は無印良品の製品だが、考えてみれば、無印良品の店舗は男性でも入りやすく、買いやすい雰囲気があったし、容器のデザインもシンプルそのもので、さほど恥ずかしさを感じずに探すことができた。これまで私が無印良品を使っていたのも、その障壁の低さゆえだったのではないか。一方、ドラッグストアのスキンケアコーナーはとても華やかで、邪悪なものの侵入を排除する結界のように中年男性の侵入を拒んでいた。少なくとも、私にはそう見えた。 しかし、ここであきらめてはいけない。私は変わると決めたのだ。他の女性客が離れたのを見て、私はそっと無人のコスメ・スキンケア売り場へ移動した。ひとまずどのような商品があるのか、雰囲気をつかんだ上で、よさそうなモノを買ってみよう。肌を手入れする製品を買うのに、これほど決心がいるとは思わなかった。カオスの真っ只中へ 初めて訪れたスキンケア製品売り場は、予想よりもわかりにくかった。どれが何の製品なのか、まったく見当がつかない。当初私は、売り場は「化粧水コーナー」「乳液コーナー」といった分類がされており、各社の化粧水、乳液がまとめてひとつの場所に並んでいるものだと思っていた。比較して買うなら、製品ジャンルごとに分けるのがもっともシンプルだ。しかし、いま見ている棚はあきらかにそのようには並んでいない。これはどういう並べ方なのか。何だか雰囲気で適当に置いたようにも見える。 たとえばCDショップでビートルズを探すなら、ロック・ポップスのコーナーへ行ってBの棚を見る。これは非常にわかりやすい。しかし、ドラッグストアに化粧水のコーナーはないし、メーカー名の順に並んでもいない。私は「化粧水のコーナーでSの棚を探せば、資生堂の化粧水が買える」と思っていたが、そうではないのだ。私が過去に、レコード店、CDショップで培ってきたDIGのテクニックがここでは通用しない。これまでの知識では太刀打ちできない場所に来てしまったと思った。 しばらく観察し、どうやら製品はメーカー別に置いてあるようだと気がついた。ロート製薬、花王、常盤薬品、富士フイルム(知らなかったが、富士フイルムはスキンケア製品も出しているのだ)。各メーカーの製品が、ひとつの場所にすべてまとめて置かれている。店舗におけるコスメ・スキンケア製品の並べ方は、あくまでメーカーが主体となっているのだ。 なるほどそうか。これは意外だった。少し考えてみて、これは書店の文庫棚や新書棚の分類法に近いと気がついた。岩波文庫、新潮文庫、講談社文庫。自分で本を買い始めた中学時代、書店では文庫本だけが著者名順ではなく出版社別に並べられるシステムに戸惑った記憶があるが(同じ著者が複数の出版社にまたがって文庫を出している場合、それぞれの棚を探さなくてはならない)、スキンケア製品は何らかの理由で、分類に文庫本システムを採用しているのだ。 また、本が好きであれば、古典なら岩波文庫、SFであればハヤカワ文庫など、出版社ごとの得意分野を把握しているものだ。その考え方でいくなら、スキンケア用品を使う人もきっと、化粧品メーカーごとの特徴をつかんでいるに違いない。まずはそこから勉強を始めなければ、スキンケアは攻略できないだろう。こいつは相当手強いぞ、と私は棚の前で不安になった。どれを選べばいいかわからない 置いてある商品も種類が豊富だ。聞いたことのないような名前の製品もたくさんある。洗顔料、保湿クリーム、導入液(何を導入したいのか)、ビタミンしみ予防液、美白セラム(セラムって何だ)、フェイスシート、オールインワンジェル(意味がわからないが、これひとつで済むと謳っている)。日本製だけではなく、ヨーロッパや韓国の製品もある。違いは何だろうか? また値段の根拠もよくわからない。800円の化粧水と、5000円の化粧水を比較しながら、この差をどう理解すればいいのか困惑する。さすがに5000円は出せないが、もし800円の化粧水に気休め程度の効果しかないとしたら、買う意味がないような気がする。いったい何がどうなると、同じ化粧水の価格が6倍以上にはね上がるのか。安価な製品を買っても、損するだけではないか。高すぎるのも困るが、安すぎるのも逆に疑わしい。価格の差が何を意味しているのかがまったく読み取れない。 ここまでいろいろな製品がいっぺんに並んでいると、ここから何かをひとつ選ぶなどというのは無理だとしか思えなかった。それぞれにどんな効果があるのか。どう使い分けるのか。全部つけたら効果が倍増するのか。こんなにたくさんの製品をいっぺんに顔につけたら、肌の上で混ざってしまって意味がなくなるのではないか? スキンケア製品を買う人は、どれを買えばいいのかどのように判断しているのか。あらゆる疑問が一気に噴出して、どれかひとつを選ぶどころの話ではなくなってしまう。 棚の前に立っているだけで疑問は止まらなかった。「薬用」という名前の商品が多いのはなぜか。これらは薬なのか? ヒアルロン酸、ナイアシンアミド、レチノールなどの名前がやたらに強調されているのも不可解だ。たぶんなかに入ってる成分の名称なのだろうが、購入する人はこれらの説明を理解して買っているのか。 そういえば、洗剤で「酵素パワーのトップ」という広告があるが、私はいまだに酵素がどんなパワーを持つのか知らないままだ。コマーシャルであれほど元気に歌っているのだから、きっとすごい威力なんだろう。と、やや勢いまかせに説得されている状態だ。スキンケア製品の宣伝も似たようなものなのだろうか。 どれがいい製品なのか、自分に合った効能があるのか、まるで判断がつかない。ここは無理せず、一度帰って調べよう。何の知識もないままでは混乱するばかりだ。まさか何も買えずにドラッグストアを後にするとは思わなかった。「死んだ父がいる」窓に映った自分に驚き“美容沼”に目覚め…スキンケア1日目からアラフィフ男性の肌に起きた“変化” へ続く(伊藤 聡/Webオリジナル(外部転載))
ライターの伊藤聡さんは、コロナ禍によるテレワークが続く中、久しぶりに乗った電車の窓に生前の父の姿を発見した。しかしそれは心霊現象などではなく、加齢と不摂生により変わってしまった自らの姿だったという。
ここでは、その出来事をきっかけにアラフィフの伊藤さんが「美容沼」にハマった体験を綴る『電車の窓に映った自分が死んだ父に見えた日、スキンケアはじめました。』(平凡社)より一部を抜粋。果たして、初めて訪れたスキンケア製品売り場で、お目当ての商品は買えるのか–。(全2回の1回目/2回目を読む)
◆◆◆
容姿を変える方法として、これまでに多少なりとも経験があり、最初に思いついたのはスキンケアだった。サプリメントも考えられるが、時間がかかりそうな気がした。ドラッグストアなら、スキンケア製品がたくさんあるだろう。これから肌の手入れをがんばり、そこに定期的なジム通いをつけくわえれば……。きっといける。半年後の新しい私が見えた気がした。
私が普段おこなっている肌のケアは、非常に簡素なものだった。私は一日に一度、ひげ剃り後に無印良品で買った化粧水をつけていたが、それはスキンケアというよりは、カミソリ負けした肌のひりつきを抑えるための処置だった。
女性にはなかなか伝わりにくいが、毎日ひげを剃るというのは肌にとってかなりの負担なのだ。ひげを剃った後の肌は、赤らんでひりひりと痛い。いわば毎日、顔にかんなをかけ続けているようなものだ。他の男性は、あの痛みをどうしているのだろうか。平気だという人もいるが、私には苦痛でしかたなかった。
AFLO
これまで私は、男性同士でお互いの肌の状態について話し合ったことがなかった。これも考えてみれば奇妙な話だ。ひげ剃りはこれほど日常的な行為なのに、肌のメンテナンスについて男性同士で語り合うのはどこか不適切で、話題としてふさわしくないように思えてくるのだ。そのため「吉野家と松屋のどちらが好きか」については熱く語れても、肌をすこやかに保つ方法について語った経験はまったくなかった。
ひげ剃り後に使用する、男性用アフターシェーブローションと呼ばれる製品もあり、使っていた時期もあったが、つけるとスースーするものが多く、肌を落ち着かせるという目的からすればいまひとつだった。むしろ肌を刺激してしまうような感覚がある。しかし実際には、洗顔料、シャンプー、ボディソープなど、男性が使う製品の多くにはスースー成分が含まれている。目的はわからない。男性はことあるごとにスースーさせられているのだが、何か理由があるのだろうか。
アフターシェーブローションと比較しても、スースーがないぶん、化粧水の方がひりつきを緩和できる感覚があった。しばらくして、乳液の方がより痛みを抑えてくれると気づいてからは、乳液だけをつけたりもしていた。私にとって、化粧水や乳液はどちらかといえば痛み止めに近いものだった。
スキンケアをしてみようか。そう考えると少し照れくさかったが、楽しみな気持ちも同じくらいあった。私は以前から、女性用の化粧品や身の回り品に対して、淡い憧れのようなものを抱いていたと思う。デパートの一階にあるきらびやかな化粧品売り場はステキだなと思っていたし、女性がかばんのなかに入れて持ち歩く小さなポーチが好きだった。
ポーチのなかに入っている色とりどりのメイク道具を見せてもらったとき、自分からは遠い世界のように思えてまぶしかった。あんなポーチがいつも手元にある人生は、どんな感じなんだろうか。ハンドクリームをこまめに取り出してさっと手に塗る習慣もいいし、雨の日に履くかわいいデザインの長靴も真似したいと思っていた。
映画を見ていて目を惹かれるのも、女性の衣装が多かった。『007』や『ミッション・インポッシブル』の主人公が着るスーツや革靴は渋くて好きだったが、スクリーンに映えるのは、断然きらびやかな女性の衣装だ。どうしてこんな色を着れるのだろうか、と不思議になるようなカラフルな服装を、ごく自然に着こなしているのも目に楽しい。
私はそのような美しさと無縁の人生をすごしていた。
ポーチの代わりに私のかばんに入っているのは、いま読んでいる本と、読み終わったとき用の次の本、急に気が変わって違うジャンルが読みたくなったときの予備本の3冊だった。なんで3冊も持ち歩いてるんだと思われるだろうが、手元に本が3冊ないと外へ出たくないという種類の病気なのだ。私はコスメポーチの代わりに大量の本を運搬している人間であった。かばんが重い。小ぶりなポーチやカラフルな服は自分とはあまりにも縁のない世界に思えて、買うという選択肢が思いつかなかった。
さて、容姿に変化をもたらすにはどうすればいいものか。ひげ剃り後の化粧水、という現在のケアをより発展させる必要があるはずだ。ドラッグストアへ行けばきっと何かが見つかる。普段、ドラッグストアで買っているものは多い。目薬、頭痛薬、歯磨き粉や歯ブラシ、ゴミ袋、洗剤、消臭剤、トイレットペーパーやティッシュペーパー。生活必需品を調達するため、週に一度くらいは寄っている気がする。しかし、コスメ・スキンケア用品が並ぶエリアにだけは足を踏み入れたことがなかった。これまでの自分には無関係な場所だった。
店によっては2階で販売されている、肌のお手入れに関する製品をじっくり眺める機会などもちろんない。頻繁に訪れている店でも、見たことのない棚、何が置いてあるのか知らないコーナーがあるものだとあらためて思う。身近だと思っていた場所にも、実はよく知らない領域、注意を向けていない部分がある。店に入り、きっとあのあたりだと移動してみると、コスメ・スキンケア用品の売り場が見えてきた。棚を眺めている女性が複数いる。他の商品が置いてある場所より、ぐっと明るく華やいで感じられる。
恥ずかしい。
ほとんど反射的に足が止まる。あのエリアに行っていいものか、という逡巡が生じた。この恥ずかしさは何なのか。誰かに笑われたり、注意されたりしたときに感じる種類の恥ずかしさが一気にこみ上げてくる。商品を探す勇気が出ず、店内を意味もなくウロウロしてしまう。これでは不審者だ。なぜ恥ずかしく感じるのか、自分でもよくわからない。
いま使っている化粧水や乳液は無印良品の製品だが、考えてみれば、無印良品の店舗は男性でも入りやすく、買いやすい雰囲気があったし、容器のデザインもシンプルそのもので、さほど恥ずかしさを感じずに探すことができた。これまで私が無印良品を使っていたのも、その障壁の低さゆえだったのではないか。一方、ドラッグストアのスキンケアコーナーはとても華やかで、邪悪なものの侵入を排除する結界のように中年男性の侵入を拒んでいた。少なくとも、私にはそう見えた。
しかし、ここであきらめてはいけない。私は変わると決めたのだ。他の女性客が離れたのを見て、私はそっと無人のコスメ・スキンケア売り場へ移動した。ひとまずどのような商品があるのか、雰囲気をつかんだ上で、よさそうなモノを買ってみよう。肌を手入れする製品を買うのに、これほど決心がいるとは思わなかった。
初めて訪れたスキンケア製品売り場は、予想よりもわかりにくかった。どれが何の製品なのか、まったく見当がつかない。当初私は、売り場は「化粧水コーナー」「乳液コーナー」といった分類がされており、各社の化粧水、乳液がまとめてひとつの場所に並んでいるものだと思っていた。比較して買うなら、製品ジャンルごとに分けるのがもっともシンプルだ。しかし、いま見ている棚はあきらかにそのようには並んでいない。これはどういう並べ方なのか。何だか雰囲気で適当に置いたようにも見える。
たとえばCDショップでビートルズを探すなら、ロック・ポップスのコーナーへ行ってBの棚を見る。これは非常にわかりやすい。しかし、ドラッグストアに化粧水のコーナーはないし、メーカー名の順に並んでもいない。私は「化粧水のコーナーでSの棚を探せば、資生堂の化粧水が買える」と思っていたが、そうではないのだ。私が過去に、レコード店、CDショップで培ってきたDIGのテクニックがここでは通用しない。これまでの知識では太刀打ちできない場所に来てしまったと思った。
しばらく観察し、どうやら製品はメーカー別に置いてあるようだと気がついた。ロート製薬、花王、常盤薬品、富士フイルム(知らなかったが、富士フイルムはスキンケア製品も出しているのだ)。各メーカーの製品が、ひとつの場所にすべてまとめて置かれている。店舗におけるコスメ・スキンケア製品の並べ方は、あくまでメーカーが主体となっているのだ。
なるほどそうか。これは意外だった。少し考えてみて、これは書店の文庫棚や新書棚の分類法に近いと気がついた。岩波文庫、新潮文庫、講談社文庫。自分で本を買い始めた中学時代、書店では文庫本だけが著者名順ではなく出版社別に並べられるシステムに戸惑った記憶があるが(同じ著者が複数の出版社にまたがって文庫を出している場合、それぞれの棚を探さなくてはならない)、スキンケア製品は何らかの理由で、分類に文庫本システムを採用しているのだ。 また、本が好きであれば、古典なら岩波文庫、SFであればハヤカワ文庫など、出版社ごとの得意分野を把握しているものだ。その考え方でいくなら、スキンケア用品を使う人もきっと、化粧品メーカーごとの特徴をつかんでいるに違いない。まずはそこから勉強を始めなければ、スキンケアは攻略できないだろう。こいつは相当手強いぞ、と私は棚の前で不安になった。どれを選べばいいかわからない 置いてある商品も種類が豊富だ。聞いたことのないような名前の製品もたくさんある。洗顔料、保湿クリーム、導入液(何を導入したいのか)、ビタミンしみ予防液、美白セラム(セラムって何だ)、フェイスシート、オールインワンジェル(意味がわからないが、これひとつで済むと謳っている)。日本製だけではなく、ヨーロッパや韓国の製品もある。違いは何だろうか? また値段の根拠もよくわからない。800円の化粧水と、5000円の化粧水を比較しながら、この差をどう理解すればいいのか困惑する。さすがに5000円は出せないが、もし800円の化粧水に気休め程度の効果しかないとしたら、買う意味がないような気がする。いったい何がどうなると、同じ化粧水の価格が6倍以上にはね上がるのか。安価な製品を買っても、損するだけではないか。高すぎるのも困るが、安すぎるのも逆に疑わしい。価格の差が何を意味しているのかがまったく読み取れない。 ここまでいろいろな製品がいっぺんに並んでいると、ここから何かをひとつ選ぶなどというのは無理だとしか思えなかった。それぞれにどんな効果があるのか。どう使い分けるのか。全部つけたら効果が倍増するのか。こんなにたくさんの製品をいっぺんに顔につけたら、肌の上で混ざってしまって意味がなくなるのではないか? スキンケア製品を買う人は、どれを買えばいいのかどのように判断しているのか。あらゆる疑問が一気に噴出して、どれかひとつを選ぶどころの話ではなくなってしまう。 棚の前に立っているだけで疑問は止まらなかった。「薬用」という名前の商品が多いのはなぜか。これらは薬なのか? ヒアルロン酸、ナイアシンアミド、レチノールなどの名前がやたらに強調されているのも不可解だ。たぶんなかに入ってる成分の名称なのだろうが、購入する人はこれらの説明を理解して買っているのか。 そういえば、洗剤で「酵素パワーのトップ」という広告があるが、私はいまだに酵素がどんなパワーを持つのか知らないままだ。コマーシャルであれほど元気に歌っているのだから、きっとすごい威力なんだろう。と、やや勢いまかせに説得されている状態だ。スキンケア製品の宣伝も似たようなものなのだろうか。 どれがいい製品なのか、自分に合った効能があるのか、まるで判断がつかない。ここは無理せず、一度帰って調べよう。何の知識もないままでは混乱するばかりだ。まさか何も買えずにドラッグストアを後にするとは思わなかった。「死んだ父がいる」窓に映った自分に驚き“美容沼”に目覚め…スキンケア1日目からアラフィフ男性の肌に起きた“変化” へ続く(伊藤 聡/Webオリジナル(外部転載))
なるほどそうか。これは意外だった。少し考えてみて、これは書店の文庫棚や新書棚の分類法に近いと気がついた。岩波文庫、新潮文庫、講談社文庫。自分で本を買い始めた中学時代、書店では文庫本だけが著者名順ではなく出版社別に並べられるシステムに戸惑った記憶があるが(同じ著者が複数の出版社にまたがって文庫を出している場合、それぞれの棚を探さなくてはならない)、スキンケア製品は何らかの理由で、分類に文庫本システムを採用しているのだ。
また、本が好きであれば、古典なら岩波文庫、SFであればハヤカワ文庫など、出版社ごとの得意分野を把握しているものだ。その考え方でいくなら、スキンケア用品を使う人もきっと、化粧品メーカーごとの特徴をつかんでいるに違いない。まずはそこから勉強を始めなければ、スキンケアは攻略できないだろう。こいつは相当手強いぞ、と私は棚の前で不安になった。
置いてある商品も種類が豊富だ。聞いたことのないような名前の製品もたくさんある。洗顔料、保湿クリーム、導入液(何を導入したいのか)、ビタミンしみ予防液、美白セラム(セラムって何だ)、フェイスシート、オールインワンジェル(意味がわからないが、これひとつで済むと謳っている)。日本製だけではなく、ヨーロッパや韓国の製品もある。違いは何だろうか?
また値段の根拠もよくわからない。800円の化粧水と、5000円の化粧水を比較しながら、この差をどう理解すればいいのか困惑する。さすがに5000円は出せないが、もし800円の化粧水に気休め程度の効果しかないとしたら、買う意味がないような気がする。いったい何がどうなると、同じ化粧水の価格が6倍以上にはね上がるのか。安価な製品を買っても、損するだけではないか。高すぎるのも困るが、安すぎるのも逆に疑わしい。価格の差が何を意味しているのかがまったく読み取れない。
ここまでいろいろな製品がいっぺんに並んでいると、ここから何かをひとつ選ぶなどというのは無理だとしか思えなかった。それぞれにどんな効果があるのか。どう使い分けるのか。全部つけたら効果が倍増するのか。こんなにたくさんの製品をいっぺんに顔につけたら、肌の上で混ざってしまって意味がなくなるのではないか? スキンケア製品を買う人は、どれを買えばいいのかどのように判断しているのか。あらゆる疑問が一気に噴出して、どれかひとつを選ぶどころの話ではなくなってしまう。
棚の前に立っているだけで疑問は止まらなかった。「薬用」という名前の商品が多いのはなぜか。これらは薬なのか? ヒアルロン酸、ナイアシンアミド、レチノールなどの名前がやたらに強調されているのも不可解だ。たぶんなかに入ってる成分の名称なのだろうが、購入する人はこれらの説明を理解して買っているのか。
そういえば、洗剤で「酵素パワーのトップ」という広告があるが、私はいまだに酵素がどんなパワーを持つのか知らないままだ。コマーシャルであれほど元気に歌っているのだから、きっとすごい威力なんだろう。と、やや勢いまかせに説得されている状態だ。スキンケア製品の宣伝も似たようなものなのだろうか。
どれがいい製品なのか、自分に合った効能があるのか、まるで判断がつかない。ここは無理せず、一度帰って調べよう。何の知識もないままでは混乱するばかりだ。まさか何も買えずにドラッグストアを後にするとは思わなかった。
「死んだ父がいる」窓に映った自分に驚き“美容沼”に目覚め…スキンケア1日目からアラフィフ男性の肌に起きた“変化” へ続く
(伊藤 聡/Webオリジナル(外部転載))