公益財団法人「日本対がん協会」の公式サイトには2019年の「部位別がん罹患数」のデータが掲載されている。それによると前立腺がんは9万4748人(16・7%)だという。(全2回目の1回目)
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【写真をみる】「がん手術をロボットがを手伝う?」男性の手術にも用いられた「ダ・ヴィンチ」と呼ばれる“手術用ロボット” 複数のアームと目のようなカメラが特徴的だ 16・7%という数字は最高位だ。改めて当該部分を引用させていただこう。《男性の部位別の罹患数をみると、男性は前立腺がんが9万4748人(16・7%)と最も多く、次いで大腸がん8万7872人(15・5%)、胃がん8万5325人(15・1%)、肺がん8万4325人(14・9%)、肝がん2万5339人(4・5%)の順となりました》

実のところ、前立腺がんは死亡数はそれほどでもない。とはいえ、男性にとって前立腺がんは“他人事”ではないことが分かる。罹患するとどうなるか、治療法はどんなものなのか──先日、手術を経験した男性(61)がデイリー新潮の取材に赤裸々に語ってくれた。がんを宣告されて、どれだけの人間が冷静でいられるだろう(写真はイメージ) 2021年4月4日、白血病から復帰した競泳女子の池江璃花子選手が日本選手権に出場、100メートルバタフライで1位に輝くと、感極まって大粒の涙をこぼした。 この頃、男性の自宅に郵送物が届いた。勤務先が実施した健康診断の結果が送られてきたのだ。 何気なく目を通すと、血液検査のPSA(前立腺特異抗原)の数値が高いという。PSAを調べると、前立腺がんの可能性が分かる。男性は数値が5・08のため精密検査を受診すべきだと書かれてあった。「PSAは4・0以上で『高い』と判断されるそうです。検査結果には『泌尿器科医師以外開封禁』の封筒も同封されていました。それを見た時は少し動揺しましたね。さっそく勤務先の近くにある泌尿器科で診察を受けました。すると、『エコー検査では前立腺の大きさに異常はない。ただPSAの数値が上昇傾向を示しているので、まずはMRI検査を行ってください』と医師から指示を受けました」尊厳を奪われた針生検 MRI検査を受けたが、はっきりとした結果は出なかった。泌尿器科医は「MRIのデータだけでは正確な判断が難しい。大学病院で日帰りの“針生検”を受けてほしい」と言う。「5月に大学病院で針生検を受けました。結論から先に言うと、人間としての尊厳を傷つけられたような気持ちになりました。薄暗い個室で下半身裸になり、赤ちゃんがおむつを替えるポーズを取らされます。一応は仕切りのカーテンがあるので、医者や看護師の顔は見えません。それでも非常に恥ずかしい。そして超音波用のプローブという太い棒状の器具を肛門に挿入されました」 医師はプローブを使い、前立腺に針を打って細胞を採取する。「はい、力を抜いて、息をふーっと吐いて」と言うが、針を打つたびに「パチン」という音が響き、男性の肛門に激痛が走った。「正確に言うと、針を刺されても痛みは感じません。プローブが動くと痛いのです。苦痛に悲鳴を上げ、たちまち全身から脂汗が流れました。医者が『順調に進んでいますよ』と声をかけてくれたので、『あとどのくらいですか?』と質問すると、『ちょうど半分です』と言うのです。まだ激痛が続くのかと思い、失神しそうになりました。結局、全部で約20カ所に針を打たれたようです。生検後はガニ股でよろよろ歩きながら帰宅しました」現実逃避の日々 針生検から10日後、大学病院で結果の説明が行われた。担当医は家族同伴を勧めたが、男性は埼玉県内で一人暮らし。妻とは別居中で、一人息子も結婚して独立した。ちなみに息子には子供が二人いる。つまり男性は孫が二人いるわけだ。「独り者の悲哀を感じながら大学病院を訪れました。最悪の結果も頭をよぎりましたが、結果は『がんではない』との診断でした。担当医から『依然としてPSAの数値は高いので、半年後に泌尿器科を受診してください』と指示されましたが、私は耳を傾けませんでした。胸のモヤモヤが一気に消え去り、晴れ晴れとした爽快感を味わっていたからです」 だが、この時に有頂天になってしまったことを、男性は後に後悔することになる。担当医は「今回、がんは見つかりませんでした」と説明したに過ぎなかったが、男性は「がんではなかった」と誤解していたのだ。 半年後の11月、泌尿器科で検査を受けた。PSAは8・37。相変わらず上昇傾向は続いていた。泌尿器科医は3カ月後に再検査を受けるように言ったが、男性は「針生検でがんは見つからなかった」と翌年2月の検査をサボってしまう。「検査をサボってから、ネットに没頭するようになりました。仕事を終えて帰宅すると検索を繰り返し、『PSAの値が高くても前立腺がんではない』、『アメリカではPSAの数値は無意味と言われている』、『PSAを下げる食品一覧』、『前立腺がんは手術すべきではない』といった記事を見つけては熟読しました。検索エンジンに『ぜ』と入力しただけで『前立腺がん』と予測変換されるようになったほどです。一種の現実逃避だったのでしょう」医師の説教 現実逃避を続けるうちに4月になった。去年と同じように健康診断を受け、その結果が郵送されてきた。 目を通すと、PSAは11・86まで上昇していた。遂に数値が2桁になった。男性もさすがに不安を覚えた。だが再びネットの検索に没頭し、現実逃避を続けた。「6月になり、いつものように前立腺がんについて検索していました。すると2月に西郷輝彦さんが前立腺がんで亡くなったという記事が表示されたのです(註)。何気なく読んでいると、急に強い不安に襲われました」 PSAの数値が10を越すと前立腺がんの可能性が高くなることは男性も知っていた。「それどころか、私の場合は11・86です。泌尿器科を受診すると、担当医に叱られました。『もしがんだった場合、食べ物や健康法で治るはずはありません』と説教され、自分の浅はかさを痛感しました」 精密なMRI検査を受け、8月に大学病院で手術による生検を行うことが決まった。27日に入院したが、コロナ禍で病室に閉じこめられたような状態だったという。29日の朝に手術が行われた。全身麻酔をかけられ、目が覚めると病室に戻っていた。「生検の結果は9月に説明してもらうことになりました。その頃、私の心境に変化が生じていました。冷静さを取り戻したというか、ネット検索に明け暮れていた日々のことを『あれはおかしかった』と振り返れるようになったのです。そして『PSAの数値を考えれば、前立腺がんの可能性は極めて高い』と覚悟を決めました」2回目の説明 だが、がんの可能性は自覚できても、精神状態が安定したわけではない。むしろ「担当医からがんを告げられたら、冷静に説明を聞くことができるのだろうか?」と心配になった。「担当医はいつも丁寧に説明してくれます。最後に『何か質問はありますか?』と訊かれ、『大丈夫です』と答えるのがパターンです。しかし、もし前立腺がんなら、色々と質問したほうがいいのは言うまでもありません。とはいえ、何を質問していいのかさえよく分からないのです」 男性は考えに考え、そして「前立腺がんだと告知されたら、『もう一度説明をお願いします』と言おう」と心に決めた。「大学病院を訪れると、担当医が『検査、お疲れ様でした。結果は、がんです』と私の目を見つめながら告知しました。覚悟していても、頭は真っ白になりました。丁寧な説明が始まりましたが、何度か意識が飛びました。最後に『何か質問はありますか?』と訊かれたので、『すみません、もう一度説明をお願いします』とお願いしました。担当医は嫌がらず、説明を繰り返してくれました。2回目は落ち着いて聞くことができました」ダ・ヴィンチの威力 前立腺がんのステージは「1、2、3、4」ではなく「A、B、C、D」と分類され、男性は「ステージB」と言われた。左右の前立腺に計24本の針を打ち、右側に打った12本のうち6本からがんが発見された。「早期の前立腺がんであり、悪性度は高いと言われました。『ロボット支援腹腔鏡下根治的前立腺全摘除術(ダ・ヴィンチ)で根治を目指すことが可能です』との説明に、少し冷静になることができました。『もう二度とネットで病気に関しては検索しない』、『お医者さんを信頼しよう』と心に決めました。手術で治るというのは朗報だった一方、術後の尿漏れと男性機能の喪失という可能性には、かなりの不安を覚えました」 ダ・ヴィンチとは、腹腔鏡手術の進化系と言える。従来の腹腔鏡手術はカメラ越しに細長い器具を操作する難易度の高いもので、医師には一種の職人芸が求められた。 一方のダ・ヴィンチは、バーチャルリアリティーの3次元立体映像を見ながら操作し、仮に執刀医の手が震えたとしてもロボットが補正してくれる。精確な手術が保証されることで、操作する執刀医も思いきってメスを入れることができる。「前立腺がんの治療には手術、放射線、化学療法などがありますが、担当医は手術がベストという見解でした。特にダ・ヴィンチの場合、出血量が50ccと極めて少なく、術後翌日には歩けるようになるほど回復が早いのだそうです。勤務先近くの泌尿器科でセカンドオピニオンを依頼しましたが、やはり手術がベストだと言われました。さらに、男性機能の回復は難しいが、尿漏れはリハビリで回復が可能との見通しも示されました」手術開始 検査でがんが転移していないことも分かった。男性は手術を受けることを決め、大学病院に伝えると、「とりあえず年明けの1月23日を手術日にしましょう」と言われた。 男性が「手術まで日があります。転移は大丈夫ですか?」と担当医に質問すると、「前立腺がんは進行が遅いので大丈夫です」とのことだった。「手術で根治を目指しましょう。我々も全力で対応します」──担当医から激励され、男性は「ありがたい」と感謝した。 2023年1月19日、手術前検査と手術の説明が行われた。トイレなしの個室を選び、21日に入院。電源の延長コード、スマホ、タブレット、パソコンの充電器やケーブルを持ち込んだ。個室は9階で眺めがいい。 そして23日の朝を迎えた。いよいよ手術が行われる。男性が目を覚ますと、下腹部が大きくなっていたことに気づいた。「非常に力強い様子に驚きました。人並みの欲望を抱きながら日常生活を過ごしていましたが、これほど立派になったのは近年では稀という印象でした。下腹部を見ていると、過去に交際した女性のうち何人かの表情が脳裏に蘇ってきます。もう女性と交際することはできないのかと思うと、かなり切なくなりました。事前に担当医の説明を聞いていた時は『もう年だし、孫もいる。そういう機能が失われても仕方ない』と考えていたのですが、全く逆の気持ちに襲われたのです」 午前8時15分、看護師に案内されて手術室に向かった。気持ちは不思議なほど落ち着いていた。手術室に入ると、ダ・ヴィンチが“鎮座”していた。「ダ・ヴィンチを見ると、非常に心強い気持ちになりました。ベッドに腰かけて誓約書にサインすると、スタッフの皆さんが自己紹介をしてくれました。担当医が『頑張りましょうね』と声をかけてくれて安心しました。全身麻酔が始まり、麻酔科医の声に耳を傾けているうちに意識を失っていました」【買い物中の尿漏れで自己嫌悪、トイレに駆け込んでも窮地に…61歳「前立腺がん患者」が語る“想像を絶する異変”】に続く註:西郷輝彦さん(1947~2022)は、2011年に前立腺がんが判明。全摘手術を受けたが、17年に再発。21年に国内未承認の最先端治療を受けるためオーストラリアのシドニーに渡った。22年2月20日、東京都内の病院で死去。デイリー新潮編集部
16・7%という数字は最高位だ。改めて当該部分を引用させていただこう。
《男性の部位別の罹患数をみると、男性は前立腺がんが9万4748人(16・7%)と最も多く、次いで大腸がん8万7872人(15・5%)、胃がん8万5325人(15・1%)、肺がん8万4325人(14・9%)、肝がん2万5339人(4・5%)の順となりました》
実のところ、前立腺がんは死亡数はそれほどでもない。とはいえ、男性にとって前立腺がんは“他人事”ではないことが分かる。罹患するとどうなるか、治療法はどんなものなのか──先日、手術を経験した男性(61)がデイリー新潮の取材に赤裸々に語ってくれた。
2021年4月4日、白血病から復帰した競泳女子の池江璃花子選手が日本選手権に出場、100メートルバタフライで1位に輝くと、感極まって大粒の涙をこぼした。
この頃、男性の自宅に郵送物が届いた。勤務先が実施した健康診断の結果が送られてきたのだ。
何気なく目を通すと、血液検査のPSA(前立腺特異抗原)の数値が高いという。PSAを調べると、前立腺がんの可能性が分かる。男性は数値が5・08のため精密検査を受診すべきだと書かれてあった。
「PSAは4・0以上で『高い』と判断されるそうです。検査結果には『泌尿器科医師以外開封禁』の封筒も同封されていました。それを見た時は少し動揺しましたね。さっそく勤務先の近くにある泌尿器科で診察を受けました。すると、『エコー検査では前立腺の大きさに異常はない。ただPSAの数値が上昇傾向を示しているので、まずはMRI検査を行ってください』と医師から指示を受けました」
MRI検査を受けたが、はっきりとした結果は出なかった。泌尿器科医は「MRIのデータだけでは正確な判断が難しい。大学病院で日帰りの“針生検”を受けてほしい」と言う。
「5月に大学病院で針生検を受けました。結論から先に言うと、人間としての尊厳を傷つけられたような気持ちになりました。薄暗い個室で下半身裸になり、赤ちゃんがおむつを替えるポーズを取らされます。一応は仕切りのカーテンがあるので、医者や看護師の顔は見えません。それでも非常に恥ずかしい。そして超音波用のプローブという太い棒状の器具を肛門に挿入されました」
医師はプローブを使い、前立腺に針を打って細胞を採取する。「はい、力を抜いて、息をふーっと吐いて」と言うが、針を打つたびに「パチン」という音が響き、男性の肛門に激痛が走った。
「正確に言うと、針を刺されても痛みは感じません。プローブが動くと痛いのです。苦痛に悲鳴を上げ、たちまち全身から脂汗が流れました。医者が『順調に進んでいますよ』と声をかけてくれたので、『あとどのくらいですか?』と質問すると、『ちょうど半分です』と言うのです。まだ激痛が続くのかと思い、失神しそうになりました。結局、全部で約20カ所に針を打たれたようです。生検後はガニ股でよろよろ歩きながら帰宅しました」
針生検から10日後、大学病院で結果の説明が行われた。担当医は家族同伴を勧めたが、男性は埼玉県内で一人暮らし。妻とは別居中で、一人息子も結婚して独立した。ちなみに息子には子供が二人いる。つまり男性は孫が二人いるわけだ。
「独り者の悲哀を感じながら大学病院を訪れました。最悪の結果も頭をよぎりましたが、結果は『がんではない』との診断でした。担当医から『依然としてPSAの数値は高いので、半年後に泌尿器科を受診してください』と指示されましたが、私は耳を傾けませんでした。胸のモヤモヤが一気に消え去り、晴れ晴れとした爽快感を味わっていたからです」
だが、この時に有頂天になってしまったことを、男性は後に後悔することになる。担当医は「今回、がんは見つかりませんでした」と説明したに過ぎなかったが、男性は「がんではなかった」と誤解していたのだ。
半年後の11月、泌尿器科で検査を受けた。PSAは8・37。相変わらず上昇傾向は続いていた。泌尿器科医は3カ月後に再検査を受けるように言ったが、男性は「針生検でがんは見つからなかった」と翌年2月の検査をサボってしまう。
「検査をサボってから、ネットに没頭するようになりました。仕事を終えて帰宅すると検索を繰り返し、『PSAの値が高くても前立腺がんではない』、『アメリカではPSAの数値は無意味と言われている』、『PSAを下げる食品一覧』、『前立腺がんは手術すべきではない』といった記事を見つけては熟読しました。検索エンジンに『ぜ』と入力しただけで『前立腺がん』と予測変換されるようになったほどです。一種の現実逃避だったのでしょう」
現実逃避を続けるうちに4月になった。去年と同じように健康診断を受け、その結果が郵送されてきた。
目を通すと、PSAは11・86まで上昇していた。遂に数値が2桁になった。男性もさすがに不安を覚えた。だが再びネットの検索に没頭し、現実逃避を続けた。
「6月になり、いつものように前立腺がんについて検索していました。すると2月に西郷輝彦さんが前立腺がんで亡くなったという記事が表示されたのです(註)。何気なく読んでいると、急に強い不安に襲われました」
PSAの数値が10を越すと前立腺がんの可能性が高くなることは男性も知っていた。
「それどころか、私の場合は11・86です。泌尿器科を受診すると、担当医に叱られました。『もしがんだった場合、食べ物や健康法で治るはずはありません』と説教され、自分の浅はかさを痛感しました」
精密なMRI検査を受け、8月に大学病院で手術による生検を行うことが決まった。27日に入院したが、コロナ禍で病室に閉じこめられたような状態だったという。29日の朝に手術が行われた。全身麻酔をかけられ、目が覚めると病室に戻っていた。
「生検の結果は9月に説明してもらうことになりました。その頃、私の心境に変化が生じていました。冷静さを取り戻したというか、ネット検索に明け暮れていた日々のことを『あれはおかしかった』と振り返れるようになったのです。そして『PSAの数値を考えれば、前立腺がんの可能性は極めて高い』と覚悟を決めました」
だが、がんの可能性は自覚できても、精神状態が安定したわけではない。むしろ「担当医からがんを告げられたら、冷静に説明を聞くことができるのだろうか?」と心配になった。
「担当医はいつも丁寧に説明してくれます。最後に『何か質問はありますか?』と訊かれ、『大丈夫です』と答えるのがパターンです。しかし、もし前立腺がんなら、色々と質問したほうがいいのは言うまでもありません。とはいえ、何を質問していいのかさえよく分からないのです」
男性は考えに考え、そして「前立腺がんだと告知されたら、『もう一度説明をお願いします』と言おう」と心に決めた。
「大学病院を訪れると、担当医が『検査、お疲れ様でした。結果は、がんです』と私の目を見つめながら告知しました。覚悟していても、頭は真っ白になりました。丁寧な説明が始まりましたが、何度か意識が飛びました。最後に『何か質問はありますか?』と訊かれたので、『すみません、もう一度説明をお願いします』とお願いしました。担当医は嫌がらず、説明を繰り返してくれました。2回目は落ち着いて聞くことができました」
前立腺がんのステージは「1、2、3、4」ではなく「A、B、C、D」と分類され、男性は「ステージB」と言われた。左右の前立腺に計24本の針を打ち、右側に打った12本のうち6本からがんが発見された。
「早期の前立腺がんであり、悪性度は高いと言われました。『ロボット支援腹腔鏡下根治的前立腺全摘除術(ダ・ヴィンチ)で根治を目指すことが可能です』との説明に、少し冷静になることができました。『もう二度とネットで病気に関しては検索しない』、『お医者さんを信頼しよう』と心に決めました。手術で治るというのは朗報だった一方、術後の尿漏れと男性機能の喪失という可能性には、かなりの不安を覚えました」
ダ・ヴィンチとは、腹腔鏡手術の進化系と言える。従来の腹腔鏡手術はカメラ越しに細長い器具を操作する難易度の高いもので、医師には一種の職人芸が求められた。
一方のダ・ヴィンチは、バーチャルリアリティーの3次元立体映像を見ながら操作し、仮に執刀医の手が震えたとしてもロボットが補正してくれる。精確な手術が保証されることで、操作する執刀医も思いきってメスを入れることができる。
「前立腺がんの治療には手術、放射線、化学療法などがありますが、担当医は手術がベストという見解でした。特にダ・ヴィンチの場合、出血量が50ccと極めて少なく、術後翌日には歩けるようになるほど回復が早いのだそうです。勤務先近くの泌尿器科でセカンドオピニオンを依頼しましたが、やはり手術がベストだと言われました。さらに、男性機能の回復は難しいが、尿漏れはリハビリで回復が可能との見通しも示されました」
検査でがんが転移していないことも分かった。男性は手術を受けることを決め、大学病院に伝えると、「とりあえず年明けの1月23日を手術日にしましょう」と言われた。
男性が「手術まで日があります。転移は大丈夫ですか?」と担当医に質問すると、「前立腺がんは進行が遅いので大丈夫です」とのことだった。
「手術で根治を目指しましょう。我々も全力で対応します」──担当医から激励され、男性は「ありがたい」と感謝した。
2023年1月19日、手術前検査と手術の説明が行われた。トイレなしの個室を選び、21日に入院。電源の延長コード、スマホ、タブレット、パソコンの充電器やケーブルを持ち込んだ。個室は9階で眺めがいい。
そして23日の朝を迎えた。いよいよ手術が行われる。男性が目を覚ますと、下腹部が大きくなっていたことに気づいた。
「非常に力強い様子に驚きました。人並みの欲望を抱きながら日常生活を過ごしていましたが、これほど立派になったのは近年では稀という印象でした。下腹部を見ていると、過去に交際した女性のうち何人かの表情が脳裏に蘇ってきます。もう女性と交際することはできないのかと思うと、かなり切なくなりました。事前に担当医の説明を聞いていた時は『もう年だし、孫もいる。そういう機能が失われても仕方ない』と考えていたのですが、全く逆の気持ちに襲われたのです」
午前8時15分、看護師に案内されて手術室に向かった。気持ちは不思議なほど落ち着いていた。手術室に入ると、ダ・ヴィンチが“鎮座”していた。
「ダ・ヴィンチを見ると、非常に心強い気持ちになりました。ベッドに腰かけて誓約書にサインすると、スタッフの皆さんが自己紹介をしてくれました。担当医が『頑張りましょうね』と声をかけてくれて安心しました。全身麻酔が始まり、麻酔科医の声に耳を傾けているうちに意識を失っていました」
【買い物中の尿漏れで自己嫌悪、トイレに駆け込んでも窮地に…61歳「前立腺がん患者」が語る“想像を絶する異変”】に続く
註:西郷輝彦さん(1947~2022)は、2011年に前立腺がんが判明。全摘手術を受けたが、17年に再発。21年に国内未承認の最先端治療を受けるためオーストラリアのシドニーに渡った。22年2月20日、東京都内の病院で死去。
デイリー新潮編集部