「失言」とは、言ってはいけないことを、うっかり言ってしまうことだ。しかしその「うっかり」の中には、発言者の本音が潜んでいることが多い。その本音の中に差別的な考えや、非常識な意見、倫理観が欠如した姿勢が垣間見られると批判が集まり、何かの拍子で一気に注目を浴び、発言者に対して誹謗中傷が集中する「炎上」状態となってしまう。
【写真】この記事の写真を見る(2枚) ここでは、これまでに発生した、おもに法人企業における炎上トラブル事案の概要と炎上の要因、そもそも炎上を起こさないための心得や体制などを綴ったブラック企業アナリスト・新田龍氏の著書『炎上回避マニュアル』(徳間書店)より一部を抜粋。2022年に起きた吉野家「生娘をシャブ漬け戦略」事件を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

iStock.com◆◆◆吉野家「生娘をシャブ漬け戦略」事件 吉野家は1899年創業、牛丼を主力商品とし、日本全国に1190店舗、海外では米国、中国、台湾、マレーシア、シンガポール等に974店舗を展開する大手外食チェーンである。 2003年までは文字どおり牛丼一本で勝負しており、低価格と、他のファストフード店よりも迅速な提供スピードにより幅広く支持されている。ちなみに吉野家で用いられる牛肉は年間1万トン、牛350万頭分にも及び、世界最大級の牛肉ユーザーでもある。 長らく牛丼業界ではトップの地位にあったが、2008年に「すき家」に店舗数で逆転され、市場シェアにおいても「すき家」と「なか卯」を展開するゼンショーホールディングスに次ぐ2位となっている。店舗数も2009年以降はほぼ横ばいであるが、これは不採算店を整理統合したりリニューアルをおこなったりした結果によるものだ。 同社は2018年にグローバル大手の消費財メーカー「P&G」出身のマーケッターI氏を常務として招聘。従前は利用者の約8割が男性客であったところ、裾野を広げるべく、I氏主導で若年女性向けのマーケティング施策を推し進めた。 具体的には「クッキング&コンフォート」と呼ばれる、ゆっくりと過ごしやすい内装へと改装してイメージアップしたり、従来のメニューにはなかった「小盛」やコーヒーを提供したり、テイクアウトの割引キャンペーンを実施したり、パーソナルトレーニング大手の「ライザップ」とタイアップした「ライザップ牛サラダ」を発売してヒットとなったりした。I氏の戦略は、女性利用客と客単価の向上を成し遂げ、同社の好業績に大きく貢献したのだ。吉野家が炎上した原因 マーケティング業界における著名人であり、吉野家にとっても功労者であるI氏は2022年4月、早稲田大学の社会人向けマーケティング講座の講師として登壇した。当該講座において、学期を通して取り組む主要テーマのひとつが吉野家のマーケティング戦略であり、I氏はその課題設定と講評を担当するという重要ポジションを任されていた。 しかしその初回授業において、I氏は問題発言をおこなったとして、メディアを挙げての大炎上騒動となってしまう。 受講生のSNS投稿をきっかけに発言内容は即座に拡散し、性差別的、人権侵害であるとの猛烈な批判が相次いだ。受講生の投稿によると、I氏は自社の若年女性向けマーケティング施策を、「生娘をシャブ漬け戦略」と表現し、田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢・生娘な内に牛丼中毒にする。男に高い飯を奢って貰えるようになれば、(牛丼は)絶対に食べないとも話していたという。実際の対応と結果、本来あるべき対応とは I氏はこの発言を発端とした騒動により、発言の翌週、吉野家の常務取締役企画本部長職と、親会社である吉野家ホールディングス(HD)の執行役員から解任されたほか、翌日に実施予定だった同社の新商品および新CM発表会も中止となった。その他、社外アドバイザーを務めていたコンサルティング大手・アクセンチュアからも契約を解消。同様にパートナーシップ契約を結んでいたコンサルティング会社・M-Forceからも契約解消され、早稲田大学の講師からも除名されるという大騒動となってしまったのだ。吉野家は講師の発言と解任について、公式サイト内で次のようにコメントした。〈 株式会社吉野家常務取締役企画本部長が、4月16日に開催された外部における社会人向け講座にて講師として登壇した際に、不適切な発言をしたことで、講座受講者と主催者の皆様、吉野家をご愛用いただいているお客様に対して多大なるご迷惑とご不快な思いをさせたことに対し、深くお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。 当該役員が講座内で用いた言葉・表現の選択は極めて不適切であり、人権・ジェンダー問題の観点からも到底許容できるものではありません。当人も、発言内容および皆様にご迷惑とご不快な思いをさせたことに深く反省し、主催者側へは講座開催翌日に書面にて反省の意と謝罪をお伝えし、改めて対面にて謝罪予定です。 吉野家はお客様にご満足いただける商品・サービスを追求し続けております。本件を受け、社内規定に則って当人への処分を含め厳正に対応を進めてまいります。また、当社は今後一層コンプライアンス遵守の徹底に取り組むべく、コンプライアンス教育の見直しを図り、すべてのステークホルダーの皆様に対し、高い倫理観に基づく行動をお約束します。改めまして、この度は大変申し訳ございませんでした。重ねてお詫び申し上げます。〉報道ガイドラインにも抵触するレベルの無配慮な発言 早稲田大学も「教育機関として到底容認できるものではありません」とし、I氏について「講座担当から直ちに降りていただきます」と発表した。 役員解任を含めた一連の騒動は各メディアでも報道される事態となったが、一部メディアでは説明や見出しにおいて、講師の元の発言である「生娘をシャブ漬け戦略」との文言をそのまま伝えられず、「地方から出てきたばかりの若い女性が薬物中毒になるような企画」などと言い換えており、報道ガイドラインにも抵触するレベルの無配慮な発言であったことがうかがえる。 I氏はマーケティング業界でも著名な存在であったため、氏の人となりをよく知る関係者からは「彼はサービス精神のある人物だから、ウケを狙おうとしただけ」「たった一言でそんなに批判されるとは息苦しい」「そもそもマーケティング用語として一般的な概念だ」と擁護する意見も見られた。もしかしたら、読者の皆さまの中にも同様に思われた方がいらっしゃるかもしれない。重大災害を防止するためには しかし、筆者としてこの騒動はそのような取り繕った見方では済まされない、大きな課題が顕在化したものだと認識している。気づかぬうちに古い価値観に囚われてしまっている方は、この機会に考えを改める必要があるのではなかろうか。論点は次の3つである。 1:会社として「ダイバーシティ&インクルージョンを実現し多様な『ひと』が活躍できる職場づくり」を掲げている組織の取締役が、ダイバーシティにまったく配慮のない発言を教育機関でおこなったこと 2:中心となって組織を動かしているはずのシニア層の見識や価値観がアップデートされておらず、周囲もそれを指摘できるような環境にないこと 3:提供商品の熱心なファンも多い企業の取締役が、「家に居場所のない人が何度も来店する」「高い飯を奢って貰えるようになれば、絶対に食べない」など、顧客への敬意も、自社商品への愛着もまったく感じられないような表現を用いたこと 労働災害における経験則のひとつとして「ハインリッヒの法則」というものがある。「1件の大きな事故・災害の裏には、29件の軽微な事故・災害、そして300件のヒヤリ・ハット(事故には至らなかったもののヒヤリとした、ハッとした事例)がある」というもので、重大災害の防止のためには、事故や災害の発生が予測されたヒヤリ・ハットの段階で対処していくことが必要、との教えである。 あくまで「労災事故」にまつわる教訓であるから、これを「問題発言」に当てはめて述べるのは少々牽強付会となることをご容赦頂きたいが、問題となった「生娘をシャブ漬け戦略」発言がなされたとき、聴講者には笑っている人もおり、他の講師や運営スタッフも特段問題視しなかったという。 自社のマーケティング戦略がケースとして用いられる重要な講座の初日に、講師であるI氏が何の躊躇もなく問題発言をしたということは、これまでも組織内で数多く同様の発言をしてきており、都度周囲の人たちは笑ったり受け入れたりし、少なくとも指摘されることはなかったということだ。当然、I氏自身も何ら問題とは思わないままここまで来たのであろう。会社のコンプライアンス体制にも問題が またI氏は吉野家のプロパー社員ではなく、外資系企業出身のマーケティングの専門家である。彼のようにグローバルでの実務経験を持った人物が、古い体質の日本企業に招かれ、旧体制に大ナタを振るって業績改善をもたらすことを期待されるケースは多い。おそらく彼は、保守的な意識を変革させ、P&Gで成功体験をもたらした方法論を吉野家で展開させるためにも、インパクトのある言葉選びを日常的におこなっており、それが講座内で思わず露呈したということもあるだろう。 そのような事情があったにせよ、取締役として実に傲慢な発言であったし、そのような発言が許容され、日常的にまかり通っていた会社のコンプライアンス体制にも問題がある。内部できちんと指摘されないままでは、今般のように大きなレピュテーションリスクにもなり得るわけであるから、この機に猛省を促したいところだ。問題の根源は周囲の環境だけではない I氏をはじめ、現在大手企業でマーケティング部門の責任者に就いている年代はだいたい40代後半~50代であるが、彼らが青少年期を過ごし、価値観が形作られた昭和末期~平成初期の経済や社会情勢と、令和の現代における社会状況は真逆といっていいくらい変化してしまった。 ● ハラスメント的な発言は日常茶飯事 ● クローズドな環境での発言は外部に漏れることがない ● 地方と都市の情報格差 ● 男性が女性に食事を奢ることが前提の思考 ● 右も左も分からない消費者に依存させることで企業が儲かる、という思想 無自覚のままにこれらの昭和的価値観が染みつき、昔の感覚が抜けないままのシニア層が指導的立場に居座り、周囲が諫言できない状態は充分にリスクになり得るのだ。 とくに今般のケースは、そのようなコンプライアンスに対してセンシティブであるはずの外資系企業出身者による発言ということもあり、問題の根源は周囲の環境のみならず、世代や業界的な影響も多いものと捉えざるを得ない。従前、ハラスメントにまつわる問題はなかなか世に出ることはなかったが、昨今はコンプライアンス意識の高まりとSNSの発達により、このような形で顕在化する機会が増えたのは喜ばしいことと言える。 シニア層としては、この構造を自覚するとともに、これからも現役であり続けるなら、思考やコンプライアンス感覚も時代に合わせて柔軟に変革させ続けていくしかないのである。ドコモショップの店員が男性客に「クソ野郎」発言…“モンスタースタッフ”を生み出す「日本の接客業の闇」 へ続く(新田 龍)
ここでは、これまでに発生した、おもに法人企業における炎上トラブル事案の概要と炎上の要因、そもそも炎上を起こさないための心得や体制などを綴ったブラック企業アナリスト・新田龍氏の著書『炎上回避マニュアル』(徳間書店)より一部を抜粋。2022年に起きた吉野家「生娘をシャブ漬け戦略」事件を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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吉野家は1899年創業、牛丼を主力商品とし、日本全国に1190店舗、海外では米国、中国、台湾、マレーシア、シンガポール等に974店舗を展開する大手外食チェーンである。
2003年までは文字どおり牛丼一本で勝負しており、低価格と、他のファストフード店よりも迅速な提供スピードにより幅広く支持されている。ちなみに吉野家で用いられる牛肉は年間1万トン、牛350万頭分にも及び、世界最大級の牛肉ユーザーでもある。
長らく牛丼業界ではトップの地位にあったが、2008年に「すき家」に店舗数で逆転され、市場シェアにおいても「すき家」と「なか卯」を展開するゼンショーホールディングスに次ぐ2位となっている。店舗数も2009年以降はほぼ横ばいであるが、これは不採算店を整理統合したりリニューアルをおこなったりした結果によるものだ。
同社は2018年にグローバル大手の消費財メーカー「P&G」出身のマーケッターI氏を常務として招聘。従前は利用者の約8割が男性客であったところ、裾野を広げるべく、I氏主導で若年女性向けのマーケティング施策を推し進めた。
具体的には「クッキング&コンフォート」と呼ばれる、ゆっくりと過ごしやすい内装へと改装してイメージアップしたり、従来のメニューにはなかった「小盛」やコーヒーを提供したり、テイクアウトの割引キャンペーンを実施したり、パーソナルトレーニング大手の「ライザップ」とタイアップした「ライザップ牛サラダ」を発売してヒットとなったりした。I氏の戦略は、女性利用客と客単価の向上を成し遂げ、同社の好業績に大きく貢献したのだ。
マーケティング業界における著名人であり、吉野家にとっても功労者であるI氏は2022年4月、早稲田大学の社会人向けマーケティング講座の講師として登壇した。当該講座において、学期を通して取り組む主要テーマのひとつが吉野家のマーケティング戦略であり、I氏はその課題設定と講評を担当するという重要ポジションを任されていた。
しかしその初回授業において、I氏は問題発言をおこなったとして、メディアを挙げての大炎上騒動となってしまう。
受講生のSNS投稿をきっかけに発言内容は即座に拡散し、性差別的、人権侵害であるとの猛烈な批判が相次いだ。受講生の投稿によると、I氏は自社の若年女性向けマーケティング施策を、「生娘をシャブ漬け戦略」と表現し、田舎から出てきた右も左も分からない若い女の子を無垢・生娘な内に牛丼中毒にする。男に高い飯を奢って貰えるようになれば、(牛丼は)絶対に食べないとも話していたという。
実際の対応と結果、本来あるべき対応とは I氏はこの発言を発端とした騒動により、発言の翌週、吉野家の常務取締役企画本部長職と、親会社である吉野家ホールディングス(HD)の執行役員から解任されたほか、翌日に実施予定だった同社の新商品および新CM発表会も中止となった。その他、社外アドバイザーを務めていたコンサルティング大手・アクセンチュアからも契約を解消。同様にパートナーシップ契約を結んでいたコンサルティング会社・M-Forceからも契約解消され、早稲田大学の講師からも除名されるという大騒動となってしまったのだ。吉野家は講師の発言と解任について、公式サイト内で次のようにコメントした。〈 株式会社吉野家常務取締役企画本部長が、4月16日に開催された外部における社会人向け講座にて講師として登壇した際に、不適切な発言をしたことで、講座受講者と主催者の皆様、吉野家をご愛用いただいているお客様に対して多大なるご迷惑とご不快な思いをさせたことに対し、深くお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。 当該役員が講座内で用いた言葉・表現の選択は極めて不適切であり、人権・ジェンダー問題の観点からも到底許容できるものではありません。当人も、発言内容および皆様にご迷惑とご不快な思いをさせたことに深く反省し、主催者側へは講座開催翌日に書面にて反省の意と謝罪をお伝えし、改めて対面にて謝罪予定です。 吉野家はお客様にご満足いただける商品・サービスを追求し続けております。本件を受け、社内規定に則って当人への処分を含め厳正に対応を進めてまいります。また、当社は今後一層コンプライアンス遵守の徹底に取り組むべく、コンプライアンス教育の見直しを図り、すべてのステークホルダーの皆様に対し、高い倫理観に基づく行動をお約束します。改めまして、この度は大変申し訳ございませんでした。重ねてお詫び申し上げます。〉報道ガイドラインにも抵触するレベルの無配慮な発言 早稲田大学も「教育機関として到底容認できるものではありません」とし、I氏について「講座担当から直ちに降りていただきます」と発表した。 役員解任を含めた一連の騒動は各メディアでも報道される事態となったが、一部メディアでは説明や見出しにおいて、講師の元の発言である「生娘をシャブ漬け戦略」との文言をそのまま伝えられず、「地方から出てきたばかりの若い女性が薬物中毒になるような企画」などと言い換えており、報道ガイドラインにも抵触するレベルの無配慮な発言であったことがうかがえる。 I氏はマーケティング業界でも著名な存在であったため、氏の人となりをよく知る関係者からは「彼はサービス精神のある人物だから、ウケを狙おうとしただけ」「たった一言でそんなに批判されるとは息苦しい」「そもそもマーケティング用語として一般的な概念だ」と擁護する意見も見られた。もしかしたら、読者の皆さまの中にも同様に思われた方がいらっしゃるかもしれない。重大災害を防止するためには しかし、筆者としてこの騒動はそのような取り繕った見方では済まされない、大きな課題が顕在化したものだと認識している。気づかぬうちに古い価値観に囚われてしまっている方は、この機会に考えを改める必要があるのではなかろうか。論点は次の3つである。 1:会社として「ダイバーシティ&インクルージョンを実現し多様な『ひと』が活躍できる職場づくり」を掲げている組織の取締役が、ダイバーシティにまったく配慮のない発言を教育機関でおこなったこと 2:中心となって組織を動かしているはずのシニア層の見識や価値観がアップデートされておらず、周囲もそれを指摘できるような環境にないこと 3:提供商品の熱心なファンも多い企業の取締役が、「家に居場所のない人が何度も来店する」「高い飯を奢って貰えるようになれば、絶対に食べない」など、顧客への敬意も、自社商品への愛着もまったく感じられないような表現を用いたこと 労働災害における経験則のひとつとして「ハインリッヒの法則」というものがある。「1件の大きな事故・災害の裏には、29件の軽微な事故・災害、そして300件のヒヤリ・ハット(事故には至らなかったもののヒヤリとした、ハッとした事例)がある」というもので、重大災害の防止のためには、事故や災害の発生が予測されたヒヤリ・ハットの段階で対処していくことが必要、との教えである。 あくまで「労災事故」にまつわる教訓であるから、これを「問題発言」に当てはめて述べるのは少々牽強付会となることをご容赦頂きたいが、問題となった「生娘をシャブ漬け戦略」発言がなされたとき、聴講者には笑っている人もおり、他の講師や運営スタッフも特段問題視しなかったという。 自社のマーケティング戦略がケースとして用いられる重要な講座の初日に、講師であるI氏が何の躊躇もなく問題発言をしたということは、これまでも組織内で数多く同様の発言をしてきており、都度周囲の人たちは笑ったり受け入れたりし、少なくとも指摘されることはなかったということだ。当然、I氏自身も何ら問題とは思わないままここまで来たのであろう。会社のコンプライアンス体制にも問題が またI氏は吉野家のプロパー社員ではなく、外資系企業出身のマーケティングの専門家である。彼のようにグローバルでの実務経験を持った人物が、古い体質の日本企業に招かれ、旧体制に大ナタを振るって業績改善をもたらすことを期待されるケースは多い。おそらく彼は、保守的な意識を変革させ、P&Gで成功体験をもたらした方法論を吉野家で展開させるためにも、インパクトのある言葉選びを日常的におこなっており、それが講座内で思わず露呈したということもあるだろう。 そのような事情があったにせよ、取締役として実に傲慢な発言であったし、そのような発言が許容され、日常的にまかり通っていた会社のコンプライアンス体制にも問題がある。内部できちんと指摘されないままでは、今般のように大きなレピュテーションリスクにもなり得るわけであるから、この機に猛省を促したいところだ。問題の根源は周囲の環境だけではない I氏をはじめ、現在大手企業でマーケティング部門の責任者に就いている年代はだいたい40代後半~50代であるが、彼らが青少年期を過ごし、価値観が形作られた昭和末期~平成初期の経済や社会情勢と、令和の現代における社会状況は真逆といっていいくらい変化してしまった。 ● ハラスメント的な発言は日常茶飯事 ● クローズドな環境での発言は外部に漏れることがない ● 地方と都市の情報格差 ● 男性が女性に食事を奢ることが前提の思考 ● 右も左も分からない消費者に依存させることで企業が儲かる、という思想 無自覚のままにこれらの昭和的価値観が染みつき、昔の感覚が抜けないままのシニア層が指導的立場に居座り、周囲が諫言できない状態は充分にリスクになり得るのだ。 とくに今般のケースは、そのようなコンプライアンスに対してセンシティブであるはずの外資系企業出身者による発言ということもあり、問題の根源は周囲の環境のみならず、世代や業界的な影響も多いものと捉えざるを得ない。従前、ハラスメントにまつわる問題はなかなか世に出ることはなかったが、昨今はコンプライアンス意識の高まりとSNSの発達により、このような形で顕在化する機会が増えたのは喜ばしいことと言える。 シニア層としては、この構造を自覚するとともに、これからも現役であり続けるなら、思考やコンプライアンス感覚も時代に合わせて柔軟に変革させ続けていくしかないのである。ドコモショップの店員が男性客に「クソ野郎」発言…“モンスタースタッフ”を生み出す「日本の接客業の闇」 へ続く(新田 龍)
I氏はこの発言を発端とした騒動により、発言の翌週、吉野家の常務取締役企画本部長職と、親会社である吉野家ホールディングス(HD)の執行役員から解任されたほか、翌日に実施予定だった同社の新商品および新CM発表会も中止となった。その他、社外アドバイザーを務めていたコンサルティング大手・アクセンチュアからも契約を解消。同様にパートナーシップ契約を結んでいたコンサルティング会社・M-Forceからも契約解消され、早稲田大学の講師からも除名されるという大騒動となってしまったのだ。吉野家は講師の発言と解任について、公式サイト内で次のようにコメントした。
〈 株式会社吉野家常務取締役企画本部長が、4月16日に開催された外部における社会人向け講座にて講師として登壇した際に、不適切な発言をしたことで、講座受講者と主催者の皆様、吉野家をご愛用いただいているお客様に対して多大なるご迷惑とご不快な思いをさせたことに対し、深くお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした。
当該役員が講座内で用いた言葉・表現の選択は極めて不適切であり、人権・ジェンダー問題の観点からも到底許容できるものではありません。当人も、発言内容および皆様にご迷惑とご不快な思いをさせたことに深く反省し、主催者側へは講座開催翌日に書面にて反省の意と謝罪をお伝えし、改めて対面にて謝罪予定です。
吉野家はお客様にご満足いただける商品・サービスを追求し続けております。本件を受け、社内規定に則って当人への処分を含め厳正に対応を進めてまいります。また、当社は今後一層コンプライアンス遵守の徹底に取り組むべく、コンプライアンス教育の見直しを図り、すべてのステークホルダーの皆様に対し、高い倫理観に基づく行動をお約束します。改めまして、この度は大変申し訳ございませんでした。重ねてお詫び申し上げます。〉
早稲田大学も「教育機関として到底容認できるものではありません」とし、I氏について「講座担当から直ちに降りていただきます」と発表した。
役員解任を含めた一連の騒動は各メディアでも報道される事態となったが、一部メディアでは説明や見出しにおいて、講師の元の発言である「生娘をシャブ漬け戦略」との文言をそのまま伝えられず、「地方から出てきたばかりの若い女性が薬物中毒になるような企画」などと言い換えており、報道ガイドラインにも抵触するレベルの無配慮な発言であったことがうかがえる。
I氏はマーケティング業界でも著名な存在であったため、氏の人となりをよく知る関係者からは「彼はサービス精神のある人物だから、ウケを狙おうとしただけ」「たった一言でそんなに批判されるとは息苦しい」「そもそもマーケティング用語として一般的な概念だ」と擁護する意見も見られた。もしかしたら、読者の皆さまの中にも同様に思われた方がいらっしゃるかもしれない。
しかし、筆者としてこの騒動はそのような取り繕った見方では済まされない、大きな課題が顕在化したものだと認識している。気づかぬうちに古い価値観に囚われてしまっている方は、この機会に考えを改める必要があるのではなかろうか。論点は次の3つである。
1:会社として「ダイバーシティ&インクルージョンを実現し多様な『ひと』が活躍できる職場づくり」を掲げている組織の取締役が、ダイバーシティにまったく配慮のない発言を教育機関でおこなったこと
2:中心となって組織を動かしているはずのシニア層の見識や価値観がアップデートされておらず、周囲もそれを指摘できるような環境にないこと
3:提供商品の熱心なファンも多い企業の取締役が、「家に居場所のない人が何度も来店する」「高い飯を奢って貰えるようになれば、絶対に食べない」など、顧客への敬意も、自社商品への愛着もまったく感じられないような表現を用いたこと
労働災害における経験則のひとつとして「ハインリッヒの法則」というものがある。
「1件の大きな事故・災害の裏には、29件の軽微な事故・災害、そして300件のヒヤリ・ハット(事故には至らなかったもののヒヤリとした、ハッとした事例)がある」というもので、重大災害の防止のためには、事故や災害の発生が予測されたヒヤリ・ハットの段階で対処していくことが必要、との教えである。
あくまで「労災事故」にまつわる教訓であるから、これを「問題発言」に当てはめて述べるのは少々牽強付会となることをご容赦頂きたいが、問題となった「生娘をシャブ漬け戦略」発言がなされたとき、聴講者には笑っている人もおり、他の講師や運営スタッフも特段問題視しなかったという。
自社のマーケティング戦略がケースとして用いられる重要な講座の初日に、講師であるI氏が何の躊躇もなく問題発言をしたということは、これまでも組織内で数多く同様の発言をしてきており、都度周囲の人たちは笑ったり受け入れたりし、少なくとも指摘されることはなかったということだ。当然、I氏自身も何ら問題とは思わないままここまで来たのであろう。
またI氏は吉野家のプロパー社員ではなく、外資系企業出身のマーケティングの専門家である。彼のようにグローバルでの実務経験を持った人物が、古い体質の日本企業に招かれ、旧体制に大ナタを振るって業績改善をもたらすことを期待されるケースは多い。おそらく彼は、保守的な意識を変革させ、P&Gで成功体験をもたらした方法論を吉野家で展開させるためにも、インパクトのある言葉選びを日常的におこなっており、それが講座内で思わず露呈したということもあるだろう。
そのような事情があったにせよ、取締役として実に傲慢な発言であったし、そのような発言が許容され、日常的にまかり通っていた会社のコンプライアンス体制にも問題がある。内部できちんと指摘されないままでは、今般のように大きなレピュテーションリスクにもなり得るわけであるから、この機に猛省を促したいところだ。
I氏をはじめ、現在大手企業でマーケティング部門の責任者に就いている年代はだいたい40代後半~50代であるが、彼らが青少年期を過ごし、価値観が形作られた昭和末期~平成初期の経済や社会情勢と、令和の現代における社会状況は真逆といっていいくらい変化してしまった。
● ハラスメント的な発言は日常茶飯事
● クローズドな環境での発言は外部に漏れることがない
● 地方と都市の情報格差
● 男性が女性に食事を奢ることが前提の思考
● 右も左も分からない消費者に依存させることで企業が儲かる、という思想
無自覚のままにこれらの昭和的価値観が染みつき、昔の感覚が抜けないままのシニア層が指導的立場に居座り、周囲が諫言できない状態は充分にリスクになり得るのだ。
とくに今般のケースは、そのようなコンプライアンスに対してセンシティブであるはずの外資系企業出身者による発言ということもあり、問題の根源は周囲の環境のみならず、世代や業界的な影響も多いものと捉えざるを得ない。従前、ハラスメントにまつわる問題はなかなか世に出ることはなかったが、昨今はコンプライアンス意識の高まりとSNSの発達により、このような形で顕在化する機会が増えたのは喜ばしいことと言える。
シニア層としては、この構造を自覚するとともに、これからも現役であり続けるなら、思考やコンプライアンス感覚も時代に合わせて柔軟に変革させ続けていくしかないのである。
ドコモショップの店員が男性客に「クソ野郎」発言…“モンスタースタッフ”を生み出す「日本の接客業の闇」 へ続く
(新田 龍)