11月2日の夕方、波の音が静かに響く大磯港(神奈川県大磯町)の岸壁に、79歳の車椅子の妻と、その妻を約40年介護してきた81歳の夫の姿があった。「散歩に行こう」。「奥さん思い」と近所で評判だった夫はこう言って妻を車で連れ出した。だが夫は岸壁から車椅子ごと妻を海に突き落とし、妻は溺死した。「仲が良かった」(知人)という夫婦に何があったのか。事件の背景を追った。
神戸市教委が長年いじめ隠蔽「関与した職員が出世」 「父が母を海に突き落としたと言っている」。2日午後7時ごろ、夫婦の50代の長男から通報があった。この通報の前には、大磯港の釣り客から「海に人が浮いている」との110番もあった。大磯署員が大磯町の無職、藤原宏容疑者に事情を聴いたところ、妻の照子さんの殺害を認めたため、翌3日に殺人容疑で逮捕。22日には殺人罪で起訴された。

捜査関係者によると、妻の照子さんは39年前に脳の病気を患い、それ以来車椅子で生活していた。夫婦が約10年前から暮らす同町の団地の住民に話を聞くと、照子さんを献身的に介護する藤原被告の姿が浮かんだ。 夫婦をよく知る70代の男性は「(藤原被告が)奥さんのデイサービスの往復時に階段にスロープを取り付けて上り下りの介助をしたり、あまり外に出ない奥さんのためにベランダに植物を並べたりしていた」と語る。 男性は事件前日にも藤原被告から「(団地の)草むしりをしておいたからね」と普段と変わらない様子で声をかけられたという。 一方で、最近になって藤原被告が悩んでいるといううわさも聞いていた。男性は「(藤原被告から)自分の体力がなくなってきたので妻を施設に入れると聞いた。ただ別の人には『妻を最後まで介護したかった。施設に入れたくない』と話していたようだ」と明かし、妻の施設への入所が事件のきっかけになったと推察する。 捜査関係者によると、藤原被告は「介護に疲れた」という趣旨の供述のほか、「妻の体が不自由になりふびんに思った」や「施設に入所させるのはかわいそうだと思った」などの趣旨の説明もしているとされる。藤原被告の体力が衰える中、現状や将来に悲観したことが事件の背景にある可能性がある。 高齢者の介護問題に詳しい佛教大の新井康友准教授(高齢者福祉論)は男性介護者に見られがちな傾向として、「介護も仕事と同じように捉えて、『全部自分でやらないと』や『手を抜いてはいけない』などと頑張り過ぎてしまうことがある。それが孤立につながりかねない」と指摘。そのうえで、「行政や地域が一緒になって、高齢者が孤立しないような街づくりをしていく必要がある」と話す。 事件後、現場となった大磯港を訪れた。防波堤の向こうに相模湾が広がり、20人ほどが釣りに興じていた。打ち付ける波が、平和な時間を刻む音のように聞こえた。事件の直前、夫婦の目にこの景色はどう映っていたのだろうか。岸壁には、亡くなった照子さんを悼んでひっそりと花束が手向けられていた。 少子高齢化と核家族化が進む中、「老老介護」を巡る事件は後を絶たない。今回の事件を改めて介護や福祉のあり方を考えるきっかけとしたい。【鈴木悟、牧野大輔】
「父が母を海に突き落としたと言っている」。2日午後7時ごろ、夫婦の50代の長男から通報があった。この通報の前には、大磯港の釣り客から「海に人が浮いている」との110番もあった。大磯署員が大磯町の無職、藤原宏容疑者に事情を聴いたところ、妻の照子さんの殺害を認めたため、翌3日に殺人容疑で逮捕。22日には殺人罪で起訴された。
捜査関係者によると、妻の照子さんは39年前に脳の病気を患い、それ以来車椅子で生活していた。夫婦が約10年前から暮らす同町の団地の住民に話を聞くと、照子さんを献身的に介護する藤原被告の姿が浮かんだ。
夫婦をよく知る70代の男性は「(藤原被告が)奥さんのデイサービスの往復時に階段にスロープを取り付けて上り下りの介助をしたり、あまり外に出ない奥さんのためにベランダに植物を並べたりしていた」と語る。
男性は事件前日にも藤原被告から「(団地の)草むしりをしておいたからね」と普段と変わらない様子で声をかけられたという。
一方で、最近になって藤原被告が悩んでいるといううわさも聞いていた。男性は「(藤原被告から)自分の体力がなくなってきたので妻を施設に入れると聞いた。ただ別の人には『妻を最後まで介護したかった。施設に入れたくない』と話していたようだ」と明かし、妻の施設への入所が事件のきっかけになったと推察する。
捜査関係者によると、藤原被告は「介護に疲れた」という趣旨の供述のほか、「妻の体が不自由になりふびんに思った」や「施設に入所させるのはかわいそうだと思った」などの趣旨の説明もしているとされる。藤原被告の体力が衰える中、現状や将来に悲観したことが事件の背景にある可能性がある。
高齢者の介護問題に詳しい佛教大の新井康友准教授(高齢者福祉論)は男性介護者に見られがちな傾向として、「介護も仕事と同じように捉えて、『全部自分でやらないと』や『手を抜いてはいけない』などと頑張り過ぎてしまうことがある。それが孤立につながりかねない」と指摘。そのうえで、「行政や地域が一緒になって、高齢者が孤立しないような街づくりをしていく必要がある」と話す。
事件後、現場となった大磯港を訪れた。防波堤の向こうに相模湾が広がり、20人ほどが釣りに興じていた。打ち付ける波が、平和な時間を刻む音のように聞こえた。事件の直前、夫婦の目にこの景色はどう映っていたのだろうか。岸壁には、亡くなった照子さんを悼んでひっそりと花束が手向けられていた。
少子高齢化と核家族化が進む中、「老老介護」を巡る事件は後を絶たない。今回の事件を改めて介護や福祉のあり方を考えるきっかけとしたい。【鈴木悟、牧野大輔】