8月22日、名古屋高速でバスが横転・炎上した事故で、死亡した2人は、バスの運転手と乗客であることが分かりました。また、最前線で消防隊と救急隊を統括した指揮官が当時の状況を語りました。
8月22日、名古屋高速の豊山南出口付近で、あおい交通のバスが横転・炎上し、2人が死亡、7人が軽傷を負った事故。 警察によりますと、死亡したのはバスを運転していた大橋義彦さん(55)と、空港を管理する「名古屋空港ビルディング」社長の利光克仁さん(64)であることがわかりました。 利光さんは1980年に名鉄に入社、広報宣伝部長などを経て、4年前から名古屋空港ビルディングの社長を務めていました。 通勤には車やバスを使っていて、この日はバスで出勤する途中だったということです。 「現場にもよく出向いて直接従業員に声をかけるような気さくな方でした。非常に厳しい面もございますけども、過去のご経験を常日頃ご指導いただきました。びっくりの一言です、それしかありません」(名古屋空港ビルの社員)
空港がある豊山町の鈴木邦尚町長。 空港を生かしたまちづくりを目指していて、利光さんは大切な相談相手でした。 「今月のお盆前に利光さんのところにおじゃまして、1時間くらいこれからの豊山町について意見交換したときにアイデアをいただいたのが最後でした。大事な相談相手がいなくなったという寂しさでいっぱいです」(豊山町 鈴木邦尚 町長) また、利光さんは名古屋城の歴史などを通じて、名古屋の文化を伝える活動を行うNPO法人「本丸ネットワーク」で理事も務めていました。 コロナ禍で中止となっていたイベントの開催に向け、感染対策を積極的に提案していたといいます。 「利光さんが『参加者全員に検査キットを用意して』というアイデアを出したんです」(NPO法人「本丸ネットワーク」三輪隆裕 理事長) 2022年春のイベントは結果的に見送られましたが、次のように話します。 「困難な状況をどう打開するか、素早く正確な決断を下すことができる人だと思います」(NPO法人「本丸ネットワーク」三輪隆裕 理事長)
一方、最前線で消防隊と救急隊を統括した指揮官が、当時の状況を語りました。 「車が燃えている」との通報を受け、駆けつけた名古屋市西消防署の和田泰暢さん。 通常の現場とは大きく違う環境に、最初の印象を次のように話しました。 「高速道路上の火災で特殊なケース、こちらには複数の負傷者、目の前では燃えている状況でしたので、これは困難を極めるなと考えて活動しました」(名古屋市西消防署 警防地域第一課 和田泰暢 課長) けが人の対応を、救急隊に指示する一方、炎が燃え上がる大型バスを前に、取り残された人の確認を急いだといいます。 「焼け焦げたような状態で黒い状態、黒色、バスのなかも含めて燃えた状態がはげしかったので、人がいるか非常にわかりにく、手作業で燃えたものを手でどかしながら確認作業をしました」(名古屋市西消防署 警防地域第一課 和田泰暢 課長) 消防車15台での放水を続けながら、火の勢いが弱まった車内で、死亡した2人を見つけたといいます。 「性別不明の方が運転席付近、あとは後部のほうに計2人いました」(名古屋市西消防署 警防地域第一課 和田泰暢 課長) 火は事故から2時間あまり後に消し止められました。 「バスが横転していたので、バスの側面にも人がいる可能性があったので、クレーンを使いながら、あげて、下にもいないか、3~4回いないか調べて、取り残された人が2名以外はいないと確定しました」(名古屋市西消防署 警防地域第一課 和田泰暢 課長)
そんな中、現場に到着した後、最初にけが人の対応にあたったのは、西消防署の森裕晃さんです。 けがをした人たちは、全員、動揺していたといいます。 「路肩に7人座り込んでいて、私からまず歩けるか聞いたところ、全員歩けると。中には顔から血を流している人や顔色が悪い人もいました」(名古屋市西消防署 警防地域第一課 森裕晃 主査) 救急隊が、治療や搬送の優先順位を色で分ける「トリアージ」。 現場では、ケガをした7人のうち、緊急的な処置が必要な人はおらず、2人が多少治療が遅れても命に危険がない黄色、5人が軽傷の緑と判断されました。 病院へ運ぶ際は、救急車の台数に限りがあったため、通常とは違う形がとられました。 「通常ですと、傷病者1人に対し救急車1台で対応するんですが、今回は、救急車1台に対し2名の負傷者を載せて同じ医療機関に搬送しました」(名古屋市西消防署 警防地域第一課 森裕晃 主査) 異例の事故で、対応にあたった森さん。 「28年になる、消防に入って。このような大きな事故は初めてです。しっかりこのような経験を次の活動に生かしていきたいと思います」(名古屋市西消防署 警防地域第一課 森裕晃 主査) (8月31日 15:40~放送メ~テレ『アップ!』より)