数年前から続いている「昭和ブーム」で、その“極北”と言ってもいい趣味が生まれていた。それが「昭和ラブホ巡り」。昭和時代の独特な内装を維持しているラブホテルを探し、一人または同志と足を運んでは写真を撮ってSNSにアップ。お気に入りを集めて自費で写真集を作成する人もいる。目的はあくまで一種のアートとして内装を愛でること。撮影が終わるとそのまま帰る人さえいる。SNSを見るとハマっているのはほとんどが女性だ。その中になんと、閉業したホテルから「回転ベッド」をサルベージし、自宅に設置した女性が現れた! 昭和ラブホを撮影・記録しているカメラマンの那部亜弓さんだ。建物とともに壊される運命だった回転ベッドを救った理由について、本人に尋ねてみた。【華川富士也/ライター】
【写真】昭和ブームの極北!「シャトーすがも」の艶めかしい回転ベッドに、沢尻エリカ主演映画「へルタスケルター」のロケ地になった川崎「迎賓館」の豪奢な内装水原希子が撮影した回転ベッド 2021年11月。東京・巣鴨にあった老舗ホテル「シャトーすがも」の解体が始まった。JRと都営三田線の巣鴨駅から目と鼻の先という好立地にあり、ゴージャスな内装がカップルのみならず写真家などのクリエイターまで引き寄せていた。しかし、コロナ禍のため同年3月で閉業。昭和時代から約50年続く歴史にピリオドを打った。多くのファンに惜しまれながら閉業した「シャトーすがも」 (撮影・那部亜弓さん) 解体を前に、シャトーすがもから円形の大きなパーツが運び出されていった。303号室にあった回転ベッドだ。そう、スイッチを入れるとくるくる回り出す、昭和ラブホを代表するアイテムのひとつが密かに救い出されていた。 シャトーすがもの303号室は、壁から天井までみっちり作り込まれた内装と鏡付きの回転ベッドで知られ、昭和ラブホファンの間でも大人気だった。休業前には、モデルの水原希子とタレントのkemioがamazonプライムの番組撮影で訪れ、まさにその303号室を見学し、絶賛していた。 水原は自ら回転ベッドのスイッチを入れて回し、さらに天井の照明を点けると「ちょーかわいい!」と大喜び。鏡張りの壁を見て「でもいいよ、それ。好き!」とすっかりこの部屋が気に入った様子だった。 さらに水原は素足でベッドの上に立って次々とポーズを決め、kemioに撮影させる一幕も。映える天井と壁とベッドに囲まれた自身の写真を見て、「やば~い、めっちゃいいね」とすっかりご機嫌。撮影中に間もなく閉業することを聞くと「え~、つらみ~」「悲しいね」と表情を曇らせたのだった。 そう、水原も気に入り、上に乗って写真撮影しまくった303号室の回転ベッド。その実物が、解体を免れて運び出されたのだ。行き先は千葉県にある那部亜弓さんの家だった。「昭和ラブホ」にハマった深すぎる理由 回転ベッドは直径約2.5メートルあり、輸送するのも、設置するのもかなり大変だったという。では、なぜ那部さんはそこまでして、使い古された回転ベッドを家に運んだのか。その前に、そもそもなぜ昭和ラブホ巡りにハマったのか?「普段は写真撮影の仕事をしているんですが、4年ほど前にカップルから“写真を撮って欲しい”と依頼がきました。指定された場所が川崎市の『迎賓館』という、昭和ラブホの最高峰のようなホテルでした」 ファンの間では、「迎賓館」は息を呑むほど美しい内装で知られていた。ロココ調メゾネットの部屋には、お姫様が下りてきそうな美しくカーブした白い階段があり、見上げれば天使が描かれた天井画と、ベネチアングラスのシャンデリア。和風の部屋には橋が架けられ、中華風の部屋は天井や壁に凝った装飾が施されていた。 これに目をつけたのが沢尻エリカ主演の映画「ヘルタースケルター」のスタッフで、実際に撮影が行われている。また、コスプレイヤーもその魅力に気づき、全国から撮影に訪れていた。しかし、残念ながらこちらのラブホも2019年に解体されている。 那部さんに撮影を依頼したカップルが迎賓館を指定したのには理由があった。「実はそのカップル、不倫だったんです。そのことを知った時、カップルにとって最高の思い出の地は、必ずしもハネムーンや結婚式場とは限らないと気づかされました。人目を避けて会いたい2人が、思い出を刻む場所として選んだのが『迎賓館』だったんです」 カップルはウエディングドレス姿で撮影した。実らぬ恋、せめて2人だけの秘密の結婚写真が欲しい。結婚式場を上回るような迎賓館の内装こそ、その撮影にふさわしい場所だった。記録して後世に残したい、日本が誇るラブホ文化 そんな2人の姿を目の当たりにして、那部さんのラブホテルに対する考え方が変わった。「どんなカップルも素敵な思い出を作れるようにと、知恵を絞って演出やデザインを形にした人たちがいたわけです。その方々に心からの敬意を表したいと思うようになりました。何かと世間の風当たりが強いラブホテルですが、日本が誇る至極の文化だと思います」 同時に迎賓館の内装に魅了され、昭和ラブホのデザインを記録したいと思うようになった。とはいえ、コロナ禍もあり、昭和ラブホの閉業が相次いでいる。「私にできることは、少しでもお金を落とすこと、昭和の内装を1部屋でも多く記録して後世に残すことです。残念ながら、私が撮影を始めた2018年以降、すごいペースで閉業が続いています。なるべく早く巡らなくてはと思っています」「回転ベッドください!」とオーナーに直談判 全国を巡って撮影を続けていたある日、「シャトーすがも閉業」のニュースが飛び込んできた。「シャトーすがもさんは、何度も撮影に訪れた、思い入れのあるホテルでした。閉業はボイラーの故障が大きな理由です。オーナーさんに“今、クラウドファンディングとかありますよね。いくら集まったら営業再開したいですか?”と聞いたところ、“2000万円”という答えでした。2000万円なんて、趣味の人間がどんなに頑張っても払える金額じゃありません。オーナーさんに“払って”とも絶対に言えません。やすやすと“再開して欲しい”とは言えなくなりました」 解体に口を挟める立場ではない。那部さんはせめてこのホテルの名物、昭和生まれの回転ベッドを引き取り、大切にしようと考えた。「ベッドはだいたい建物の解体と共に壊されてしまいます。そのため、いま現役で回転するベッドは全国的に見ても少なくなっています。回転ベッド自体は現在も製造されていますが、機能的にシンプルなもので、こんなに派手な装飾のものはもう作られていません」 ラブホテルに初めて回転ベッドが設置されたのは1960年代後半。鏡張りの壁とセットで大人気になり、1970年代以降に設置数を伸ばした。 しかし、1985年(昭和60年)に施行された新風営法によって、回転ベッドや鏡張りの部屋は、「客の性的好奇心に応ずるため設けられた設備」とされ、設置したホテルは風営法の対象に。警察の監督下に置かれることを嫌がり、新たに設置するホテルはなくなった。結果として、回転ベッドや鏡張りの部屋は純然たる“昭和遺産”となった。そして昭和ラブホが減っていくのに伴い、回転ベッドもどんどんレア化。いまや絶滅危惧状態にある。「実は私、以前から回転ベッドを家に置きたいと思っていました。ちょうど鉄道好きが引退する車両のプレートや座席を家に置きたいと思うのと同じようなものですね。303号室の回転ベッドは、デザインが好きで、状態も良い。それに搬送距離が現実的だったので、オーナーさんに『引き取りたい』と伝えたら許可してくれました。もちろん、タダではなく、それなりのお金はお支払いしています」「大の大人がベッドのひとつ守れなくてどうする!」 実は、具体的に搬送計画を詰めるうちに、「無理ではないか?」と弱気になった時期もあったという。「費用、距離、重量、人員……。やはりそう簡単ではありませんでした。“できない理由”を探し始めた私に、ガツンと刺激を与えてくれたのが、テレビで見た信号機マニアの小学生です」 2021年2月、小学5年生(当時)の男児が、コツコツ貯めたお金を元手に佐賀市の信号機オークションに参加。車両用と歩行者用、計3つの信号機を落札した。さらに独学でプログラミングを学び、自宅で信号機を点滅させることに成功。オークションから1年後にテレビ番組で取り上げられた。これを偶然見た那部さんは、「すごい! 大の大人がベッドのひとつ守れなくてどうする! と気持ちが一気に高まりました。もうひとつ、水原希子さんとkemioさんが303号室で撮影した写真をインスタで見たのも背中を押していました。あの美しい希子さんが素足で乗った回転ベッドですよ。これも保存したい理由のひとつになりました」「回転ベッドスタジオ」爆誕! シャトーすがもから運び出された303号室の回転ベッドは、輸送の苦労を乗り越えて無事に那部さんの家に設置された。那部さんはベッドに合わせて床と壁をリニューアル。今後は設置された部屋を撮影スタジオとしても使いたいという。「昭和ラブホのファンは4年前に比べてかなり増えているのに、肝心のホテルはどんどん閉業しています。貴重な昭和遺産を守りながら、ここで昭和ラブホが好きな人の撮影会ができればと思います。いつか映画の撮影でも使って欲しい」 自宅に昭和ラブホで使われていた回転ベッドを移設した女性は、おそらく日本で那部さん以外にいない。そしてシャトーすがもの回転ベッドが「保存第一号」だろう。 日本で浮世絵が芸術として認識されるまで時間がかかったように、ラブホテルが「文化」として語られるようになるのは、もっと先の話かもしれない。那部さんの行動は、そんな未来に向けた布石のひとつになりそうだ。華川富士也(かがわ・ふじや)ライター、構成作家、フォトグラファー。1970年生まれ。昨年、長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。今年からフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。デイリー新潮編集部
2021年11月。東京・巣鴨にあった老舗ホテル「シャトーすがも」の解体が始まった。JRと都営三田線の巣鴨駅から目と鼻の先という好立地にあり、ゴージャスな内装がカップルのみならず写真家などのクリエイターまで引き寄せていた。しかし、コロナ禍のため同年3月で閉業。昭和時代から約50年続く歴史にピリオドを打った。
解体を前に、シャトーすがもから円形の大きなパーツが運び出されていった。303号室にあった回転ベッドだ。そう、スイッチを入れるとくるくる回り出す、昭和ラブホを代表するアイテムのひとつが密かに救い出されていた。
シャトーすがもの303号室は、壁から天井までみっちり作り込まれた内装と鏡付きの回転ベッドで知られ、昭和ラブホファンの間でも大人気だった。休業前には、モデルの水原希子とタレントのkemioがamazonプライムの番組撮影で訪れ、まさにその303号室を見学し、絶賛していた。
水原は自ら回転ベッドのスイッチを入れて回し、さらに天井の照明を点けると「ちょーかわいい!」と大喜び。鏡張りの壁を見て「でもいいよ、それ。好き!」とすっかりこの部屋が気に入った様子だった。
さらに水原は素足でベッドの上に立って次々とポーズを決め、kemioに撮影させる一幕も。映える天井と壁とベッドに囲まれた自身の写真を見て、「やば~い、めっちゃいいね」とすっかりご機嫌。撮影中に間もなく閉業することを聞くと「え~、つらみ~」「悲しいね」と表情を曇らせたのだった。
そう、水原も気に入り、上に乗って写真撮影しまくった303号室の回転ベッド。その実物が、解体を免れて運び出されたのだ。行き先は千葉県にある那部亜弓さんの家だった。
回転ベッドは直径約2.5メートルあり、輸送するのも、設置するのもかなり大変だったという。では、なぜ那部さんはそこまでして、使い古された回転ベッドを家に運んだのか。その前に、そもそもなぜ昭和ラブホ巡りにハマったのか?
「普段は写真撮影の仕事をしているんですが、4年ほど前にカップルから“写真を撮って欲しい”と依頼がきました。指定された場所が川崎市の『迎賓館』という、昭和ラブホの最高峰のようなホテルでした」
ファンの間では、「迎賓館」は息を呑むほど美しい内装で知られていた。ロココ調メゾネットの部屋には、お姫様が下りてきそうな美しくカーブした白い階段があり、見上げれば天使が描かれた天井画と、ベネチアングラスのシャンデリア。和風の部屋には橋が架けられ、中華風の部屋は天井や壁に凝った装飾が施されていた。
これに目をつけたのが沢尻エリカ主演の映画「ヘルタースケルター」のスタッフで、実際に撮影が行われている。また、コスプレイヤーもその魅力に気づき、全国から撮影に訪れていた。しかし、残念ながらこちらのラブホも2019年に解体されている。
那部さんに撮影を依頼したカップルが迎賓館を指定したのには理由があった。
「実はそのカップル、不倫だったんです。そのことを知った時、カップルにとって最高の思い出の地は、必ずしもハネムーンや結婚式場とは限らないと気づかされました。人目を避けて会いたい2人が、思い出を刻む場所として選んだのが『迎賓館』だったんです」
カップルはウエディングドレス姿で撮影した。実らぬ恋、せめて2人だけの秘密の結婚写真が欲しい。結婚式場を上回るような迎賓館の内装こそ、その撮影にふさわしい場所だった。
そんな2人の姿を目の当たりにして、那部さんのラブホテルに対する考え方が変わった。「どんなカップルも素敵な思い出を作れるようにと、知恵を絞って演出やデザインを形にした人たちがいたわけです。その方々に心からの敬意を表したいと思うようになりました。何かと世間の風当たりが強いラブホテルですが、日本が誇る至極の文化だと思います」
同時に迎賓館の内装に魅了され、昭和ラブホのデザインを記録したいと思うようになった。とはいえ、コロナ禍もあり、昭和ラブホの閉業が相次いでいる。
「私にできることは、少しでもお金を落とすこと、昭和の内装を1部屋でも多く記録して後世に残すことです。残念ながら、私が撮影を始めた2018年以降、すごいペースで閉業が続いています。なるべく早く巡らなくてはと思っています」
全国を巡って撮影を続けていたある日、「シャトーすがも閉業」のニュースが飛び込んできた。
「シャトーすがもさんは、何度も撮影に訪れた、思い入れのあるホテルでした。閉業はボイラーの故障が大きな理由です。オーナーさんに“今、クラウドファンディングとかありますよね。いくら集まったら営業再開したいですか?”と聞いたところ、“2000万円”という答えでした。2000万円なんて、趣味の人間がどんなに頑張っても払える金額じゃありません。オーナーさんに“払って”とも絶対に言えません。やすやすと“再開して欲しい”とは言えなくなりました」
解体に口を挟める立場ではない。那部さんはせめてこのホテルの名物、昭和生まれの回転ベッドを引き取り、大切にしようと考えた。
「ベッドはだいたい建物の解体と共に壊されてしまいます。そのため、いま現役で回転するベッドは全国的に見ても少なくなっています。回転ベッド自体は現在も製造されていますが、機能的にシンプルなもので、こんなに派手な装飾のものはもう作られていません」
ラブホテルに初めて回転ベッドが設置されたのは1960年代後半。鏡張りの壁とセットで大人気になり、1970年代以降に設置数を伸ばした。
しかし、1985年(昭和60年)に施行された新風営法によって、回転ベッドや鏡張りの部屋は、「客の性的好奇心に応ずるため設けられた設備」とされ、設置したホテルは風営法の対象に。警察の監督下に置かれることを嫌がり、新たに設置するホテルはなくなった。結果として、回転ベッドや鏡張りの部屋は純然たる“昭和遺産”となった。そして昭和ラブホが減っていくのに伴い、回転ベッドもどんどんレア化。いまや絶滅危惧状態にある。
「実は私、以前から回転ベッドを家に置きたいと思っていました。ちょうど鉄道好きが引退する車両のプレートや座席を家に置きたいと思うのと同じようなものですね。303号室の回転ベッドは、デザインが好きで、状態も良い。それに搬送距離が現実的だったので、オーナーさんに『引き取りたい』と伝えたら許可してくれました。もちろん、タダではなく、それなりのお金はお支払いしています」
実は、具体的に搬送計画を詰めるうちに、「無理ではないか?」と弱気になった時期もあったという。
「費用、距離、重量、人員……。やはりそう簡単ではありませんでした。“できない理由”を探し始めた私に、ガツンと刺激を与えてくれたのが、テレビで見た信号機マニアの小学生です」
2021年2月、小学5年生(当時)の男児が、コツコツ貯めたお金を元手に佐賀市の信号機オークションに参加。車両用と歩行者用、計3つの信号機を落札した。さらに独学でプログラミングを学び、自宅で信号機を点滅させることに成功。オークションから1年後にテレビ番組で取り上げられた。これを偶然見た那部さんは、
「すごい! 大の大人がベッドのひとつ守れなくてどうする! と気持ちが一気に高まりました。もうひとつ、水原希子さんとkemioさんが303号室で撮影した写真をインスタで見たのも背中を押していました。あの美しい希子さんが素足で乗った回転ベッドですよ。これも保存したい理由のひとつになりました」
シャトーすがもから運び出された303号室の回転ベッドは、輸送の苦労を乗り越えて無事に那部さんの家に設置された。那部さんはベッドに合わせて床と壁をリニューアル。今後は設置された部屋を撮影スタジオとしても使いたいという。
「昭和ラブホのファンは4年前に比べてかなり増えているのに、肝心のホテルはどんどん閉業しています。貴重な昭和遺産を守りながら、ここで昭和ラブホが好きな人の撮影会ができればと思います。いつか映画の撮影でも使って欲しい」
自宅に昭和ラブホで使われていた回転ベッドを移設した女性は、おそらく日本で那部さん以外にいない。そしてシャトーすがもの回転ベッドが「保存第一号」だろう。
日本で浮世絵が芸術として認識されるまで時間がかかったように、ラブホテルが「文化」として語られるようになるのは、もっと先の話かもしれない。那部さんの行動は、そんな未来に向けた布石のひとつになりそうだ。
華川富士也(かがわ・ふじや)ライター、構成作家、フォトグラファー。1970年生まれ。昨年、長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。今年からフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。
デイリー新潮編集部