津波で流された父 今も思う「自分で助けたかった」

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東京電力福島第1原発事故で茨城県に避難した浦島博之さん(59)は、東日本大震災の津波で父洽(ひろし)さん(当時73歳)を亡くした。
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11日は墓参りをするため、福島県浪江町を訪れた。原発事故で避難を余儀なくされ、自ら捜せなかったことが今でも心残りになっているという。「どこまでできるかわからないけど、自分で助ける行動がしたかった」と振り返った。
地震発生時、浦島さんは仕事で同県富岡町にいた。仕事を中断して浪江町に戻ったが、自宅がある沿岸部の請戸地区は津波に襲われ、近づくことができなかった。
翌朝、改めて地区に向かうと、あたりからは助けを求める声やうめき声が聞こえた。折り重なるがれきでどうすることもできず、ただぼうぜんと見つめるしかなかった。
原発事故もあり、行政による捜索も難航。5月に発見され、翌月に洽さんと特定された。発見時の写真を見て「見る影がなかった。DNA鑑定で99・9%間違いないといわれて、じゃあオヤジだろう」と判断した。
洽さんは昔かたぎで、生前は博之さんとぶつかることも多かったという。1937年生まれで、父親を早くに戦争で亡くしていた。「どう教育していいか分からなかったのだろう。苦労したと思う」と語る。
友達が多かった洽さん。それゆえ「洽の息子なら」と、電気工事をしている浦島さんに仕事を回してくれる人も多かった。最近は知人から「酔っ払うとオヤジそっくりだな」と言われるようになり「悪い気はしないよね」と笑う。
墓前に手を合わせ、心の中で伝えた。「俺らのこと見守ってくれ」【渡部直樹】

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