「27浪で遂に掴んだ慶應合格」45歳新入生の挑戦

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45歳で慶應に合格したえぐざまさん。この1年の奮闘を聞きました。写真はイメージ(写真: Graphs / PIXTA)
浪人という選択を取る人が20年前と比べて1/2になっている現在。「浪人してでもこういう大学に行きたい」という人が減っている中で、浪人はどう人を変えるのでしょうか?また、浪人したことによってどんなことが起こるのでしょうか? 自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した経験のある濱井正吾氏が、いろんな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったことや頑張れた理由などを追求していきます。
今回は特別編です。1年前に27浪を決意し、大学受験の勉強を続けていたえぐざまさん(仮名)から、今年2月の大学受験で慶應義塾大学に合格したとの連絡がありました。ついに彼は、長い長い浪人期間を経て、浪人生という立場を終えることになりました。今回の記事は彼が奮闘したこの1年の勉強や受験の様子について辿っていきます。
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この連載で、去年1人の浪人生に話を聞きました。社会人でありながら大学を受験し続け、現在27浪中の受験生、えぐざま(※examer:試験を受ける人)さん(仮名)です(過去記事:「27浪に突入」受験し続ける彼が達した深い境地)。
今年も合格に向けて「28浪」として調整を進めていようとしたえぐざまさん。
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2月下旬、そんな彼から報告がありました。詳しく話を聞くと、なんと慶應義塾大学に一般入試で合格したということです。
苦節27年、合格を掴み取り、大学への進学を決意したえぐざまさん。今回は彼のこの1年の受験の足跡を追っていこうと思います。
進学校と呼べる学校がない田舎で、インターネットもなかった中高時代を過ごしたえぐざまさんは、1浪で日東駒専(日本大、東洋大、駒澤大、専修大)レベルの大学に合格しましたが、結果に納得がいかず、学部一般入試、AO入試、学士編入、大学院入試など、27年間あらゆる入学試験にチャレンジしてきました。
大学を卒業して大手教育企業に就職してもなお、受験勉強を続ける中、12浪のときに学士編入で早稲田大学に合格します。しかし、当時は「仕事でちょうど油が乗っていた時期」だったため、入学できる状況ではなかったそうです。それから彼は、毎年1校程度を無対策で受験しては、不合格になることを繰り返す「冬の時期」に突入していきました。
そんな彼が大学受験の想いを再び取り戻したのは、2018年にAbemaTVで放映された大学受験番組「ドラゴン堀江」がきっかけでした。
「やっぱり自分にとって、学歴への想いは払拭されていない。よく世間では就職で逆転だとか、資格で逆転だとか言うけれど、私にとって大学は就職予備校ではないし、学歴は学歴、職歴は職歴と考えている。ほかのもので埋めるなんて到底できないことだ」
この番組を見た彼は、あらためてこう認識したそうです。
とはいえ、「30代になると、参加賞のように毎年大学院入試を受けるだけで過ごしてしまった」と語るえぐざまさんは、何から手をつければいいのかも、わからなくなってしまいました。
教育の地域格差を学ぶため、本命は東京大学か京都大学の大学院。ただし、学部入試も並行して受けることに決めました。もし学部入試で早稲田か慶應に合格したら、そのまま進学し、卒業後に再び大学院にチャレンジすることも考えていました。
受験への想いを強くする一方で、どうしたものかと悩んだまま2020年を迎え、世の中では新型コロナウイルスが蔓延するようになります。前途が暗い世の中になりましたが、彼にとってはこの自粛期間が勉強で覚醒するきっかけになったようです。
感染症の拡大期に突入してから、彼は「とにかく自粛ムードで、外出することもはばかられる風潮があった世の中だったからこそ、今自分にできることはないかとじっくりと再考し始めた」と言います。
えぐざまさんの致命的な弱点は、教育環境が整っていない地域、家庭で育ったため「継続した勉強ができないこと、学習習慣がないこと」にありました。読書家で国語力が高く、短期的な記憶力などに優れていたものの、それだけで大学入試を乗り越えられるまでにはなかなか至らなかったようです。
しかし、自粛ムードの世の中が「受験」と向かい合う機会となった彼は、その特性をどうにかして生かそうと考え、いくつもの作戦を編み出したのです。
まずはアメリカの心理学者・スキナーが提唱した「プログラム学習の5原則」のひとつである「スモールステップ」の思考法です。
「大きな目標をあえて掲げず、小さな目標の積み重ねが結果として大きな目標の達成につながる」というこの考え方は、彼自身も塾講師をしていた大学時代に学生や後輩などにアドバイスするときに口癖のように伝えていたそうですが、それを思い返して、自分自身も実践するようになります。
まず彼は、2022年度に向けて大学院入試と並行して、一般入試と、大学入試で有利になる英検の対策を行うようになりました。勉強を5分やったら5分休み、少しずつ前に進んでいきました。大好きな大学受験情報をついつい何時間も調べてしまうこともありましたが、これも彼にとっては必要な休息となったのです。
この「スモールステップ」という思考の改革に加えて、姿勢面でも「思い立ったらすぐ出願」をモットーに掲げました。資格試験も大学受験も「勉強を十分にして万全の状態にしてから臨もう」とつい考えてしまうかもしれませんが、彼は「試験会場でこそ人は最も能力が成長できる」と信じていました。「必死になる経験、会場の張り詰めた空気を吸う経験が、たとえ不合格でも次の試験に生きる」という、受験のベテランとしてのノウハウを存分に生かすようにしました。
この方法で勉強を進めていったえぐざまさんは、2002年と2003年に不合格になって以来、久々に英検2級を受験します。そこでは、惜しくも不合格になったものの、CSEスコアで1952点を獲得。これは関西大学の英語外部試験方式の出願資格を得られるほどの点数でした。
「関関同立(関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学)の受験に苦手の英語を使わずに受験できる権利を持てた」とポジティブに捉えた彼は、不合格でもまったく落ち込まず、どんどんチャレンジをします。そして通算6回目で見事2級合格を果たします。
みるみる英語力を高めていったえぐざまさんは、25浪目の2022年度入試で獨協大学や東洋大学の理系学部など、のべ6大学に合格し、たしかな感触を得ました。
着実に成長を続けた彼は、26浪目の2023年度入試で英検の合格を活用しつつ、法政大学と関西大学を受験。関西大学こそ補欠に終わりますが、前年度に不合格だった法政大学に合格し、リベンジを果たします。そのほかにも同志社大学、旭川市立大学、千葉科学大学と計4大学に合格し、毎年、確実にステップアップをしていきました。
26浪目から、現役時代から得意だった国語に加え、社会の点数も安定し始めたという順風満帆の浪人生活を送っているように思えたえぐざまさん。
しかし、彼が目指す難関大学に合格するには、克服しなければいけない最大の課題が残っていることを、彼自身も自覚していました。
それは、彼が「最も苦手である」と語る英語です。英検2級に受かったとはいえ、英語力をさらに伸ばすことは、彼が本命として考えている東大・京大の大学院入試でも必要であり、最重要課題でした。
だからこそ、彼は2023年4月からの27浪目をスタートするにあたって、今までの自分を変える取り組みをしていったのです。
何かを変えなければ、東大・京大の大学院入試合格に届かないと危機感を抱いたえぐざまさん。そこで、彼は英検1級の合格者である京大卒の家庭教師に指導を受け、英文解釈の基礎からみっちりと勉強することにしました。
その家庭教師の口癖は「英語は漬け物」でした。
「習ったことの成果は半年から1年ぐらいかかる」というもので、あるとき、ふと自分が理解していることを実感するという考え方です。
英語での成功体験に乏しいえぐざまさんにとっては半信半疑でしたが、今までの自分を変えるために何もしないわけにはいかないので、家庭教師を信じ、二人三脚生活の受験生活が始まります。
その教師の指導で彼は、27浪目にして重大な欠点に気づくことになりました。
えぐざまさんは、英語は苦手でも国語は抜群に得意で、かつては塾でも国語講師をしていたほどでした。しかし、だからこそその読解力を英語でも生かそうとしており、「なんとなく適当に英文を読んでいたこと」を家庭教師が発見したのです。
「大意を掴むことも大切ですが、文構造が掴めていなかったのです。細かい文章の構造を見抜けていなかったことに気づきませんでした。第5文型のSVOC(主語・動詞・目的語・補語)を見抜こうなんて贅沢なことは言えないので、OCは度外視して、複雑な構造であっても、その主語と動詞だけを捉えて読むことだけを考えました」
この1年の家庭教師との勉強は、少しずつ成長を見せます。
2年前に2級を受けたときに1952点だったCSEスコアは、準1級で2182点を取れるまでになりました。こうして彼は、苦手だった英語でも少しずつ成功体験を獲得しました。
京都大学大学院の秋入試は不合格だったものの、着実に力をつけながら、2024年度の学部の一般入試を迎えることになります。
この年の彼は近畿大学の理系3学部、武蔵大学、前年も合格した法政大学も2学部で合格し、なんと受験前半は6勝0敗という快進撃を続けます。
しかし、毎年着実にステップアップしていた彼にとって、この一般入試で最大の合格目標に置いていたのは早慶でした。
「このまま早慶でも奇跡が起きてくれないかな、と願っていました」
そして、破竹の勢いそのままについに早慶の入試シーズンを迎えます。ずっと憧れていた慶應のキャンパス……。そこに入ったえぐざまさんは、長年の思いを抑えられず、思わずポロポロと泣き始めたそうです。
受験当日の写真(写真:えぐざまさん提供)
「たしかに今まで何度も早慶を受験してきたけれど、世間的に言えば記念受験とみなされるレベルでした。ですが、今年はきちんとここまで全勝して、MARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)に受かって、ほかの受験生と同じスタートラインに立って、互角に戦う権利をもって会場に入れたんです。これまでずっと学歴的に不遇な人生を歩み続けていた27年間の思いが、我慢しきれなかったのです」
これまでの人生と、今の自分の姿を見比べて、涙を流したえぐざまさん。ひとしきり泣いた後は、しっかり戦闘モードに切り替えることができ、百戦錬磨の受験生の顔に戻りました。
「この会場でいちばん多く受験をしてきたのは自分なんだ。過去には東大だって京大だって受けてきたんだから、このぐらいの緊張はどうってことない!」と自身を奮い立たせました。参加賞気分で受験していた今までとは一変し、27年間で初めての”死闘”といっても過言ではない戦いだったと言います。
こうして臨んだ慶應の大学受験は、まるで歯が立たなかったと感じたそうです。他大学での英語とは異なる難易度に、試験中も「ああダメだ、半分ぐらいしか長文の意味がわからない」と落胆しそうになりました。
しかしその一方で、今まで家庭教師と二人三脚で歩んできた日々の成果もあり、「どうだ、今の私は早慶の英語長文でも半分読めるんだぞ、もう昔の自分じゃない」と最後の最後までポジティブな精神を欠かさずに、時間終了まで試験問題に食らいつきました。他の科目も、今できる彼の精一杯を答案用紙に書き込んだようです。こうして、精神を消耗させた長い1日を全力を出し切って終了しました。
慶應の英語の自己採点の結果は、えぐざまさんいわく「多分5割」。他の科目は得意だったのでもう少し高く取れたと思えたようですが、一般的に7割程度の得点率が必要とされる英語が足を引っ張り、合格するには到底足りない数字と思っていたそうです。
私大の最高峰・早慶の受験は、SNSや予備校の解答速報、YouTuberの解説動画なども充実していて、解答や解説の情報が次々に流れてきます。「これぞ早慶の隠れた凄さだと思いました」。
自分の戦った「祭りのあと」の雰囲気に思いを馳せながらSNSを見ていた彼は、「今年の英語は難化した」「合格最低点は確実に下がりそう」という噂がネット上で流れ始めているのを確認します。しかし、それでも本人の中では「合格可能性は1%未満」と考えており、受験の熱が冷めないうちに翌年に向けて準備を始めようと、参考書を開き始めていました。
「早慶に受験に行けたことだけで、十分満足していました」
結局、合格発表の朝も合格に希望を持っていたMARCHのときは「時間前にパソコンの前に正座していた」のが、早慶になると「発表時刻の直前にようやくパソコンを開き、やる気なさげに不合格通知の確認をした」そうです。本人的には「補欠だったら知り合いに自慢しよう」ぐらいに思っていたようでした。
しかし、人生は面白いものです。早稲田こそ不合格でしたが、慶應の合否発表でえぐざまさんの眼前に現れたのは「合格」の2文字でした。
オンライン合否案内(写真:えぐざまさん提供)
MARCH合格のときにも、慶應受験のときにも涙した彼。しかし、このときばかりは本当に夢にも思っていなかったようで、「ただただ呆然としていた」そうです。
事態を飲み込めずに数分沈黙したあと我に返ったえぐざまさんは、誰もいない家でガッツポーズしながら慶應義塾塾歌を歌い始めました。苦節27年。ついに、夢が叶った瞬間でした。
「大学生のときも、社会人として働いているときも、いつも心のどこかでは浪人生だった」と語るえぐざまさんの「浪人生」という称号を、彼はついにこれ以上ない形で返上することになりました。しかし、彼の野望はそれでは終わりません。
「卒業後は東大か京大の大学院に進学して生涯をかけて教育学を研究します。その意味でも、もう一度学部からみっちり勉強して、先生方や若くて優秀な学生から知識や考え方などを吸収して、研究の礎を積み上げていきます」
浪人という枷が外れたえぐざまさんの新たな人生が、今まさにスタートしました。
えぐざまさんの浪人生活の教訓:遠ければ遠いほど、勝ち取った喜びは大きい
(濱井 正吾 : 教育系ライター)

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