医師だと思っていた夫は詐欺師だった…なにも知らないセレブ妻と子を狂わせた”裕福な生活”の呪い

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2005年、耐震強度偽装問題で連日ワイドショーの主役となっていた姉歯元建築士の妻(当時49歳)は翌年、マンションから飛び降り自殺を図っている。当時、姉歯氏の派手な暮らしぶりにも批判が集まり、バッシングは家族の生活にまで多大な影響を与えたであろうことは容易に想像できる。
筆者はこうした「加害者家族」を対象とした支援活動を2008年から始め、マスコミが注目する重大事件を含め、これまで2500件以上の様々な状況にある加害者家族から相談を受けてきた。
犯罪者の家族といえば、貧困家庭を想像するかもしれないが、違法な手段によって贅沢な暮らしをしていた人々も存在している。ここでは、筆者が出会ってきた加害者家族の中で、夫が詐欺事件を起こしたことによって裕福な暮らしから一気に生活困窮に陥った「セレブ妻」たちの転落の人生に迫る。
なお、プライバシー保護の観点から登場人物の名前はすべて仮名とし、個人が特定されないようエピソードには若干の修正を加えている。
「私も事件後、何度もベランダから飛び降りようと思いました……」
千葉県に住む水谷紀子(仮名・40代)は当時を振り返りそう語る。都内の病院に勤務していた紀子の夫は、医師法違反、詐欺などの容疑である日、突然逮捕された。医師だと偽って講演で報酬を得ており、犯行に至った動機については「勤務先の待遇が不満だった」などと述べていたという。
家族の生活は一変した。都内の高層マンションを売却し、現在は離婚して千葉県内の家賃5万円のアパートに息子とふたりで暮らしている。
「家を手放さなければならないとわかったとき、いっそのこと、ここから飛び降りたら楽になれると思いました。いまでも高いところに行くと以前の生活を思い出して、飛び降りたい衝動に駆られるときがあります」
紀子の命を繋ぎとめたのは、息子の存在だ。当時、私立中学に通っていた息子の学費を支払うことができなくなり、転居先の中学に転校するが、これまでとあまりに違う雰囲気に馴染めず、息子は不登校になってしまった。
「夫の事件の責任は私にもあると思っています。ただ、息子にこんな思いをさせてしまったことが悔やまれてなりません……」
逮捕された夫は、紀子にとって再婚相手だった。紀子より一回り以上年上の相手で、前夫との離婚は、夫の会社の倒産がきっかけだった。どうやら、金の切れ目が縁の切れ目ということらしい。
「再婚して、子どもができてからは子どものことしか考えられなくなっていました。夫はほかに女性がいたようだし、お金さえ入れてくれていれば何をしても構わないと思ってましたから……。でもまさか、犯罪に手を染めるなんて……」
紀子は身なりはきちんとしているが、自分にお金を使うより息子の教育にお金をかけている「教育ママ」だった。
「いろんなことを学ばせてあげたほうが、将来の選択肢が広がると思って……」
事件直後の紀子はそう話していた。
事件後、生活に窮するようになった紀子に生活保護の申請も視野に入れるよう助言したが、
「生活保護なんて! それだけは絶対に嫌です」
と、セレブ妻のプライドなのか、頑なに拒んでいた。紀子は疎遠だった親族や友人に片っ端から電話をし、経済的な支援を求めるばかりで、仕事に就こうという様子は見受けられなかった。それでも選択は本人に委ねるしかない。
ところが間もなくして紀子は都内で仕事を見つけ、その後、不登校だった息子も無事高校進学を果たしていた。絶望の淵で、半ば自暴自棄だった親子を立ち直らせたのは、ひとつの目標だった。
「この子が医師になりたいというので、私が何とか頑張らなくちゃと思って……」
夫に失望した紀子は、さらに息子に期待しているように感じた。
「勉強大変だけど、本当に医学部に行きたいの?」
私は、紀子の息子に本音を尋ねると、
「もちろんです! 父親みたいになりたくないので、僕は一生懸命勉強して本物の医師になります!」
と、彼はイキイキした表情で答えた。
現実的にさまざまなハードルはあるものの、決して楽ではない親子の生活を支えている唯一の望みは、息子の医学部進学なのである。
「人の命を救う仕事は医師だけじゃないから、視野を広く持とうね」
いまの彼に対してかけられる精一杯の助言だった。
東京都在住の浅田真奈美(仮名・40代)の夫もまた詐欺罪で逮捕され、パニック状態で電話をしてきた。夫の職業を尋ねると、
「ITっていうんですかね? 正直、どんな仕事なのか、よく、わからないんです……」
紀子の場合同様、真奈美も夫の収入だけで生活しているにもかかわらず、毎月、どのくらいの収入を得ているのか把握してはおらず、仕事の内容についてもわかっていなかった。
夫の弁護人によれば、会社を経営している真奈美の夫は取引先の会社から総額1億円近くの金銭を騙し取ったとして詐欺罪で逮捕され、容疑は認めているということ。返済の目途は立っておらず、起訴され、実刑判決は免れない見込みだという。既に真奈美のもとには、弁護人を通して夫から離婚届が送られてきていた。
夫の銀行口座は既に凍結されており、真奈美の家族カードが利用できなくなるのも時間の問題だった。真奈美の手元には数万円の現金しかない。家電や時計、洋服など売れそうなものはすべて売っても5万円程度にしかならなかった。
頼ることができる家族もいない真奈美が息子と生きていくためには、生活保護を申請するほかなかった。
「私はどうなってもいいんですけど、息子が……。来年、中学受験だし、すべて息子のことを考えてここに引っ越してきたんです……」
泣き崩れる真奈美の側で、小学生の息子はカード遊びに夢中になっていた。よく見ると、カードには英単語が書かれており、英語の勉強をしているのだ。
「罪を犯したのは夫であって、この子には関係ないですよね? なんとかこの子を助けてくれませんか? お願いします!」
真奈美は床に手をついて私に頼んだ。「助ける」とは、息子にこれまでと同じ環境を与えて欲しいということだ。そんなことは到底無理である。中学受験は諦めてもらうしかない。
「夫も私も高卒なので、この子だけにはいい大学に入ってもらいたくて、幼稚園からいろんなことさせて来たんですよ! 何とかしてくださいよ!」
と、今度はキレる始末。気持ちはわかるが、事件以前の生活に戻すことはできないのだ。真奈美が求めているのは経済的な支援だけで、それ以外のことには耳を貸さないのである。こうしたケースを扱うのは実に根気がいる。
真奈美は中学受験に拘るが、大学進学の道が閉ざされたわけではないとなんとか説得し、母子ふたりで新しい生活を始めるに至ったが、真奈美は鬱(うつ)病で通院生活を送り、未だに現実を受け入れられていない。
一方、息子は、受験や習い事から解放された生活をむしろ喜んでいた。中学卒業後は土木関係の会社で働いており、莫大(ばくだい)な教育費がつぎ込まれたにもかかわらず、学歴は両親を下回る中卒となった。真奈美はさらに落ち込んだが、本人の選択なのだから受け入れるしかない。
紀子も真奈美も息子をいい大学に入れたいと訴えていたにもかかわらず、習い事などの出費は場当たり的で、将来の学費のために貯金をしていたわけでもなかった。夫が病気で失業した場合に備えた保険には加入していたが、犯罪者となって失業した家族が受けられる経済的支援はない。経済的に夫に頼り切った生活をしてきた妻たちの中には、事件後、生活が立ち行かなくなるケースは少なくない。
彼女たちは加害者か、それとも被害者か。自業自得だと、彼らに向けられる世間からの視線は厳しい。しかし、当たり前に続くと信じていた日々が、ある日突然、崩壊することは、これからの時代、誰にも起こりうることかもしれない。同情に値しない人々と切り捨てるのではなく、生きていくための支援があってよいだろう。
———-阿部 恭子(あべ・きょうこ)NPO法人World Open Heart理事長東北大学大学院法学研究科博士課程前期修了(法学修士)。2008年大学院在籍中に、社会的差別と自殺の調査・研究を目的とした任意団体World Open Heartを設立。宮城県仙台市を拠点として、全国で初めて犯罪加害者家族を対象とした各種相談業務や同行支援などの直接的支援と啓発活動を開始、全国の加害者家族からの相談に対応している。著書に『息子が人を殺しました』(幻冬舎新書)、『加害者家族を支援する』(岩波書店)、『家族が誰かを殺しても』(イースト・プレス)、『高学歴難民』(講談社現代新書)がある。———-
(NPO法人World Open Heart理事長 阿部 恭子)

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