多様性への理解は重要だけれど・・・ 性自認の強要や適性の無視へと暴走する一部の人たちも

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学校の学級会で何か決めなければならないとき、何でも多数決で決めることにモヤモヤした体験をした人は多いだろう。なかには、いつまでも少数派の意見が無視され、絶望的な気持ちになっていた人もいるかもしれない。そんな人たちにとって、近年の多様性を重んじようという社会運動と、それを称賛する雰囲気は喜ばしいことだろう。ところが、その人が運動しやすい都合がよい多様性を主張する人たちが出現し、周囲が困惑している。ライターの宮添優氏が、多様性を認めて推奨する学習や働きかけがされている、主に学校で起きている問題についてレポートする。
* * *「多様」であることは良いことである、とする機運が年々高まっている。中学や高校においては、女子生徒の制服がスカートとズボン、どちらも選べるようになっていたり、いわゆる「LGBTQ」に対する理解を深めるべく、外部から講師を招くなどして授業も行われているようだ。だが、この”良いこと”をすすめる現場では、小さくない問題が頻発しているという。
「急にズボンが良いと言い出したので、最初はそういう年頃なのかと思い、深くは考えませんでした」
こう話すのは、娘が千葉県内の公立中学に通うパート従業員の笹原悦子さん(40代・仮名)。ちょうど中学2年の夏休み直前、娘が「制服をズボンに変えたい」と訴えてきたのだ。
「娘はちょっとぽっちゃりしているのを気にしていて、脚を出すのが嫌なのかな、思春期だからかな、と思い、すぐズボンを買いに行きました。夏休み中の登校日にはズボンを履いて登校し、とても暑そうにしていましたが、特に様子がおかしいというわけではなかったんです」(笹原さん)
ところが夏休み明け、娘は急に学校に行きたくないと言い出し、部屋に閉じこもってしまったのだという。
「初めて”何かが起きている”と感じ、色々と考えました。もしかしたら、ズボンを他の生徒に笑われたりしたのではないかとか、ズボンに履き替えるくらいでは足らないくらい、自分の性に違和感を持っているのではないかなど、思いつく限りのいろいろなコトを考えました」(笹原さん)
笹原さんの娘は一週間ほど、頑なに口を閉じて登校を拒否するばかりだったが、心配して家にやってきた娘の同級生が教えてくれた話で、一体娘に何が起きているのか、初めて知った。
「LGBTQに関した授業で、外部からやってきた講師の女性から、娘は”あなたは性に違和感を持っている”とか”男性の格好をしたって良い”と何度もアドバイスを受けていたそうなんです。ズボンを履くように勧めたのもその講師でした。内気な娘は、講師に言われたことをハイハイと聞いてしまい、最後にはズボンをすすめられ、着用を拒否できなかったとお友達にも相談していました」(笹原さん)
まるで「多様性の押し付け」ではないかと憤った笹原さんは、すぐさま学校へ乗り込んだ。
「学校に行くと、担任や教頭、校長にまで平謝りをされ、講師の指導や、その指導を良しとしてきた学校側に責任がある、と認めました。ただ私としては、学校だけでなく、講師の責任もあるのではないかと思い、講師と直接話をさせてほしいと訴えました。でも、それだけは勘弁してくれと、担任の男性教師が泣き出す始末でした」(笹原さん)
のちに判明した事実だが、件の講師は業界ではある程度の知名度があるらしい。公表されているプロフィールによれば有名大卒のカウンセラーなどとあり、著作もある有力者で、地域の学校での授業や、自治体のシンポジウムなどにも登壇。教師たちの思いとしては「大ごとにしたくない」ということではなかったかと、笹原さんは振り返る。
「多様性を否定はしませんが、娘のように中学生で多感な時期に、権威のあるように見える人から”あなたは男性の方が良い”などと言われたら戸惑うに決まっています。自己形成もまだ未熟な子供に、大人でさえ理解が難しい多様性をどこまで考えさせるべきなのか疑問です」(笹原さん)
筆者も、多様性を否定するつもりはない。性自認についても、男になりたい、女になりたい、どちらにも分類されたくないというのは個人の自由だろう。明らかに人の邪魔をしたり不快にさせない限りは、どんな格好をしても自由で、極論は勝手にすれば良い。だが、自分の論理や価値観を、まして社会経験が乏しく、思考能力に限界のある子供たちに一方的に今すぐ決めることを「良いことである」と教え込み、子供たちを戸惑わせるようなことがあってはならないはずだ。
過去に笹原さんの娘のように「戸惑ってしまった」ことがあるという大学生の新庄翔太さん(20代・仮名)も、自らの経験を振り返る。
「姉2人、妹2人という家族環境で育ったせいか、小さい頃から仕草や言動が女の子っぽいと言われてきました。高校の時、LGBTQに関する授業があって、その最中にクラスの男子が”新庄は女っぽい”と囃し立ててきたんです。そしたら、担任が”新庄くんが女っぽくて何が悪い”と怒り出したんです。僕にとって友達の発言は冗談でしかなかったのですが、その後もことある度に、担任が”女の子になりたい願望があってもいいの”とか”いじめられたらすぐ言いなさい”と言ってくる。まあ、面倒見は良い先生だったんですが、そこまで求めていないのにと思っていました」(新庄さん)
実は新庄さん自身、周囲から「女っぽい」と言われて、傷つくどころか「狙ってやっていたかもしれない」と今はいう。
「思春期って、男っぽくしてみたいとかその逆だってあるじゃないですか。僕の場合は、途中から女の子ぽくしてるとモテることに気がついたのでやっていただけ(笑)。そうやって色々試して、子供から青年になって自己が形成されてという流れだと思うんです。そんな時期に、あなたはこうだからこうしなさいとか指導されても面倒なだけだし、もし僕が本気で先生の言うことを聞いて、あとから後悔するようなことになっていたら……。例えば、若いうちに性転換手術をしてしまい後悔している海外の方のニュースなどを見ると、背筋が寒くなる思いです」(新庄さん)
こうした「多様性の押し付け」は、何もジェンダー界隈だけで起きうるものではなくなっている。「多様性」を言い訳にした親たちの暴走が目に余ると筆者に打ち明けるのは、都内の少年野球チームでコーチを務める中村伸治さん(仮名・50代)だ。
「(米・大リーグの)大谷の影響からか、うちの子はピッチャーもバッターもやりたい、なんて言ってくる親御さんが多いこと多いこと(笑)。本人の希望もあれば、プレー適性だってあるのでその都度そう説明するんですが、今度は”多様性”などと仰るので、こちらは閉口するしかない。他にも、野球の他にバスケや水泳を子供に習わせている親御さんもいて、今は多様性が重視されるとか、一つのスポーツに偏るべきでない、海外はそうだ、という主張なんですが、子供への負担がものすごい。哀れで見ていられません」(中村さん)
確かにアメリカでは、アメリカンフットボールと野球に平行して取り組み、まず選手寿命が短いNFL選手に、その後、大リーグに挑戦という例もある。だが、それは学生スポーツにシーズン制を導入しており、たとえば春は野球、秋にアメリカンフットボール、という取り組み方をしているため同時に2つの競技の選手として育成が可能になっているからだ。2つの競技のためのトレーニングを、一年中、同じ負荷でかけ続けているわけではない。だが日本ではこのような仕組みになっていないため、慎重な配慮をせず子供に複数競技を習わせると、負担が倍増することにしかならない。
「多様性」の重要さは、今さら説明するまでもないが、その言葉が一人歩きするどころか暴走し「多様性」というルールに逆に縛り付けられているのが現代の我々ではないのか、改めてそう考えざるを得ない。また、こうしたムーブメントに大人も疲弊しているが、一番戸惑っているのが子供たちで、すでに被害が出ていることも決して傍らに置いておけない事実だろう。

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