【赤ちゃんを抱いたまま母親が……】能登半島・輪島火災 現場を襲う「頭痛を起こすほどの強烈な悪臭」の正体

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1月5日16時時点での、能登半島地震による石川県内の死者数は94人。県によると、そのうち輪島市が55人だという。輪島市の坂口茂市長は同日、倒壊した建物などの下敷きになっている住民らがまだ少なくとも100人以上いるとの見解を示した。また、1月1日の地震発生直後、市の観光名所である「朝市通り」南側の店舗周辺を火元に大規模な火事が起こり、店舗や住宅など200棟以上が焼けたとみられている。
【写真】ゴジラが通った跡のような輪島市・朝市通り。自動車も焼け落ちている。2020年当時、活気のあった朝市通りの写真も 吐き気を催すような悪臭──。1月4日、NEWSポストセブン取材班が輪島市を訪れると、まず強烈な匂いが鼻を突いた。火災発生の現場から1キロほど離れた辺りから、木材が焼けているような匂いをすでに感じていたが、いざ現場に到着すると、それに加えて、車やゴムが焼けたような匂い、生活雑貨も燃えているせいか、鼻をツンと刺す石油のような匂いも入り交ざり、頭痛がしてくるほどだった。 前日には大雨も降ったようだが、焼け落ちた建物の地面からは、ところどころ煙のようなものがゆらゆらと立ち上っている。火事が起こる前は一体どんな建物があり、人々がどんなふうに生活していたのか。焼け跡からは全く想像もつかない。サビ色に焦げた車、真っ黒に焦げた自動販売機……。まるで映画でゴジラが通った後が現実になったような地獄絵図だ。撤去作業員らが行き交う間に、焼けた土地を見て涙ぐむ人や、「もう見るのやだ」と涙しながら立ち去る夫婦の姿もあった。 焼け跡の近くに呆然と立ちすくんでいた70代女性に声をかけた。車を整備する店を営んでいるという。「うちのお客さんの女性が、赤ちゃんを抱えたまま火災で亡くなってしまったと……。いつも顔を見ている方でしたから、ちょっと考えられない……。赤ちゃんがどうなったかなんて、聞けませんでした……。 私の自宅は斜めに歪んでしまったものの、家族は無事でした。避難所にいましたが、赤ちゃんが泣いたり、奇声を上げる人がいたりして、寝られないので家に戻ってきました。でも周りは家が潰れているし、焦げ臭い匂いもして落ち着かない。まずは安心して寝られる場所が欲しいです」(70代女性) この強烈な匂いは、どこから来るものなのか。ベテランの全国紙記者は、東日本大震災や阪神・淡路大震災でも悪臭を経験したと語る。「平常時の町というのは、雨が降っても屋根から水が落ちて下水に流れたり、地面に染み込んだりして、ちゃんと雨水をさばけています。しかし、大規模火災で焼け焦げたところに雨が降ると、水はけが悪いせいで木材に染み込み、水が腐ったような匂いを漂わせます。そこに不燃物が焦げた臭いも混ざり合い、きつい悪臭となります。 火災臭は、少量を吸い込んだだけでも咳やめまい、頭痛、吐き気をもたらします。しかも燃えたものによっては、ダイオキシンやホルムアルデヒドが発生し、それらを吸い込めばアレルギーや喘息、呼吸困難といった深刻な健康被害を引き起こす恐れもあり、たかが悪臭と侮ることはできません。生き埋めになっている人は、身動きが取れない状態で、強烈な悪臭にも苦しんでいることでしょう」(全国紙記者) その歴史は平安時代にまで遡り、「日本三大朝市」のひとつにも数えられた輪島朝市。約360メートルの朝市通りには、鮮魚や民芸品を扱う店など数百軒がほぼ毎朝集まり、大勢の観光客で賑わっていた。しかし、いまや通りに並ぶ建物の多くが倒壊し、かつての活気は見る影もない。輪島塗の老舗店「塩徳屋漆器店」の店主である塩山浩之さんが、淡々と店の前を掃除していた。「元日、初詣から帰ってきたところで最初の弱めの地震にあいました。品物は大丈夫かと店を確認しに行ったら、大きい本震がきました。非常ベルが鳴って停電になり、とにかく立っていられなかった。揺れがおさまって外に出たら、道が蛇行していて、両隣と奥の家屋、正面の家屋が倒壊していました。これは異常事態だと高台にある自衛隊の駐屯地に逃げました。 朝市通りで火災が起きているというニュースを聞いて、にわかには信じられず、来てみたらこの惨状です。現実離れしていて、いまだに心の整理がつきません。この先どうしようかと途方に暮れる気持ちと、たった1日で生活が崩壊してしまう、世の中をこんなに変えてしまう自然の力を感じています」(塩山さん) 現地の誰もが穏やかに年始を過ごすつもりだっただろう。人々の日常を一変させた大地震。1人でも多くの命が助かって欲しい。
吐き気を催すような悪臭──。1月4日、NEWSポストセブン取材班が輪島市を訪れると、まず強烈な匂いが鼻を突いた。火災発生の現場から1キロほど離れた辺りから、木材が焼けているような匂いをすでに感じていたが、いざ現場に到着すると、それに加えて、車やゴムが焼けたような匂い、生活雑貨も燃えているせいか、鼻をツンと刺す石油のような匂いも入り交ざり、頭痛がしてくるほどだった。
前日には大雨も降ったようだが、焼け落ちた建物の地面からは、ところどころ煙のようなものがゆらゆらと立ち上っている。火事が起こる前は一体どんな建物があり、人々がどんなふうに生活していたのか。焼け跡からは全く想像もつかない。サビ色に焦げた車、真っ黒に焦げた自動販売機……。まるで映画でゴジラが通った後が現実になったような地獄絵図だ。撤去作業員らが行き交う間に、焼けた土地を見て涙ぐむ人や、「もう見るのやだ」と涙しながら立ち去る夫婦の姿もあった。
焼け跡の近くに呆然と立ちすくんでいた70代女性に声をかけた。車を整備する店を営んでいるという。
「うちのお客さんの女性が、赤ちゃんを抱えたまま火災で亡くなってしまったと……。いつも顔を見ている方でしたから、ちょっと考えられない……。赤ちゃんがどうなったかなんて、聞けませんでした……。
私の自宅は斜めに歪んでしまったものの、家族は無事でした。避難所にいましたが、赤ちゃんが泣いたり、奇声を上げる人がいたりして、寝られないので家に戻ってきました。でも周りは家が潰れているし、焦げ臭い匂いもして落ち着かない。まずは安心して寝られる場所が欲しいです」(70代女性)
この強烈な匂いは、どこから来るものなのか。ベテランの全国紙記者は、東日本大震災や阪神・淡路大震災でも悪臭を経験したと語る。
「平常時の町というのは、雨が降っても屋根から水が落ちて下水に流れたり、地面に染み込んだりして、ちゃんと雨水をさばけています。しかし、大規模火災で焼け焦げたところに雨が降ると、水はけが悪いせいで木材に染み込み、水が腐ったような匂いを漂わせます。そこに不燃物が焦げた臭いも混ざり合い、きつい悪臭となります。
火災臭は、少量を吸い込んだだけでも咳やめまい、頭痛、吐き気をもたらします。しかも燃えたものによっては、ダイオキシンやホルムアルデヒドが発生し、それらを吸い込めばアレルギーや喘息、呼吸困難といった深刻な健康被害を引き起こす恐れもあり、たかが悪臭と侮ることはできません。生き埋めになっている人は、身動きが取れない状態で、強烈な悪臭にも苦しんでいることでしょう」(全国紙記者)
その歴史は平安時代にまで遡り、「日本三大朝市」のひとつにも数えられた輪島朝市。約360メートルの朝市通りには、鮮魚や民芸品を扱う店など数百軒がほぼ毎朝集まり、大勢の観光客で賑わっていた。しかし、いまや通りに並ぶ建物の多くが倒壊し、かつての活気は見る影もない。輪島塗の老舗店「塩徳屋漆器店」の店主である塩山浩之さんが、淡々と店の前を掃除していた。
「元日、初詣から帰ってきたところで最初の弱めの地震にあいました。品物は大丈夫かと店を確認しに行ったら、大きい本震がきました。非常ベルが鳴って停電になり、とにかく立っていられなかった。揺れがおさまって外に出たら、道が蛇行していて、両隣と奥の家屋、正面の家屋が倒壊していました。これは異常事態だと高台にある自衛隊の駐屯地に逃げました。
朝市通りで火災が起きているというニュースを聞いて、にわかには信じられず、来てみたらこの惨状です。現実離れしていて、いまだに心の整理がつきません。この先どうしようかと途方に暮れる気持ちと、たった1日で生活が崩壊してしまう、世の中をこんなに変えてしまう自然の力を感じています」(塩山さん)
現地の誰もが穏やかに年始を過ごすつもりだっただろう。人々の日常を一変させた大地震。1人でも多くの命が助かって欲しい。

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