【池上彰】「首相夫人がミニスカートをはいてるぞ!」…日本中に衝撃が走った当時の「昭和のファッション」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

昭和のファッションはどのようなものだったのでしょうか。
当時の流行を池上彰さんが実体験をまじえて振り返ります。
【※本記事は、池上彰『昭和の青春 日本を動かした世代の原動力』(11月16日発売)から抜粋・編集したものです。】
本書で食の世界に西欧のスタイルが入ってきたことに触れましたが、ファッションの分野でも同じ流れが起きました。
なかでもインパクトがあったのは1967年に来日したイギリスのファッションモデル、ツイッギーです。
ツイッギー(GettyImages)
ツイッギーとは「小枝ちゃん」という意味のあだ名で、本名は別にありました。あだ名の通り身体が細くて小枝のようで、ミニスカートがよく似合う彼女は「ミニの女王」とも呼ばれました。
この頃はミニスカートを穿くこと自体、相当なインパクトがありました。女性が脚を見せることは、旧来的な価値観からすればあり得なかったのです。
佐藤栄作夫人の佐藤寛子さんは首相と外遊後、帰国して飛行機のタラップから降りてくるとき、短めのスカートを着て大きな話題になりました。「首相夫人がミニスカートを穿いているぞ」ということで当時は驚きがあったのです。しかし、いま見てみると別にどうということもありません。
ミニスカートはスタイルがよくて脚が長くないと似合わないので、その流行は日本でも脚が長い若い女性たちが出てきたという話でもありました。床に座ってちゃぶ台でご飯を食べる生活から椅子とテーブルを使う生活への変化で、だんだんスタイルがよくなっていったのでしょう。
若者男性のファッションをリードしたのは、VANやJUNといったブランドに代表されるアイビー・ルックです。
アイビー・ルックはアメリカの学生の間で人気のあったスタイルです。60年代は『平凡パンチ』などの雑誌が創刊され、こうしたアメリカのさまざまな文化やファッションが紹介されて人気を集めました。
また、膝から裾に向かってズボンの形が大きく広がるベルボトムジーンズの流行も印象的でした。もちろんこれらのファッションは、前の世代が着ていた服とは大きく異なるものです。

あの熱い時代「昭和」とは何だったのか。
学生運動、高度経済成長、新たな文化、繁栄の「陰」…
池上彰『昭和の青春 日本を動かした世代の原動力』(11月16日発売)は、1950(昭和25)年生まれの池上彰氏が実体験をまじえながら「昭和」を解き明かします!

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。