テレビ番組で「大胆不敵すぎる嘘」をついた瞬間も…政治家・小池百合子が語ってきた「華麗なる経歴のほころび」

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自らを「芦屋令嬢」と称し、名門・カイロ大学を“首席で卒業”。そしてニュースキャスターから政治家の道へ―― 小池百合子(71)は類まれなる自己演出力を発揮しながら、権力の頂点へと続く階段を上り続けてきた。しかし、その経歴には多くの謎があるのもまた事実。彼女は一体何者なのか?
【画像】ミニスカートからすらりとした脚線が…若き日の小池百合子の写真を見る(全13枚)
ここでは、ノンフィクション作家・石井妙子氏が3年半にわたる徹底取材を行い、小池氏の素顔に迫った『女帝 小池百合子』(文春文庫)から「序章」を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/続きを読む)
文藝春秋
◆◆◆
その人はひどく怯え、絶対に自分の名が特定されないようにしてくれと、何度も私に訴えた。同じような言葉をこれまでに、いったいどれだけ耳にしたことだろう。
ある日を境に電話に出てくれなくなってしまった人もいれば、家族が出て来て、「二度と近づいてくれるな」と追い払われたこともあった。皆、「彼女を語ること」を極度に恐れているのだ。
彼女のことを古くから知るというその人は、躊躇いながらも上ずる声で話し出すと、憑かれたように語り続けた。
「なんでも作ってしまう人だから。自分の都合のいいように。空想なのか、夢なのか。それすら、さっぱりわからない。彼女は白昼夢の中にいて、白昼夢の中を生きている。願望は彼女にとっては事実と一緒。彼女が生み出す蜃気楼。彼女が白昼見る夢に、皆が引きずり込まれてる。蜃気楼とも気づかずに」
確かに蜃気楼のようなものであるかもしれないと、私は話を聞きながら思った。
世間には陽のあたる坂道を上りつめた女性として、おそらくは見られていることだろう。女の身で政界にこれだけの地歩を築いたのだから。けれど、彼女自身は果たして「自分」をどう見ているのか。頂に登り周囲を見下ろし、太陽に近づいたと思っているのか。それとも、少しもそうは思えずにいるのか。 ただ一つだけ、はっきりとしていることがある。彼女は決して下を見なかった、ということだ。怖気づいてしまわぬように。深淵に引き込まれないように。ひたすら上だけを見て、虚と実の世界を行き来している。緑の戦闘服に身を包んで 2016年夏、日本の首都は異様な熱気に包まれていた。 都知事を決める選挙に、突如、彼女が名乗りを上げたからだ。緑の戦闘服に身を包み、彼女は選挙カーの上で叫んでいた。足下の群衆に向かって。「崖から飛び降りました! 覚悟はできておりまーす!」 それに呼応して歓喜の声が湧き起こる。緑の布を振り上げ、人々は彼女の名を連呼した。「百合子! 百合子! 百合子!」 アスファルトとコンクリートで作りあげられた大都市の、うだるような暑さの中で。 天皇が生前退位の意向を伝えた夏、彼女は圧倒的な勝利を収めると女性初の都知事となった。それから早くも、4年の歳月が経とうとしている。 平成という時代が終わり、眼の前から過ぎ去りつつある。 ひとつの時代は社会を代表するものが記述された時、初めて歴史になるという。ならば、私たちは誰を語り、誰を描けば、平成を歴史とすることができるのだろうか。将来、誰を時代の象徴として記憶に留めることになるのだろうか。 時の流れは速くなりテクノロジーの進化によって、情報量は格段に増えた。人気者も、権力者も、あっという間にいなくなる。生まれては消えていくスターたち。記憶におぼろな出来事の数々。代表者なき時代、それが平成の特徴だという皮肉屋の声も、どこからか聞こえてくる。 ならば、そこにもう一つ、「女」という枠を与えてみたらどうだろう。少しは答えが出やすくなるか。平成を代表する女性は、誰か。そう考えてみた時、初めて彼女の名が思い浮かんだ。「権力と寝る女」という揶揄も「しょせんは権力者の添え物」、「時代の徒花」といった冷めた意見や異論もあることを知っている。だが、添え物にしろ徒花にしろ、そこにはやはり、時代の特徴とでもいうべきものが、現れていると見るべきだろう。 彼女は平成のはじまりに、華々しくテレビ界から転身して政治家となった。 2世、3世ばかりの政界で、たとえ政権交代があろうとも、沈むことなく生き抜いた。「権力と寝る女」、「政界渡り鳥」と揶揄されながらも、常に党首や総理と呼ばれる人の傍らに、その身を置いてきた。権力者は入れ替わる。けれど、彼女は入れ替わらない。そんな例を他に知らない。 男の為政者に引き立てられて位を極め、さらには男社会を敵に見立てて、階段を上っていった。女性初の総理候補者として、何度も名を取り上げられている。 ここまで権力を求め、権力を手にした女は、過去にいない。なぜ、彼女にだけ、それが可能だったのか。 おそらく彼女には、人を惹きつける何かがあるのだろう。権力者に好かれ、大衆に慕われる何かが。 選挙での言葉は力強く、熱を帯び、人々を興奮させる。芝居がかった所作や過剰な表現。ひどく饒舌で耳触りの良い演説。「敵」を作り出して戦う姿勢を見せながら、他者から共感を引き出していく手法。忘れられない「ひとつの嘘」 2016年夏の選挙をめぐる狂騒を、私は主にテレビを通じて見ていたが、未だに記憶に残り忘れられない場面がある。彼女が対抗馬の鳥越俊太郎を街頭演説で、「病み上がりの人」と言ったのだ。それは明らかな失言であるとされ、何度かテレビでも流された。だが、私が忘れられずにいるのは、その後の彼女の振る舞いである。 テレビ番組の討論会で顔を合わせると、鳥越は彼女に激しく食ってかかった。「私のことを『病み上がりの人』と言いましたねっ」 彼女はどう詫び、どう切り抜けるつもりなのか。私はそれを知りたいと思い、次の瞬間を見逃すまいとした。 彼女はおもむろに口を開いた。だが、それは私の、まったく想像し得ない答えだった。「いいえ、言ってませんねえ」 テレビを通じて、おそらくは何十万、何百万の人が「病み上がりの人」と彼女が口にするのを見ていたはずである。それでも、「言ってない」という。「言ってないって、証拠だって」 鳥越のほうが取り乱し、声が裏返ってしまっていた。 私はこの短いやり取りが、選挙後も長く忘れられなかった。小池百合子に感じた「違和感」 私が書き手として、平成の代表者である彼女に向き合うことになったきっかけは、月刊誌からの原稿執筆の依頼だった。都知事選が終わり、騒がしい夏が去ろうという頃のことだ。 私はそれを引き受けて、いつもと変わらぬ手順で執筆しようと試みた。資料を集めて読み込むことからすべては始まる。彼女は政治家の中でも群を抜いて自著の多い人である。受けたインタビューや対談の類も膨大な量にのぼり、読むべき資料には事欠かなかった。 ところが、それらを読み始めて間もなく、私の手は止まってしまった。違和感がぬぐえなくなったからだ。疑念が次々と湧き上がり、私は当惑した。 彼女が書いていること、答えていること、語ってきたこと。それらは、果たして真実といえるのか。 あまりにも話が出来すぎている。あまりにも話の辻褄が合わない。あまりにも矛盾があり、腑に落ちないことが多すぎる。華麗なる経歴のほころび たとえば、彼女はエジプトの名門校として知られるカイロ大学を、正規の4年で卒業することのできた最初の日本人であり首席だった、と何度となく述べている。1972年に入学し76年に卒業した、と。 だが、テレビタレント時代に発表した1冊目の著書、『振り袖、ピラミッドを登る』には「1年目は留年して」と彼女自身が書いている。留年したのならば、卒業は1977年以降でなければおかしい。だいたい、学生数が10万人を超える外国の名門大学を留学生が首席で卒業できるものなのか。 こうした綻びはひとつやふたつではなかった。 彼女ほど自分の生い立ちや経歴、経験を売り物としてきた政治家もいない。彼女は好んでマスコミを通じて、自分の私的な「物語」を流布し続けてきた。魅力に富んだ彼女の「過去」が、彼女を特別な存在として輝かせてきたのである。 政治家になるにあたって、政治家になってからも、彼女が武器にし、切り札としたものは、この自分をめぐる「物語」であり、それなくして今の彼女は存在し得ない。 では、その「物語」は今までに一度でも、きちんと検証されたことがあっただろうか。彼女の白昼夢ではないと言い切ることはできるのだろうか。 女性初の都知事であり、女性初の総理候補者とも言われる小池百合子。 いったい、彼女は何者か。〈「選挙もミニスカートで通します」と宣言…40歳で政界入り、小池百合子が見せたライバルへの「容赦ない攻撃」〉へ続く(石井 妙子/文春文庫)
世間には陽のあたる坂道を上りつめた女性として、おそらくは見られていることだろう。女の身で政界にこれだけの地歩を築いたのだから。けれど、彼女自身は果たして「自分」をどう見ているのか。頂に登り周囲を見下ろし、太陽に近づいたと思っているのか。それとも、少しもそうは思えずにいるのか。
ただ一つだけ、はっきりとしていることがある。彼女は決して下を見なかった、ということだ。怖気づいてしまわぬように。深淵に引き込まれないように。ひたすら上だけを見て、虚と実の世界を行き来している。
2016年夏、日本の首都は異様な熱気に包まれていた。
都知事を決める選挙に、突如、彼女が名乗りを上げたからだ。緑の戦闘服に身を包み、彼女は選挙カーの上で叫んでいた。足下の群衆に向かって。
「崖から飛び降りました! 覚悟はできておりまーす!」
それに呼応して歓喜の声が湧き起こる。緑の布を振り上げ、人々は彼女の名を連呼した。
「百合子! 百合子! 百合子!」
アスファルトとコンクリートで作りあげられた大都市の、うだるような暑さの中で。
天皇が生前退位の意向を伝えた夏、彼女は圧倒的な勝利を収めると女性初の都知事となった。それから早くも、4年の歳月が経とうとしている。
平成という時代が終わり、眼の前から過ぎ去りつつある。
ひとつの時代は社会を代表するものが記述された時、初めて歴史になるという。ならば、私たちは誰を語り、誰を描けば、平成を歴史とすることができるのだろうか。将来、誰を時代の象徴として記憶に留めることになるのだろうか。
時の流れは速くなりテクノロジーの進化によって、情報量は格段に増えた。人気者も、権力者も、あっという間にいなくなる。生まれては消えていくスターたち。記憶におぼろな出来事の数々。代表者なき時代、それが平成の特徴だという皮肉屋の声も、どこからか聞こえてくる。
ならば、そこにもう一つ、「女」という枠を与えてみたらどうだろう。少しは答えが出やすくなるか。平成を代表する女性は、誰か。そう考えてみた時、初めて彼女の名が思い浮かんだ。
「権力と寝る女」という揶揄も「しょせんは権力者の添え物」、「時代の徒花」といった冷めた意見や異論もあることを知っている。だが、添え物にしろ徒花にしろ、そこにはやはり、時代の特徴とでもいうべきものが、現れていると見るべきだろう。 彼女は平成のはじまりに、華々しくテレビ界から転身して政治家となった。 2世、3世ばかりの政界で、たとえ政権交代があろうとも、沈むことなく生き抜いた。「権力と寝る女」、「政界渡り鳥」と揶揄されながらも、常に党首や総理と呼ばれる人の傍らに、その身を置いてきた。権力者は入れ替わる。けれど、彼女は入れ替わらない。そんな例を他に知らない。 男の為政者に引き立てられて位を極め、さらには男社会を敵に見立てて、階段を上っていった。女性初の総理候補者として、何度も名を取り上げられている。 ここまで権力を求め、権力を手にした女は、過去にいない。なぜ、彼女にだけ、それが可能だったのか。 おそらく彼女には、人を惹きつける何かがあるのだろう。権力者に好かれ、大衆に慕われる何かが。 選挙での言葉は力強く、熱を帯び、人々を興奮させる。芝居がかった所作や過剰な表現。ひどく饒舌で耳触りの良い演説。「敵」を作り出して戦う姿勢を見せながら、他者から共感を引き出していく手法。忘れられない「ひとつの嘘」 2016年夏の選挙をめぐる狂騒を、私は主にテレビを通じて見ていたが、未だに記憶に残り忘れられない場面がある。彼女が対抗馬の鳥越俊太郎を街頭演説で、「病み上がりの人」と言ったのだ。それは明らかな失言であるとされ、何度かテレビでも流された。だが、私が忘れられずにいるのは、その後の彼女の振る舞いである。 テレビ番組の討論会で顔を合わせると、鳥越は彼女に激しく食ってかかった。「私のことを『病み上がりの人』と言いましたねっ」 彼女はどう詫び、どう切り抜けるつもりなのか。私はそれを知りたいと思い、次の瞬間を見逃すまいとした。 彼女はおもむろに口を開いた。だが、それは私の、まったく想像し得ない答えだった。「いいえ、言ってませんねえ」 テレビを通じて、おそらくは何十万、何百万の人が「病み上がりの人」と彼女が口にするのを見ていたはずである。それでも、「言ってない」という。「言ってないって、証拠だって」 鳥越のほうが取り乱し、声が裏返ってしまっていた。 私はこの短いやり取りが、選挙後も長く忘れられなかった。小池百合子に感じた「違和感」 私が書き手として、平成の代表者である彼女に向き合うことになったきっかけは、月刊誌からの原稿執筆の依頼だった。都知事選が終わり、騒がしい夏が去ろうという頃のことだ。 私はそれを引き受けて、いつもと変わらぬ手順で執筆しようと試みた。資料を集めて読み込むことからすべては始まる。彼女は政治家の中でも群を抜いて自著の多い人である。受けたインタビューや対談の類も膨大な量にのぼり、読むべき資料には事欠かなかった。 ところが、それらを読み始めて間もなく、私の手は止まってしまった。違和感がぬぐえなくなったからだ。疑念が次々と湧き上がり、私は当惑した。 彼女が書いていること、答えていること、語ってきたこと。それらは、果たして真実といえるのか。 あまりにも話が出来すぎている。あまりにも話の辻褄が合わない。あまりにも矛盾があり、腑に落ちないことが多すぎる。華麗なる経歴のほころび たとえば、彼女はエジプトの名門校として知られるカイロ大学を、正規の4年で卒業することのできた最初の日本人であり首席だった、と何度となく述べている。1972年に入学し76年に卒業した、と。 だが、テレビタレント時代に発表した1冊目の著書、『振り袖、ピラミッドを登る』には「1年目は留年して」と彼女自身が書いている。留年したのならば、卒業は1977年以降でなければおかしい。だいたい、学生数が10万人を超える外国の名門大学を留学生が首席で卒業できるものなのか。 こうした綻びはひとつやふたつではなかった。 彼女ほど自分の生い立ちや経歴、経験を売り物としてきた政治家もいない。彼女は好んでマスコミを通じて、自分の私的な「物語」を流布し続けてきた。魅力に富んだ彼女の「過去」が、彼女を特別な存在として輝かせてきたのである。 政治家になるにあたって、政治家になってからも、彼女が武器にし、切り札としたものは、この自分をめぐる「物語」であり、それなくして今の彼女は存在し得ない。 では、その「物語」は今までに一度でも、きちんと検証されたことがあっただろうか。彼女の白昼夢ではないと言い切ることはできるのだろうか。 女性初の都知事であり、女性初の総理候補者とも言われる小池百合子。 いったい、彼女は何者か。〈「選挙もミニスカートで通します」と宣言…40歳で政界入り、小池百合子が見せたライバルへの「容赦ない攻撃」〉へ続く(石井 妙子/文春文庫)
「しょせんは権力者の添え物」、「時代の徒花」といった冷めた意見や異論もあることを知っている。だが、添え物にしろ徒花にしろ、そこにはやはり、時代の特徴とでもいうべきものが、現れていると見るべきだろう。
彼女は平成のはじまりに、華々しくテレビ界から転身して政治家となった。
2世、3世ばかりの政界で、たとえ政権交代があろうとも、沈むことなく生き抜いた。
「権力と寝る女」、「政界渡り鳥」と揶揄されながらも、常に党首や総理と呼ばれる人の傍らに、その身を置いてきた。権力者は入れ替わる。けれど、彼女は入れ替わらない。そんな例を他に知らない。
男の為政者に引き立てられて位を極め、さらには男社会を敵に見立てて、階段を上っていった。女性初の総理候補者として、何度も名を取り上げられている。
ここまで権力を求め、権力を手にした女は、過去にいない。なぜ、彼女にだけ、それが可能だったのか。
おそらく彼女には、人を惹きつける何かがあるのだろう。権力者に好かれ、大衆に慕われる何かが。
選挙での言葉は力強く、熱を帯び、人々を興奮させる。芝居がかった所作や過剰な表現。ひどく饒舌で耳触りの良い演説。「敵」を作り出して戦う姿勢を見せながら、他者から共感を引き出していく手法。
2016年夏の選挙をめぐる狂騒を、私は主にテレビを通じて見ていたが、未だに記憶に残り忘れられない場面がある。彼女が対抗馬の鳥越俊太郎を街頭演説で、「病み上がりの人」と言ったのだ。それは明らかな失言であるとされ、何度かテレビでも流された。だが、私が忘れられずにいるのは、その後の彼女の振る舞いである。
テレビ番組の討論会で顔を合わせると、鳥越は彼女に激しく食ってかかった。
「私のことを『病み上がりの人』と言いましたねっ」
彼女はどう詫び、どう切り抜けるつもりなのか。私はそれを知りたいと思い、次の瞬間を見逃すまいとした。
彼女はおもむろに口を開いた。だが、それは私の、まったく想像し得ない答えだった。
「いいえ、言ってませんねえ」 テレビを通じて、おそらくは何十万、何百万の人が「病み上がりの人」と彼女が口にするのを見ていたはずである。それでも、「言ってない」という。「言ってないって、証拠だって」 鳥越のほうが取り乱し、声が裏返ってしまっていた。 私はこの短いやり取りが、選挙後も長く忘れられなかった。小池百合子に感じた「違和感」 私が書き手として、平成の代表者である彼女に向き合うことになったきっかけは、月刊誌からの原稿執筆の依頼だった。都知事選が終わり、騒がしい夏が去ろうという頃のことだ。 私はそれを引き受けて、いつもと変わらぬ手順で執筆しようと試みた。資料を集めて読み込むことからすべては始まる。彼女は政治家の中でも群を抜いて自著の多い人である。受けたインタビューや対談の類も膨大な量にのぼり、読むべき資料には事欠かなかった。 ところが、それらを読み始めて間もなく、私の手は止まってしまった。違和感がぬぐえなくなったからだ。疑念が次々と湧き上がり、私は当惑した。 彼女が書いていること、答えていること、語ってきたこと。それらは、果たして真実といえるのか。 あまりにも話が出来すぎている。あまりにも話の辻褄が合わない。あまりにも矛盾があり、腑に落ちないことが多すぎる。華麗なる経歴のほころび たとえば、彼女はエジプトの名門校として知られるカイロ大学を、正規の4年で卒業することのできた最初の日本人であり首席だった、と何度となく述べている。1972年に入学し76年に卒業した、と。 だが、テレビタレント時代に発表した1冊目の著書、『振り袖、ピラミッドを登る』には「1年目は留年して」と彼女自身が書いている。留年したのならば、卒業は1977年以降でなければおかしい。だいたい、学生数が10万人を超える外国の名門大学を留学生が首席で卒業できるものなのか。 こうした綻びはひとつやふたつではなかった。 彼女ほど自分の生い立ちや経歴、経験を売り物としてきた政治家もいない。彼女は好んでマスコミを通じて、自分の私的な「物語」を流布し続けてきた。魅力に富んだ彼女の「過去」が、彼女を特別な存在として輝かせてきたのである。 政治家になるにあたって、政治家になってからも、彼女が武器にし、切り札としたものは、この自分をめぐる「物語」であり、それなくして今の彼女は存在し得ない。 では、その「物語」は今までに一度でも、きちんと検証されたことがあっただろうか。彼女の白昼夢ではないと言い切ることはできるのだろうか。 女性初の都知事であり、女性初の総理候補者とも言われる小池百合子。 いったい、彼女は何者か。〈「選挙もミニスカートで通します」と宣言…40歳で政界入り、小池百合子が見せたライバルへの「容赦ない攻撃」〉へ続く(石井 妙子/文春文庫)
「いいえ、言ってませんねえ」
テレビを通じて、おそらくは何十万、何百万の人が「病み上がりの人」と彼女が口にするのを見ていたはずである。それでも、「言ってない」という。
「言ってないって、証拠だって」
鳥越のほうが取り乱し、声が裏返ってしまっていた。
私はこの短いやり取りが、選挙後も長く忘れられなかった。
私が書き手として、平成の代表者である彼女に向き合うことになったきっかけは、月刊誌からの原稿執筆の依頼だった。都知事選が終わり、騒がしい夏が去ろうという頃のことだ。
私はそれを引き受けて、いつもと変わらぬ手順で執筆しようと試みた。資料を集めて読み込むことからすべては始まる。彼女は政治家の中でも群を抜いて自著の多い人である。受けたインタビューや対談の類も膨大な量にのぼり、読むべき資料には事欠かなかった。
ところが、それらを読み始めて間もなく、私の手は止まってしまった。違和感がぬぐえなくなったからだ。疑念が次々と湧き上がり、私は当惑した。
彼女が書いていること、答えていること、語ってきたこと。それらは、果たして真実といえるのか。
あまりにも話が出来すぎている。あまりにも話の辻褄が合わない。あまりにも矛盾があり、腑に落ちないことが多すぎる。
たとえば、彼女はエジプトの名門校として知られるカイロ大学を、正規の4年で卒業することのできた最初の日本人であり首席だった、と何度となく述べている。1972年に入学し76年に卒業した、と。
だが、テレビタレント時代に発表した1冊目の著書、『振り袖、ピラミッドを登る』には「1年目は留年して」と彼女自身が書いている。留年したのならば、卒業は1977年以降でなければおかしい。だいたい、学生数が10万人を超える外国の名門大学を留学生が首席で卒業できるものなのか。 こうした綻びはひとつやふたつではなかった。 彼女ほど自分の生い立ちや経歴、経験を売り物としてきた政治家もいない。彼女は好んでマスコミを通じて、自分の私的な「物語」を流布し続けてきた。魅力に富んだ彼女の「過去」が、彼女を特別な存在として輝かせてきたのである。 政治家になるにあたって、政治家になってからも、彼女が武器にし、切り札としたものは、この自分をめぐる「物語」であり、それなくして今の彼女は存在し得ない。 では、その「物語」は今までに一度でも、きちんと検証されたことがあっただろうか。彼女の白昼夢ではないと言い切ることはできるのだろうか。 女性初の都知事であり、女性初の総理候補者とも言われる小池百合子。 いったい、彼女は何者か。〈「選挙もミニスカートで通します」と宣言…40歳で政界入り、小池百合子が見せたライバルへの「容赦ない攻撃」〉へ続く(石井 妙子/文春文庫)
だが、テレビタレント時代に発表した1冊目の著書、『振り袖、ピラミッドを登る』には「1年目は留年して」と彼女自身が書いている。留年したのならば、卒業は1977年以降でなければおかしい。だいたい、学生数が10万人を超える外国の名門大学を留学生が首席で卒業できるものなのか。
こうした綻びはひとつやふたつではなかった。
彼女ほど自分の生い立ちや経歴、経験を売り物としてきた政治家もいない。彼女は好んでマスコミを通じて、自分の私的な「物語」を流布し続けてきた。魅力に富んだ彼女の「過去」が、彼女を特別な存在として輝かせてきたのである。
政治家になるにあたって、政治家になってからも、彼女が武器にし、切り札としたものは、この自分をめぐる「物語」であり、それなくして今の彼女は存在し得ない。
では、その「物語」は今までに一度でも、きちんと検証されたことがあっただろうか。彼女の白昼夢ではないと言い切ることはできるのだろうか。
女性初の都知事であり、女性初の総理候補者とも言われる小池百合子。
いったい、彼女は何者か。
〈「選挙もミニスカートで通します」と宣言…40歳で政界入り、小池百合子が見せたライバルへの「容赦ない攻撃」〉へ続く
(石井 妙子/文春文庫)

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