法廷から 「理三」目指し猛勉強も… 東大前刺傷事件、被告に現れた「変化」

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大学入学共通テストの試験会場だった東京大(東京都文京区)近くの路上で昨年1月、受験生ら3人を包丁で刺したとして、殺人未遂罪などに問われた当時高校2年の被告の男(19)の裁判員裁判が東京地裁(中尾佳久裁判長)で開かれている。
国内最難関の「東大理科三類」合格を目指して勉強に励むも成績不振に悩み、凶行に及んだ被告。法廷では後悔や謝罪とともに、「心の変化」も垣間見せた。
偏差値高いのに…
共通テスト当日の昨年1月15日朝。東大農学部正門(農正門)前は、騒然とした空気に包まれていた。
包丁を持った学ラン姿の被告が、農正門前の路上で、受験生を含む男女3人を背後から次々と刺傷。被告はこの直前、東京メトロ南北線の車内や東大前駅構内で、火のついた着火剤を投げるなどしていた。
犯行後は農正門の前で凶器の包丁で「割腹自殺」を試みるも断念。駆け付けた警察官らに身柄を確保された。「偏差値の高い高校から来たのに、こんなことをしてしまった」。東大職員の供述調書によると、被告は事件直後、こう漏らしたという。
現行犯逮捕された被告は鑑定留置を経て家裁送致となり、少年審判で検察官送致(逆送)が決定。公開の場で裁かれることになり、今年10月12日の初公判で起訴内容を認めた。
高校受験に失敗
証人尋問などによると、愛知県出身の被告は4人きょうだいの長男。勉強がよくでき、中学3年の時には学年で一桁の順位をキープしていた。
ただこの時期、同級生に交際を申し込むも断られる失恋を経験。「自分は勉強しかない。勉強で上に行って人に認めさせるしかない」と深夜1~2時まで机に向かった。
眠気覚ましや問題を間違えた際の自身への戒めとして、カッターで手を切る「自傷行為」に及ぶこともあるほど必死に勉強し、高校受験は県外の有名進学校を受験。だが、不合格となった。
結局、県内の進学校に進んだものの「醜態、悔しさを感じた」といい、汚名返上のため、国内最難関とされる「東大理三」を目指すと決めた。
背水の陣も…
入学後、クラスの自己紹介で理三進学を宣言し「背水の陣」を敷いた被告。勉強漬けの毎日を送り、学年約400人中10番台の好成績を収めたが、2年に進級すると、成績が落ち始めた。
被告の通っていた進学校で、理三を受験できるほど成績のいい生徒は毎年5人ほど。9月のテストでは順位が100番前後にまで落ち込み、3者面談で進路変更を勧められたが、「同級生から馬鹿にされる」と、受け入れられなかった。
自分の存在意義だった理三に手が届かない。思い詰めた被告の脳裏に、「死」がよぎり始めた。切腹、自作した銃による拳銃自殺… さまざまな方法を模索したが、恐怖で死にきれなかった。
こうした心情を、両親に相談することもなかった。「問題のなかった息子が、いきなり死にたいと言い出したら困らせる。成績が下がった上に死にたいと言ったら、負け犬同然だと思った」
やがて被告は「罪悪感があれば、自責の念にとらわれて死に切れる」との考えに行き着き、放火や無差別殺人を計画。夜行バスに乗り東京に出ると、「理三や勉強の象徴の場所」である東大前で、犯行に及んだ。
勉強を止め…
逮捕後、被告は拘置所で勉強を続けていた。「被害者や事件のことを考えると怖かったり、やるせなかったりするので、現実逃避の手段としていた」ためだが、今年7月以降は徐々に勉強量を減らし、9月には完全にやめたという。
大きな理由の一つは、被害者の一人で当時70代だった男性が、事件後に亡くなったことだったとみられる。男性は傷が深く、約3カ月の入院を余儀なくされていた。
事件の傷と死因との法的な因果関係はないというが、被告は法廷で「私の愚行によって心身に傷を負わせてしまった結果、亡くなってしまったと思っている」「『自分は本当に何をしてしまったのか』という自責の念に襲われた」と謝罪と後悔を口にした。
証人尋問で被告の父も、被告から届いた手紙に被害男性の死について書かれていたと明かし「かなりショックを受けたことが分かった。自分のしたことの重大さに気づくきっかけになったと思う」と、声を震わせながら語った。
被告を狂わせた勉強や学歴へのコンプレックス。犯した罪と向き合うためには「自分の心を見ないといけない」と語った被告は、裁判員の目にどう映ったのか。公判は10月27日に論告求刑が行われ、11月17日に判決が言い渡される予定だ。(深津響)

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