深刻な介護ヘルパー不足 訪問介護事業は限界を通り越して崩壊の危機

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市場拡大が見込まれているのに事業がたちゆかない業界がある。2023年1~8月に訪問介護事業者の倒産件数が過去最多の44件を記録したと報じられ(東京商工リサーチ調べ)、急増ぶりに驚きが広がっている。調査を開始した2000年以降、倒産件数は年間で58件(2019年)が過去最多だったが、それを大幅に上回りそうなペースだ。人々の暮らしに現れる社会の変化を記録する作家の日野百草氏が、介護ヘルパーがいない地域が増え、介護ヘルパーのなり手がいない実態についてレポートする。
【写真】辞職する人が後を絶たない * * *「訪問先の時間分しか時給はつきません。交通費も出ない。時給1050円で1日4件まわって4時間分の賃金、これで働きたい人がいると思うほうがおかしいと思います」 都内の元訪問介護員(ホームヘルパー)の50代女性が語る。 先に大事な話をすると、いま日本の訪問介護事業は「崩壊の危機」に瀕している。大げさではない、現在の現役世代でも「親のところに来てくれるヘルパーがいない」「(親の訪問介護で)もう派遣できないから、すいませんがそういうことで。と言われた」など、コロナ禍を経た日本全国で「ヘルパーがいない」という地域が増え続けている。都市部でも「ヘルパーに誰もならない」「求人してもずっと誰も来ない」が常体化している。 本稿、主題はあくまで介護従事者、とくに常勤、非常勤問わずのホームヘルパーの労働問題であり、社協(社会福祉協議会)や民間企業などの違いや個別事情、システムの説明など福祉事業の詳細そのものは割愛する。専門用語も適宜、改めている。こんなに働く側の人権が蔑ろにされる仕事もない それにしてもホームヘルパー、信じられないほど労働条件が悪く、賃金も安い。「サービスの提供時間しか賃金は出ません。買い物とか炊事、洗濯など生活介助が大半で、それも単価は安いです。利用本人も、その身内の方も大変なのはわかりますけど、こちらもそんな待遇で仕事を続けられません。生活できません」 厳しい言い方になるのも仕方のない話。それほどまでに絶望的なのが日本の福祉の現場、とくにホームヘルパーによる訪問介護事業は「日本から消える」事態になりかねないほどに窮している。介護事業所は次々と倒産、閉鎖に追い込まれ、介護労働安定センターの調査によればホームヘルパーの人手不足は83.5%に及ぶ(2022年度)。全国各地の訪問介護を担う社会福祉協議会も訪問介護事業所の閉鎖や廃止に追い込まれている。 共同通信の全国調査(2023年9月)によればその数、過去5年で218箇所に及ぶとされる。このままでは、誰もホームヘルパーによる介助サービスを受けられなくなる。親が老いても、自分が老いても。「本当にヘルパーは不足しているというか、地域によってはなり手がまったくいなくなりましたからね。私も『辞めないで』と説得されました。誰も求人に応募してこないから。代わりがいないって。本当に誰も応募しない。この賃金体系に拘束時間じゃ当然ですよね。だったら改善してくれればいいのに、それは無理、じゃあ辞めます、でした」 ホームヘルパーの拘束時間の問題をいまだに改善しない、できないと訴える事業者は多い。厚生労働省は啓発パンフレット『訪問介護労働者の法定労働条件の確保のために』の中で〈待機時間については、使用者が急な需要等に対応するため事業場等において待機を明示、当該時間の自由利用が労働者に保障されていないと認められる場合には、労働時間に該当します〉としている。また同省は『訪問介護労働者の移動時間等の取扱いについて(周知徹底)』において、〈いまだに訪問介護労働者の移動時間や待機時間を一律に労働時間として取り扱っていない事業者の存在〉を認め、全国の労働基準監督署や関係諸団体に徹底するよう通告している。 しかし現実は、現場はそうではない、だから辞める。代わりは誰も来ない。どちらが悪いかはともかく、しわ寄せは現場にくる。「辞められると事業が成り立たなくなるからと言われてもね。私も自分の家庭と生活がありますから、もう無理ですと辞めました。高齢のヘルパーさんがコロナ禍もあって辞めてしまいましたし、大変なのはわかるのですが」 先の調査によればホームヘルパーの4人に1人が65歳以上である(2022年度)。すでに家庭内だけでなく、日本社会全体で老々介護が始まっている。それどころか彼らも引退や寿命によって現場から去り続けている。その流れにコロナ禍も加わった。 別の千葉県の元ホームヘルパーの40代女性も「お金にならない」から辞めたとのこと。「介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を修了してヘルパーをしましたが、いまでは私の同期も全員辞めています。だって普通に他のアルバイトをしたほうがいいですから。割に合わないというか、お金は関係なくてボランティア同然にできる、余裕のある人以外に『仕事』としては勧められませんね」 彼女は訪問介護ならではのトラブルも多数経験したと語る。「私はそういうあしらいは平気だと思っていましたが、現実はそんなものではないですね」 もちろん彼女の個別の事案だが、男女問わず利用者やその家族によるセクハラ、パワハラ、モラハラもまた離職に拍車をかけている。「暴言やセクハラは当たり前にありましたし、召使いのように扱う利用者は少なくありませんでした。訪問先でいやらしいビデオをわざと見ていた男性利用者のときは私も恐怖を感じましたが、やんわりいなして仕事を済ませました。それを上に報告しても『ご高齢の方だから』『見ないふりで我慢しなさい』でした。どんな高齢者でも神様か仏様みたいに扱う神聖なもの、という理念ばかり押しつけられます。『じゃあ私たちはどうでもいいの?』と思いました。こんなに働く側の人権が蔑ろにされる仕事もないと思っています」 これでも媒体として発言を抑えて書いている。しかし現実である。こんなものはごく一部、と思うのは軽率で、高齢男性からのセクハラやパワハラ被害は多くのヘルパー経験者から聞かされてきた。認知症の兆候だとか、寂しいからとか、古い世代の男性だからとか、理由をつけて上から説明されても現場のヘルパーの方々が納得できるわけもない。もちろん高齢女性の利用者によるモラハラもある。仕事だから我慢しろ、というのも見合った賃金があってこその話、だから辞める、そして誰も求人に応募しない。「利用者だけじゃありません。ある若いヘルパーは利用者の息子に怖い思いをさせられたそうです。息子といっても40代、特殊なケースかもしれませんが、その息子に『俺の部屋も掃除しろ』とか言われて、利用者の父親からも『息子の世話もよろしく』と。気持ち悪いと泣きながら電話があって彼女はすぐ辞めました。ゾッとしましたよ。それでも警察沙汰にならない限り、会社はもちろん市の職員も、ケアマネージャーも事なかれですからね」 利用者の家族にも問題のあるケースがある。現場の方々からすれば特殊ではあるが、最悪のケースである。 基本的に利用者の生業の援助的な行為や、利用者本人の日常生活の援助に属しない行為は援助に含まれない。この場合、家族で住む利用者の息子の部屋の掃除は利用者本人ではないため「サービス外」の強要ということになる(あくまで例外的な事情やケアプランの内容にもよる、また利用者のみの居宅におけるサービスという点で単身者の場合も異なる)。 こうした「ヘルパーなんだから何でもやれ」トラブルは本当に多く、酷いと「酒の相手をしろ、こっちに来て酌をしろ」、「お前の時間は俺のために使われるべき時間だから、何でも黙って従え」、「この家に来たからには信心しろ、まず仏壇を掃除して拝め」(そもそも援助サービス下における特定の宗教行為は原則禁止、仏壇や神棚の掃除も同様)という扱いをする高齢者もいる。ちなみにすべて実話であり、現実である。本当はお金だし、労働者の立場も考えるべき また同じく千葉県、別の50代の元ホームヘルパーからは「(ヘルパーなんて)二度とやりたくない」とこうした証言もあった。「駐車場のない家で駐禁を切られた。許可証があっても切られた。許可証と駐禁は別問題だとされ、自家用車なので自腹だと言われた」 これは誤解している人も多いのだが基本、許可証(除外標章)を掲出しても法定の駐車禁止場所や駐停車禁止場所は除外の対象にならないとされる。警察、受託している駐車監視員の判断にもよるが、ただでさえ安い賃金から自腹では堪ったものではない。 北関東の60代の元ベテラン介護士の話は、やはり賃金が最大の問題と話す。「移動時間にお金が出ない、待機時間もお金が出ない、身体介護で1500円とか、1600円でも移動距離があれば数はこなせませんし、それこそ連続で近場に訪問先があるわけではありません。はっきり言って、いまの時代に仕事と呼べないレベルなんです」 もちろん仕事自体は専門的な技能が求められる、それでもまったく見合わない額しか得られない。ホームヘルパーもまた、専門性の求められる仕事なのに。「入浴介助でも排泄介助でも施設なら基本、同じ場所、同じ設備を使いますが、訪問介護の場合はご家庭それぞれに違いがあります。バリアフリーに改装して設備が整っている家もあれば、汲取式の和式トイレや昔ながらの深くて狭い浴槽のままの場合もあります。本当に大変ですよ。誰もができる仕事じゃないです。生活介護だってそれぞれの利用者に合わせて、コミュニケーションをとるって大変です。買い物ひとつとっても利用者によっては『これはもっと安いはずだ』『もっと安いのを探したのか』とか、指定銘柄で買って来ても『このメーカーは嫌いになった』と言う人もいますからね。急に暴れる人もいます。それを基本一人で、他人の家で対処するんです。泣き寝入りしたまま辞めた方も多いでしょう」 なんだろう、理不尽な賃金体系で我慢ばかりを強いられる。人手不足どころか「働こうという人間がいなくなり始めた」仕事に共通しているのは「どうせ誰かがやるだろう」と国が見て見ぬふりをしていたら、誰もやる人がいなくなった、ということだ。 この国の急激な少子化や労働人口の減少、「日本人そのものがこれから減り続ける」という「自然減」になりかねない現実を前に、「代わりはいくらでもいる」という悪癖は国民全体が苦しむ形で次々と跳ね返ってきている。旧知のケアマネージャーの話では「首都圏なんかまだマシ、地方のホームヘルパー事情はさらに悪化している」とのこと。各訪問先の移動距離の長さと都市部に比べた賃金の安さ、労働人口の減少による人手不足から地方はさらに深刻な状況にある。ホームヘルパーがまったく来ない地域も現れ、「在宅介護難民」の問題が報じられている。 事業運営側、責任者の60代男性も語る。「ホームヘルパーの求人を出してもめったに来ません。来てもすぐ辞める。知り合いを誘って、と言っても誰もやらない。ヘルパーするなら働かないほうがマシ、とか言われたそうです」 激務、責任重大、稼げない、そう言われても無理もない。これまでも「福祉職は立派な仕事」「やりがいのある、人のために尽くせる仕事」とされてきたが、その崇高な理念がある意味、都合のいい使われ方、あえて強い言い方をするなら「悪用」されてきた部分はあると思う。「私も反省する部分はあるのですが、古い介護職は素晴らしい仕事なんだ、プロフェッショナルなんだと他人に強いる癖が染みついていたように思うのです。自分たちもそうしてきたから『そうしろ』、と。お金じゃないとか、利用者の立場がすべてとか。違いますよね。プロフェッショナルなんだからお金だし、労働者の立場も考えるべきですよね。でも、これは訪問介護に限った話でなく介護職全体の問題ですが、私たちも反省すべき点はあるとして、このような福祉政策で崩壊寸前まで追い込んだ国はどうなんだ、とも思います」 国は施設介護でなく在宅介護を進めてきた。厚生労働省は2012年の『在宅医療・介護の推進について』において、〈できる限り、住み慣れた地域で必要な医療・介護サービスを受けつつ、安心して自分らしい生活を実現できる社会を目指す〉としている。またその理由として〈国民の60%以上が自宅での療養を望んでいる〉〈要介護状態になっても、自宅や子供・親族の家での介護を希望する人が4割を超えた〉ともしている。 10年前の古い資料だが、そこにはこうも書かれている。〈多くの国民が自宅等住み慣れた環境での療養を望んでいる。また、超高齢社会を迎え、医療機関や介護保険施設等の受入れにも限界が生じることが予測される。こうした中、在宅医療・介護を推進することにより、療養のあり方についての国民の希望に応えつつ、地域において慢性期・回復期の患者や要介護高齢者の療養の場を確保することが期待されている〉 本当にそうだったのだろうか。この欄の最後は「2025年に向けた在宅医療・介護」としてプロジェクトチームの設置で締められている。2025年まであと2年、というか2012年の段階で、これほどの事態になることを予想できていたのだろうか。「そこに現場の声なんかありませんよね。地域包括ケアシステムとか、そこで働く人たちのことなんか全然考えてませんよね。利用者もかわいそうです。いまから思えば、全部押しつけてるだけですよね」 理想とは裏腹に、この国の訪問介護事業は限界を通り越して崩壊の途にある。老後は多額の資産かコネ、そして運が良くなければ施設にも入れない、自宅にホームヘルパーも来ない老後が迫っている。国が頼みとする外国人ヘルパーも不足の数にはまったく足りないままにある。 この国の失われた30年で繰り返された「どうせ誰かがやるだろう」「代わりはいくらでもいる」という悪癖、あらゆる公共サービスやエッセンシャルワークが崩壊しつつある中で、訪問介護事業もまた「ホームヘルパーが派遣されない」「誰も訪問介護に来てくれない」が現実になろうとしている。【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経て、社会問題や社会倫理のルポルタージュを手掛ける。
* * *「訪問先の時間分しか時給はつきません。交通費も出ない。時給1050円で1日4件まわって4時間分の賃金、これで働きたい人がいると思うほうがおかしいと思います」
都内の元訪問介護員(ホームヘルパー)の50代女性が語る。
先に大事な話をすると、いま日本の訪問介護事業は「崩壊の危機」に瀕している。大げさではない、現在の現役世代でも「親のところに来てくれるヘルパーがいない」「(親の訪問介護で)もう派遣できないから、すいませんがそういうことで。と言われた」など、コロナ禍を経た日本全国で「ヘルパーがいない」という地域が増え続けている。都市部でも「ヘルパーに誰もならない」「求人してもずっと誰も来ない」が常体化している。
本稿、主題はあくまで介護従事者、とくに常勤、非常勤問わずのホームヘルパーの労働問題であり、社協(社会福祉協議会)や民間企業などの違いや個別事情、システムの説明など福祉事業の詳細そのものは割愛する。専門用語も適宜、改めている。
それにしてもホームヘルパー、信じられないほど労働条件が悪く、賃金も安い。
「サービスの提供時間しか賃金は出ません。買い物とか炊事、洗濯など生活介助が大半で、それも単価は安いです。利用本人も、その身内の方も大変なのはわかりますけど、こちらもそんな待遇で仕事を続けられません。生活できません」
厳しい言い方になるのも仕方のない話。それほどまでに絶望的なのが日本の福祉の現場、とくにホームヘルパーによる訪問介護事業は「日本から消える」事態になりかねないほどに窮している。介護事業所は次々と倒産、閉鎖に追い込まれ、介護労働安定センターの調査によればホームヘルパーの人手不足は83.5%に及ぶ(2022年度)。全国各地の訪問介護を担う社会福祉協議会も訪問介護事業所の閉鎖や廃止に追い込まれている。
共同通信の全国調査(2023年9月)によればその数、過去5年で218箇所に及ぶとされる。このままでは、誰もホームヘルパーによる介助サービスを受けられなくなる。親が老いても、自分が老いても。
「本当にヘルパーは不足しているというか、地域によってはなり手がまったくいなくなりましたからね。私も『辞めないで』と説得されました。誰も求人に応募してこないから。代わりがいないって。本当に誰も応募しない。この賃金体系に拘束時間じゃ当然ですよね。だったら改善してくれればいいのに、それは無理、じゃあ辞めます、でした」
ホームヘルパーの拘束時間の問題をいまだに改善しない、できないと訴える事業者は多い。厚生労働省は啓発パンフレット『訪問介護労働者の法定労働条件の確保のために』の中で〈待機時間については、使用者が急な需要等に対応するため事業場等において待機を明示、当該時間の自由利用が労働者に保障されていないと認められる場合には、労働時間に該当します〉としている。また同省は『訪問介護労働者の移動時間等の取扱いについて(周知徹底)』において、〈いまだに訪問介護労働者の移動時間や待機時間を一律に労働時間として取り扱っていない事業者の存在〉を認め、全国の労働基準監督署や関係諸団体に徹底するよう通告している。
しかし現実は、現場はそうではない、だから辞める。代わりは誰も来ない。どちらが悪いかはともかく、しわ寄せは現場にくる。
「辞められると事業が成り立たなくなるからと言われてもね。私も自分の家庭と生活がありますから、もう無理ですと辞めました。高齢のヘルパーさんがコロナ禍もあって辞めてしまいましたし、大変なのはわかるのですが」
先の調査によればホームヘルパーの4人に1人が65歳以上である(2022年度)。すでに家庭内だけでなく、日本社会全体で老々介護が始まっている。それどころか彼らも引退や寿命によって現場から去り続けている。その流れにコロナ禍も加わった。
別の千葉県の元ホームヘルパーの40代女性も「お金にならない」から辞めたとのこと。
「介護職員初任者研修(旧ヘルパー2級)を修了してヘルパーをしましたが、いまでは私の同期も全員辞めています。だって普通に他のアルバイトをしたほうがいいですから。割に合わないというか、お金は関係なくてボランティア同然にできる、余裕のある人以外に『仕事』としては勧められませんね」
彼女は訪問介護ならではのトラブルも多数経験したと語る。
「私はそういうあしらいは平気だと思っていましたが、現実はそんなものではないですね」
もちろん彼女の個別の事案だが、男女問わず利用者やその家族によるセクハラ、パワハラ、モラハラもまた離職に拍車をかけている。
「暴言やセクハラは当たり前にありましたし、召使いのように扱う利用者は少なくありませんでした。訪問先でいやらしいビデオをわざと見ていた男性利用者のときは私も恐怖を感じましたが、やんわりいなして仕事を済ませました。それを上に報告しても『ご高齢の方だから』『見ないふりで我慢しなさい』でした。どんな高齢者でも神様か仏様みたいに扱う神聖なもの、という理念ばかり押しつけられます。『じゃあ私たちはどうでもいいの?』と思いました。こんなに働く側の人権が蔑ろにされる仕事もないと思っています」
これでも媒体として発言を抑えて書いている。しかし現実である。こんなものはごく一部、と思うのは軽率で、高齢男性からのセクハラやパワハラ被害は多くのヘルパー経験者から聞かされてきた。認知症の兆候だとか、寂しいからとか、古い世代の男性だからとか、理由をつけて上から説明されても現場のヘルパーの方々が納得できるわけもない。もちろん高齢女性の利用者によるモラハラもある。仕事だから我慢しろ、というのも見合った賃金があってこその話、だから辞める、そして誰も求人に応募しない。
「利用者だけじゃありません。ある若いヘルパーは利用者の息子に怖い思いをさせられたそうです。息子といっても40代、特殊なケースかもしれませんが、その息子に『俺の部屋も掃除しろ』とか言われて、利用者の父親からも『息子の世話もよろしく』と。気持ち悪いと泣きながら電話があって彼女はすぐ辞めました。ゾッとしましたよ。それでも警察沙汰にならない限り、会社はもちろん市の職員も、ケアマネージャーも事なかれですからね」
利用者の家族にも問題のあるケースがある。現場の方々からすれば特殊ではあるが、最悪のケースである。
基本的に利用者の生業の援助的な行為や、利用者本人の日常生活の援助に属しない行為は援助に含まれない。この場合、家族で住む利用者の息子の部屋の掃除は利用者本人ではないため「サービス外」の強要ということになる(あくまで例外的な事情やケアプランの内容にもよる、また利用者のみの居宅におけるサービスという点で単身者の場合も異なる)。
こうした「ヘルパーなんだから何でもやれ」トラブルは本当に多く、酷いと「酒の相手をしろ、こっちに来て酌をしろ」、「お前の時間は俺のために使われるべき時間だから、何でも黙って従え」、「この家に来たからには信心しろ、まず仏壇を掃除して拝め」(そもそも援助サービス下における特定の宗教行為は原則禁止、仏壇や神棚の掃除も同様)という扱いをする高齢者もいる。ちなみにすべて実話であり、現実である。
また同じく千葉県、別の50代の元ホームヘルパーからは「(ヘルパーなんて)二度とやりたくない」とこうした証言もあった。
「駐車場のない家で駐禁を切られた。許可証があっても切られた。許可証と駐禁は別問題だとされ、自家用車なので自腹だと言われた」
これは誤解している人も多いのだが基本、許可証(除外標章)を掲出しても法定の駐車禁止場所や駐停車禁止場所は除外の対象にならないとされる。警察、受託している駐車監視員の判断にもよるが、ただでさえ安い賃金から自腹では堪ったものではない。
北関東の60代の元ベテラン介護士の話は、やはり賃金が最大の問題と話す。
「移動時間にお金が出ない、待機時間もお金が出ない、身体介護で1500円とか、1600円でも移動距離があれば数はこなせませんし、それこそ連続で近場に訪問先があるわけではありません。はっきり言って、いまの時代に仕事と呼べないレベルなんです」
もちろん仕事自体は専門的な技能が求められる、それでもまったく見合わない額しか得られない。ホームヘルパーもまた、専門性の求められる仕事なのに。
「入浴介助でも排泄介助でも施設なら基本、同じ場所、同じ設備を使いますが、訪問介護の場合はご家庭それぞれに違いがあります。バリアフリーに改装して設備が整っている家もあれば、汲取式の和式トイレや昔ながらの深くて狭い浴槽のままの場合もあります。本当に大変ですよ。誰もができる仕事じゃないです。生活介護だってそれぞれの利用者に合わせて、コミュニケーションをとるって大変です。買い物ひとつとっても利用者によっては『これはもっと安いはずだ』『もっと安いのを探したのか』とか、指定銘柄で買って来ても『このメーカーは嫌いになった』と言う人もいますからね。急に暴れる人もいます。それを基本一人で、他人の家で対処するんです。泣き寝入りしたまま辞めた方も多いでしょう」
なんだろう、理不尽な賃金体系で我慢ばかりを強いられる。人手不足どころか「働こうという人間がいなくなり始めた」仕事に共通しているのは「どうせ誰かがやるだろう」と国が見て見ぬふりをしていたら、誰もやる人がいなくなった、ということだ。
この国の急激な少子化や労働人口の減少、「日本人そのものがこれから減り続ける」という「自然減」になりかねない現実を前に、「代わりはいくらでもいる」という悪癖は国民全体が苦しむ形で次々と跳ね返ってきている。旧知のケアマネージャーの話では「首都圏なんかまだマシ、地方のホームヘルパー事情はさらに悪化している」とのこと。各訪問先の移動距離の長さと都市部に比べた賃金の安さ、労働人口の減少による人手不足から地方はさらに深刻な状況にある。ホームヘルパーがまったく来ない地域も現れ、「在宅介護難民」の問題が報じられている。
事業運営側、責任者の60代男性も語る。
「ホームヘルパーの求人を出してもめったに来ません。来てもすぐ辞める。知り合いを誘って、と言っても誰もやらない。ヘルパーするなら働かないほうがマシ、とか言われたそうです」
激務、責任重大、稼げない、そう言われても無理もない。これまでも「福祉職は立派な仕事」「やりがいのある、人のために尽くせる仕事」とされてきたが、その崇高な理念がある意味、都合のいい使われ方、あえて強い言い方をするなら「悪用」されてきた部分はあると思う。
「私も反省する部分はあるのですが、古い介護職は素晴らしい仕事なんだ、プロフェッショナルなんだと他人に強いる癖が染みついていたように思うのです。自分たちもそうしてきたから『そうしろ』、と。お金じゃないとか、利用者の立場がすべてとか。違いますよね。プロフェッショナルなんだからお金だし、労働者の立場も考えるべきですよね。でも、これは訪問介護に限った話でなく介護職全体の問題ですが、私たちも反省すべき点はあるとして、このような福祉政策で崩壊寸前まで追い込んだ国はどうなんだ、とも思います」
国は施設介護でなく在宅介護を進めてきた。厚生労働省は2012年の『在宅医療・介護の推進について』において、〈できる限り、住み慣れた地域で必要な医療・介護サービスを受けつつ、安心して自分らしい生活を実現できる社会を目指す〉としている。またその理由として〈国民の60%以上が自宅での療養を望んでいる〉〈要介護状態になっても、自宅や子供・親族の家での介護を希望する人が4割を超えた〉ともしている。
10年前の古い資料だが、そこにはこうも書かれている。
〈多くの国民が自宅等住み慣れた環境での療養を望んでいる。また、超高齢社会を迎え、医療機関や介護保険施設等の受入れにも限界が生じることが予測される。こうした中、在宅医療・介護を推進することにより、療養のあり方についての国民の希望に応えつつ、地域において慢性期・回復期の患者や要介護高齢者の療養の場を確保することが期待されている〉
本当にそうだったのだろうか。この欄の最後は「2025年に向けた在宅医療・介護」としてプロジェクトチームの設置で締められている。2025年まであと2年、というか2012年の段階で、これほどの事態になることを予想できていたのだろうか。
「そこに現場の声なんかありませんよね。地域包括ケアシステムとか、そこで働く人たちのことなんか全然考えてませんよね。利用者もかわいそうです。いまから思えば、全部押しつけてるだけですよね」
理想とは裏腹に、この国の訪問介護事業は限界を通り越して崩壊の途にある。老後は多額の資産かコネ、そして運が良くなければ施設にも入れない、自宅にホームヘルパーも来ない老後が迫っている。国が頼みとする外国人ヘルパーも不足の数にはまったく足りないままにある。
この国の失われた30年で繰り返された「どうせ誰かがやるだろう」「代わりはいくらでもいる」という悪癖、あらゆる公共サービスやエッセンシャルワークが崩壊しつつある中で、訪問介護事業もまた「ホームヘルパーが派遣されない」「誰も訪問介護に来てくれない」が現実になろうとしている。
【プロフィール】日野百草(ひの・ひゃくそう)日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経て、社会問題や社会倫理のルポルタージュを手掛ける。

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