「人生狂わされた」 戦後最大級の冤罪「松川事件」から学ぶ教訓

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福島県の旧国鉄東北線で乗務員3人が犠牲になった列車の脱線転覆を巡り、罪に問われた20人もの被告全員が無罪になる事件があった。戦後最大級の冤罪(えんざい)事件と呼ばれる「松川事件」だ。今年は無罪確定から60年に当たるが、今も被告やその家族が裁判のやり直し(再審)を求める事件は後を絶たない。どうすれば冤罪をなくせるのか。福島市で9月30日~10月1日に開かれた無罪確定60周年記念の全国集会から、松川事件の教訓を探った。
【松川事件、列車脱線現場の写真】 「(後で無罪になったとしても)事件の犯人にされると人生を狂わされ、家族は生活が成り立っていかない。本当に悲惨なものだった」 松川事件の元被告の一人、阿部市次さんの妻マサヱさん(88)は記者会見でとつとつと語った。 1949年8月17日、松川町(現福島市)の旧国鉄東北線松川―金谷川駅間でレールが何者かに外され、上り列車が脱線転覆し、乗務員3人が死亡した。国鉄と東芝の労働組合員ら20人が逮捕・起訴され、1審で死刑5人を含め全員が有罪、2審でも死刑4人のほか13人が有罪判決を受けた。被告のアリバイを証明するメモなどが明らかになり、最高裁が2審判決を破棄して審理を差し戻し、61年に仙台高裁が全員に無罪判決。63年9月12日に最高裁で確定した。 国鉄労働組合福島支部書記だった市次さんは1審判決で死刑、2審で無期懲役を言い渡された。無罪判決後は事件の語り部を続け、昨年10月に99歳で亡くなった。元被告20人は全員世を去ったが、マサヱさんは「冤罪をなくすのが第一。若い人にぜひとも関心を持っていただきたい」と訴える。 松川事件の逆転無罪の決め手の一つになったのが、被告らが列車転覆の謀議をしていたと検察側が主張した時間帯に、そのうちの一人が東芝との団体交渉に出席していたことを記した「諏訪メモ」だった。検察はこのメモの所在を伏せていたが、毎日新聞のスクープにより明らかになった。 刑事裁判では、たくさんの証拠の中から、検察側が有罪の方向の証拠だけを裁判所に提出する傾向になるため、これが冤罪につながるとの指摘がある。 大阪市東住吉区で95年に小学6年の女児が焼死した住宅火災を巡って再審無罪が確定した母親の青木恵子さんは集会で、自白を迫る取り調べの状況が分かる大阪府警の日誌が再審請求の段階で明らかになったことから、「1審で日誌があれば、私はもしかしたら無罪で勝っていたかもしれない。証拠がどれだけ大事か」と指摘した。 2016年の刑事訴訟法改正で、殺人などの重大事件については検察側に全証拠の一覧表の開示が義務付けられたが、再審は対象から外れたままになっている。福島大の高橋有紀准教授は、「『諏訪メモ』が明るみに出なければ、松川事件の有罪判決が確定してしまって、今も再審請求されていると思う」との見方を示した。再審での証拠開示、今もルールなく 一方、再審のあり方を巡っては、鹿児島県大崎町で1979年に男性の遺体が見つかった「大崎事件」の再審弁護団の鴨志田祐美事務局長が記念講演で、〆枷十蠅瓦箸痢嶌匿崖丙后廰検察官による「再審妨害」を問題点に挙げた。 大崎事件の再審請求は第4次に及んでいる。第1~3次の請求で地裁や高裁が計3回にわたって再審開始を認めたが、検察側が不服を申し立てる「抗告」によって上級審が取り消してきた。殺人罪などで懲役10年が確定して服役した原口アヤ子さんは96歳になった。 第2次請求審で証拠開示がゼロだったが、第2次即時抗告審では213点も開示された。「当たった裁判官のやる気次第」と鴨志田さんは嘆く。 日本弁護士連合会(日弁連)は今年2月、再審に関する法改正を求める意見書をまとめた。証拠開示ルールの整備、再審開始決定への検察官の不服申し立ての禁止などを盛り込んでいる。 鴨志田さんは講演の結びに、松川事件の現場近くに建つ「松川の塔」を紹介。塔の碑文に刻まれた「人民が力を結集すると如何(いか)に強力になるか」などの言葉を引き、「時を超えてもう一度力を結集し、法改正の実現に力を貸していただきたい」と呼びかけた。 今年6月にNPO法人「松川運動記念会」の理事長に就いた渡辺純弁護士(58)は「刑事でも民事でも裁判は誰でも巻き込まれる可能性がある。裁判が本当に公正にやられているのか考える機会を作っていくことが大事だ」と強調した。【木村健二】
「(後で無罪になったとしても)事件の犯人にされると人生を狂わされ、家族は生活が成り立っていかない。本当に悲惨なものだった」
松川事件の元被告の一人、阿部市次さんの妻マサヱさん(88)は記者会見でとつとつと語った。
1949年8月17日、松川町(現福島市)の旧国鉄東北線松川―金谷川駅間でレールが何者かに外され、上り列車が脱線転覆し、乗務員3人が死亡した。国鉄と東芝の労働組合員ら20人が逮捕・起訴され、1審で死刑5人を含め全員が有罪、2審でも死刑4人のほか13人が有罪判決を受けた。被告のアリバイを証明するメモなどが明らかになり、最高裁が2審判決を破棄して審理を差し戻し、61年に仙台高裁が全員に無罪判決。63年9月12日に最高裁で確定した。
国鉄労働組合福島支部書記だった市次さんは1審判決で死刑、2審で無期懲役を言い渡された。無罪判決後は事件の語り部を続け、昨年10月に99歳で亡くなった。元被告20人は全員世を去ったが、マサヱさんは「冤罪をなくすのが第一。若い人にぜひとも関心を持っていただきたい」と訴える。
松川事件の逆転無罪の決め手の一つになったのが、被告らが列車転覆の謀議をしていたと検察側が主張した時間帯に、そのうちの一人が東芝との団体交渉に出席していたことを記した「諏訪メモ」だった。検察はこのメモの所在を伏せていたが、毎日新聞のスクープにより明らかになった。
刑事裁判では、たくさんの証拠の中から、検察側が有罪の方向の証拠だけを裁判所に提出する傾向になるため、これが冤罪につながるとの指摘がある。
大阪市東住吉区で95年に小学6年の女児が焼死した住宅火災を巡って再審無罪が確定した母親の青木恵子さんは集会で、自白を迫る取り調べの状況が分かる大阪府警の日誌が再審請求の段階で明らかになったことから、「1審で日誌があれば、私はもしかしたら無罪で勝っていたかもしれない。証拠がどれだけ大事か」と指摘した。
2016年の刑事訴訟法改正で、殺人などの重大事件については検察側に全証拠の一覧表の開示が義務付けられたが、再審は対象から外れたままになっている。福島大の高橋有紀准教授は、「『諏訪メモ』が明るみに出なければ、松川事件の有罪判決が確定してしまって、今も再審請求されていると思う」との見方を示した。
再審での証拠開示、今もルールなく
一方、再審のあり方を巡っては、鹿児島県大崎町で1979年に男性の遺体が見つかった「大崎事件」の再審弁護団の鴨志田祐美事務局長が記念講演で、〆枷十蠅瓦箸痢嶌匿崖丙后廰検察官による「再審妨害」を問題点に挙げた。
大崎事件の再審請求は第4次に及んでいる。第1~3次の請求で地裁や高裁が計3回にわたって再審開始を認めたが、検察側が不服を申し立てる「抗告」によって上級審が取り消してきた。殺人罪などで懲役10年が確定して服役した原口アヤ子さんは96歳になった。
第2次請求審で証拠開示がゼロだったが、第2次即時抗告審では213点も開示された。「当たった裁判官のやる気次第」と鴨志田さんは嘆く。
日本弁護士連合会(日弁連)は今年2月、再審に関する法改正を求める意見書をまとめた。証拠開示ルールの整備、再審開始決定への検察官の不服申し立ての禁止などを盛り込んでいる。
鴨志田さんは講演の結びに、松川事件の現場近くに建つ「松川の塔」を紹介。塔の碑文に刻まれた「人民が力を結集すると如何(いか)に強力になるか」などの言葉を引き、「時を超えてもう一度力を結集し、法改正の実現に力を貸していただきたい」と呼びかけた。
今年6月にNPO法人「松川運動記念会」の理事長に就いた渡辺純弁護士(58)は「刑事でも民事でも裁判は誰でも巻き込まれる可能性がある。裁判が本当に公正にやられているのか考える機会を作っていくことが大事だ」と強調した。【木村健二】

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