70年前の″ジャニー氏性加害″を告白【報道特集】

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国連が異例の聞き取り調査を行ったジャニー喜多川氏の性加害問題。70年前、小学生のときに被害を受けた男性たちが告白。彼らを今もなお苦しめるトラウマとは。【写真を見る】70年前の”ジャニー氏性加害”を告白【報道特集】70年前から性被害「小学校1年の時に」「70年前、ジャニー喜多川氏から性被害を受けていた」と、証言する人物がいる。俳優の服部吉次さん(78)。服部さんは、「東京ブギウギ」など数多くのヒット曲を生み出し、国民栄誉賞を受賞した作曲家・服部良一氏の次男だ。俳優 服部吉次さん「小学校1年の時に吉祥寺の家にジャニー氏が訪ねてきた。ほとんど毎週のように、そういうこと(性加害)をされてた」

ジャニー氏と服部家との接点は1950年。父・良一氏のアメリカ公演をジャニー氏が手伝ったことをきっかけに家族ぐるみの付き合いが始まった。当時19歳だったジャニー氏は、次第に服部家に泊まるようになった。俳優 服部吉次さん「はじめは2つ布団が並んでいたが、僕の布団に入ってきて、そのうちパンツの中にも手が入ってきた」こうした行為は2年半に及んだという。一方で…俳優 服部吉次さん「(ジャニー氏は)完全に偽りの仮面をつけたまま、父や母とは何食わぬ顔をしてつきあっていた」家族ぐるみの付き合いだったことを示す映像がある。1993年、父・良一氏の葬儀の時の映像だ。吉次さんによれば、遺影を持つ吉次さんの後ろにいるのがジャニー氏だという。俳優 服部吉次さん「あの立ち位置はだいたい彼のポジションですね、ほとんど親戚同様にして、こういう席には必ず連なっていた」葬儀の際に忘れられない場面があった。ジャニー氏は関係者を集めた食事の場で親族側の席に座っていたのだ。同席していたのは、吉次さんの次男、当時12歳の有吉くん。妻のくに子さんがこう振り返る。妻 くに子さん「(ジャニー氏は息子と) 葬儀の時に初めて出会って、じっとみつめてたから危ないなと思った。そのあと何回も電話があって、会いたいからって。息子を連れてジャニーさんとこに会いにいって、何回も呼ばれて(ジャニー氏から)『お母さんどうしていつも来るの』『息子だけでいいんじゃない』と言われて、そんなわけにはいきませんと」そして、有吉くんからはこんな訴えが…妻 くに子さん「お母さんあの人の触り方が変だよね。なでるように触るんだよねって。母親としてちゃんとできなかった悔しさ。守ってあげられなかった」家族にすら言えない 性被害の苦しみ服部吉次さんの友人で、元コンサルタントの松崎基泰さん(79)。ジャニー氏と知り合ったのは松崎さんが小学1年生の頃。服部家に遊びに行ったとき、ジャニー氏がいたという。松崎基泰さん「わいわい(テレビを)見ていたら、右の方から視線を感じた。最初は何となく見なかったんだけど、見たらそれがジャニー氏だった。それが最初のジャニー氏との出会いだった」ジャニー氏は、ジャニーズ事務所を設立する前に少年野球チームを作っていた。グラウンドがあったのは当時、ジャニー氏が暮らしていたアメリカ軍の宿舎「ワシントンハイツ」だ。松崎さんもチームに誘われた。その後、服部家で毎週のようにジャニー氏と会うようになった。ジャニー氏は家に送ってくれた上、チョコレートなども買ってくれたと話す。松崎基泰さん「うちの母親は恐縮して『あんな良い人いない』と言って、それが何度か続いた」しかし、しばらくするとジャニー氏に変化が…松崎基泰さん「(家の近所に)車を止めて、私に迫ってきた。それが何度もあった。まず口のキスから始まって、生まれて初めてのことだから何も言えなくて。そのうちにズボン下ろされて、そういう行為が毎回に近いぐらいあった。それが30~40分間あって、やっと家に帰れる」軽井沢にある服部家の別荘に吉次さんら友人たちと泊まりに行ったとき、さらに行為はエスカレートしたという。松崎基泰さん「ジャニーが上に乗っかってきた。パジャマとパンツを下ろされて。彼は当然その先に進むつもりでいた。今度は私に震えがきて、そのうち大泣きになってしまった」泣き声を聞きつけた隣人が止めに入り、性行為は免れた。松崎さんと吉次さんが被害に遭ったのは70年前。なぜ当時、ジャニー氏の性加害は明るみに出なかったのか。実は、吉次さんは8歳の時、性被害について姉に打ち明けたのだが…服部吉次さん「『こういうことをされたんだ』と話をした。そしたら『やめてよそんな話』『気持ち悪い。やめて』と言われた」姉から言われたこの一言でその後、吉次さんは口を閉ざしてしまった。一方、松崎さんは当時、家族にすら話せなかったという。松崎基泰さん「1950年代の時代、そういうことはしゃべってはいけない風潮があったように思う。現代とは全く違うんじゃないか」松崎さんと吉次さんが互いの性被害を知ったのは、約60年が経ってからだった。松崎基泰さん「10年前に高校の同窓会があった。『実は俺もそう(被害に遭った)だったんだよ』と。『ああ、お前もそうか』と。ジャニーから被害に遭った内容はほぼ同じだった」今回、吉次さんと共に声を上げたのは、子どもへの性加害に対する社会の意識が変わって欲しいという思いがあったからだ。松崎基泰さん「今後、日本がいい社会の中に生き延びていくために、少しでも我々が役に立てればという気持ちでいる」
国連が異例の聞き取り調査を行ったジャニー喜多川氏の性加害問題。70年前、小学生のときに被害を受けた男性たちが告白。彼らを今もなお苦しめるトラウマとは。
【写真を見る】70年前の”ジャニー氏性加害”を告白【報道特集】70年前から性被害「小学校1年の時に」「70年前、ジャニー喜多川氏から性被害を受けていた」と、証言する人物がいる。俳優の服部吉次さん(78)。服部さんは、「東京ブギウギ」など数多くのヒット曲を生み出し、国民栄誉賞を受賞した作曲家・服部良一氏の次男だ。俳優 服部吉次さん「小学校1年の時に吉祥寺の家にジャニー氏が訪ねてきた。ほとんど毎週のように、そういうこと(性加害)をされてた」

ジャニー氏と服部家との接点は1950年。父・良一氏のアメリカ公演をジャニー氏が手伝ったことをきっかけに家族ぐるみの付き合いが始まった。当時19歳だったジャニー氏は、次第に服部家に泊まるようになった。俳優 服部吉次さん「はじめは2つ布団が並んでいたが、僕の布団に入ってきて、そのうちパンツの中にも手が入ってきた」こうした行為は2年半に及んだという。一方で…俳優 服部吉次さん「(ジャニー氏は)完全に偽りの仮面をつけたまま、父や母とは何食わぬ顔をしてつきあっていた」家族ぐるみの付き合いだったことを示す映像がある。1993年、父・良一氏の葬儀の時の映像だ。吉次さんによれば、遺影を持つ吉次さんの後ろにいるのがジャニー氏だという。俳優 服部吉次さん「あの立ち位置はだいたい彼のポジションですね、ほとんど親戚同様にして、こういう席には必ず連なっていた」葬儀の際に忘れられない場面があった。ジャニー氏は関係者を集めた食事の場で親族側の席に座っていたのだ。同席していたのは、吉次さんの次男、当時12歳の有吉くん。妻のくに子さんがこう振り返る。妻 くに子さん「(ジャニー氏は息子と) 葬儀の時に初めて出会って、じっとみつめてたから危ないなと思った。そのあと何回も電話があって、会いたいからって。息子を連れてジャニーさんとこに会いにいって、何回も呼ばれて(ジャニー氏から)『お母さんどうしていつも来るの』『息子だけでいいんじゃない』と言われて、そんなわけにはいきませんと」そして、有吉くんからはこんな訴えが…妻 くに子さん「お母さんあの人の触り方が変だよね。なでるように触るんだよねって。母親としてちゃんとできなかった悔しさ。守ってあげられなかった」家族にすら言えない 性被害の苦しみ服部吉次さんの友人で、元コンサルタントの松崎基泰さん(79)。ジャニー氏と知り合ったのは松崎さんが小学1年生の頃。服部家に遊びに行ったとき、ジャニー氏がいたという。松崎基泰さん「わいわい(テレビを)見ていたら、右の方から視線を感じた。最初は何となく見なかったんだけど、見たらそれがジャニー氏だった。それが最初のジャニー氏との出会いだった」ジャニー氏は、ジャニーズ事務所を設立する前に少年野球チームを作っていた。グラウンドがあったのは当時、ジャニー氏が暮らしていたアメリカ軍の宿舎「ワシントンハイツ」だ。松崎さんもチームに誘われた。その後、服部家で毎週のようにジャニー氏と会うようになった。ジャニー氏は家に送ってくれた上、チョコレートなども買ってくれたと話す。松崎基泰さん「うちの母親は恐縮して『あんな良い人いない』と言って、それが何度か続いた」しかし、しばらくするとジャニー氏に変化が…松崎基泰さん「(家の近所に)車を止めて、私に迫ってきた。それが何度もあった。まず口のキスから始まって、生まれて初めてのことだから何も言えなくて。そのうちにズボン下ろされて、そういう行為が毎回に近いぐらいあった。それが30~40分間あって、やっと家に帰れる」軽井沢にある服部家の別荘に吉次さんら友人たちと泊まりに行ったとき、さらに行為はエスカレートしたという。松崎基泰さん「ジャニーが上に乗っかってきた。パジャマとパンツを下ろされて。彼は当然その先に進むつもりでいた。今度は私に震えがきて、そのうち大泣きになってしまった」泣き声を聞きつけた隣人が止めに入り、性行為は免れた。松崎さんと吉次さんが被害に遭ったのは70年前。なぜ当時、ジャニー氏の性加害は明るみに出なかったのか。実は、吉次さんは8歳の時、性被害について姉に打ち明けたのだが…服部吉次さん「『こういうことをされたんだ』と話をした。そしたら『やめてよそんな話』『気持ち悪い。やめて』と言われた」姉から言われたこの一言でその後、吉次さんは口を閉ざしてしまった。一方、松崎さんは当時、家族にすら話せなかったという。松崎基泰さん「1950年代の時代、そういうことはしゃべってはいけない風潮があったように思う。現代とは全く違うんじゃないか」松崎さんと吉次さんが互いの性被害を知ったのは、約60年が経ってからだった。松崎基泰さん「10年前に高校の同窓会があった。『実は俺もそう(被害に遭った)だったんだよ』と。『ああ、お前もそうか』と。ジャニーから被害に遭った内容はほぼ同じだった」今回、吉次さんと共に声を上げたのは、子どもへの性加害に対する社会の意識が変わって欲しいという思いがあったからだ。松崎基泰さん「今後、日本がいい社会の中に生き延びていくために、少しでも我々が役に立てればという気持ちでいる」
「70年前、ジャニー喜多川氏から性被害を受けていた」と、証言する人物がいる。俳優の服部吉次さん(78)。
服部さんは、「東京ブギウギ」など数多くのヒット曲を生み出し、国民栄誉賞を受賞した作曲家・服部良一氏の次男だ。
俳優 服部吉次さん「小学校1年の時に吉祥寺の家にジャニー氏が訪ねてきた。ほとんど毎週のように、そういうこと(性加害)をされてた」
ジャニー氏と服部家との接点は1950年。父・良一氏のアメリカ公演をジャニー氏が手伝ったことをきっかけに家族ぐるみの付き合いが始まった。当時19歳だったジャニー氏は、次第に服部家に泊まるようになった。
俳優 服部吉次さん「はじめは2つ布団が並んでいたが、僕の布団に入ってきて、そのうちパンツの中にも手が入ってきた」
こうした行為は2年半に及んだという。
家族ぐるみの付き合いだったことを示す映像がある。1993年、父・良一氏の葬儀の時の映像だ。吉次さんによれば、遺影を持つ吉次さんの後ろにいるのがジャニー氏だという。
俳優 服部吉次さん「あの立ち位置はだいたい彼のポジションですね、ほとんど親戚同様にして、こういう席には必ず連なっていた」
葬儀の際に忘れられない場面があった。ジャニー氏は関係者を集めた食事の場で親族側の席に座っていたのだ。
同席していたのは、吉次さんの次男、当時12歳の有吉くん。妻のくに子さんがこう振り返る。
妻 くに子さん「(ジャニー氏は息子と) 葬儀の時に初めて出会って、じっとみつめてたから危ないなと思った。そのあと何回も電話があって、会いたいからって。息子を連れてジャニーさんとこに会いにいって、何回も呼ばれて(ジャニー氏から)『お母さんどうしていつも来るの』『息子だけでいいんじゃない』と言われて、そんなわけにはいきませんと」
そして、有吉くんからはこんな訴えが…
妻 くに子さん「お母さんあの人の触り方が変だよね。なでるように触るんだよねって。母親としてちゃんとできなかった悔しさ。守ってあげられなかった」
服部吉次さんの友人で、元コンサルタントの松崎基泰さん(79)。
ジャニー氏と知り合ったのは松崎さんが小学1年生の頃。服部家に遊びに行ったとき、ジャニー氏がいたという。
松崎基泰さん「わいわい(テレビを)見ていたら、右の方から視線を感じた。最初は何となく見なかったんだけど、見たらそれがジャニー氏だった。それが最初のジャニー氏との出会いだった」
ジャニー氏は、ジャニーズ事務所を設立する前に少年野球チームを作っていた。グラウンドがあったのは当時、ジャニー氏が暮らしていたアメリカ軍の宿舎「ワシントンハイツ」だ。松崎さんもチームに誘われた。
その後、服部家で毎週のようにジャニー氏と会うようになった。ジャニー氏は家に送ってくれた上、チョコレートなども買ってくれたと話す。
松崎基泰さん「うちの母親は恐縮して『あんな良い人いない』と言って、それが何度か続いた」
しかし、しばらくするとジャニー氏に変化が…
松崎基泰さん「(家の近所に)車を止めて、私に迫ってきた。それが何度もあった。まず口のキスから始まって、生まれて初めてのことだから何も言えなくて。そのうちにズボン下ろされて、そういう行為が毎回に近いぐらいあった。それが30~40分間あって、やっと家に帰れる」
軽井沢にある服部家の別荘に吉次さんら友人たちと泊まりに行ったとき、さらに行為はエスカレートしたという。
松崎基泰さん「ジャニーが上に乗っかってきた。パジャマとパンツを下ろされて。彼は当然その先に進むつもりでいた。今度は私に震えがきて、そのうち大泣きになってしまった」
泣き声を聞きつけた隣人が止めに入り、性行為は免れた。
松崎さんと吉次さんが被害に遭ったのは70年前。なぜ当時、ジャニー氏の性加害は明るみに出なかったのか。
実は、吉次さんは8歳の時、性被害について姉に打ち明けたのだが…
服部吉次さん「『こういうことをされたんだ』と話をした。そしたら『やめてよそんな話』『気持ち悪い。やめて』と言われた」
姉から言われたこの一言でその後、吉次さんは口を閉ざしてしまった。
一方、松崎さんは当時、家族にすら話せなかったという。
松崎基泰さん「1950年代の時代、そういうことはしゃべってはいけない風潮があったように思う。現代とは全く違うんじゃないか」
松崎さんと吉次さんが互いの性被害を知ったのは、約60年が経ってからだった。
松崎基泰さん「10年前に高校の同窓会があった。『実は俺もそう(被害に遭った)だったんだよ』と。『ああ、お前もそうか』と。ジャニーから被害に遭った内容はほぼ同じだった」
今回、吉次さんと共に声を上げたのは、子どもへの性加害に対する社会の意識が変わって欲しいという思いがあったからだ。
松崎基泰さん「今後、日本がいい社会の中に生き延びていくために、少しでも我々が役に立てればという気持ちでいる」

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