兄からの暴力と性的虐待…21歳女性を刺殺した少年「屈折幼少期」

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その凶悪な殺人事件は、真夏の20年8月29日に、福岡市内の大型ショッピングモール「マークイズ福岡ももち」で起きた。
夏休み最後の週末の金曜日の午後7時半頃、ショッピングモールは大勢の客で混雑していた。その1階で突如として「キャー」という悲痛な叫び声が響き渡ったのである。
殺害現場となった女子トイレから出てきたのは、中学3年の15歳の少年だった。彼の手には、血液にまみれた包丁(長さ約18.5cm)が握られており、腕や服にも返り血を浴びていた。
少年は逃げるわけでもなくゆっくりと歩きながらあたりを見回したと思うと、近くにいた親子に目をつけた。39歳の母親と6歳の娘だ。
彼は突然走り出し、女児に馬乗りになって、所持していたナイフで切りかかろうとした。母親の悲鳴が響く。
その時、現場にいた消防局に勤める男性がとっさに飛び掛かった。体格差があったことから、少年は押さえつけられ、包丁を奪われた。
少年は諦めたように抵抗を止め、その後に駆け付けた警察官に逮捕された。
だが、すでに犯行は行われており、女子トイレでは21歳の女性が血にまみれて息も絶え絶えの状態にあった。十数回にわたって背中、鎖骨、腕などを切りつけられ、特に首の刺し傷は深かった。
到着した救急車によって、女性は済生会福岡総合病院に搬送されたものの、出血性ショックによって死亡が確認。殺人の容疑で逮捕された少年は、被害女性と顔見知りでなかったことを認め、犯行動機を次のように語った。
「女性に興味があり近づいた」
偶然見かけた女性に性衝動を膨らまし、女子トイレまで追いかけ、咎められたことに逆上して犯行に及んだという。
報道後、あまりに短絡的、かつ理不尽な殺害動機に、世間からは非難や動揺の声が多数上がった。
だが、その後の調べで少年は小学3年生から様々な施設をたらい回しにされ、事件の2日前に少年院を出たばかりであったことが判明する。そして、少年が抱えていた心の闇が少しずつ明らかになっていったのである。
少年の残忍な犯行の裏に、何があったのか。その人格が形成された幼少期にスポットを当ててみたい――。
鹿児島県にある薩摩半島の南端に位置する海辺の集落で、事件の加害者・谷沢速人(仮名)は育った。
現在、ここには300人ほどしか暮らしておらず、住民の大半が漁師か、引退した高齢者だ。集落ではみなが顔見知りでお互いの家を自由に行き来し、商店は小さな雑貨屋くらいしかない。
速人が生まれたのは、05年だった。父親は水産高校を卒業後、1年ほどインドネシアで過ごした後に帰国し、鮮魚店で働いていた。母親の方は准看護学校で学び、准看護師の資格を取得。病院で勤務していた。
両親が出会ったのは、2人が19歳の時だった。翌年に結婚すると、99年に長女、01年に長男、そして4年後に速人が誕生した。
速人は保育所に通っていた時から、発達の遅れが見られた。3歳児検診の際には多動や言語発達の遅れなどの特徴が指摘され、療育センターへ通った。
この頃すでに速人には粗暴性が現れていたそうだ。保育所の他の児童を叩いたり、注意した大人に噛みつくなどの行為が目立ったという。
近所に暮らしていた父方の祖父は次のように語る。
「長女と長男には変わったところはなかった。ただ、速人だけは違ったね。いい子なんだけど、言っていることとか、やっていることとかが、普通の子とは違うんだよ。俺もうまく理解できなかった。
ある日、母親が病院へ連れて行ったんだ。そしたら、発達障害って言われたらしい。俺もそれなりに勉強して、だからああいう性格なんだって納得した。それからは、あの子のしていることを真に受けずに流すようになったな」
発達障害児の割合は、全児童の6.5%とされており、暴力や犯罪との因果関係はない。だが、速人の場合は、それに加えて家庭に大きな問題があった。
原因は、父親の家庭内暴力だった。短気な性格で、家族に対して頻繁に暴力をふるっていたのである。
家庭内暴力の被害に遭っていたのは、主に母親と長男だった。後で述べるように、母親も速人同様に発達障害があった。
母親は家庭内暴力によって何度か大きな怪我を負った。そうしたこともあったのだろう、夫の暴力には黙って耐えるだけで、それが子供に及んでも知らぬふりをしていたそうだ。
子供の中でターゲットにされていたのが、長男だった。娘や幼い弟より、手を上げやすかったのだろう。長男は、そんな不条理な暴力のストレスから、弟の速人に危害を加えた。
事件後、福岡拘置所で面会した速人は、私に次のように語っていた。
「俺にとって、兄は敵っていう感じです。恨みと怒りしかない。いつも訳もわからずに、あらゆる暴力をふるわれていました。いきなり殴られる、首を絞められる、銃(エアガン)で顔を撃たれるとか。物をつかって叩かれることもしょっちゅうでした。ムカつきましたけど、4歳離れているからやり返すこともできず、ただやられてたってだけです」
長男は、父親から受けていた虐待の怒りを幼い弟にぶつけていたのだろう。言ってしまえば、自分の精神が崩壊するのを防ぐために、速人をストレス解消のはけ口にしていたのだ。
やがて長男の行為は速人に対する身体的な暴力に加えて、性的な暴力にまで及ぶ。自分のペニスや肛門を舐めさせるなどして自慰行為を手伝わせたのだ。
家には父親の所有していたアダルトビデオやポルノ雑誌がそこら中に散らばっていたり、両親が子供たちの前で性交したりすることがあった。そうした環境の中で、長男は性的指向がゆがんでいたと思われる。
速人は兄の言いなりになるだけでなく、自分自身でも性的な関心を膨らませていくようになった。
母親はそんな息子たちの異変に多少なりとも気がついていたはずだったが、手を差し伸べることはなかった。いや、それどころか、後に開かれた裁判では、そんな子供たちに性的虐待をしていたという指摘がなされた。具体的には次のような行為である。
・母親が子供に乳房を舐めさせた。
・母親が子供の自慰を手伝ったり、ポルノ雑誌を買い与えたりした。
・母親が子供にディープキスをした。
また、普段の生活では子供たちをネグレクト下に置いていた。母親は掃除洗濯だけでなく、子供に食事をつくることを怠っていたのだ。
そのため、速人はいつも腹を空かせている状態で、家にあったホットケーキミックスの粉を水で溶かして、生のまま舐めて空腹を満たすなどしていたらしい。
裁判後の報道では、こうしたことがクローズアップされ、母親に対する批判が集まった。だが、私がインタビューした祖父は、母親がこうした行動に及んだことに特に驚きがないと言い切った。
祖父は言う。
「俺が見るに、彼女の方が障害の症状が重かった。家の中は足の踏み場もないほどのゴミ屋敷だし、何を言ってもちゃんとした受け答えができない。食事だってまともにつくれなかった。雑草だって生え放題。やろうとしてもできないんだよ。
本当は父親が何とかしてやればよかったんだけど、忙しかったから無理だったみたいだ。魚関係の仕事だったから夜暗いうちに仕事へ行って、帰ってくるのは日が暮れてから。それで子供たちが放ったらかしになっていたんだ」
個人差はあるにせよ、ADHDの人が、家の片づけや日々の料理が苦手ということは珍しくない。性的虐待についても、息子たちとの適切な距離感がつかめず、求められることをしていたという面もあるかもしれない。
何にせよ、そこに加えて家庭の様々な問題が絡んだことによって、家庭には大きなゆがみが生じていた。
父親はそんな妻子への関心をほとんど持っていなかった。外にフィリピン人の愛人をつくって、ろくに帰ってこなかったのである。祖父の話によれば、枕崎市あたりのフィリピンパブで出会った女性ではないかとのことだった。
しかし、速人の人格を形成したのは、こうした環境だけではなかった。これに加えて、彼には小学生の低学年の頃から、生殖器、ならびに性欲の病的とも言うべき異常な発達があったのだ。客観的に考えて、それは治療を必要とする程度のものだった。【後編】では、性の側面から速人の人格の成り立ちを見ていきたい。
取材・文:石井光太77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『絶対貧困』『遺体』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『格差と分断の社会地図』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』などがある。

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