「耳が聴こえるようになってほしい」“聴こえない親”を持つ小説家が語る、孤独と現在地

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「優生保護法」という法律があった。「不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護すること」(第1条)を目的として、障害のある人などに本人の了承なく不妊手術や中絶手術を行えるという法律だ(1996年に母体保護法に改正)。「ひどい話だ」とは多くの人が思うだろう。でも、「もしかしたら自分は生まれてこなかったかもしれない」となったら、その思いはいっそう身近になるはずだ。
ライター・小説家の五十嵐大さん(@daigarashi)は、ご両親がろう者だ。 そして聴こえない親を持つ聴こえる子どもは、コーダと呼ばれる。五十嵐さんはその「コーダ」という立場で情報を発信している。
その最新作が『聴こえない母に訊きにいく』(柏書房)だ。発売直後からSNSで次々に取り上げられており、手に取った。読んでみると冒頭からグイグイと引き込まれる。世間に憤り、小さな優しさに幸せな気持ちになって感情が揺さぶられた。どうしても本人に話を聞きたくなり、取材を申し込んだ。
◆耳が聴こえない両親のもとに生まれて
五十嵐さんは子どもの頃、ご両親に「耳が聴こえるようになってほしい」と思っていたという。同級生には「お母さんのしゃべり方変だね」と笑われ、周囲には「障害者の親から生まれた子供なんてろくなもんじゃない」というようなことを言う人もいた。
「だから、いつか見返してやりたいと思っていたんです。そのためには有名になろうと思い、俳優を目指したこともありましたが、なかなか芽が出なくて。紆余曲折あって、ライターの仕事をすることになりました。地道に仕事を続けていくなかで、たまたまろう者の親について書いた記事が話題になり、本を出してみないかと声をかけてもらうようになっていったんです」(五十嵐さん、以下同じ)
五十嵐さんはこれまでも何冊か家族についての本を出版しているが、本書は、母、冴子さん (仮名)の人生を振り返る1冊だ。1年半をかけて取材した文章は、五十嵐さん本人の話し方同様、柔らかくて優しくて、目の前に映像が浮かぶようだ。少なくともこれは「誰にでも」書ける文章ではないだろう。
◆「自分は手話が得意ではない」
本書によると冴子さんは、彼女の家族の中でただ一人「聴こえない人」だった。中学校に入るまで、地域の小学校へ通っており、障害の特性に沿った教育を受けたことがなかった。音が聴こえないのだから、周囲の人が話していることもわからない。ほとんど人とコミュニケーションを取ることができないままだったそうだ。
しかし、ろう学校に通うようになり、手話を身に付け、コミュニケーションの楽しさを知ったという。周囲の誰とも思ったように意思疎通ができない。そんな環境の中、手話を覚え、初めて他人と思う存分にコミュニケーションが取れるようになった。
そして同じく耳の聴こえない浩二さん(仮名)と知り合い、結婚した。五十嵐さんはご両親とのやり取りは手話で行うそうだ。しかし著作の中で「自分は手話が得意ではない」と語っている。
◆点字は文字の代わりに使うもの?
「ぼくの家庭ではあまり手話が尊重されていなかったこともあって、ぼくは手話をしっかり身に付けることができませんでした。でも、両親にとっては手話が第一言語です。だからふたりとわかり合うためには、やはり手話を用いたコミュニケーションを取る必要がありますし、なによりも、彼らの言語を尊重したいと考えています。

ちなみに筆者の周りの視覚障害者に聞いてみたところ、点字は文字の代わりに使うもので、「言語」という感覚ではないそうだ。そもそも点字を読める視覚障害者は12%ほどと言われており、大人になってから習得するのはかなり難しい。ろう者=手話、視覚障害者=点字というイメージが強いが、その歴史や使われ方は大きく異なる。
◆「自分のことは自分で決める」ことの重要さ
五十嵐さんへの取材の中で何度もトピックに上がったのが、「自分のことは自分で決める」という当たり前の人権についてだった。
五十嵐さんのご両親は、ろう者同士で結婚した。それまでに多くの壁があったことが書籍で語られている。筆者が代表を務め、視覚障害者が活躍する「合同会社ブラインドライターズ」のスタッフにも、視覚障害者同士で結婚している夫婦が複数いる。しかしいまだに出産・育児に反対されることが多いと聞く。反対することは、心配の証なのだろうか。
「父方の伯母は、母に対して、『あなたが妊娠して子どもを産んだら、私が引き取って育てる』と言っていたそうです。何気ない言葉ですけど、母は子どもを産んで育てるっていう権利を侵害されかけていた。子どもを産むか産まないかは、その人が主体的に選択するものですよね。心配になる気持ちはわかりますが、当然の権利を踏みつけるのは差別でしかない。それを侵害するのではく、たとえば子育てに協力するなど、一緒に解決する道を探してほしいと思います」
◆コーダという名前がついて安心した
一方で、確かにマイノリティの子どもたちの孤独感は心配だ。五十嵐さんは若い頃「障害者の親なんて嫌だ」と何度も冴子さんにぶつけたそうだ。
「アメリカには、コーダの子たちが集まる”コーダキャンプ”というイベントがあります。参加者はそこで数日間、コーダの人たちだけで、周りの目を気にせずに思う存分楽しめる。でも、僕が子どもの頃には、コーダだけで集まるコミュニティがなかったですし、そもそもコーダという言葉自体が知られていませんでした。とても孤独だったと思います。
耳の聴こえない親に育てられている子どもは、僕だけなんじゃないか……と思う瞬間もありましたし。だから僕は自分にコーダという名前がついたときに、非常に安心したんです。名前がつくということは仲間がいるということですから。同じように『映画や本で、自分が初めてコーダだと分かってホッとしました。こういう環境にいるのは自分ひとりだと思っていました』と連絡をくれる10代の人もいるんですよ」
◆「わがままだ」バッシングにどう向き合う?
障害者に限らず、同性婚、選択的夫婦別姓など、権利獲得のために活動をする人たちは、必ずと言っていいほど、「わがままだ」などとバッシングに遭う。ときには、声を荒げて批判する当事者もいる。もちろん、穏やかに話し合えればいいのかもしれない。だが声を上げなければ誰も気づいてくれないのも事実だろう。
「障害をはじめ、理不尽に追い詰められている人たちは、毎日何かしら我慢を強いられていて、それが積もり積もって怒りになっています。でも、なんの不便もないマジョリティの人たちには気づけないのかもしれません。だから『なんでそれくらいで怒るんだ、我慢しろ』と思ってしまう。

◆「1年半という過程も含めて思い出になった」
書籍の最後に、「できあがった見本誌を手にしたとき、母はどんな顔を見せてくれるのか」と書いてあった。発売日が過ぎ、すでに冴子さんは手に取っているはずだ。一時は、荒れていた息子が自分について書いてくれた本を受け取った母の反応はどうだったのか?
「すごく愛おしそうな感じで『この取材の1年半という過程も含めて思い出になった』と言われました。これまでの本は、あくまでも僕の目線で書いたものだったので、母になにかを訊いたり確認したりすることもなかったんです。でも今回は一緒に作った感じがするし、最初で最後になるかもしれませんから、そう言ってくれたのは本当によかったと思います」
五十嵐さんや冴子さんの苦悩は、周囲からの差別がなければしなくて済んだことだ。私たちは明日にでも、病気やケガで障害を得るかもしれない。そのときに突然人生を諦めることができるだろうか。誰もが生きやすい社会を作ることは、自分の未来を守ることでもある。
<取材・文/和久井香菜子>
【五十嵐大】1983年、宮城県生まれ。2015年よりフリーライターになる。著書に『しくじり家族』(CCCメディアハウス)、『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎)など。2022年には初の小説作品『エフィラは泳ぎ出せない』(東京創元社)も手掛ける

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