【飯田 一史】じつはセンター街にいた「ギャル・ギャル男」は、その後の人生で「成功」していた…!

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前編記事「「オタクに優しいギャル」が流行る今こそ知りたい「全盛期のギャル・ギャル男」のリアルとその後」では、かつてのギャル・ギャル男たちが当時経験したことや、当時の想いなどを紹介した。続くこの後編記事では現在の仕事や、その成功のカギを引き続き紹介していく。
90年代から2000年代にかけてギャル・ギャル男としてイベサーに集まっていた「都会の高学歴の不良」たちは、肌を焼くのをやめて社会人になったあとで、いったいどんな人生を歩んでいるのか。イベサーで培った経験や価値観は、仕事とどう結びついているのか。
自身も2001年に渋谷センター街のイベサーに参加し、筆頭イベサーの代表を勤めた後、社会学の研究者としてイベサー参加者とOBへのフィールドワークを約20年にわたって続け、特殊詐欺犯から上場企業経営者までの多様な「その後の人生」も追った『若者たちはなぜ悪さに魅せられたのか 渋谷センター街にたむろする若者たちのエスノグラフィ』(晃洋書房)を著した、明星大学人文学部人間社会学科助教の荒井悠介氏に訊いた。
――著書にはイベサーを経て「アウトサイダーになったケース」「グレーゾーンな稼ぎを経て起業」「ギャル・ギャル男系のファッション、サブカルチャー産業への就職」「一般社会、特にインターネット広告・エンタメ系への就職」などが取り上げられ、いかに不良性と勤勉さを併せ持つ価値観や、社会関係資本、文化資本を活かしたかが書かれていました。イベサー幹部からアウトサイダー(犯罪者)になるのは割合的にはどれくらいなのでしょうか。
荒井 イベサーでは1年ごとに代替わりしていくのですが、代々の一番悪い人がずっとその方面で生きていくことが多いですね。幹部が10人いたら1人いるかいないか。水商売等のスカウトなどグレーな仕事を入れても多くて2人程度です。もちろん幹部以外にもメンバーはたくさんいましたから、誤解のないように言っておくとそういう道に進むのはごく一部です。犯罪に手を染める場合も、大きく分けると完全にその道で生きるケースと、一般社会で成功をつかむための起業等の資金を得る「移行期間」として特殊詐欺などを行うケースの二通りがあります。
僕はイベサーの若者(サー人)の行動・価値観を「シゴト」(勤勉な人づきあい)、「ツヨメ」(脱社会的な発想・行動力)、「チャライ」(性愛の利用)、「オラオラ」(反社会性の利用)と整理しましたが、本物のアウトサイダーになった人たちは、まだ誰も思いついていないような新奇性のある法的にグレーなビジネスに飛び込み(ツヨメ)、逮捕されないギリギリを攻め(オラオラ)、事務所にはタイムカードがあるなどスタッフにも勤勉性(シゴト)を求めるといったかたちで、その後も不良性と勤勉性を両立するサー人的な価値観を体現しています。
Photo by iStock
――本の中で「アウトサイダーからの移行者」として中国で事業を成功させた方が紹介されていましたが、その方は「中国の古典を読め」「簿記を勉強しろ」と説いていたそうですね。中国思想は戦火の混乱から生まれているから人間の生々しい感情に肉薄している、アウトサイダー文化と親和性がある、と。めっちゃ怖いオラオラした元ギャル男が『論語』とかを読んでいると想像すると凄い絵面ですが……。
荒井 その方は、喧嘩も強くて、ぶっ飛んでいて、彼の率いていたオラオラしたグループの危なさは、イベサー時代にも際立っていました。そんな側面を持ちながらも、非常に計画的で頭もキレる方で、多くのサー人たちをまとめていました。その方は、当時から飲み会の最中にも本を熱心に読んで「不良の世界にも美意識が必要なんだよ」と言って神道や日本の美意識などの本を周囲に薦めていました。そこから「日本の美意識の源流を遡っていくと中国に行き着く。ヤクザの組の標語にも孔子を少し変えただけのものもある。人を治めるには中国思想がいい」と後に語るようになりました。その方とはまた別の、特殊詐欺の指名手配犯になってフィリピンで虎を飼いながら身を隠している方は、マキャベリの『君主論』を先輩に推薦されて読んでいたそうなんですが、前者の方は「マキャベリだと人が付いてこないんだよ。孫子の方がいい」と言っていましたね。悪い道に進んだ人も帝王学、法律、簿記などを本当によく勉強していて、クスリに手を出した人以外はほとんどアシが付いていないようです。ケツをもたず、梯子外しをする人間の行動が理解できない――新しさを求める「ツヨメ」、あるいは人間関係へのマメな気配りを重視する「ナゴミ」「シゴト」を活かしてイベサーからギャル・ギャル男系のファッション、サブカルチャー産業に進んだ方もいるそうですね。これはイメージしやすいです。ただ、サー人が非サー人の上司から梯子外しをされるとなぜそんなことをするのか理解できずに愕然する、といった事態についても書かれていましたよね。同じサー人でもアウトサイダーとは対照的で、ある種のピュアさすら感じました。荒井 ギャル・ギャル男系のファッションやイベント企業を進路に選ぶのは、グループの中でも元幹部クラスで、特にサー人文化の美意識、精神的なかっこよさを内面化しているような人たちなんですね。イベサーの人間にとっては「後輩のケツをもたない」はありえない。何があっても下の人間の責任は上の人間が取るのが当然という価値観で生きています。仁義や忠を重視する。だから「梯子を外される」という発想がそもそもないんですね。僕自身30代半ばまで概念自体が理解できませんでした。でも実際には上司が部下に責任を押しつけたり、逃げたりすることもある。そういうときにサー人は美学を内面化しているからこその弱さ、一般社会のドライさに対する弱さを露呈してしまうんですね。Photo by iStock――外からやってきた非サー人が、サー人が持つ人脈の価値を理解せずに軽く扱って事業や組織をダメにしてしまう、という話もありました。荒井 ギャル・ギャル男系のファッションやカルチャーの世界では、サー人が培ってきた属人的なネットワークや界隈に関する知識がその企業の威信、名誉、引いては収益にも貢献していることがよくあります。ところがよく知らない人が上司や経営陣になるとその無形の価値がわからず、評価されないといった事態が起こります。あるいは、イケてないセンスの人間が上に立つとギャル・ギャル男系のファッション業界ではお客さんや社員の承認が得られないのですが、お金だけ持っている人が参入してくるとやはりそれがわからず、客離れや離職を引き起こしてしまう。 こういう出来事を経て、サー人が培ってきた文化資本や社会関係資本、象徴資本よりも、経済資本や組織の力学が勝るのかと悟り、その後は自分が身体化してきた価値観や資本を活かした起業をして成功した方もいます。新興のネット広告、ネットエンタメへの適性の高さ――イベサーからインターネット広告界隈に進んだ人も多いそうですね。僕、2004年初頭の就活中にサイバーエージェントの説明会に行ったときにものすごく陽な人たちが出てきて「俺の知っているネットの世界とあまりにもノリが違う」と面食らった記憶があるのですが、そういうことだったんですね。荒井 ネット広告だけでなく、ネットテレビ、ソーシャルゲームやウェブマンガなどのエンタメ系で活躍している人も多いです。新興IT企業の成功者の中には対人関係の構築の場にチャライ、ツヨメ要素を求める人が少なからずいますし、「誰もやっていないから失敗するかもしれないけれどもやってみるか」という冒険心が功を奏する世界ではサー人は成功しやすい。使っているSNSとしてはTwitterは少なく、インスタとFacebook中心です。あえてSNSを避ける方もいますね(笑)。ただ「危険を恐れない」傾向(オラオラ)と表裏ですが、ステマが法的には犯罪ではなかったころに先駆けたり、レビューサイトに法律違反でない範囲でサクラで書き込むビジネスをしたりといった事業を手がけている人も一部にはいます。Photo by iStock――学歴や勤勉さを活かしていわゆる一流企業に就職したり、MBA取得、会計士、医師などになった方もかなりの数にのぼるそうですが、お堅い仕事に就いた人はサー人としての過去を隠して生きつつ「俺はあのときやりきったんだ」という内面的な誇りを大事にしている、という話も印象的でした。荒井 昔は、いわゆる不良の若者であったことや、元キャバ嬢、元暴力団組長の〇〇など悪さが、メディアで取り上げられ、そこから成り上がったことが本人の箔になるという風潮がありました。サー人の中にも将来は成功し、メディアで昔の「武勇伝」を語ってセルフプロデュースに役立てたいと語っている方もいました。実際に国会議員になる、大手企業の役員になる、青年実業家として大成功する、Forbesや経済番組に取り上げられる、こういう夢を叶えたメンバーたちもいます。でも、過去の経歴はメディアでは公表しません。悪さが時代変化の中で、他者に伝えるシンボルとしての象徴的な資本にならなくなった、それどころか負の象徴資本になった、ここは期待と違っていたと言えますね。もはや「イベサーやってた」「不良だった」と言うとドン引きされ、コンプラ的にもアウトとされて社会的信用を失ってしまう時代ですから、かつての仲間同士でしか昔の話はなかなかできないんですね。 ただし、マックス・ウェーバー的な「内面を支える」という意味で「資本」としてその後の人生で機能している場合はよくあります。個々人の内面的な誇りとして「あれだけ大変な経験をして引退まで耐えたんだから」と思うとうまくいかないときも乗り切れる、といったことはかなりのサー人が言っています。自分に対する自信になっていることは間違いないですし、実はこちらが大事な力だったのではないかと思いますね。サー人が社会に出る前に予想していた「悪さは役に立つ」は真だった――改めてになりますが、サー人(ギャル・ギャル男)の若い頃から社会に出たあとまでを長年追いかけた研究者として、その外にいる人たちにどんなことを伝えたいですか。荒井 「悪さは役に立つ」――悪さが社会的上昇に対して役に立ってしまった、なぜならそういう世の中だったから、ということですね。サー人たちは「社会に出たら、出世していくにはどうせ清濁併せ呑んだ振る舞いができないといけないんだろう」「オッサンが向けてくる性的な視線を受け流しつつも利用できないといけないんだろう」「儲け話は法律ギリギリのグレーゾーンに転がっているんだろう」などと想像して、将来の成功のためにそれができるように振る舞っていた。そして社会に出てみたら、案の定、会社で汚職があったり、エロ親父に遭遇したり、新奇な領域に荒稼ぎできるビジネスを見つけたりした。そこで若い頃に獲得した悪さ、言いかえるとツヨメ、チャライ、オラオラといった価値規範やそれにともなう能力が、一種の文化資本――僕は「不良資本」と定義しましたが――として役に立った。――「悪さが役に立つ」と言うと、規範意識から認めたくない人も多そうですね。荒井 そう言うとすごく嫌がる方もいると思います。もちろん、私の研究は、東京という地域性、高い学歴、家庭の経済支援の豊かさ、対象の中心は主に幹部クラス、といったかなり特殊な条件がありますので、全ての人にとって悪さが役に立つと言うつもりはありません。また、「イベサーを経て成功した人間しか見ていないからそう感じる生存者バイアスであって、みんながそうであるはずがない」と思いたくなる気持ちもわかりますが、私が対象とした人たちの中では、失敗をする人を探す方が難しいです。Photo by iStock「悪くて頭のいい連中が、まっとうに生きてきた自分より出世したり、カネを持っている」となれば、おかしいと思い、憤慨する人も当然いると思います。そう思っていただいて良いと思うんです。基本的には、まっとうな人がまっとうに生きて成功する社会にしていくことが大切だと思います。だからこそ、現実を見つめるきっかけにしていただければと願っています。サー人がすべてを始めたのではなく、ギャル・ギャル男以前にも旧制高校以来、勤勉性と不良性とが分かちがたく結びついた、都市部の高偏差値層の若者不良文化は連綿とあるんですね。その連続性を考えるとなおさら「悪さが役に立つ」は日本社会において否定できないことのように思います。また、海外においても当てはまるのではないでしょうか。この系譜をさらに昔に遡ると戦国時代の傾奇者集団などにも結び付くと思いますし、不良性をもった貴族の若者たちが海賊団を作り、商船団を作っていった例なども存在しています。ここはこれからの研究で詳細に検証していきたいところでもありますが。 ――不良兼エリートはただ暴れていたのではなく、そこでの行いがなんらかの機能を果たし、その後、社会で活用されていったと考える方が自然だと。荒井 不良性を持った人たちなのですけれども、一方で美学を持った存在でもあり、必ずしも一面的に断罪できるものではないと思っています。悪さが入り混じる中にある美しさもあるし、不良性を持った人たちが社会にもたらす強さ、豊かさ、新しさ、そういったものもあるからこそ、残り続けるものなのではないかと思います。決して犯罪を肯定するつもりはありませんが、現実に今も生きている人たちを形作った背景、過去に存在していた集団の文化、人間社会の複雑さをご理解いただければありがたいです。
荒井 その方は、喧嘩も強くて、ぶっ飛んでいて、彼の率いていたオラオラしたグループの危なさは、イベサー時代にも際立っていました。そんな側面を持ちながらも、非常に計画的で頭もキレる方で、多くのサー人たちをまとめていました。その方は、当時から飲み会の最中にも本を熱心に読んで「不良の世界にも美意識が必要なんだよ」と言って神道や日本の美意識などの本を周囲に薦めていました。そこから「日本の美意識の源流を遡っていくと中国に行き着く。ヤクザの組の標語にも孔子を少し変えただけのものもある。人を治めるには中国思想がいい」と後に語るようになりました。
その方とはまた別の、特殊詐欺の指名手配犯になってフィリピンで虎を飼いながら身を隠している方は、マキャベリの『君主論』を先輩に推薦されて読んでいたそうなんですが、前者の方は「マキャベリだと人が付いてこないんだよ。孫子の方がいい」と言っていましたね。悪い道に進んだ人も帝王学、法律、簿記などを本当によく勉強していて、クスリに手を出した人以外はほとんどアシが付いていないようです。
――新しさを求める「ツヨメ」、あるいは人間関係へのマメな気配りを重視する「ナゴミ」「シゴト」を活かしてイベサーからギャル・ギャル男系のファッション、サブカルチャー産業に進んだ方もいるそうですね。これはイメージしやすいです。ただ、サー人が非サー人の上司から梯子外しをされるとなぜそんなことをするのか理解できずに愕然する、といった事態についても書かれていましたよね。同じサー人でもアウトサイダーとは対照的で、ある種のピュアさすら感じました。
荒井 ギャル・ギャル男系のファッションやイベント企業を進路に選ぶのは、グループの中でも元幹部クラスで、特にサー人文化の美意識、精神的なかっこよさを内面化しているような人たちなんですね。イベサーの人間にとっては「後輩のケツをもたない」はありえない。何があっても下の人間の責任は上の人間が取るのが当然という価値観で生きています。仁義や忠を重視する。だから「梯子を外される」という発想がそもそもないんですね。僕自身30代半ばまで概念自体が理解できませんでした。でも実際には上司が部下に責任を押しつけたり、逃げたりすることもある。そういうときにサー人は美学を内面化しているからこその弱さ、一般社会のドライさに対する弱さを露呈してしまうんですね。
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――外からやってきた非サー人が、サー人が持つ人脈の価値を理解せずに軽く扱って事業や組織をダメにしてしまう、という話もありました。
荒井 ギャル・ギャル男系のファッションやカルチャーの世界では、サー人が培ってきた属人的なネットワークや界隈に関する知識がその企業の威信、名誉、引いては収益にも貢献していることがよくあります。ところがよく知らない人が上司や経営陣になるとその無形の価値がわからず、評価されないといった事態が起こります。あるいは、イケてないセンスの人間が上に立つとギャル・ギャル男系のファッション業界ではお客さんや社員の承認が得られないのですが、お金だけ持っている人が参入してくるとやはりそれがわからず、客離れや離職を引き起こしてしまう。
こういう出来事を経て、サー人が培ってきた文化資本や社会関係資本、象徴資本よりも、経済資本や組織の力学が勝るのかと悟り、その後は自分が身体化してきた価値観や資本を活かした起業をして成功した方もいます。新興のネット広告、ネットエンタメへの適性の高さ――イベサーからインターネット広告界隈に進んだ人も多いそうですね。僕、2004年初頭の就活中にサイバーエージェントの説明会に行ったときにものすごく陽な人たちが出てきて「俺の知っているネットの世界とあまりにもノリが違う」と面食らった記憶があるのですが、そういうことだったんですね。荒井 ネット広告だけでなく、ネットテレビ、ソーシャルゲームやウェブマンガなどのエンタメ系で活躍している人も多いです。新興IT企業の成功者の中には対人関係の構築の場にチャライ、ツヨメ要素を求める人が少なからずいますし、「誰もやっていないから失敗するかもしれないけれどもやってみるか」という冒険心が功を奏する世界ではサー人は成功しやすい。使っているSNSとしてはTwitterは少なく、インスタとFacebook中心です。あえてSNSを避ける方もいますね(笑)。ただ「危険を恐れない」傾向(オラオラ)と表裏ですが、ステマが法的には犯罪ではなかったころに先駆けたり、レビューサイトに法律違反でない範囲でサクラで書き込むビジネスをしたりといった事業を手がけている人も一部にはいます。Photo by iStock――学歴や勤勉さを活かしていわゆる一流企業に就職したり、MBA取得、会計士、医師などになった方もかなりの数にのぼるそうですが、お堅い仕事に就いた人はサー人としての過去を隠して生きつつ「俺はあのときやりきったんだ」という内面的な誇りを大事にしている、という話も印象的でした。荒井 昔は、いわゆる不良の若者であったことや、元キャバ嬢、元暴力団組長の〇〇など悪さが、メディアで取り上げられ、そこから成り上がったことが本人の箔になるという風潮がありました。サー人の中にも将来は成功し、メディアで昔の「武勇伝」を語ってセルフプロデュースに役立てたいと語っている方もいました。実際に国会議員になる、大手企業の役員になる、青年実業家として大成功する、Forbesや経済番組に取り上げられる、こういう夢を叶えたメンバーたちもいます。でも、過去の経歴はメディアでは公表しません。悪さが時代変化の中で、他者に伝えるシンボルとしての象徴的な資本にならなくなった、それどころか負の象徴資本になった、ここは期待と違っていたと言えますね。もはや「イベサーやってた」「不良だった」と言うとドン引きされ、コンプラ的にもアウトとされて社会的信用を失ってしまう時代ですから、かつての仲間同士でしか昔の話はなかなかできないんですね。 ただし、マックス・ウェーバー的な「内面を支える」という意味で「資本」としてその後の人生で機能している場合はよくあります。個々人の内面的な誇りとして「あれだけ大変な経験をして引退まで耐えたんだから」と思うとうまくいかないときも乗り切れる、といったことはかなりのサー人が言っています。自分に対する自信になっていることは間違いないですし、実はこちらが大事な力だったのではないかと思いますね。サー人が社会に出る前に予想していた「悪さは役に立つ」は真だった――改めてになりますが、サー人(ギャル・ギャル男)の若い頃から社会に出たあとまでを長年追いかけた研究者として、その外にいる人たちにどんなことを伝えたいですか。荒井 「悪さは役に立つ」――悪さが社会的上昇に対して役に立ってしまった、なぜならそういう世の中だったから、ということですね。サー人たちは「社会に出たら、出世していくにはどうせ清濁併せ呑んだ振る舞いができないといけないんだろう」「オッサンが向けてくる性的な視線を受け流しつつも利用できないといけないんだろう」「儲け話は法律ギリギリのグレーゾーンに転がっているんだろう」などと想像して、将来の成功のためにそれができるように振る舞っていた。そして社会に出てみたら、案の定、会社で汚職があったり、エロ親父に遭遇したり、新奇な領域に荒稼ぎできるビジネスを見つけたりした。そこで若い頃に獲得した悪さ、言いかえるとツヨメ、チャライ、オラオラといった価値規範やそれにともなう能力が、一種の文化資本――僕は「不良資本」と定義しましたが――として役に立った。――「悪さが役に立つ」と言うと、規範意識から認めたくない人も多そうですね。荒井 そう言うとすごく嫌がる方もいると思います。もちろん、私の研究は、東京という地域性、高い学歴、家庭の経済支援の豊かさ、対象の中心は主に幹部クラス、といったかなり特殊な条件がありますので、全ての人にとって悪さが役に立つと言うつもりはありません。また、「イベサーを経て成功した人間しか見ていないからそう感じる生存者バイアスであって、みんながそうであるはずがない」と思いたくなる気持ちもわかりますが、私が対象とした人たちの中では、失敗をする人を探す方が難しいです。Photo by iStock「悪くて頭のいい連中が、まっとうに生きてきた自分より出世したり、カネを持っている」となれば、おかしいと思い、憤慨する人も当然いると思います。そう思っていただいて良いと思うんです。基本的には、まっとうな人がまっとうに生きて成功する社会にしていくことが大切だと思います。だからこそ、現実を見つめるきっかけにしていただければと願っています。サー人がすべてを始めたのではなく、ギャル・ギャル男以前にも旧制高校以来、勤勉性と不良性とが分かちがたく結びついた、都市部の高偏差値層の若者不良文化は連綿とあるんですね。その連続性を考えるとなおさら「悪さが役に立つ」は日本社会において否定できないことのように思います。また、海外においても当てはまるのではないでしょうか。この系譜をさらに昔に遡ると戦国時代の傾奇者集団などにも結び付くと思いますし、不良性をもった貴族の若者たちが海賊団を作り、商船団を作っていった例なども存在しています。ここはこれからの研究で詳細に検証していきたいところでもありますが。 ――不良兼エリートはただ暴れていたのではなく、そこでの行いがなんらかの機能を果たし、その後、社会で活用されていったと考える方が自然だと。荒井 不良性を持った人たちなのですけれども、一方で美学を持った存在でもあり、必ずしも一面的に断罪できるものではないと思っています。悪さが入り混じる中にある美しさもあるし、不良性を持った人たちが社会にもたらす強さ、豊かさ、新しさ、そういったものもあるからこそ、残り続けるものなのではないかと思います。決して犯罪を肯定するつもりはありませんが、現実に今も生きている人たちを形作った背景、過去に存在していた集団の文化、人間社会の複雑さをご理解いただければありがたいです。
こういう出来事を経て、サー人が培ってきた文化資本や社会関係資本、象徴資本よりも、経済資本や組織の力学が勝るのかと悟り、その後は自分が身体化してきた価値観や資本を活かした起業をして成功した方もいます。
――イベサーからインターネット広告界隈に進んだ人も多いそうですね。僕、2004年初頭の就活中にサイバーエージェントの説明会に行ったときにものすごく陽な人たちが出てきて「俺の知っているネットの世界とあまりにもノリが違う」と面食らった記憶があるのですが、そういうことだったんですね。
荒井 ネット広告だけでなく、ネットテレビ、ソーシャルゲームやウェブマンガなどのエンタメ系で活躍している人も多いです。新興IT企業の成功者の中には対人関係の構築の場にチャライ、ツヨメ要素を求める人が少なからずいますし、「誰もやっていないから失敗するかもしれないけれどもやってみるか」という冒険心が功を奏する世界ではサー人は成功しやすい。使っているSNSとしてはTwitterは少なく、インスタとFacebook中心です。あえてSNSを避ける方もいますね(笑)。
ただ「危険を恐れない」傾向(オラオラ)と表裏ですが、ステマが法的には犯罪ではなかったころに先駆けたり、レビューサイトに法律違反でない範囲でサクラで書き込むビジネスをしたりといった事業を手がけている人も一部にはいます。
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――学歴や勤勉さを活かしていわゆる一流企業に就職したり、MBA取得、会計士、医師などになった方もかなりの数にのぼるそうですが、お堅い仕事に就いた人はサー人としての過去を隠して生きつつ「俺はあのときやりきったんだ」という内面的な誇りを大事にしている、という話も印象的でした。
荒井 昔は、いわゆる不良の若者であったことや、元キャバ嬢、元暴力団組長の〇〇など悪さが、メディアで取り上げられ、そこから成り上がったことが本人の箔になるという風潮がありました。サー人の中にも将来は成功し、メディアで昔の「武勇伝」を語ってセルフプロデュースに役立てたいと語っている方もいました。実際に国会議員になる、大手企業の役員になる、青年実業家として大成功する、Forbesや経済番組に取り上げられる、こういう夢を叶えたメンバーたちもいます。でも、過去の経歴はメディアでは公表しません。悪さが時代変化の中で、他者に伝えるシンボルとしての象徴的な資本にならなくなった、それどころか負の象徴資本になった、ここは期待と違っていたと言えますね。もはや「イベサーやってた」「不良だった」と言うとドン引きされ、コンプラ的にもアウトとされて社会的信用を失ってしまう時代ですから、かつての仲間同士でしか昔の話はなかなかできないんですね。
ただし、マックス・ウェーバー的な「内面を支える」という意味で「資本」としてその後の人生で機能している場合はよくあります。個々人の内面的な誇りとして「あれだけ大変な経験をして引退まで耐えたんだから」と思うとうまくいかないときも乗り切れる、といったことはかなりのサー人が言っています。自分に対する自信になっていることは間違いないですし、実はこちらが大事な力だったのではないかと思いますね。サー人が社会に出る前に予想していた「悪さは役に立つ」は真だった――改めてになりますが、サー人(ギャル・ギャル男)の若い頃から社会に出たあとまでを長年追いかけた研究者として、その外にいる人たちにどんなことを伝えたいですか。荒井 「悪さは役に立つ」――悪さが社会的上昇に対して役に立ってしまった、なぜならそういう世の中だったから、ということですね。サー人たちは「社会に出たら、出世していくにはどうせ清濁併せ呑んだ振る舞いができないといけないんだろう」「オッサンが向けてくる性的な視線を受け流しつつも利用できないといけないんだろう」「儲け話は法律ギリギリのグレーゾーンに転がっているんだろう」などと想像して、将来の成功のためにそれができるように振る舞っていた。そして社会に出てみたら、案の定、会社で汚職があったり、エロ親父に遭遇したり、新奇な領域に荒稼ぎできるビジネスを見つけたりした。そこで若い頃に獲得した悪さ、言いかえるとツヨメ、チャライ、オラオラといった価値規範やそれにともなう能力が、一種の文化資本――僕は「不良資本」と定義しましたが――として役に立った。――「悪さが役に立つ」と言うと、規範意識から認めたくない人も多そうですね。荒井 そう言うとすごく嫌がる方もいると思います。もちろん、私の研究は、東京という地域性、高い学歴、家庭の経済支援の豊かさ、対象の中心は主に幹部クラス、といったかなり特殊な条件がありますので、全ての人にとって悪さが役に立つと言うつもりはありません。また、「イベサーを経て成功した人間しか見ていないからそう感じる生存者バイアスであって、みんながそうであるはずがない」と思いたくなる気持ちもわかりますが、私が対象とした人たちの中では、失敗をする人を探す方が難しいです。Photo by iStock「悪くて頭のいい連中が、まっとうに生きてきた自分より出世したり、カネを持っている」となれば、おかしいと思い、憤慨する人も当然いると思います。そう思っていただいて良いと思うんです。基本的には、まっとうな人がまっとうに生きて成功する社会にしていくことが大切だと思います。だからこそ、現実を見つめるきっかけにしていただければと願っています。サー人がすべてを始めたのではなく、ギャル・ギャル男以前にも旧制高校以来、勤勉性と不良性とが分かちがたく結びついた、都市部の高偏差値層の若者不良文化は連綿とあるんですね。その連続性を考えるとなおさら「悪さが役に立つ」は日本社会において否定できないことのように思います。また、海外においても当てはまるのではないでしょうか。この系譜をさらに昔に遡ると戦国時代の傾奇者集団などにも結び付くと思いますし、不良性をもった貴族の若者たちが海賊団を作り、商船団を作っていった例なども存在しています。ここはこれからの研究で詳細に検証していきたいところでもありますが。 ――不良兼エリートはただ暴れていたのではなく、そこでの行いがなんらかの機能を果たし、その後、社会で活用されていったと考える方が自然だと。荒井 不良性を持った人たちなのですけれども、一方で美学を持った存在でもあり、必ずしも一面的に断罪できるものではないと思っています。悪さが入り混じる中にある美しさもあるし、不良性を持った人たちが社会にもたらす強さ、豊かさ、新しさ、そういったものもあるからこそ、残り続けるものなのではないかと思います。決して犯罪を肯定するつもりはありませんが、現実に今も生きている人たちを形作った背景、過去に存在していた集団の文化、人間社会の複雑さをご理解いただければありがたいです。
ただし、マックス・ウェーバー的な「内面を支える」という意味で「資本」としてその後の人生で機能している場合はよくあります。個々人の内面的な誇りとして「あれだけ大変な経験をして引退まで耐えたんだから」と思うとうまくいかないときも乗り切れる、といったことはかなりのサー人が言っています。自分に対する自信になっていることは間違いないですし、実はこちらが大事な力だったのではないかと思いますね。
――改めてになりますが、サー人(ギャル・ギャル男)の若い頃から社会に出たあとまでを長年追いかけた研究者として、その外にいる人たちにどんなことを伝えたいですか。
荒井 「悪さは役に立つ」――悪さが社会的上昇に対して役に立ってしまった、なぜならそういう世の中だったから、ということですね。サー人たちは「社会に出たら、出世していくにはどうせ清濁併せ呑んだ振る舞いができないといけないんだろう」「オッサンが向けてくる性的な視線を受け流しつつも利用できないといけないんだろう」「儲け話は法律ギリギリのグレーゾーンに転がっているんだろう」などと想像して、将来の成功のためにそれができるように振る舞っていた。そして社会に出てみたら、案の定、会社で汚職があったり、エロ親父に遭遇したり、新奇な領域に荒稼ぎできるビジネスを見つけたりした。そこで若い頃に獲得した悪さ、言いかえるとツヨメ、チャライ、オラオラといった価値規範やそれにともなう能力が、一種の文化資本――僕は「不良資本」と定義しましたが――として役に立った。
――「悪さが役に立つ」と言うと、規範意識から認めたくない人も多そうですね。
荒井 そう言うとすごく嫌がる方もいると思います。もちろん、私の研究は、東京という地域性、高い学歴、家庭の経済支援の豊かさ、対象の中心は主に幹部クラス、といったかなり特殊な条件がありますので、全ての人にとって悪さが役に立つと言うつもりはありません。また、「イベサーを経て成功した人間しか見ていないからそう感じる生存者バイアスであって、みんながそうであるはずがない」と思いたくなる気持ちもわかりますが、私が対象とした人たちの中では、失敗をする人を探す方が難しいです。
Photo by iStock
「悪くて頭のいい連中が、まっとうに生きてきた自分より出世したり、カネを持っている」となれば、おかしいと思い、憤慨する人も当然いると思います。そう思っていただいて良いと思うんです。基本的には、まっとうな人がまっとうに生きて成功する社会にしていくことが大切だと思います。
だからこそ、現実を見つめるきっかけにしていただければと願っています。サー人がすべてを始めたのではなく、ギャル・ギャル男以前にも旧制高校以来、勤勉性と不良性とが分かちがたく結びついた、都市部の高偏差値層の若者不良文化は連綿とあるんですね。その連続性を考えるとなおさら「悪さが役に立つ」は日本社会において否定できないことのように思います。また、海外においても当てはまるのではないでしょうか。この系譜をさらに昔に遡ると戦国時代の傾奇者集団などにも結び付くと思いますし、不良性をもった貴族の若者たちが海賊団を作り、商船団を作っていった例なども存在しています。ここはこれからの研究で詳細に検証していきたいところでもありますが。
――不良兼エリートはただ暴れていたのではなく、そこでの行いがなんらかの機能を果たし、その後、社会で活用されていったと考える方が自然だと。荒井 不良性を持った人たちなのですけれども、一方で美学を持った存在でもあり、必ずしも一面的に断罪できるものではないと思っています。悪さが入り混じる中にある美しさもあるし、不良性を持った人たちが社会にもたらす強さ、豊かさ、新しさ、そういったものもあるからこそ、残り続けるものなのではないかと思います。決して犯罪を肯定するつもりはありませんが、現実に今も生きている人たちを形作った背景、過去に存在していた集団の文化、人間社会の複雑さをご理解いただければありがたいです。
――不良兼エリートはただ暴れていたのではなく、そこでの行いがなんらかの機能を果たし、その後、社会で活用されていったと考える方が自然だと。
荒井 不良性を持った人たちなのですけれども、一方で美学を持った存在でもあり、必ずしも一面的に断罪できるものではないと思っています。悪さが入り混じる中にある美しさもあるし、不良性を持った人たちが社会にもたらす強さ、豊かさ、新しさ、そういったものもあるからこそ、残り続けるものなのではないかと思います。決して犯罪を肯定するつもりはありませんが、現実に今も生きている人たちを形作った背景、過去に存在していた集団の文化、人間社会の複雑さをご理解いただければありがたいです。

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