診断1か月で息を引き取った長男…「こんな終わり方、夢にも思わなかった」父は思いを投書につづった

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中学3年生の長男を急性白血病で亡くした男性からの投書が昨年11月30日に掲載された。
かけがえのない我が子を失った悲しみを文章にしたためる意味を見つめてみた。
■突然の別れ
静岡県藤枝市の山岸誠さん(46)が長男の晃輔君と最後に顔を合わせたのは、昨年8月下旬、県立こども病院の病室だった。入浴する、しないで口げんかになり、「もう帰るね」と病室を出た。その後、家族が新型コロナウイルスに感染し、誠さんも濃厚接触者となって面会できなくなった。
晃輔君が好きなサッカー漫画を送り、9月3日に「LINE」で「届いたか?」と尋ねると、「届いたよ」と返事があった。これが、翌4日に亡くなった晃輔君との最後の会話だった。8月2日に入院、急性骨髄性白血病と診断されてからわずか1か月だった。病院から電話を受け、妻の清子さん(45)と駆けつけ集中治療室(ICU)に入ったが、すでに晃輔君は息を引き取っていた。誠さんは「こんな終わり方、夢にも思わなかった」と悔やむ。
■募る後悔
晃輔君は海外サッカーが好きな誠さんの影響もあり、静岡大教育学部付属島田中でサッカー部に入った。昨年6月の最後の公式戦後は朝4時に起きて7~8キロのランニングやドリブル練習に励み、「2軍でもいいから」と、地元の強豪高校への進学を志望した。
「いつものように公園でボールを蹴ってるんじゃないか」。誠さんは、晃輔君がいなくなったことがしばらく信じられなかった。「父親として、もっと何かできたんじゃないか。ごめん」という思いと14年間の感謝の気持ちがあふれ、そのどちらも伝えられなかったことに後悔が募った。
■気持ちを文字に
サッカー部のチームメートや同級生は、晃輔君への手紙を手に、通夜や葬儀に参列した。
「明るい天然キャラ」として親しまれていたこと、最後の公式試合で晃輔君が放ったシュート、緊急の学年集会で訃報(ふほう)を聞いて涙したこと――。みんなが晃輔君への思いを寄せ書きしたユニホームを晃輔君の体にかけ、友人らからのたくさんの手紙を入れて、ひつぎの蓋を閉めた。
この光景が、誠さんに「気持ちを文字にする」ことの意味を気づかせた。生活で一番身近な活字だった新聞に思いを託そうと、人生で初めて投書を書いて送った。「思い出をたくさんありがとう。精いっぱい生きた14年だったよ」。投書が掲載されると、晃輔君に言葉が届いたように感じて、救われた気持ちになった。
清子さんも、晃輔君の弁当を毎朝作って、車でバス停に送る日々が突然途絶え、「晃輔のことを忘れていっちゃうんじゃないか」と感じていた。投書が紙面に載り、「こういう子がいたということを、形に残せてよかった」と思えた。
誠さんの投書に強く胸を打たれた読者がいた。千葉県市川市の八幡美弘さん(83)だ。八幡さんは8歳の娘を白血病で亡くしたことを機に、誠さんと同じく投書を送った。今から40年以上前のことだった。(深谷浩隆)
【後編】「命を粗末にしないでほしい」40年前に娘を亡くし送った投書…受けた励まし、自分も届けたい

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