「マリア観音」か、弾圧キリシタンが流された奈良で見つかる…情報提供呼びかけ

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幕末から明治初期のキリシタン弾圧「浦上四番崩れ」で、長崎市浦上地区のキリシタンが流された地域の一つだった奈良県大和郡山市で、子供を抱いた石像が見つかった。
同市のキリシタン研究をしていた同県立奈良高校(奈良市)の仲野純章教諭(45)は、石像はキリシタンたちがひそかに信仰した「マリア観音」の可能性もあるとみて、近く論文にして発表する。石像は、「浦上キリシタン資料館」(長崎市)で3月下旬から展示し、マリア観音との関連についての情報提供を呼びかける。(坂口祐治)
石像は高さ約13センチの「子安観音」とみられる。大和郡山市では、女性や子供を含む86人の浦上キリシタンが、市内4か所に収容された。同校では昨年9月から「地域・生活の科学」の授業で、1年生4人が仲野教諭の指導のもと、大和郡山市の協力も得て市内の「浦上四番崩れ流配者記念碑」を中心にキリシタンの調査を実施した。
石像は、連携する市が昨年11月、同市綿町にある築約100年の空き家だった古民家を地域交流拠点として改装中に発見。天井近くの隠し部屋のような空間で、火鉢のような器の中に置かれていたという。
仲野教諭によると、古民家の隣には浦上キリシタンたちがいた「綿町収容所」があったことから、当時のキリシタンが隠し持っていた「マリア観音」の可能性もあると考え、長崎市内の関係施設に連絡。その中で、浦上地区にある同資料館が、信徒の子孫らから手がかりが得られないかと、同校と協力して展示する運びとなった。
仲野教諭は、3月発行の「奈良高等学校実践論集」に掲載する論文で、地域連携を生かした探究活動を紹介。その成果の一つとして、「流配者居住地域の一つにある古民家から、マリア観音に類似した小型の石像が発見された」と触れている。
論文の中では、「マリア観音と呼ばれるには、隠れキリシタンの誰が信仰の対象としていたのか、という来歴が重要となる」と指摘。今後、マリア観音の可能性を含め、素性調査が進められることを伝える。石像は現在、国立文化財機構奈良文化財研究所で材質分析などを行っているという。
仲野教諭は「大和郡山市の浦上キリシタンの足取りに再注目し、新たな事実に迫るための大きなきっかけになる」と期待。調査に参加したチームリーダーの岩田歩実さん(16)は「マリア観音について、どんどん興味がわいてきた。奈良と長崎にキリスト教の歴史的関係があったことを、多くの人に知ってほしい」と語った。
同資料館の岩波智代子館長(75)は「今年は禁教が解け、キリシタンたちが浦上に帰還して150年。調査には時間がかかると思うが、新資料や証言の掘り起こしに期待したい」と話している。
◆浦上四番崩れ=長崎奉行所が長崎市浦上地区のキリシタンに棄教を迫り、1867年(慶応3年)から、住民約3400人を西日本を中心に全国に流したキリシタン弾圧。拷問などで600人以上が死亡したとされる。弾圧に対する欧米諸国の批判が高まると、政府は73年(明治6年)、キリシタン禁制の高札を撤去。各地に流されたキリシタンたちは、その年のうちに次々と帰還した。

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