パワハラで辞める“若い漁師”が多発…就業支援団体が「見て見ぬふりはできない」と講じた対策とは

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「お前なんかいてもいなくても同じだ!」「おれの酒が飲めねぇのか!」――。職場の上司から面と向かってこんなことを言われたら、誰だって腹が立つ。「こんな上司がいる会社なら辞めてやる」どころか、「パワハラで訴えてやる!」というのが今の常識ではないだろうか。ところが陸ではなく、海の上ではいまだにまかり通っている節がある。【川本大吾/時事通信社水産部長】
【写真】ピーク時の4分の1まで激減した漁師。マグロ漁船も例外ではなく…新人は「5年で半数が下船」 そもそも漁業は、きつい、汚い、危険といった「3K」職場の印象が根強い。洋上の厳しい職場環境で、遠洋漁業なら長期間、帰宅できない。リモート勤務もないから、船上の人間関係がすべてである。嫌でも顔を合わせざるを得ないから、少々のパワハラなら自分で解消するしかないが、漁師が減り続ける今、当事者同士の問題とは言っていられない状況にある。

パワハラ対策を条件に、水産会社などからの漁師募集を行うイベントのポスター(全国漁業就業者確保育成センター提供) 農林水産省によると、1年間に漁業の海上作業に30日以上従事した漁業就業者は、1970年代半ばまで全国で約50万人いたが、その後は急激に減少。2021年の就業者は約12万9000人と、ピーク時の4分の1ほどに減った。高齢化が顕著で65歳以上の割合は4割近くに及び、この先、日本の漁業を支えられそうにない。 水産庁によると、近年、水産高校などから漁師になる新規就業者は、年間1700~2000人。高齢漁師の多くが、現役を続けているため、新人漁師の多くが一人前になってくれさえすれば、漁師の数が減り続けることはない。だが、実際には数年で辞めてしまう人が多く、「5年ほどで半分くらいがリタイアしている」(漁業関係者)とみられている。その要因として「漁船上でのパワハラが関係していることが少なくない」(同)という。 かつて1990年まで、十数年間にわたってマグロ漁船に乗って働いたという60代の男性は「とにかくマグロがたくさん獲れるときはきつかった。50日以上休みなしで作業に当たったこともある」と振り返る。 さらに男性は、「(マグロを水揚げする)揚げ縄の最中、たまたま掛かっていたエイのヒレが指に刺さり、3ヵ月間抜けずに痛くて仕方なかった。そのとき先輩から『指はあと9本もあるんだから大丈夫だろ』と吐き捨てられたため、何とか仕事をこなしたよ」と話した。 もう30年以上前のことで、少々大げさに話しているような気もするが、海上での過酷な作業だけに、思いもよらぬアクシデントが起こることもあるのだろう。そんなエピソードが、尾ヒレを付けて語られることもある。若手漁師をマッチング ただ、時代は様変わりしている。まず、昭和から令和まで漁業を巡る環境は激変した。各国200カイリ体制の定着や、マグロをはじめとした水産資源の減少に伴い、世界の漁場は大幅に縮小。「より遠くへ、より多く魚を獲ろう!」という時代ではなくなり、サスティナブルな漁業に取り組む時代となった。 じり貧の漁業とは言えども、かつて「水産大国」と言われた日本で、漁業の灯を消すわけにはいかない。その意味でもっとも大事なのは、一次生産者である漁師の存在であろう。2022年4月にパワハラ防止法が中小企業にも義務化されるが、昭和の厳しい環境下で船上作業に当たったベテラン漁師の中には、今の若者に対して物足りなさを覚えるケースが多いようだ。 現実に「パワハラで漁師を辞めました」という若者がどれくらいいるのか、はっきりしたデータはないが、そうした海上での理不尽を何とかしようと対策に乗り出しのが、一般社団法人・全国漁業就業者確保育成センター(東京)だ。この組織は、漁業者の求人サイトの運営や募集イベントを手掛けており、漁業会社や漁業を営む個人の漁師からの要望に応え、主に若手漁師を募り、マッチングさせている。 運営資金は水産庁の補助金で賄っており、事務職員数人という規模の組織である。同センターで事務局長を務める馬上敦子さんは「海の仕事に憧れて漁師になった大事な若い世代が、ひどい目に遭って船を下りてしまうことが少なくない。それを見て見ぬふりは決してできない」と語気を強める。ハラスメント対策を怠らないのが必須条件 もちろん、漁師になって数年で辞めてしまう若者すべてが、漁船上のパワハラが原因というわけではない。船上で漁師たちのプライバシーに配慮したり、作業も交代制にするなど働きやすい環境作りに努力しているオーナーも多い。辞める原因についても「コミュ力に欠ける新人漁師の方にも、何らかの落ち度がある場合も少なくない」と静岡県焼津市の水産高校の教諭はみる。ただ、冒頭で紹介したような強烈な罵倒や、酒の強要に加え、長期間船上で「シカト」したり、悪口を吹聴したりといったことで、新人漁師が下船する例は後を絶たないという。 そうした中で、全国漁業就業者確保育成センターは、これまで条件面や水産会社のPRなどを前面に出していた漁師募集について、昨年4月から「ハラスメント対策を怠らない」「新人漁師を組織全体で育成する」といった条件を初めて追加。これらの条件を満たす漁業会社のみを求人の対象とし、情報をまとめた冊子を水産高校などに配布。さらに、ウェブサイト「漁師.jp」に掲載して漁師を募集している。 同センターの取り組みについて、漁業者団体からは「根本的な解決には至らないのではないか」といった声も聞かれるが、「今まで触れられてこなかったパワハラ対策の第一歩。今後は新人漁師へのヒアリングや、サポーター同士の意見交換の場を設けるなど、できる取り組みから進めていくことで、若者が夢に描いた漁師を長く続けられるようにしていきたい」(馬上事務局長)と話している。「匠の技」は、教わるのではなく「見て盗め」などと言われる。だが、現状の漁師不足を受け止め、将来の漁業を思えば、洋上での苦言や放置は昭和の時代とは違って決してプラスにはならないということを、漁業関係者が理解しなければならない。川本大吾(かわもと・だいご)時事通信社水産部長。1967年、東京生まれ。専修大学を卒業後、91年に時事通信社に入社。長年にわたって、水産部で旧築地市場、豊洲市場の取引を取材し続けている。著書に『ルポ ザ・築地』(時事通信社)。デイリー新潮編集部
そもそも漁業は、きつい、汚い、危険といった「3K」職場の印象が根強い。洋上の厳しい職場環境で、遠洋漁業なら長期間、帰宅できない。リモート勤務もないから、船上の人間関係がすべてである。嫌でも顔を合わせざるを得ないから、少々のパワハラなら自分で解消するしかないが、漁師が減り続ける今、当事者同士の問題とは言っていられない状況にある。
農林水産省によると、1年間に漁業の海上作業に30日以上従事した漁業就業者は、1970年代半ばまで全国で約50万人いたが、その後は急激に減少。2021年の就業者は約12万9000人と、ピーク時の4分の1ほどに減った。高齢化が顕著で65歳以上の割合は4割近くに及び、この先、日本の漁業を支えられそうにない。
水産庁によると、近年、水産高校などから漁師になる新規就業者は、年間1700~2000人。高齢漁師の多くが、現役を続けているため、新人漁師の多くが一人前になってくれさえすれば、漁師の数が減り続けることはない。だが、実際には数年で辞めてしまう人が多く、「5年ほどで半分くらいがリタイアしている」(漁業関係者)とみられている。その要因として「漁船上でのパワハラが関係していることが少なくない」(同)という。
かつて1990年まで、十数年間にわたってマグロ漁船に乗って働いたという60代の男性は「とにかくマグロがたくさん獲れるときはきつかった。50日以上休みなしで作業に当たったこともある」と振り返る。
さらに男性は、「(マグロを水揚げする)揚げ縄の最中、たまたま掛かっていたエイのヒレが指に刺さり、3ヵ月間抜けずに痛くて仕方なかった。そのとき先輩から『指はあと9本もあるんだから大丈夫だろ』と吐き捨てられたため、何とか仕事をこなしたよ」と話した。
もう30年以上前のことで、少々大げさに話しているような気もするが、海上での過酷な作業だけに、思いもよらぬアクシデントが起こることもあるのだろう。そんなエピソードが、尾ヒレを付けて語られることもある。
ただ、時代は様変わりしている。まず、昭和から令和まで漁業を巡る環境は激変した。各国200カイリ体制の定着や、マグロをはじめとした水産資源の減少に伴い、世界の漁場は大幅に縮小。「より遠くへ、より多く魚を獲ろう!」という時代ではなくなり、サスティナブルな漁業に取り組む時代となった。
じり貧の漁業とは言えども、かつて「水産大国」と言われた日本で、漁業の灯を消すわけにはいかない。その意味でもっとも大事なのは、一次生産者である漁師の存在であろう。2022年4月にパワハラ防止法が中小企業にも義務化されるが、昭和の厳しい環境下で船上作業に当たったベテラン漁師の中には、今の若者に対して物足りなさを覚えるケースが多いようだ。
現実に「パワハラで漁師を辞めました」という若者がどれくらいいるのか、はっきりしたデータはないが、そうした海上での理不尽を何とかしようと対策に乗り出しのが、一般社団法人・全国漁業就業者確保育成センター(東京)だ。この組織は、漁業者の求人サイトの運営や募集イベントを手掛けており、漁業会社や漁業を営む個人の漁師からの要望に応え、主に若手漁師を募り、マッチングさせている。
運営資金は水産庁の補助金で賄っており、事務職員数人という規模の組織である。同センターで事務局長を務める馬上敦子さんは「海の仕事に憧れて漁師になった大事な若い世代が、ひどい目に遭って船を下りてしまうことが少なくない。それを見て見ぬふりは決してできない」と語気を強める。
もちろん、漁師になって数年で辞めてしまう若者すべてが、漁船上のパワハラが原因というわけではない。船上で漁師たちのプライバシーに配慮したり、作業も交代制にするなど働きやすい環境作りに努力しているオーナーも多い。辞める原因についても「コミュ力に欠ける新人漁師の方にも、何らかの落ち度がある場合も少なくない」と静岡県焼津市の水産高校の教諭はみる。ただ、冒頭で紹介したような強烈な罵倒や、酒の強要に加え、長期間船上で「シカト」したり、悪口を吹聴したりといったことで、新人漁師が下船する例は後を絶たないという。
そうした中で、全国漁業就業者確保育成センターは、これまで条件面や水産会社のPRなどを前面に出していた漁師募集について、昨年4月から「ハラスメント対策を怠らない」「新人漁師を組織全体で育成する」といった条件を初めて追加。これらの条件を満たす漁業会社のみを求人の対象とし、情報をまとめた冊子を水産高校などに配布。さらに、ウェブサイト「漁師.jp」に掲載して漁師を募集している。
同センターの取り組みについて、漁業者団体からは「根本的な解決には至らないのではないか」といった声も聞かれるが、「今まで触れられてこなかったパワハラ対策の第一歩。今後は新人漁師へのヒアリングや、サポーター同士の意見交換の場を設けるなど、できる取り組みから進めていくことで、若者が夢に描いた漁師を長く続けられるようにしていきたい」(馬上事務局長)と話している。
「匠の技」は、教わるのではなく「見て盗め」などと言われる。だが、現状の漁師不足を受け止め、将来の漁業を思えば、洋上での苦言や放置は昭和の時代とは違って決してプラスにはならないということを、漁業関係者が理解しなければならない。
川本大吾(かわもと・だいご)時事通信社水産部長。1967年、東京生まれ。専修大学を卒業後、91年に時事通信社に入社。長年にわたって、水産部で旧築地市場、豊洲市場の取引を取材し続けている。著書に『ルポ ザ・築地』(時事通信社)。
デイリー新潮編集部

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