47歳夫が突然失語症に…。「ちゃんとしゃべれ!」「しゃべれないんだよ!」夫婦2年半の実録

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ある日突然脳出血の後遺症で47歳の夫が失語症になったら、あなたはどうしますか──? 夫が失語症になったことをきっかけに、言語リハビリの専門家である言語聴覚士の資格を取得した米谷瑞恵氏が、発症から最初の2年半を夫婦がどう過ごしてきたのかをお話しします。本連載では、米谷瑞恵氏の著書『こう見えて失語症です』(主婦の友社刊)を一部抜粋してお届けします。
行動範囲が広がると、話したいことも増える。言葉はまだスムーズには出ないけれど、オットの「どうにかして伝えたい」という意欲はどんどん強くなっていった。
ピッタリの言葉がなかなか見つからないときは、周辺情報で説明する「迂言」が活躍する。
退院してしばらくは、お風呂に入るとき「あったかいところに行ってきます」と、なんだかうらやましくなることを言っていた。アボカドは「僕が好きなおいしいの」、トランクスは「きんたまの周りのやつ」、オットの「迂言」はときに家族を脱力させる。
おかげさまで私の仕事は順調で、日中は取材、夜は家で原稿書き。フリーランスなので、土日も祝日も関係ない。
締め切りに追われているときに、オットが「これ、何て言うんだっけ?」と話しかけてくると、正直、少し面倒くさい。
ヘルプマークと身体障害者手帳を持って出かけていくと、心配するより、これで集中して仕事ができるとホッとしていた。
オットは言葉の障害のほかに、脳出血の後遺症で疲れやすくもなっている。だから、ご機嫌で外出しても、帰ってくるとぐったりして寝てしまう。
むむむむむ。こっちは一日じゅう仕事してるのに、キミは遊びに行ってたのに、これから私が掃除して、買い物に行って、ごはん作って、お風呂洗って、洗濯物をたたむのかい。それはちょっと、不公平なんじゃないかい。
病気をする前だったら、確実にキレるとこ。ですが、病気をしてからは、あまり腹が立たなくなった。まだできないから、しかたないよね。黙って仕事を一段落させ、淡々と家事をこなしながら、夫婦ゲンカの原因は「相手に期待すること」と知りました。
とはいえ、まったくケンカしなくなったわけではない。一緒に暮らしていれば、お互いに不満も出る。言い争いになると、オットは圧倒的に不利だ。失語症は、あせるとよけいに言葉が出なくなるのだ。
私「もう、何言ってるかわからないよ、ちゃんとしゃべれ!」オット「しゃべれないんだよ! くそ『ぼうし』だったら言えるのに」(ケンカ終了)
どこでも一人で出かけるオットが、「ついてきて」と頼んでくることもあった。たとえば買い物。
パッと手にとって買える店ならいいけれど、店員さんと細かいやりとりがあると、一人では難しい。メガネ店で「パソコン用のブルーライトカットメガネを老眼鏡にしたい」というややこしい希望を店員さんに伝えるのも、オットにはひと苦労だ。
さらに難関は、検眼。
数字の「6」と「9」が横に並んでいる画面を見せられ、「6と9、どちらがハッキリ見えますか?」などと訊かれたら、お手上げだ。オットは読むのが苦手で、特に数字は間違えやすいのだ。
「えっと……」と戸惑うオットの横から、口を出す。「この人、数字がうまく読めないので、右か左かで答えてもいいでしょうか?」。? ? ? 店員さんの頭の上にハテナマークが浮かぶのが見えた。
次に出てきた画面には格子状の模様が。これなら大丈夫かもと思ったが、「縦線と横線、どちらが濃く見えますか?」と訊かれたオットは「……意味がよくわかりません」。質問が複雑すぎたのだ。隣で私がゆっくりかみ砕いて説明する。店員さんのハテナマークが増えていく。
次の画面はひらがな表。「上から順に読んでください」(わかりません)。レンズをつけて新聞を渡され、「この位置で読めますか?」(読めません)。そのつど、私が「言葉に障害があるので」と説明し、文字を記号などに変えてもらう。
ハテナマークいっぱいの店員さんは、それでもにこやかに対応してくださって、無事にブルーライトカットの老眼鏡を買うことができました。
世の中にはこういう人もいるんですよ。失語症です。以後、お見知りおきを。

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