夫アメリカ、妻日本で「妊活中」夫婦の大胆な選択

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遠距離婚活→妊活をする夫婦の発想とは?(イラスト:堀江篤史)
2021年の夏にマッチングアプリで出会い、年末に初めて会って結婚を視野に入れた交際を開始。翌年の春に婚約して両家の顔合わせを済ませ、夏に婚姻届を提出――。
マッチングから初デートまでの期間が長いことを除けば、ごく一般的な出会いと結婚スケジュールに思える。
実はこの夫婦、2人の間には広大なる太平洋が存在する。現在まで超遠距離の新婚生活を続けているのだ。夫の伊藤耕平さん(仮名、41歳)はサンフランシスコ在住、妻の麻衣子さん(仮名、37歳)は東京に住んでいる。出会ってからの1年半で一緒に過ごせたのは合計40日間ほどだという。
「いま、妊活中です。夫の精子は凍結してあるので、顕微授精で受精卵を作る挑戦を続けてます。まだ1個ですが、子どもが2人欲しいなら最低でも5個の受精卵が欲しいと言われているので、この1年間で5個作ることが目標です。1人目を無事に妊娠して安定期に入ったら私がアメリカに行きます。ただし、期限付きです。2028年には一緒に東京に戻って来る、という約束を夫としています」
Zoom画面の向こう側にいる麻衣子さんは少女っぽさが残る可憐な見た目をしている。こちらの質問をちゃんと聞いて、笑顔で控え目ながらも真っすぐに答える。どちらかと言えば、古風な第一印象を受ける女性だ。
「出身は四国です。大学は東北にあって、在学中に1年間、香港に留学をしたことがあります。今の仕事が好きなので四国に戻って暮らすつもりはありません。近いうちにアメリカに行くことになりますが、実家の親からは『東京を越えたらどこでも同じ』と諦められています(笑)」
話し方はやさしげだけど、その内容には強い目的意識と遂行力を感じる。新卒で入社して16年間働き続けている会社とその顧客に愛着があり、「いずれは指導側に立つ。最低でも部長になりたい」と願っている麻衣子さん。一方では子どもを2人産んで育てたいという年齢的に待ったなしの人生設計もある。
サンフランシスコの耕平さんは仕事が長引いているのかまだZoomに入って来ない。まずは離婚歴のある麻衣子さんの婚活ストーリーから聞くことにしよう。
麻衣子さんが愛する勤務先は女性向けのサービスを全国展開しており、スタッフもほとんどが女性だという。職場で結婚相手を見つけるのは難しい、と新卒での入社早々に判断した麻衣子さんは結婚相談所に登録。1年後に10歳年上の男性と出会って結婚した。麻衣子さんはまだ25歳だった。
「結婚相手は、何でも私の希望を聞いて、それに合わせてくれる仏様のような人でした。思いやりにあふれているんです。仕事を思い切りやりたい私のために、家事もほとんどやってくれていました」
唯一、麻衣子さんの希望がかなわなかった点がある。その男性は性生活に関してはかなり淡白で、行為自体が好きではなかったことだ。子どもに関しても「できればいないほうが望ましい」という様子。30歳を過ぎてから子どもが欲しい気持ちが高まっていた麻衣子さんとの価値観のズレが大きくなっていった。
「不妊治療で子どもができたとしてもセックスレスが続くようでは私がつらいと思いました。でも、強要するようなことでもありませんし……。先のことを考えて、話し合って離婚することにしました」
目標を掲げて合理的な行動をするのが好きな麻衣子さん。今度は、結婚相談所ではなくマッチングアプリを利用することにした。
「結婚相談所は紹介してくれる男性の傾向にカウンセラーのフィルターがかかるからです。アプリは自分で選べる分だけ選択肢が広がると思い、一気に4つのアプリに登録しました」
ただし、アプリに登録している人は男女ともに玉石混淆だ。結婚への本気度が低い人も少なくない。実際、最初にできた11歳年上の「彼氏」とは結婚観の違いで3カ月後に別れることになった。
「プロフィールには結婚願望があると書いてあったくせに、付き合ったら『結婚という社会制度に賛成できない』なんて言い始めました。そんな議論をしている暇は私にはありません」
そして、麻衣子さんは耕平さんと出会う。アメリカ在住の男性なので対象外だとは思ったが、話しているのが楽しかった。そして、「他人の話をちゃんと聞く人」だと感じた。
麻衣子さんの結婚の条件は2つあった。1つ目は結婚しても今の会社での仕事を続けられること。女性が外で働くことに否定的な人は論外で、できれば職場から30分以内のところに新居を構えたい。麻衣子さんは要望を初期段階で明かすことで、仕事への本気度を相手に伝えてきた。
2つ目はやはり子どもだ。麻衣子さんは1日でも若いうちに妊活を始める必要を感じており、そのためには結婚までも最短距離で進みたい。
遠くアメリカで働いている耕平さんは2つとも満たしていないように見える。しかし、話しているうちに麻衣子さんはより重要な「結婚の条件」を思い出した。
「相手が大事にしていることをお互いに大事にすることです。すべてが同じ人などいないので話し合いが不可欠で、『こうじゃなきゃダメ!』と聞く耳を持たない人とは結婚できません。話し合いができれば、例えば子どもが障害を持って生まれてきたときなどにも柔軟な対処ができると思います。仕事に関してもどうやったら続けられるかを一緒に考えてくれることが大切です」
ただし、話し合いが口げんかのようになってしまうこともありうる。アメリカに住み続けたい耕平さんと、現在の会社でのキャリアを捨てたくない麻衣子さんは、ほぼ毎日のFaceTime会話をするなかで3回ほど衝突した。一緒に住みたい気持ちは同じだけに、感情が高ぶった麻衣子さんが泣いてしまったこともある。そして、1人目の子どもを妊娠して安定期に入ったら期限付きでアメリカで暮らす、という「折衷案」が出来上がった。
「会社にはアメリカ駐在員として現地に行かせてもらえるように交渉するつもりです。それが無理で退職することになっても、2028年に帰国したら出戻りで復職させてもらおうと思っています。そんな制度が会社にあるのかはわかりませんが、言ったんもん勝ちですから」
ふてぶてしいまでの強さである。勤務先を愛しつつ、自分も相応の貢献をしてきたという自信がなければこんな発想はできない。新入社員時代は思いもつかなかっただろう。40歳近くなっての結婚にはこうしたメリットもあるのだ。
さて、サンフランシスコの耕平さんがZoom画面に入って来た。仕事場からの帰りなのだろうか、自家用車の中から登場した彼は、EXILEメンバー風の精悍な風貌である。「遅れて申し訳ありません」と2度ほど謝ってくれたうえで、「なぜアメリカにいるのか」をよどみなく話し始めた。
「日本生まれの日本育ちです。高卒でいわゆるガテン系の仕事を転々としていました。でも、僕は屈強な体をしていません。50歳までも働き続けられないと思い、大企業の営業職に転職しましたが、マネジャーに昇格したあたりで壁にぶつかりました。高校卒業という学歴では上に行けないと痛感したんです」
20代後半までは「女性と誠実な関係を結ぼうとは思わずに遊んでいた」と打ち明ける耕平さん。仕事で壁にぶつかったあたりから遊ぶ意欲も減退し、結婚などは思いもよらなかったという。
「その大企業を辞めたときはすでに30代半ばでした。そこから日本の大学に入り直しても、医者や弁護士にでもならない限りはつぶしがきかないでしょう。自分の状況を変えるにはアメリカの大学に入るしかない、と思いました。僕としては合理的な判断をしたつもりです」
借金をして大学に通い、卒業後はグローバル展開をしている会計事務所で働いている耕平さん。現在はアメリカ公認会計士の資格取得を目指している。
「まだ下っ端で、エクセルやワードと格闘する味気ない仕事です。人と対峙するほうが自分には向いていると思っていますが、就労ビザを維持するためには今の会社に在籍する必要があります。将来的にはグリーンカードを取得するつもりです。そうすればどんな仕事にも就けます」
夢の途上にいる耕平さんだが、学費ローンを返し終えたこともあって精神的な余裕が生まれている。そして、「遊びではなく安定的な関係が欲しい」と思うようになった。今の立場ではカリフォルニア州で遊びにくい、という現実もある。
「個人主義が徹底している土地柄なので、仕事終わりに同僚と飲みに行くような雰囲気はありません。僕の同僚はみんな若いので、30代後半で就労ビザ持ちの身では友人ができにくいという面もあります。自然と孤立するので、自分の家庭が欲しいと思うようになりました」
ただし、結婚相手を探すのも難しいと感じている。それには耕平さんの好みも影響している。
「ここは世界的にもフェミニズムの最先端で、とにかく女性が強いんです。意見がぶつかっても平気で押してきます。大企業のエリート駐在員の日本人女性もいますが、やたらに頭が切れてプライドも高い。僕はパートナーとして彼女たちに見合わないし、世代的にも『女性がそんなに強く出るのはやめてほしい』という考え方です」
そんな耕平さんは日本国内のマッチングアプリに登録することを思いつく。もちろん、アメリカ在住であることは隠さなかった。
「国際ロマンス詐欺が騒がれていた時期だったので、2週間ほどでアカウントを閉鎖されたこともあります。麻衣子と出会えたアプリのアカウントも、2カ月弱で閉鎖されました」
それでも何人かの女性とメッセージの交換やオンライン通話ができた。今度は「日本人的な前置き」に戸惑ったと耕平さんは振り返る。
「空気を読み合う、というのでしょうか。白々しいことを言ったりして。本音でしゃべっていない人が多いと感じました。そういうのは疲れます!」
意見をはっきり言う強い女性も嫌ならば、意見があるのかどうかわからない女性も苦手。耕平さん、ちょっとワガママというか、欲張りな人である。その感想を率直に伝えると、Zoom画面向こう側で麻衣子さんは爆笑、耕平さんはなぜか嬉しそうに苦笑していた。この2人は率直なコミュニケーションを楽しみたいという点で似たもの夫婦なのかもしれない。
「麻衣子は自分を隠すことがなく、真っすぐで誠実な印象を受けました。僕の意見にYES OR NOをはっきり出してくれるのもありがたかったです。社会で活躍していく土台がある女性がいいと思ったので、アプリでは年収200万円以上の女性を検索させてもらいました」
正社員として仕事を続けたい麻衣子さんには願ったりかなったりの条件である。問題は、一緒に暮らす場所だ。
耕平さんも子どもが欲しい。そして、産み育てるのはアメリカのほうが子どもにとって「チャンスが多い」と感じている。
「出生地主義をとっているアメリカで産めば、子どもはグリーンカードどころかシチズンシップをもらえます。僕の周りにもジャパニーズアメリカンはいますが、アメリカでも日本でも活躍している人が多い印象です。アメリカの高等教育は本質的なことを学べますし、就職の面でもシチズンシップがあれば有利です。日本の経済力がどんどん落ちている中、アメリカ企業の給料の高さも際立っています。僕が苦労している分だけ、子どもにはチャンスを与えたいです」
麻衣子さんのほうは「日本のほうが安心して子育てできる」とぼんやり思っている程度だ。実家のある四国に戻るつもりもない。こだわりたいのはやはり長く働き続けている会社だ。
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「ここで培ってきたスキルやお客さんとの信頼関係を生かせるのは今のところは日本国内だと思っています。でも、5年先、10年先には会社の景色も私に求められる役割も変わっているはずです。だから、まずはアメリカに行って耕平さんと一緒に住み、会社とも連絡をとりながら先のことはじっくり考えようと思っています。生まれてくる子どもとは小学校を卒業するまでは一緒にいてあげたいけれど、子どもが希望するならば中学校以降はホストファミリーなどに預けることもあるでしょう。可愛い子には旅をさせよ、と言いますから」
まだ受精卵の「わが子」の将来も考えながら、いまやるべきことを着実に実行している麻衣子さんと耕平さん。その基盤には膨大な量の「話し合い」がある。17時間の時差を超えて泣いたり笑ったりしてきたのだ。鮮明なテレビ通話を安く手軽にできるようになった時代の結婚の形なのかもしれない。
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(大宮 冬洋 : ライター)

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