健康自慢の記者が大腸がんに 検査から手術 痛感した「大切なこと」

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診断書には「腹腔鏡(ふくくうきょう)下結腸悪性腫瘍切除術」と記入されている。大腸がん手術のことだ。2021年末、大腸にポリープが見つかったのをきっかけにいくつかの医療機関を受診し、22年7月に手術。昨年はがんとの付き合いがメインの1年だった。同年代の知人は「何で分かったんだ」「俺も検査したほうがいいか」と興味津々。健康だと思い込んでいた医療知識ゼロの男(58)が「がん」と診断されたら……。参考になれば、との思いで書き留めておく。【山本直】
【部位別がんの5年、10年の生存率】内視鏡検査で感じた異常な痛み 21年10月の会社の健康診断で「便潜血陽性」と出たのが始まりだった。ランニングが趣味で快食快眠、お通じは毎日決まった時間に1度、たばこは吸ったことがない。高血圧の薬は飲んでおり、連日夕食をとりながら酒を飲むので中性脂肪やコレステロールの値も高め。それでも大病とは無縁と決め込んでいた。 会社の診療所から「内視鏡検査を」と厳命され、大阪市内のクリニックで検査を受けたのが21年12月14日。胃カメラを飲むより楽だと思っていたら、体質なのかものすごく痛い。内視鏡が奥へ進もうとする度「ウ~~」「いててて」と大声を上げてしまい、脂汗が噴き出す。こんな痛みは尿管結石で救急搬送されて以来。医師は「そんなに? おかしいな」とつぶやいた。 内視鏡を入れてすぐのところにあった小さなポリープを取ってもらったが、それ以上進めず終了。医師の説明では、まさにほんの入り口までだったようだ。それでも「成果」はあったので「便潜血の原因はこのポリープに違いない。もう安心」と決めつけ、終わったつもりでいた。 だが、妻は見逃してくれなかった。「それって奥のほうに何かあるかもしれないってことでしょ」。でも、もう二度とあんな痛い思いはしたくない。なんだかんだと理由をつけて再検査を拒んだ。そんな時に見たのが毎春人間ドックを受けている京都市内の病院のホームページ。大腸CT検査(CTC)を始めたと書いてある。大腸内部を断層撮影して立体画像化し、精密に調べる内視鏡を使わない検査方法だ。保険がきかないので3万円前後かかるが「痛いよりまし」と決断した。「手術まで3カ月」に違和感 人間ドックのタイミングに合わせてCTCを受けたのはゴールデンウイーク明けの22年5月10日。「どうせ何もあるまい」と高をくくっていたら、1週間後、検査結果を見て青ざめた。「下行結腸(肛門に最も近い部分の大腸)中心に陥凹のある18ミリ大の隆起が疑われます。大腸内視鏡検査をお受けください」。振り出しに戻ったのである。 今度はインターネットで「痛くない内視鏡検査」を検索。京都市内の専門クリニックへ行った。無知とは悲しいもの。そこで初めて全身麻酔が可能と知り、6月1日の検査は寝ているうちに終わった。13日に結果を聞く。「とても分かりづらいですが、確かにがんでしょうね」。最初の内視鏡検査から半年を経て、ついにがんの診断。滋賀県内の自宅に近い病院宛てに紹介状を書いてもらった。 思えば、急性肝硬変で若死にした父を除き父方の兄弟2人、母方の兄弟5人全員ががんになり、存命なのは母方の末弟1人だけ。姉妹は誰もがんになっておらず、男だけがんになる家系なのかもしれない。自覚症状がないので「こんなに元気なのに」という割り切れなさと「来るべき時が来た」との覚悟が交錯した。 滋賀の病院の外科受診が6月17日。「手術は9月22日」と言われ驚いた。主要な病院はがん判明から手術までの待機期間をネットで公表しており、大腸がんの場合だいたい2~3週間となっている。3カ月は長過ぎるのではないか。 実は当時、大津市民病院でニュースになるような大問題が起きていた。理事長ともめた多数の医師が一斉退職の動きを見せ、診療や手術に影響が出ていたのだ。患者が市民病院から流れ、他院を圧迫しているのではないか。そんな疑念が頭をよぎった。 同じ病院で消化器外科を20日に受診したが、当然状況は変わらない。がんとおぼしきものが体内に3カ月も放置されるのは何とも気持ちが悪い。その足で検査を受けた内視鏡クリニックへ相談に行くと「それは大変だ」と言って、京都大病院に予約を入れた上で紹介状を書いてくれた。トントンと進む検査、抜歯も経験 京大病院の初診は6月23日。ここからは期待以上にスピーディーだった。27日から連日のように、がんの場所や広がりを確認したり他臓器への転移がないかを調べたりするCT検査、大腸X線検査、胃カメラ、細胞の活動状況を画像で確認するPET検査を受けた。こう書いてはいるものの正直なところ何の検査か分からず、言われるままレールの上を進んでいる感じだった。 入院は7月12日、手術は14日に決定。入院直前に新型コロナウイルスにかかっていないか検査があり、以前から抜くのをちゅうちょしていた左下の奥歯を抜かれた。悪い歯を放置して手術すると、口内細菌から合併症が起こる可能性があると初めて知った。 がんは下行結腸の真ん中あたりにある。手術では、腹部に開けた4カ所の穴から腹腔鏡を操作し、がんを中心に腸を約20センチ切除。吻合(ふんごう)(切ったところをつなぐこと)して、切り取った腸はへそ付近に縦に開けた約5センチの穴から取り出したらしい。所要時間は約4時間。終了後、ベッド脇の妻に心配をかけまいと気の利いたことを言おうとしたが、意識がもうろうとしていて無理だった。 腹部の痛み、とりわけ排尿時の激痛には閉口したが、手術直後から介助なしでトイレに行き、翌朝から努めて病棟の廊下を歩いた。リハビリのつもりである。栄養は点滴で補給し、経口で摂取できるのは専用の飲料だけ。これが甘くてすぐ飽きた。数日後、ヨーグルトやプリンなら食べてよいと許可が出た時には、うれしくて院内のコンビニへ点滴をぶら下げて行った。おかゆに始まり、19日の夕食でおかずが付いた時にはうれしくて写真を撮って家族に送った。どんな名店に行っても撮影なんてしたことがなかったのに。 手術後に最も怖いのは、吻合がうまくいっておらず、食べたものが腸から外へ漏れ出すことだという。しかしトラブルはなく、ガス(おなら)も出るようになった。切除部位の検査などでステージ1、転移なしの診断。22日に退院した。 入院中にかかった医療費(支払い分)は19万円足らず。家計のやりくりに関与していなかったが、妻ががん保険に加入してくれていて十分カバーできた。やはり大事な「早期発見」 手術1カ月後の診察では順調に回復しており、特に問題なし。「普段から体を鍛えて体力があることや、たばこを吸う習慣がないことが回復の早さに影響する」というのが主治医の見方だ。試しに10月と12月にマラソンを走ってみたが、痛みなどはなく無事に完走できた。 手術前後で最も変わったのは晩酌をしなくなったこと。病気、手術の影響かどうかは分からない。飲酒の習慣が途切れ、飲まない習慣がついただけかもしれない。 大腸がんを報告した時、会社の診療所の医師は「早く見つかれば治る病気だから」と慰めてくれた。深刻な事態にならなかったのは医師や妻の助言、そして内視鏡クリニックの的確な対応があったから。重要なのは早期発見に努め、納得できなければセカンドオピニオンを求めることだ。保険に入っておくこともお勧めしたい。 しばらくは定期的な受診と内視鏡検査で予後を見守ることになる。幸い一段落したが、今後はがんを強く意識しながら生きていくことになるのだろう。5年後生存率は07年より改善 国立がん研究センターの発表(21年4月)によると、08年にがんと診断された人の10年後の生存率は59・4%。最も高いのは前立腺がんの98・7%で、女性の乳がん87・5%▽子宮内膜がん83・0%▽子宮頸(けい)がん70・7%に続いて、大腸がんの67・2%が高かった。 一方、生存率が最も低いのは膵臓(すいぞう)がん6・5%。次いで小細胞肺がん9・1%▽肝内胆管がん10・9%▽肝細胞がん21・8%――の順だった。 また、12~13年にがんと診断された人の5年後の生存率は、がん全体で67・3%。07年の64・3%から改善していた。
内視鏡検査で感じた異常な痛み
21年10月の会社の健康診断で「便潜血陽性」と出たのが始まりだった。ランニングが趣味で快食快眠、お通じは毎日決まった時間に1度、たばこは吸ったことがない。高血圧の薬は飲んでおり、連日夕食をとりながら酒を飲むので中性脂肪やコレステロールの値も高め。それでも大病とは無縁と決め込んでいた。
会社の診療所から「内視鏡検査を」と厳命され、大阪市内のクリニックで検査を受けたのが21年12月14日。胃カメラを飲むより楽だと思っていたら、体質なのかものすごく痛い。内視鏡が奥へ進もうとする度「ウ~~」「いててて」と大声を上げてしまい、脂汗が噴き出す。こんな痛みは尿管結石で救急搬送されて以来。医師は「そんなに? おかしいな」とつぶやいた。
内視鏡を入れてすぐのところにあった小さなポリープを取ってもらったが、それ以上進めず終了。医師の説明では、まさにほんの入り口までだったようだ。それでも「成果」はあったので「便潜血の原因はこのポリープに違いない。もう安心」と決めつけ、終わったつもりでいた。
だが、妻は見逃してくれなかった。「それって奥のほうに何かあるかもしれないってことでしょ」。でも、もう二度とあんな痛い思いはしたくない。なんだかんだと理由をつけて再検査を拒んだ。そんな時に見たのが毎春人間ドックを受けている京都市内の病院のホームページ。大腸CT検査(CTC)を始めたと書いてある。大腸内部を断層撮影して立体画像化し、精密に調べる内視鏡を使わない検査方法だ。保険がきかないので3万円前後かかるが「痛いよりまし」と決断した。
「手術まで3カ月」に違和感
人間ドックのタイミングに合わせてCTCを受けたのはゴールデンウイーク明けの22年5月10日。「どうせ何もあるまい」と高をくくっていたら、1週間後、検査結果を見て青ざめた。「下行結腸(肛門に最も近い部分の大腸)中心に陥凹のある18ミリ大の隆起が疑われます。大腸内視鏡検査をお受けください」。振り出しに戻ったのである。
今度はインターネットで「痛くない内視鏡検査」を検索。京都市内の専門クリニックへ行った。無知とは悲しいもの。そこで初めて全身麻酔が可能と知り、6月1日の検査は寝ているうちに終わった。13日に結果を聞く。「とても分かりづらいですが、確かにがんでしょうね」。最初の内視鏡検査から半年を経て、ついにがんの診断。滋賀県内の自宅に近い病院宛てに紹介状を書いてもらった。
思えば、急性肝硬変で若死にした父を除き父方の兄弟2人、母方の兄弟5人全員ががんになり、存命なのは母方の末弟1人だけ。姉妹は誰もがんになっておらず、男だけがんになる家系なのかもしれない。自覚症状がないので「こんなに元気なのに」という割り切れなさと「来るべき時が来た」との覚悟が交錯した。
滋賀の病院の外科受診が6月17日。「手術は9月22日」と言われ驚いた。主要な病院はがん判明から手術までの待機期間をネットで公表しており、大腸がんの場合だいたい2~3週間となっている。3カ月は長過ぎるのではないか。
実は当時、大津市民病院でニュースになるような大問題が起きていた。理事長ともめた多数の医師が一斉退職の動きを見せ、診療や手術に影響が出ていたのだ。患者が市民病院から流れ、他院を圧迫しているのではないか。そんな疑念が頭をよぎった。
同じ病院で消化器外科を20日に受診したが、当然状況は変わらない。がんとおぼしきものが体内に3カ月も放置されるのは何とも気持ちが悪い。その足で検査を受けた内視鏡クリニックへ相談に行くと「それは大変だ」と言って、京都大病院に予約を入れた上で紹介状を書いてくれた。
トントンと進む検査、抜歯も経験
京大病院の初診は6月23日。ここからは期待以上にスピーディーだった。27日から連日のように、がんの場所や広がりを確認したり他臓器への転移がないかを調べたりするCT検査、大腸X線検査、胃カメラ、細胞の活動状況を画像で確認するPET検査を受けた。こう書いてはいるものの正直なところ何の検査か分からず、言われるままレールの上を進んでいる感じだった。
入院は7月12日、手術は14日に決定。入院直前に新型コロナウイルスにかかっていないか検査があり、以前から抜くのをちゅうちょしていた左下の奥歯を抜かれた。悪い歯を放置して手術すると、口内細菌から合併症が起こる可能性があると初めて知った。
がんは下行結腸の真ん中あたりにある。手術では、腹部に開けた4カ所の穴から腹腔鏡を操作し、がんを中心に腸を約20センチ切除。吻合(ふんごう)(切ったところをつなぐこと)して、切り取った腸はへそ付近に縦に開けた約5センチの穴から取り出したらしい。所要時間は約4時間。終了後、ベッド脇の妻に心配をかけまいと気の利いたことを言おうとしたが、意識がもうろうとしていて無理だった。
腹部の痛み、とりわけ排尿時の激痛には閉口したが、手術直後から介助なしでトイレに行き、翌朝から努めて病棟の廊下を歩いた。リハビリのつもりである。栄養は点滴で補給し、経口で摂取できるのは専用の飲料だけ。これが甘くてすぐ飽きた。数日後、ヨーグルトやプリンなら食べてよいと許可が出た時には、うれしくて院内のコンビニへ点滴をぶら下げて行った。おかゆに始まり、19日の夕食でおかずが付いた時にはうれしくて写真を撮って家族に送った。どんな名店に行っても撮影なんてしたことがなかったのに。
手術後に最も怖いのは、吻合がうまくいっておらず、食べたものが腸から外へ漏れ出すことだという。しかしトラブルはなく、ガス(おなら)も出るようになった。切除部位の検査などでステージ1、転移なしの診断。22日に退院した。
入院中にかかった医療費(支払い分)は19万円足らず。家計のやりくりに関与していなかったが、妻ががん保険に加入してくれていて十分カバーできた。
やはり大事な「早期発見」
手術1カ月後の診察では順調に回復しており、特に問題なし。「普段から体を鍛えて体力があることや、たばこを吸う習慣がないことが回復の早さに影響する」というのが主治医の見方だ。試しに10月と12月にマラソンを走ってみたが、痛みなどはなく無事に完走できた。
手術前後で最も変わったのは晩酌をしなくなったこと。病気、手術の影響かどうかは分からない。飲酒の習慣が途切れ、飲まない習慣がついただけかもしれない。
大腸がんを報告した時、会社の診療所の医師は「早く見つかれば治る病気だから」と慰めてくれた。深刻な事態にならなかったのは医師や妻の助言、そして内視鏡クリニックの的確な対応があったから。重要なのは早期発見に努め、納得できなければセカンドオピニオンを求めることだ。保険に入っておくこともお勧めしたい。
しばらくは定期的な受診と内視鏡検査で予後を見守ることになる。幸い一段落したが、今後はがんを強く意識しながら生きていくことになるのだろう。
5年後生存率は07年より改善
国立がん研究センターの発表(21年4月)によると、08年にがんと診断された人の10年後の生存率は59・4%。最も高いのは前立腺がんの98・7%で、女性の乳がん87・5%▽子宮内膜がん83・0%▽子宮頸(けい)がん70・7%に続いて、大腸がんの67・2%が高かった。
一方、生存率が最も低いのは膵臓(すいぞう)がん6・5%。次いで小細胞肺がん9・1%▽肝内胆管がん10・9%▽肝細胞がん21・8%――の順だった。
また、12~13年にがんと診断された人の5年後の生存率は、がん全体で67・3%。07年の64・3%から改善していた。

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