山梨県の中央自動車道・笹子トンネル天井板崩落事故は2日、発生から12年を迎えた。
これに先立ち、亡くなった男女5人とシェアハウスで暮らしていた男性(40)が初めて、長時間の取材に応じた。「事故を風化させたくない」。当時のやるせなさが薄れるなか、天井板を展示する中日本高速道路の施設への訪問が転機になった。(甲府支局 高村真登)
土曜日の夕方のリビングは、にぎやかだった。2012年12月1日。外出先から東京都千代田区のシェアハウスに戻ると、くつろいでいた仲間から声をかけられた。「今から温泉に行くけど、一緒に行かない?」
夜に出発し、富士山を望む山梨市の日帰り温泉で、日の出を見るのだという。男性は映画を見に行く約束があり、「ごめん。楽しんでね」と言って自室に戻った。それが最後の会話になるとは夢にも思わなかった。
同じシェアハウスに住む上田達さん(当時27歳)、石川友梨さん(同28歳)、松本玲さん(同28歳)、小林洋平さん(同27歳)、森重之さん(同27歳)が乗ったワゴン車は翌2日朝、都内に向けて走行中、138メートルにわたって崩落した天井板に押しつぶされた。
10~15人が暮らすシェアハウスの中でも、同世代の5人とは気が合い、本当の家族のようだった。都合が合う面々で九州を旅行し、阿蘇山や別府温泉を巡った。新潟県・苗場で開かれた音楽フェスにも行った。
ただ、最も思い出に残っているのは、仕事から帰ると誰かがリビングにいて、酒を酌み交わしたり、談笑したりする。そんなたわいもない時間だった。
事故の翌年、男性は転勤に伴いシェアハウスを出た。5人を忘れまいと、山梨市の温泉には10回近く足を運んだ。慰霊式には毎年参加し、それぞれの誕生日には思い出の写真を眺めた。形見分けしてもらったネクタイや椅子、登山用のストックは今も大切に保管している。それでも、当時のやるせない思いは薄れていった。
昨年8月、遺品などを展示する中日本高速の研修施設「安全啓発館」(東京都八王子市)を訪れた。遺族を通じて見学を希望していた。5人が乗っていたワゴン車は大きくひしゃげ、焼け焦げていた。特に、実物の崩落した天井板(長さ約5メートル、幅約1・2メートル)には大きな衝撃を受けた。
男性は日用品メーカーでエンジニアとして働く。生活に身近な製品で、普通に使えば危険性はないが、新製品の開発には厳しい安全性のチェックが行われる。
なぜ人の命に関わる高速道路で、トンネルのボルトの点検や維持管理体制が不十分だったのか。国の事故調査に関する報告書を2回読み込んだが、今も納得できていない。
中日本高速によると、安全啓発館は21年3月に完成後、社員ら延べ約7300人が研修で訪れたほか、警察や消防、鉄道の関係者ら約1200人も見学した。遺族には様々な考えがあり、一般公開はしていない。
男性は展示を見て、「事故の風化が防げるなら」と思い、取材に応じたと明かし、思い出の写真を見て語りかけた。「みんな若いな。オレだけがおっさんになっちゃった。みんながいたら、もっと楽しかった。本当に悔しいよ」
◆笹子トンネル天井板崩落事故=2012年12月2日午前8時3分に発生。天井板が崩落して車3台が下敷きになり、9人が死亡した。接着剤の劣化などが原因とされ、中日本高速の元社長ら10人が業務上過失致死傷容疑で書類送検されるなどしたが、全員の不起訴が確定した。