映像ディレクター・映画監督の信友直子さんによる、認知症の母・文子さんと老老介護をする父・良則さんの姿を描いたドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』は大ヒット作品に。そして母・文子さんとのお別れを描いた続編『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』の公開から2年半、104歳になった良則さんは、広島・呉でひとり暮らしを続けています。笑いと涙に満ちた信友家の物語から、人生を振り返るきっかけを得る人も多いはず。そこで、直子さんがその様子を綴った『あの世でも仲良う暮らそうや』から、一部抜粋してご紹介します。
【写真】若かりし頃の母。ひょうきん者でした
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母・信友文子に認知症の症状が出始めたのは、2013年頃のことでした。
父の良則は当時、もう90代半ば。一人娘の私は東京でテレビディレクターをしていたので、両親は長らく二人暮らしでした。
母の異変を受け、私は悩みました。
「お父さんはどうせ何もできないだろうから、私が仕事をやめて実家に帰るべき? 介護サービスに頼れば何とかなるのかしら? それとも施設にお願いするしかないのかな……」
そう、最初のうち私は、父を全くアテにしていなかったのです。父はそれまで、家事なんてまるでやったことのない人でしたから。
昔からずっと、信友家の主導権は母が握ってきました。母は社交的で明るく友達の多い人。一方、父はおとなしくて本ばかり読んでいるインドア派。全く性格の違う二人でしたが、不思議と相性は良かったのです。
というより、シャイなイケメンの父に母がベタ惚れだった、と言った方が正確かもしれません。とにかく母は父に、徹底的に尽くしていました。
若かりし頃の父。母のおかげですこぶる快適に暮らしていました(『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』より)
それまでの父は、大げさでなく本より重いものを持ったことがなかったと思います。力仕事も含め、すべて母がやっていましたから。
たとえば私が小さい頃、ウチは五右衛門(ごえもん)風呂でしたが、燃料の薪(まき)割りから風呂焚(た)きまで、すべて母の仕事でした。
父が一番風呂に入ると、母が背中を流してあげます。湯上がりには母の用意した着替え一式を、父は順番に着ていくだけ。着るものも下着まで全部母の手作りで、どれもが小柄な父にピッタリでした。
父からすると、自分は何もせずに座って本を読んでいるだけで、生活は何の支障もなく、つつがなく回っていたのです。言葉を変えれば、それだけ母が完璧なスーパー主婦だったということです。
そんな母は当然、私の憧れでした。話もおもしろい人でしたから、私は帰省しても母とばかり喋り、おとなしくて存在感の薄い父のことはほとんど無視でした。「お母さん、頼りになるわあ」と思った経験は山ほどありますが、「お父さん、頼りになるなあ」は一度もなかったと断言できます。
母を尊敬していたからこそ、認知症になった時は大ショックでした。「何でこんなこともできんようになったの」「情けなくて見とられんわ」母の異変をなかなか認められず、「しっかりしてやお母さん」と思わず責めてしまったことも数知れず。
そんな時です。茫然自失の状態から抜けきれない私を尻目に、気づくと父が少しずつ、家事を肩代わりし始めていたのです。
『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』(信友直子/文藝春秋)
母に代わって買い物に行く。たまった洗濯物を洗い始める。ゴミをきちんと分別して出しに行く。遂(つい)には母の裁縫箱を取り出して、代わりに繕(つくろ)い物までし始めました。
「えーお父さん、こんなこともできるん? すごいね!」
驚く私に照れくさそうな父でしたが、続いて言った言葉が忘れられません。
「これまで、わしが何もせんでもひとつも困らんかったのは、おっ母がみなしてくれよったけんじゃのう。こうなって初めて、いかにおっ母に世話になりよったかが身にしみてわかったわ。これからはわしが、おっ母に恩返しする番じゃ」
この言葉から7年間、父は母を支え続けました。今度は父がお風呂を沸(わ)かし、母を入浴させ、着替えを用意したのです。時にはおもらしした母を着替えさせ、汚れた下着を洗うこともありましたが、それでもやさしくお世話していました。根底に「わしをこれまで支えてくれてありがとね」という感謝があったからこそだと思います。
「何もできない」といささか見くびっていた父が、実はこんなに愛に溢れた「イイ男」だったとは……。この発見は、娘の私にとっても贈り物となりました。
認知症は確かに、本人にも家族にも辛い病気ではあります。でも見方を変えれば、今まで気づかなかった大切なことに気づかせてもらえる、得難い体験にもなるのではないでしょうか。
母が認知症にならなければ、私が父にちゃんと目を向けることもなかった。そしたら当然、父の愛らしい笑顔を写真に収めようと思ったり、父のつぶやく素敵な言葉に心を震わせたりすることもなかった……。
そう思うと『あの世でも仲良う暮らそうや』も、大好きだった母の認知症がくれた、大切な贈り物のひとつだと言えそうです。
※本稿は、『あの世でも仲良う暮らそうや 104歳になる父がくれた人生のヒント』(文藝春秋)の一部を再編集したものです。