1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるまでに落ちぶれることとなる。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか
「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。
『踊る菩薩』連載第43回
『観客の拍手という「魔物」…実刑まで秒読みの「伝説のストリッパー」が「陰部露出」をやめなかった意外な理由』より続く
メディアは一条逮捕を大きく報じた。芸人として彼女を崇拝していた俳優の小沢昭一はちょうどこの日、公演を見にいく予定だった。大阪に着いて劇場に電話を入れたとき、「逮捕」を知る。
権力の性根の悪さを見た気がした。弱い女性が自分の身体を張って、疲れた男を癒やしている。誰に迷惑をかけるでもない。しかも、最後の公演である。逮捕までする必要があるのか。
一条をテレビの世界に引っ張り込んだのは小沢だった。テレビ出演が警察の機嫌を損ねていた。小沢は一条に対し、済まない気がした。
赤穂浪士の討ち入りが時代背景を変え、仮名手本忠臣蔵になったように、時に芸能は権力に対する庶民のうっぷん晴らしの作用を果たしてきた。そのため古今東西、権力者は芸能の向かう先に神経をとがらせた。お上の目をごまかし、生き延びてきたのが芸能だった。だから小沢は、これほど一条らしい終わり方もないと考え直した。
「やられた」と思った。こんな幕の引き方があるのだろうか。引退公演での逮捕。芸人の終わり方としては、これ以上の筋書きはない。やろうと思ってできることではない。一条さゆりという芸人は恐ろしい存在だと小沢は思った。まさに神に遣わされた芸人だった。同じ世界に生きる者として、小沢は敗北感さえ覚えた。
一条の芸は崇高だ。警察は彼女を逮捕し、裁判所が有罪にするかもしれない。ただ、神様はきっと、彼女を罪に問わない。小沢はそう確信していた。
「神様」は、そして「お上」は一条にどんな判断を下すのだろう。注目の裁判が始まる。
大阪地検は1972(昭和47)年5月10日、一条さゆりを公然わいせつの罪で起訴した。逮捕から3日しか経っていない。
福島署の取り調べで、一条は引退公演のときに撮られた自分の裸を見せられた。容疑の認否について問われた彼女は弁護士とも相談し、全面的に認めることにした。情状を訴え罰金刑にしてもらう狙いだった。1ヵ月前に夫と2人で寿司店を開いたばかりである。実刑になったら、店はどうなるのか。借金をしてまで開いた店だった。とにかく実刑だけは避けたかった。
警察は一条が容疑を認めたことに安心し、誰に命じられたのかとしつこく聴いた。このころになると、彼女は警察が何を狙って、どんな質問をしてくるかを熟知している。警察や検察はできれば劇場経営者を起訴に持ち込みたかった。
一条はどれだけ追及されても、
「ファンが大切やから、自分で脱いだんです。遠くから、私の裸を見にきてくれたファンもいるのに、見せないわけにはいきません」
と答えている。ただ、取調官は、「他の踊り子はみんな経営者から命じられたと認めている。あんただけがそれを否定した場合、公判での心証が悪くなる」と説いた。結局、彼女も経営者から命じられたと認めざるを得なかった。
一条は若い取調官との雑談で、こんなことを問うている。
「なんでアソコを見せるのがそんなに悪いんですか。見たくもない人を相手に股を開いているわけではないですよ。おカネを払って来ている人に見せているだけです」
「あんたたちが裸を見せると男が興奮するやろ。レイプが増えるんや」
「劇場からの帰りにお客さんが女の子を襲ったといった話は聞いたことありません。お客さんはトイレに入って、自分でやったりしてたので、むしろ気持ちよくなって帰ったんです。男の人はあたしの裸を見て、欲求を自己処理していたんです。むしろ、あたしが踊っているから、レイプが減るんじゃないですか」
ストリップが防犯に寄与しているとする説には、取調官も苦笑するばかりだった。
『「世間をごまかしていない」現役の東京大学講師も感激した「伝説のストリッパー」の生き様』へ続く
「世間をごまかしていない」現役の東京大学講師も感激した「伝説のストリッパー」の生き様