父は病を理由に退職、母は統合失調症、兄は引きこもりに……。バブル崩壊や家族を襲った突然のトラブルなどを理由に貧困家庭に陥り、高校時代は生活保護を受けていた漫画家の五十嵐タネコさん。
【マンガをすべて読む】「父は脳梗塞」「母は統合失調症」「兄は引きこもり」働ける家族が誰もいなくなった“絶体絶命の女子高生”の末路(全3話)
お風呂には週に1度しか入れず、ときには当時のクラスメイトからの「臭い」という悪口に悩んだことも……。当時の記憶をコミックエッセイ『東京のど真ん中で、生活保護JKだった話』として発表した彼女が語る「生活保護のリアル」とは?(全2回の1回目/後編を読む)
かつて生活保護を受けていた漫画家が語るその苦労とは?平松市聖/文藝春秋
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――なぜ生活保護を受けていた経験を漫画にしようと思ったのですか?
五十嵐タネコ(以下、五十嵐) この作品を描く少し前、あるインフルエンサーが生活保護やホームレスの方に差別的な発言をして話題になったことがあったんです。生活保護は不正受給などの悪い面が注目されることが多いのですが、本当に助けられている人がいることや、支援を受けて自立につながるケースもあることを伝えたいと思って筆をとりました。
また既に両親が他界し、兄も生活保護を卒業して、現在は身内に生活保護を受けている人がいないことも描けるようになった理由の1つです。
――なぜ生活保護を受給することになったのでしょうか。
五十嵐 母が私を妊娠しているときに父に脳腫瘍が見つかり、手術をしました。その結果軽度の言語障害が残り、会社をリストラされました。バブル崩壊もあって再就職が難しかったことから貧困家庭になりました。
父は北陸地方から上京して大卒で就職し、営業マンとして順調に出世していたそうです。言語障害を抱えてからも「営業しかできないから」と他の職種には消極的でした。そこは不器用だったのかもしれません。
何とか再就職したものの、私が高1のときに脳梗塞の発作を起こし、顔面麻痺や言語障害などの後遺症によって退職せざるを得なくなりました。

――他のご家族はどんな状況だったのでしょうか。
五十嵐 母は長らく統合失調症を患っていて働くことができませんでした。また兄が1人いるのですが、母による過干渉な育児の被害を一番受けていました。母に全てのレールを敷かれて国立大学に入りましたが、21歳の時に抑圧されていたものが爆発し引きこもりになってしまいました。
――お父様が病気で倒れたとき、民間の保険などには入っていたのですか?
五十嵐 父が最初に脳腫瘍の手術をした際は保険がおりたようです。ただ、その後の脳梗塞で倒れた際には保険に助けられた記憶がないので、保険がおりなかったか、または困窮して既に保険を解約してしまっていたのかもしれません。
脳梗塞の発作のあと、父は1年以上職が見つからず貯金は底をつきました。親戚にお金を借りるあても無くなり、両親はやっと生活保護の申請を決心しました。
――執筆にあたって、当時のことをご家族に聞いたりしましたか?
五十嵐 兄はすごく記憶力がいいので、色々と教えてくれました。生活保護を申請する少し前に、父が故郷の兄(伯父)に20万円の借金をするために「申し訳ない」と泣きながら電話をしていたことを初めて知りました。
――もう少し早く生活保護を受けることはできなかったのでしょうか。
五十嵐 生活保護を申請すると、扶養照会(自治体が申請者の親族に扶養できないか確認する仕組み)によって親族にバレることがハードルになっていたのだと思います。また、「最後まで自分で働いて何とかしたい」という気持ちが強かったんでしょう。父は当時、障害者認定も受けていませんでした。呂律が回らないなど言語障害が結構残っていたのですが、プライドもあったでしょうし、何より「認定を受けたら再就職がさらに難しくなる」と考えていたのだと思います。

――生活保護を受給してから、どんな変化がありましたか?
五十嵐 生活が苦しくなるにつれて両親共にストレスと不安が強くなっていましたが、精神衛生的に良くなって私も兄もホッとしました。これまで通りの貧しい暮らしなら生活保護費で十分に賄えると安心したし、高校の授業料が免除になったので辞めずに済みました。
――貧困家庭になってから、どんなことが辛かったですか?
五十嵐 家にお風呂が無く、週1回しか銭湯に行けなかったのが一番キツかったです。幼い頃はそれが普通だと思ってましたが、小学生のとき「お風呂は週1回」と友達に言ってしまい、相手の反応を見て「うちは他の家と違うんだ」と気づき始めました。クラスメイトに「臭い」と悪口を言われたり、フケが出て困った時期もあったし、銭湯に行けない日には「水のいらないシャンプー」を試したこともありました。
小学校1、2年生までは友達を自宅に招くことがありましたが、自分の家が狭くて汚いと気づいてからは呼ばなくなりました。

――お友達の家と比較して、どんな違いを感じましたか?
五十嵐 友達の家はおもちゃがいっぱいあったし、「シルベーヌ」という小さいケーキのようなお菓子をお皿に乗せて出してくれたり、「友達は素敵なおやつを食べているんだなあ」と格差を感じました。うちではスナック菓子を食べたりはしていましたが、何も無いときは煮干しや鰹節をこっそり食べていました。
――お小遣いはあったのでしょうか。
五十嵐 高校生のときは月に5000円お小遣いをもらっていたので、意外に一般的な額だったと思います。振り返ってみると、両親のお金の使い方のバランスの悪さを感じる点は他にもいくつかありました。
普段は夕食のおかずが家族4人でサンマ1匹だけだったりするのに、母が精神的な不調でお惣菜を買いに行くこともできないときは出前を取ることがありました。
両親の趣味はパチンコで、父はお小遣いの範囲内でしたが、母は自制できず生活費まで注ぎ込んでしまったことがあったようです。生活保護を受給するようになってから2人ともパチンコは止めましたが、母は隠れて行くことがあり、私や兄が気づいて叱ることもありました。法律上パチンコが禁止されているわけではないとはいえ、やはり「ダメでしょ」という意識がありました。
――生活保護について、良くなってほしい点はありますか?
五十嵐 風呂の無い家庭は1人につき週1回分、年間50枚ほど銭湯の入浴券が配布されるのですが、せめて週2~3回以上に増やしてほしいです。週1回は辛過ぎました(笑)。ただ、入浴券を増やすより風呂付きの家に引っ越しさせるほうが金額は安く済むはずなんです。でも今の法律では「風呂に入りたいからと引っ越しをするのは贅沢」という扱いなので、そういった現代の価値観と合っていない部分が改善されたらいいなと思います。
また、何よりも受けるべき人にきちんと支援が届いてほしいです。どうしても悪いイメージが強いですが、不正受給の額は生活保護費全体の0.29%といわれています。日本の生活保護利用率は諸外国に比べても低いほうで、必要なのに支援が届いていない世帯が多くあると思います。
――どの程度生活に困ったら生活保護を申請してもいいのか、悩む人は多いのでしょうか。

五十嵐 真面目な人ほど生活保護の申請を躊躇してしまうと思います。困ったら、まずは行政の窓口に相談するのが大切だと思います。しかし、生活保護の申請を受理する基準は職員や自治体によって異なっており、無下に断られたために心が折れてしまう人もいると思います。我が家も最初に申請に行ったときは断られました。
窓口で対応するのは一般の事務職なので、貧困家庭や精神的な病気に対する理解度に個人差があります。福祉の専門知識のある職員にアドバイスしてもらえるようになるといいなと思います。
〈「生活保護はズルい」と批判する人もいるけれど…それでも“かつて生活保護を受けていた女性漫画家”が「生活保護を肯定する」理由〉へ続く
(都田 ミツコ)