2020年10月30日の午前2時すぎ、鹿児島県の高校1年生だったケンジさん(仮名)は自室を閉め切って練炭に火をつけた。ペットの犬が臭いを感じて吠え、父親が早期に発見して心肺蘇生をしたことでかろうじて命を取り留めたが、彼を自殺に追い込んだのは高校教師の「欠点指導」だった。
【実物写真】「昭和の脳筋も…」自殺未遂直前にケンジさんが書き殴ったメモ
しかし現在19歳になったケンジさんは、教師を目指して大学で学んでいるという。一体どんな心境の変化があったのだろうか――。
高校時代に教師の指導が原因で自殺未遂に及んでしまったケンジさん
ケンジさんが通っていた高校では、定期テストなどで平均以下の点数を取った場合、複数の教師から「指導」を受けるルールがあった。生徒は担任教師、部活顧問、教科の担任、学年主任、そして保護者から印鑑を捺してもらうことでようやく「指導」は完了する。
「他の人が『指導』を受けている時は、隣の校舎にいても叫び声や怒鳴り声が聞こえてくるんです。自分も同じような目にあうのが憂鬱で、怖い気持ちは当然ありました。平均点を取れなかった他の生徒も、みんな怯えていました」
テストの平均点以下の生徒が対象ということは、学年の半数近くが指導を受けることになる。10月28日の放課後にケンジさんが指定された時間に生徒指導室へ向かうと、廊下にはすでに多くの生徒が並んでいた。
「担任や教科の先生はスムーズに終わり、“印鑑集め”の最後が学年主任の教師でした。廊下には全部で50人くらいが並んでいて、自分は10番目から15番目くらい。1人ずつ生徒指導室に呼び出されて入るのですが、中からは怒鳴り声も聞こえてこず、1人あたりの時間も1分くらいで、それほど長くは感じませんでした。自分の順番が来て、『自分も怒鳴られないといいな』と不安な気持ちで部屋に入りました」

生徒指導室に入ると、50代の男性の学年主任・A先生が部屋中央の机に不機嫌そうに座っていた。
「いきなり『なんでこんな成績になったんだ!』と言われました。学年主任の先生と話すのは初めてでしたが、怖いという気持ちしかありませんでした。一通り謝って印鑑を捺してもらう紙をだしたら、今度は担任の印鑑がなかったことを責められました。担任と部活の顧問が同じなので印鑑が1つしか捺されていなかったことが気に入らなかったようです」
ケンジさんは担任の教師が部活の顧問であることを伝えようとしたが、A先生の形相に口ごもってしまったという。
「圧を感じて話せずにいると、A先生は机をドンと叩きました。それが怖くて、もう何も考えられない状態になってしまいました。自分はターゲットになってしまったんだ、と。その後、何も言っていないのに『お前、上から目線だな』と言われ、『勉強はしたのか?』と聞かれて『やる限りはやりました』と答えたら、また大きな声で怒鳴られました」
「勉強した」と答えて怒鳴られたケンジさんは、何を言えばいいのかわからなくなったという。
「後から周りの人に聞いたら、『勉強してません』と答えた人はすぐに生徒指導室を出られたようです。ただそれを聞いても納得できませんし、なぜ怒鳴られたのか今でもよくわかりません。他にも怒られた友達がいて、一緒にしょんぼりして帰りました。あの部屋にいたのはせいぜい1分くらいだと思うんですが、1時間ぐらいいたような苦しさでした」

生徒指導室の前で並んでいる他の生徒には、誰がどう怒鳴られたのかは筒抜けだ。思春期の高校生にとって「恥ずかしい」気持ちも強かっただろう。その日は部活があったが、ケンジさんはやる気が出ずそのまま帰宅したという。
複数の教員から印鑑を捺してもらう「欠点指導」という方法は、鹿児島県内では「スタンプラリー」と呼ばれ多くの学校で行われているという。
「帰る途中も、帰ってからも1人で部屋の中で凹んでいました。ベッドで横になって考えているうちに、自分はダメな人間で、ダメだから勉強もできないんだとどんどん思いつめていきました。知らない生徒にも恥ずかしいところを見られて、学校に行きたくないな、とも思いました。だって紙に印鑑が1つあるかないかでいきなりブチ切られるって、理不尽じゃないですか」
朝になっても、ケンジさんの気持ちは一向に晴れなかった。そして母親とスーパーへ買い物に行ったときに、こっそりと練炭を購入した。
「自責の念がどんどん強くなって、『死んじゃえば楽になるんじゃないか』という思いが頭から離れなくなっていました。学校でも家に帰っても、ずっと死ぬことばかり考えていました」
日付が変わって10月30日の午前2時頃、両親が眠ったのを確認したケンジさんは自殺を決意。練炭に火をつけ、ベッドに横たわった。
部屋のドアにはガムテープなどで目張りをしていたが、煙がもれペットの犬が吠え、異変に気づいた両親がケンジの部屋に向かうと、煙が充満する中にケンジさんが横たわっていた。
両親は意識を失っているケンジさんを部屋からすぐに運び出し、119番通報をして救急車が着くまでの間は父親が心臓マッサージをした。
「父親に心臓マッサージをされているあたりで意識が戻りました。お父さんが心肺蘇生していることはわかったんですが、自分が熱傷していることは気づきませんでした。救急隊員の人がいっぱい入ってきて、運ばれていく間も『迷惑かけちゃったな』と 後悔でいっぱいでした」

一命を取り留めたものの、お尻と手にやけどを負い、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と解離性障害の診断も受けた。入院中に父親に理由を聞かれて、ケンジさんは「欠点指導」が辛かったと打ち明けた。母親は「あの高校に行かせなければよかった」と泣いていた。父親も意気消沈していた。
「ケンジは『自分は弱くてだめだと思った。単位のことをほのめかされてビビった』と言っていました。また『留年するぞ』とも言われて、かなり深刻に受け止めていたようです。焦り、恐怖があったんだと思います」(父親)
ケンジさんが自殺未遂に及んだ30日の夕方、父親は高校に向かうと、学年主任のA教諭との面会を求めた。しかし、回答は要領をえないものだった。
父親「28日の指導はなんだったのか」A教諭「私のところに来るのだから、欠点指導、印鑑もらいでしょう」父親「実は、指導の後、自殺を図ったんですが」A教諭「明確なやりとりの内容や様子についての記憶がない」
ケンジさんの父親は「本来は子どもたちの単位取得を支援するはずの『欠点指導』という仕組みが、歪んでいるのでは」と感じたという。
A教諭の対応に不信感を持った父親は、校長にもケンジさんの自殺未遂の事実を伝え、A教諭の指導がその原因になった可能性について調査を依頼した。しかし、校長の返事は「調査できない」というものだった。
そのため、文部科学省の「子供の自殺が起きたときの背景調査の指針」に基づいて、調査をするように校長にお願いした。「欠点指導でA教諭とやりとりをしていたときの出来事が、今回の自殺未遂の原因になっているのではないか」と考えたのだ。しかし約8カ月後、返ってきたのは調査はできないという回答だった。
「文部科学省のルールは自殺による死亡が前提で、ケンジは死亡していないので調査対象ではない、という返事がありました。とても納得できません」(父親)

ケンジさんは記憶が混乱するなどの後遺症があったため入院を余儀なくされた。それでも半年ほどで同じ高校に復帰し、卒業。現在は大学で教職課程に進み、教師を目指しているという。
「友達には、自分が自殺未遂をしたことは言いませんでした。下手なことを言いたくないというか、プライドですかね。ただA先生から指導を受けていたことは知っていると思うので、何があったのだろうと不思議に思う人はいたでしょうね」(ケンジさん)
自分を追い詰めた「教師」という職業を目指すのは、どんな心情なのだろう?
「大学を卒業したら、鹿児島に帰って教師をやりたいです。子どものためにならない仕組みや変なルールを減らしていきたい気持ちが強いんです。僕がいた高校では、テストを受けるときは黒いカバンを持参する義務があったんですが、理由がよくわからないですよね。大学で教育について勉強したことで、自分が受けた指導がありえないものだったこともよくわかりました」
学校という閉鎖空間において、子どもから見て教師は絶対的な強者に見える。ましてその指導が不適切であれば、子どもが追い詰められてしまうのは想像にかたくない。実際に、「指導死」と見られる自殺のケースは多い。
「指導死」の特徴は、一定期間続くいじめや虐待、差別などによる自殺行動と違い、指導からの時間的な猶予が短いことだ。ケンジさんの場合、A教諭の指導から自殺未遂までは2日しかなかった。自身の経験を踏まえて、こう話す。

「教師にきつく叱責されても自分を責めすぎず、本当に自分が間違っているのかを考えてほしい。おかしいのは教師や学校の方で、子どもには落ち度がないことも多いんです。何より、学校が子どもを追い詰めないように変わることが大事だと思います」
(渋井 哲也)