【前編】「「都会から地方に移住したら、閉鎖的でヒドい目にあった…」。地方移住で「田舎を悪者にする事例」ばかりが注目を集める「納得の理由」」の記事では、「コロナ禍以降の地方移住」の一端、すなわちSNSなどで「移住先の悪口」が拡散されがちな構造について解説した。
以下では、数はそれほど多くないとはいえ、それでも起きてしまう地方移住にまつわるトラブルを回避するための方法、そして、さらなる地方移住のトラブルについて解説しよう。
SNSでの「移住トラブル」について見たついでに、トラブルを回避するためのコツもお伝えしておこう。
移住者と地元の人のあいだでのトラブルの原因の一つに、「コミュニケーション不足」が挙げられる。どこかでボタンの掛け違いがあり、そこで誤解が生まれるケースはよく耳にする。地方のほうが、都会で暮らすよりも高齢者と接する機会が多い。なので、高齢者とのコミュニケーションのとり方を身につけておくことは大切だ。
自分が主張していることがいくら正論であっても、相手が納得していないにもかかわらず、理屈で押し切れば、必ずしこりが残る。最近「はい、論破」という言い回しをネットで見かけるが、ディベートなんか日常生活で仕掛けていたら摩擦しかうまない。
お互いが、白か黒かを相手に受け入れさせるのではなく、白も黒も両方ありうるという前提で歩み寄ってみてはいかがだろうか。オセロのコマのようなもので、片側から見れば白か黒しかないが、目線をずらし側面から見れば白も黒もあるのだ。
だから、移住者の意見も、地元の意見も、両者を合わせて考えるべきだ。もっとも、これは高齢者に限らず、人と交渉するときの基本であるのだが。
それから、個人的には、行政にうまく立ち回ってもらいたいと強く考えている。移住者、地元住民、どちらの意見も聞き、どちらかの肩を持つことなく、円滑に回るようにフォローしていただきたい。
行政だって双方に迷惑をかける場合もあるのだから、喧嘩することのないように話を聞いて、行政のルール上、負担を強いる場合はうやむやにせず納得がいくまで説明をしてほしい。そうすれば揉め事の着地点が変わるかもしれない。トラブルで全国区になってもデメリットしかないのは、十分理解されているだろうからどうかお願いしたい。
ちなみに地方移住をしての筆者の実感として、高齢者のなかには、良くも悪くも、ある日とつぜん意見がまったく反対のほうを向くという人もいる。地方移住をするうえで、そのことはよく覚えておいてほしい。こうした事例もあるから、着地点を誤らないように焦らず一歩ずつ進めてよう。
つぎに、地方移住の「発信」に関連して、「田舎暮らし系YouTuber」の問題にもふれておきたい。地方移住をすることで人生が豊かになった人間の一人としては、地方移住について発信することで地方に目を向ける機会を作ってくれる人には、大きな感謝を抱いている。また、純粋に田舎暮らしを楽しもうとする姿には、こちらも見ていて応援したくなる。
ただ、一部の「田舎暮らし系YouTuber」は手放しでは応援できない。もちろん、心情としては、彼ら彼女らも田舎が好きなのだと思いたい。だが、懐疑的に見てしまわざるを得ない面がある。
というのは、地方移住においては、まずは地域のルールを重視することが重要である。その意味で「地域が主体」で、少なくとも当初のうちは、彼ら彼女らはあくまでその一員であるべきだ。しかし、彼ら彼女らのなかには、自分のチャンネルこそが主体であり、地域のルールや田舎暮らしは手段でしかないように映るものがある。
本人が困るのは好きにすればいい。しかし地域住民を巻き込んではいけない。何かあれば再生数が稼げると、田舎を一方的にネタにするのはご勘弁願いたいのだ。田舎はテーマパークではないので、好き勝手に振る舞って許される場所ではない。自身の言動を棚に上げて「村八分にされた」などと発信したところで、鵜呑みにする視聴者も少ないだろう。
さて、「コロナ禍における移住」で特徴的だったことと言えば、「二地域居住」だ。現在は一時よりは落ち着いたと感じるが、リモートワークの導入などがきっかけとなり、都市部の住居をそのままに、地方でセカンドハウスを購入するか空き家を借り、両方の暮らしを楽しむ人が増えた。
仕事を辞めずに移住するので、生活の基盤が安定している点が一番のメリットだ。都会でも地方でも、好きな方に暮らしの比重を置けるので、ストレスも溜まりにくい。いきなり地方移住するには踏ん切りがつかないという人は、仕事の都合さえつくのであれば検討してみてはいかがだろうか。
ちなみに二地域居住のメリットの一つに、震災リスクの分散という面も持ち合わせている。南海トラフ地震が予想される地域を外して拠点を構えるのも一つの手段として有効的だろう。
ただ、二地域居住も様相が変わってきた。今までは、定期的に移住先に足を運び、庭の草木の手入れをし、地域住民との交流を深め、都会と違う時間の流れを満喫する人が多かった。筆者の友人は、現在もこうした習慣を続けている。
しかし、コロナ禍がきっかけで二地域居住を実践している人の中には、自分が借り上げた古民家の二階から見える景色には興味があるが、自分の庭の雑草や、あるいは地域の人との関わりにはまったく興味を示さない人がいる。
リゾートホテルに短期滞在している感覚なのだろう。それならば、そういう施設を利用して地域にお金を落としてもらえれば良い。地方に対するそういう協力のしかたもあるし、それは地方にとって当然ありがたいことである。
しかし、リゾートホテルではなく、二地域居住を選択したのなら、家の管理と近所づきあいはセットになってついてくる。移住前にネットで見た「夢のような田舎」の風景は、実際に移住すれば、もろもろの面倒な管理や人間関係が付随した「現実の暮らし」の世界である。「暮らす」ということは、お客様としてもてなされるのではなく、地域の一員になるということである。
田舎暮らし、地方移住について語ると「時代に合わせて田舎や地方が変わるべきだ」と考える人がいる。そもそも大半の人は田舎暮らしに興味がないので、あまり深く考えずにこうした意見を口にすることが多い。
しかし、実際に移住を経験した人間からすると、そう簡単に地方や田舎は変われない。そこには、昔ながらの文化が残っているからだ。文化は不便で面倒なことが多い。田舎の行事など非効率のオンパレードだ。しかし、文化が損なわれすぎると、その独特の味わい、喜び、伝統といった「田舎の良さ」が失われる。
もちろん、文化も少しずつ変化する。それは自然なことなのだろう。昔ながらの文化を大切にしつつ、新しいもの、発想を地方に持ち込んでよりよいまちにしてほしいと、筆者も思う。しかし、それは一方的に「地方が変わるべきだ」という意見の表明であっては、実効性も薄い。地方の人と同じ目線に立ち、15年後、20年後のまちのことを、同じ目線で一緒に考えてほしい。都会で培った知恵をしていただきたい。
当然、地方・田舎の側にも、変化のための努力が必要だろう。しかし、上から目線で意見を言われのは、地域住民にとってはストレスだ。同じ目線で考えるというのは、コミュニケーションの中で、地域住民と移住者がさまざまな落としどころを探りながら、お互いにすりあわせていくことで可能になるだろう。
面倒くさいことを言っているようだが、観光で訪れるだけなら、地域住民はあれこれ言わない。特に観光地の場合、一部の観光客のマナーが悪いのは織り込み済みである(それでも迷惑千万なことに変わりないが)。それを我慢できるのは仕事だからという理由と、毎日顔を突き合わせる相手ではないからだ。これが移住者になると話は別だ。そこで暮らしていくわけだから、お互いの素性を知り、理解し、パーソナルスペースは尊重しあい、仲良く暮らさなければならない。
移住者にばかり苦言を呈するつもりはない。田舎の悪いところもたくさんある。20年近く田舎暮らしをしている筆者ですら未だに感じることはある。
お互いひたすら我慢をする必要はない。しかし、だからといって言いたいことをぶつけ合うものでもない。我慢は本来、仏教の言葉で「強い自己意識が起こす慢心」である。自分の立場だけで考えるから我慢しなければならない。お互いが相手の立場も考えて、納得できる着地点を、寛容の精神で見つけてほしい。
「田舎はおかしい」、「移住者はわがままだ」。「田舎は落ち着く」、「移住者は協力的だ」。当然どれも間違いではない。だから善悪なんてない。しいて言うなら関係ないところから興味もないのにあれこれご意見番気取りで意見されることが、事態を混乱させているように見える。
「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」
御託を並べた後で恐縮だが、寛容であることも、多様性を認めることも、明治に生まれバブル絶頂期に亡くなった経営の神様・松下幸之助のこのひと言にあらわされている。
田舎も移住者も、不便な田舎で生きていく以上、お互いの力が必要なのだ。相手のプラスが自分にとってもプラスになるように、共存共生の関係を築いて欲しい。
「都会から地方に移住したら、閉鎖的でヒドい目にあった…」。地方移住で「田舎を悪者にする事例」ばかりが注目を集める「納得の理由」